自分のブログに自分が撮った写真をアップして文章でコメントをつける。自分でブログを書いている人にとっては、きわめて当たり前の行為だろう。
ブログが世の中に登場する以前から、この行為をシステマティックに行っていたのが梅棹忠夫である。
フィールドワークで写真を撮影し、その場で文章で簡単なコメントを書いておく。写真の情報量はきわめて多いので、写真を撮影することじたいが情報生産である。それを知的生産にまでたかめる第一歩が、写真にコメントする作業である。
本書の編者である、モンゴル学者の小長谷有紀氏による「はじめに」読んで、なるほどと思わされた。
「アマチュア思想家宣言」(1954年)をした梅棹忠夫は、だれにでも簡単にできるブログの偉大なる先駆者であるわけだ。梅棹忠夫の方法論を「見える化」したこの写真文集は、21世紀のいま写真撮影の意味と、同時に「観察力」を高める訓練の必要性を感じさせてくれる。
ところで、以前からわたしが気に入っているのは、『東南アジア紀行』(1964年)に書かれていたつぎの一節だ。
「現地で、実物をみながら本を読む。わたしはまえから、これはひじょうにいい勉強法だとおもっている。本にかいてあることは、よくあたまにはいるし、同時に自分の経験する事物の意味を、本で確かめることもできる」(本書 P.56)
これなども、電子書籍時代をすでに予見(?)していたような発言かもしれない。
梅棹忠夫は「移動図書室」といって、参考書を大量に積み込んで東南アジアランドクルーザでフィールドワークしたのだった。だが、この「移動図書室」そのものの写真が本書にないのが残念だが、その精神はいまでも生きているというより、いまだからこそ輝きを増しているというべきだろう。
フィールドワークの記録とその解説として読むのもよし、「知的発見」と「知的生産」の方法論を学び取るために読むのもよし。ぜひ一冊手元において、眺めては読みふけりたい一冊である。
<初出情報>
■bk1書評「「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!」投稿掲載(2011年6月2日)
■amazon書評「「知的生産の技術」を説いた元祖はブログ時代も予見していた?!」投稿掲載(2011年6月2日)
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
目 次
はじめに
第1章 スケッチの時代
第2章 一九五五年京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊
第3章 一九五七‐五八年大阪市立大学第一次東南アジア学術調査隊・一九六一‐六二年大阪市立大学第二次東南アジア学術調査隊
第4章 日本探検
第5章 一九六三‐六四年京都大学アフリカ学術調査隊・一九六八年京都大学大サハラ学術探検隊
第6章 ヨーロッパ
第7章 中国とモンゴル
第8章 山をみる旅
さいごに
著者プロフィール
梅棹忠夫(うめさお・ただお)
1920年京都市生まれ。京都大学理学部卒業。理学博士。京都大学教授、国立民族学博物館の初代館長をへて、1993年から同館顧問。専攻は民族学、比較文明学。世界各地の探検や調査をもとに、幅ひろく文明論を展開する。文化勲章受章。2010年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
小長谷有紀(こながや・ゆき)
1957年生まれ。国立民族学博物館教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は文化人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
佐藤吉文(さとう・よしふみ)
1975年生まれ。国立民族学博物館外来研究員。総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程単位取得満期退学。専門はアンデス考古学、文化人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
「ウメサオタダオ展」(国立民族学博物館(みんぱく))・・2011年3月10日~6月14日
<ブログ内関連記事>
書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々
書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)
書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)
書評 『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)
書評 『達人に学ぶ「知的生産の技術」』(知的生産の技術研究会編著、NTT出版、2010)
書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)
書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・大阪万国博覧会(ばんぱく)から国立民族学博物館(みんぱく)へ。志半ばでともに中心になって推進していた盟友の民族学者・泉靖一が斃れたあとをついだのが梅棹忠夫である。その泉靖一との対談記録で、フランンスで民族学を勉強した岡本太郎が議論をバクハツさせる!
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end