PHPは、松下幸之助が敗戦後の1946年に創設したシンクタンクである。「PHP」とは、「Peace and Happiness through Prosperity」(=繁栄によって平和と幸福を)の頭文字をとったものだ。「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」という松下幸之助の理念が託されている。
松下幸之助の「経営理念」には、さまざまな宗教の影響があったことはよく知られている。使命を自覚した「命知元年」(1932年)のきっかけが天理教本部の見学であったことは、比較的知られていることだろう。天理教の「現世肯定」という理念に共感するものもあったようだ。
だが、使命感の根底には松下幸之助自身の「死生観」があり、だからこそさまざまな宗教が説く教えを耳で聴いて、自分自身の考えを確立していったのであろう、というのが著者の見解だ。
本書で重点的に取り上げられているのは、「生長の家」と「真言宗」である。前者は「第3章 宗教的背景を探るー「生長の家」のケースを手がかりに」で、後者は「第4章 死生観はどのようにして涵養されたか」で取り上げられている。
その「死生観」は、長生きはできないであろうと覚悟していたほど病弱であった、そんな幸之助自身の実存に起因するものであったことが、「第2章 不健康またけっこう ー 病と幸之助」を読むと実感される。
特効薬のなかった時代に肺尖カタル(=結核の初期症状)に苦しみ、26歳までに両親やきょうだいがみな死んでいるだけでなく、本人も最後まで完治することがなかったようだ。
さらに、経営者という精神的な重圧から、生涯にわたって不眠症に悩まされていたことなど、睡眠薬を手放せない人生であった。
そんな松下幸之助は「物心一如」を理念として打ち出していた。先にもみたように、PHPの理念に結実したものである。松下幸之助の影響を受けていた稲盛和夫の「物心両面の幸福」と似ている。
だが、両者の霊魂感には違いがあるようだ。おなじく米国発の「ニューソート」(New Thohght)系の「生長の家」の影響を受けているものの、稲盛和夫は個別の「魂」を前提にしている。「仕事をつうじて魂を磨け」というフレーズにそれが表現されている。
ところが、松下幸之助は、人間は生きているあいだは個別の存在だが、死ねば個別性はなくなると考えていた。
「生命力」は「宇宙の根源の力」から分かれでて個別の人間として生まれ、そしてまた「宇宙の根源」に帰っていく。つまり、一からでて一に帰るのである。霊魂は不滅だが、霊魂の個別性は否定する。
これは「一にして多」であり、「多であり一」という、日本の伝統的な宗教観念であり、学校教育を受けなかった松下幸之助にとって、納得のいく考えだったのではないだろうかという著者の指摘には納得がいく。
そしてこれは、真言宗が前提とする『華厳経』の考え方にも近い。だからこそ、2年間にわたって生活を共にし、生涯にわたって影響を受けつづけて真言宗の僧侶・加藤大観の存在に注目するべきなのだろう。高野山との関係もそうであり、そもそも幸之助の出生地である和歌山は真言宗が強い地帯である。
帯にもあるように、本書を読んだことで、「素直な心」「自然の理法」「生成発展」という松下幸之助の哲学の根本は、その「宗教的な死生観」を知ることで大いに納得のいくものとなった。
現在にいたるまで、松下幸之助の著作が根強く読み継がれているのは、日本人が一般に抱いている死生観と共通するものがあるからなのだろう。
経営論をはるかに超えた、みずからの経験をベースにした「生き方」を説いたものだからなのだ。
その意味では、すでに現世の人ではないとはいえ、松下幸之助は稲盛和夫とともに、今後も長く日本人の心のなかに生き続けることになろう。
目 次
イントロダクション
第1章 「運命」を生かす ー 人知を超えた「理法」の存在
第2章 「不健康またけっこう」ー 病と幸之助
第3章 宗教的背景を探る ー「生長の家」のケースを手がかりに
第4章 死生観はどのようにして涵養されたか
第5章 「期待される人間像」議論への参画
補論 幸之助の「商道」が生み出された時代背景
あとがき注
著者プロフィール
川上恒雄(かわかみ・つねお)1991年一橋大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。1997年同社退社後、南山大学宗教文化研究所研究員、京都大学経営管理大学院京セラ経営哲学寄附講座非常勤助教などを経て、2008年PHP研究所入社。2019年より同社PHP理念経営研究センター首席研究員。ランカスター大学宗教学博士(Ph.D)。エセックス大学社会学修士(M.A.)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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(2024年3月11日 情報追加)
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