現在ではあまり話題になることもない天理教だが、戦前は急成長をとげた「新宗教」であった。戦後でいえば創価学会などを想起すればいいだろう。それほどかつては勢いがあったのだ。
「新宗教」とは、幕末以降に発生した宗教のことをさす。本書は、天理教について、発端となった神憑(がか)りから、いかにして宗教組織として成長し、確立していくまでのプロセスを詳細に分析したものだ。
天理教の場合、比較的資料が多く残されているので取り上げたという。つまり「宗教発生」のプロセスとメカニズムを知るためのケーススタディとしての位置づけにあるわけだ。
「開祖」とよばれる人物が存在するだけでは、宗教となることはない。これはブッダと仏教、キリストとキリスト教の関係もおなじである。宗教以外の企業組織であっても、また同様である。
天理教の場合も、幕末に中山みきという女性に神が降ったことが発端となったが、信者たち(それも男性)が存在しなければ宗教に脱皮することなく、迫害されなければアイデンティティも明確化せず、公認を求めての組織化も起こらなかったであろう。
中山みきも、神憑りする霊能者として一代限りで終わった可能性も高い。『霊能一代』で取り上げられた砂澤たまゑもそうであり、そんな例はごまんとある。現代も同様である。
霊的カリスマはそのまま血縁関係で継承されることはない。むしろ、天理教のように霊能者の神憑りから宗教教団に発展したケースは例外的と考えるべきなのだ。
■「戦前の天理教」と「戦後の天理教」には教義に変化がある
本書は『天理教』と題されているが、天理教の入門書ではない。
天理教の教義や伝説や神話を覆ったベールを一枚一枚はがしながら綿密に要素分解し、その成立の経緯を明らかにしようと試みた研究成果である。叙述も淡々としていて、最初から最後まで宗教学者としての冷静な態度が一貫している。
本書の指摘で重要なのは、天理教の歴史を「戦前」と「戦後」でわけて考えていることだ。
「新宗教」ゆえ、警察からの干渉や一般人からの誹謗中傷など、さまざまな迫害を回避するため、ある種の妥協を行って神道系の宗教組織として確立、日露戦争後の大正時代に「大衆時代」に入った急成長している。当時36歳だった松下幸之助が目を見張ったのは、300万人規模となっていた「戦前の天理教」である。最盛期には500万人まで拡大したという。
そして「戦後の天理教」においては、教義が「近代化」されていることが指摘されている。
東大の宗教学科で宗教学者・姉崎正治のもとで学んだ二代目真柱(しんばしら)が、イエズス会に代表されるカトリックをモデルに布教戦略を構築したが、成功したとは言いがたい。現在は公称200万人規模という。すでに成長期に入って「家の宗教」となって久しいのである。
著者の島田氏による、宗教学者・村上重良氏に対する批判も大いに納得のいくものだ。
天理教理解を方向づけた村上氏だが、1960年代から1970年代の知識階層が多く抱いていた左翼的風潮のもと、共産党関係者の村上氏は「戦前の天理教」を天皇制に対する「反権力の象徴」と位置づけていた。ところが、その村上氏の解釈が実際とは大きく乖離していたことが本書で明らかにされている。
大学学部時代に「宗教社会学」を専攻しようかと考えたこともあるわたしも、1980年代以降に村上氏の著書をつうじて天理教だけでなく、大本教もふくめた「新宗教」全般を理解していた。村上氏ほど、宗教や新宗教を網羅的かつ個別具体的に研究した人はいないだろう。
だから、その意味でも、本書を読んだことは大いに有益なことであった。
■現在では「一神教」的な天理教だが、もともと「神仏習合」的風土から誕生した
島田裕巳氏は、オウム事件で大学を追われてからは、在野の宗教学者として、ほぼ毎月1冊のペースで出版しつづけている。
なかには粗製濫造(?・・失礼!)に近いものもあるが、本格的な研究である本書『天理教』は、長いあいだ日の目をみなかったという。天理教がマスコミの旬のテーマになることがないからだ。
最終的に、古神道とオカルトを中心にした、知る人ぞ知る八幡書店から出版されることになったが、内容的にはオカルトとはまったく無縁である。
しかも、分析結果として、天理教は古神道の系統ではなく、もともと中山みきが熱心に信仰していた「浄土宗」や、さらに公認をもとめてその傘下に入った「吉田神道」の影響が強いとしている。
仏教の「転輪王」(てんりんおう)が、天理教の「天理王命」(てんりおうのみこと)に転化した可能性があるという指摘には、納得させられるものがある。
もともと神仏習合的要素が濃厚だったのだ。啓示(おつげ)によって登場したという、一神教的要素が前面にでてきたのは、戦後の教義近代化にあるという。 キリスト教などの一神教のほうが近代的だとみなされたこともあるようだ。
そういった意味では、読者の想定を裏切る内容の本となっているのかもしれない。もちろん、あくまでも天理教の信者ではない、外部の専門研究者による理解であることは言うまでもない。それが信者にとっての見解と異なっているとしても、それは当然の話である。
「宗教発生」のプロセスとそのメカニズムのケーススタディとして本書を読めば、その他の宗教組織、あるいは宗教以外の組織全般について理解するヒントにもなるだろう。伝説がいかにつくられるのか、ナラティブ分析としても有益だ。
なお、ダイジェスト版ともいうべき内容は、本書出版の前にでた『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書、2007)の「1 天理教」で読むことができることを付け加えておこう。
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目 次序章 宗教の発生第1章 啓示第2章 呪術の園第3章 神の正体第4章 御苦労第5章 神の死と再生終章 創造された一神教注主要参考文献あとがき索引
著者プロフィール島田裕巳 (しまだ・ひろみ)1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師。学生時代に宗教学者の柳川啓一に師事し、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点から宗教現象を分析することに関心をもつ。大学在学中にヤマギシ会の運動に参加し、大学院に進学した後も、緑のふるさと運動にかかわる。雑誌『80年代』の立ち上げにも参加する。 大学院では、コミューン運動の研究を行い、医療と宗教との関係についても関心をもつ。放送教育開発センターの時代には、放送教育、遠隔教育の研究にも従事する。日本女子大学では宗教学を教える。大学退職後は著述に専念、主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。(著者の公式サイトより)
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・・「特筆すべきは、天理教の内側にいた宗教哲学者・諸井慶徳(もろい・よしのり)の再発見・・・。偶然の機会によって(若松氏が)古書店で出会ったという諸井慶徳の著作は、しかるべき人に発見された、しかるべき本であったといえよう。この知られざる宗教哲学者とその主著への言及が本書をより深く、より豊かなものにしてくれた。諸井慶徳と井筒俊彦の接点はなかったようであるが・・。」
・・「神道系新宗教への親近感、霊性の観点からみた女性の男性に対する優位性など、折口信夫の思想のラディカルな性格」
(2024年3月2日 情報追加)
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