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2011年6月7日火曜日

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)-「思想はつかうべきものである」と言い切ったウメサオタダオ


「思想はつかうべきものである」と言い切ったウメサオタダオのコトバのアンソロジー

 「思想はつかうべきものである。思想は論じるためだけにあるのではない」、と1954年に言い切っていた梅棹忠夫。

 本書は、いまもなお、日本人を勇気づけ、元気づけるコトバの数々を、22巻にわたる「著作集」にまとめられた膨大な文章のなかから選び出し、モンゴル研究者の小長谷有紀氏が解説し、コメントをつけたものだ。

 見開き右ページに梅棹忠夫のコトバ、左ページに小長谷有紀氏による 2010年時点のコメントが書かれている。梅棹忠夫のコトバには、発言された日時と場所、そして出典が記されているが、その先見性と平明さには、あらためて驚かされる。その現代的意味は、さらにコメントで確認することができる。
 
 梅棹忠夫自身が後半生をその発展に捧げた国立民族学博物館(大阪千里)で開催される「ウメサオタダオ展」にあわせた出版である。昨年(2010年)出版された『梅棹忠夫 語る』(小山修三=聞き手、日経プレミアムシリーズ、2010)とあわせて読めば、かっこうの「梅棹忠夫入門」となるだろう。ぜひ手元に一冊おいておきたい。


<初出情報>

■bk1書評「「思想はつかうべきものである」と言い切ったウメサオタダオのコトバのアンソロジー」投稿掲載(2011年4月10日)
■amazon書評「「思想はつかうべきものである」と言い切ったウメサオタダオのコトバのアンソロジー」投稿掲載(2011年4月10日)





目 次

はじめに
1. 知の獲得-ひらめきをのがさないために
2. 知の整理-ひらめきをあとから引き出せるように
3. 知の利用-ひらめきをそだてるために
4. 文明のかたち-世界を理解する方法
5. 家庭のすがた-女性のこれから
6. 情報のちから-情報産業論ことはじめ
7. 日本のゆくえ-わたしたちの立ち位置を確認する
8. 京都のみかた-特別の場所には特別の知恵がある
9. 国際交流のツボ-なしくずしの戦争のための戦略
10. 文化開発のツボ-心の足しのために
おわりに
梅棹忠夫略年譜


著者プロフィール

梅棹忠夫(うめさお・ただお)

1920年、京都市生まれ。1954年「アマチュア思想家宣言」で、カメラのように思想を使いこなそうと提案する。1957年「文明の生態史観序説」で、文明の複線的な展開という考え方をしめす。1959年「妻無用論」で社会進出するよう女たちを鼓舞する。1963年「情報産業論」で、ポスト近代のゆくえを提示する。1969年『知的生産の技術』で、市民のための情報生産活動を指南する。1977年、初代館長として国立民族学博物館をひらく。2010年、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

小長谷有紀(こながや・ゆき)

1957年生まれ。国立民族学博物館教授。ユーラシア遊牧社会を研究。主として、モンゴルにおける牧畜の技術と儀礼について調査をおこなった。2011年、国立民族学博物館で開催される「ウメサオタダオ展」の実行委員長を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

 元気のでるコトバをいくつか抜き書きしておこう。なお、太字ゴチックは本文のままである。

 
宇宙線は、天空のどこかから、たえず地球上にふりそそいでいて、だれの大脳をも貫通しているはずだ。したがって、「発見」はだれにでもおこっているはずである。それはしかし、瞬間的にきえてしまうものだ。そのまま、きえるにまかせるか、あるいはそれをとらえて、自分の思想の素材にまでそだてあげるかは、そのひとが、「ウィルソンの霧箱」のような装置をもっているかどうかにかかっている。(P.12)

(初出:『知的生産の技術』、岩波新書、1969)


 これとほぼまったく同じことを、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が、カミオカンデで測定していた素粒子についていっている。「発見」があるかどうかは、それに気づいた人次第。気づくためには、自分のなかにセンサーがなかればならないということ。センレンディピティの本質とはそういうものだ。

 最後にもう一ど、思想はつかうべきものである。思想は論ずるためだけにあるのではない。思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって、アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。プロにまかせてはいけない。アマチュア思想道を確立すべきである。(P.212)

(初出:「アマチュア思想家宣言」『思想の科学』1954年)


 梅棹忠夫の「根本思想」そのものの表明である。
 このコトバに対する小長谷氏のコメントも引用させていただこう。

 知識基盤社会とは、英語の knowledge-based society の翻訳である。・・(中略)・・
 六つも漢字をつらねた用語だから、普及するにはやや難がある。けれども、このことばを普及させる必要はあるまい。なぜなら、すでに半世紀以上も前に、日本は、「知識を基盤にした社会であれかし」と寿(ことほ)がれていた。一般市民こそ、思想の「利用」が開放されていたのだから。(P.213)


 いわゆるドラッカー・ファンには読ませてやりたいような内容ではないか! ドラッカーもまた舶来思想。舶来思想を喜ぶというメンタリティをいつまでももちつづけるのではなく、モンゴルをはじめとするフィールドワークをつうじてつくりあげた自前の思想にこそ耳を傾けるべきではないだろうか。

 日本語で思想を展開した梅棹忠夫。死してなお、フツーの日本人に元気を与える存在なのである。



<関連サイト>

「ウメサオタダオ展」(国立民族学博物館(みんぱく))・・2011年3月10日~6月14日



<ブログ内関連記事>

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『裏がえしの自伝』(梅棹忠夫、中公文庫、2001 単行本初版 1992)
・・「わたしは・・・になれなかった」という「裏返しの自伝」-人生とはこういうものだ

書評 『知の現場』(久恒啓一=監修、知的生産の技術研究会編、東洋経済新報社、2009)

書評 『達人に学ぶ「知的生産の技術」』(知的生産の技術研究会編著、NTT出版、2010)

書評 『知的生産な生き方-京大・鎌田流 ロールモデルを求めて-』(鎌田浩毅、東洋経済新報社、2009)

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・大阪万国博覧会(ばんぱく)から国立民族学博物館(みんぱく)へ。志半ばでともに中心になって推進していた盟友の民族学者・泉靖一が斃れたあとをついだのが梅棹忠夫である。その泉靖一との対談記録で、フランンスで民族学を勉強した岡本太郎が議論をバクハツさせる!






(2012年7月3日発売の拙著です)







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