先日(2024年2月)出版された『池田大作と創価学会 ー カリスマ亡き後の巨大宗教のゆくえ』(小川寛大、文春新書、2024)を読む。これは面白い本だった。
シンパでもアンチでもない、中立的な立ち位置の宗教ジャーナリストによるものだ。その意味では安心して読める本である。
池田大作という、いい意味でも悪い意味でも巨大な存在感をもっていた人物を軸に、巨大宗教組織の過ぎ来し方を振り返り、今後について考える。そんな内容だ。
著者の指摘で興味深いのは、創価学会という宗教組織は、「学会」というネーミングにもあるように、そもそもの出発点がその他の「新宗教」とは大きく異なるという点だ。
天理教や大本教のように、教祖(それも女性が多い)の神がかりによって始まるのが、日本の新宗教の特色だが、創価学会はそうではない。
初代の牧口常三郎は教育者であり、創価とは価値創造のことだ。日蓮正宗の信仰に忠実だったゆえに戦時中は投獄され、獄中死している。
宗教組織として出発したのは、戦後になってからである。実業家で牧口常三郎の弟子だった2代目の戸田城聖がその原動力であり、彼こそ実質的な創業者というのにふさわしい。そして、3代目の池田大作の時代に巨大組織となったわけだ。
著者による、2代目が「ゼロイチ」であったなら、3代目は「イチジュウ」という比喩が面白い。事業家としての力量が発揮されたわけだ。
急拡大路線が「出版妨害事件」によるバッシングで挫折、それを機に「平和路線」へと転換。そのタイミングで日中国交前以来つづく中国共産党との win-win の関係、政治活動としては「政教一致」を断念し「政教分離」路線に転換するなど、紆余曲折を経てきた歴史をあらためて振り返るのも意味あることだろう。
かつてほどの勢いはもはやなく、すでに成熟期に入って久しい創価学会。生老病死が最大のテーマであった時代は終わっている。成長のピークは2005年であったようだ。現在では信者数は、200~400万人と推計されている。
となると、すでにピークを過ぎてから20年近くになる。攻めの姿勢から守りの姿勢に入っているということか。
池田大作氏は昨年2023年に95歳で亡くなったが、公的な場に姿を見せなくなったのが2010年であり、組織としてはすでに「カリスマ」亡き後の実務家による体制がうまく機能しているようだ。
すでに「過去の人」となっていた池田氏だが、それでも「昭和は遠くなりにけり」という感想を抱く。
好き嫌いから離れて、距離を置いてその人物と時代について考えることのできる状況が、ようやく始まったということだろうか。
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目 次はじめに第1章 静かに去りぬ「永遠の師匠」第2章 ポピュリズムを先取りした「庶民の味方」第3章 「政教一致」から「平和の使者」へ第4章 「池田ファンクラブ」への変質第5章 「幸福製造機」公明党が与党である意味第6章 さまよえる創価学会・公明党の現在地と未来予想おわりに
著者プロフィール小川寛大(おがわ・かんだい)1979年熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。宗教業界紙「中外日報」記者を経て、2014年宗教専門誌「宗教問題」編集委員、2015年同誌編集長に就任。
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『池田大作と創価学会 ー カリスマ亡き後の巨大宗教のゆくえ』(小川寛大、文春新書、2024)を読んだついでに、池田大作氏自身の手になる『私の履歴書』(聖教ワイド文庫、2016)を読む。
『私の履歴書』は、まさにあの『私の履歴書』である。現在なおつづく日本経済新聞の名物連載ものだ。
池田大作氏は、1975年に登場している。なんと47歳(!)だったという。「人生はこれからが正念場」(著者)という現役バリバリの時代である。
池田氏自身、「私の履歴書」を書くには早すぎると思っていたようで、何回も依頼されながら固辞し続けていたという。
日経が執筆を要請し続けたのは、間違いなく読者に受けるとみなしていたからだろう。経済人にとって、巨大組織を就任からわずか15年でつくりあげた男について知りたいと思うのは当然だ。その結果、「私の履歴書」として前半生の回想録が残されたわけだ。
全部で32回の連載であったようだ。激動の昭和史を生き抜いたひとりの「庶民」の人生である。
内容的には前半の 2/3 は面白い。具体的で読ませる内容である。東京湾沿いの海苔の栽培製造販売を行う家に生まれ、貧困ゆえに苦しみ、結核をわずらうという厳しい人生。
金属加工の仕事についた「軍国少年」は、敗戦後の日本で学問への憧れからむさぼるように本を読む。文学作品が中心だが、そうとうの読書家であったようだ。
読んでいて思ったのは、田中角栄の『わたくしの少年時代』を想起させるものがあるということだ。なるほど、池田大作と田中角栄は馬が合ったわけだと納得するものがある。
田中角栄のほうが10歳年上で軍隊経験があること、建築土木関連の技術屋出身であることが違いではあるが、貧困からの脱出というテーマは共通している。
そして2代目会長であった師匠との出会いと組織人としての道。そこから先は、あまり面白くない。というのは、分量的に少ないだけだけでなく、主観的な自分語りと、第三者的な分析とのズレがあるからだ。
ちなみに、おなじく日経に連載された棟方志功の「私の履歴書」は『わだばゴッホになる』として書籍化されているが、池田氏の「私の履歴書」は、書籍化された際に独自のタイトルをつけずにそのままとしている。
庶民出身だから、そっけないほうがいいとしたのだろうか? とはいえ、面白い内容だった。
「昭和史」を人物を中心に語るうえで、重要な「自伝」のひとつとして扱われるべきであろう。
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