「自分の庭を耕やせ!」 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテール(1694~1778年)は、『カンディード』という哲学小説の末尾に近い箇所で、作中人物にそう語らせている。
フランス語の原文は Il faux cultiver notre jardin. フランス語を学び始めて3ヶ月で理解できる、きわめて平易な文章だ。
「われわれは、自分たちの畑を耕さねばならない」。
意味については、あらためて説明するまでもあるまい。フランス語の cultiver(耕作する)は、culture (文化)のもとになったコトバだ。耕すことは文化につながる。
『カンディード』(Candide)という小説のタイトルは、主人公の名前からとっったもの。英語でも candid とは率直な、とか正直なという意味だ。この小説の主人公は文字通り素直な人物である。
17世紀ドイツの『阿呆物語』にもよく似た、遍歴物の体裁をとっている寓話のような哲学小説である。
主人公カンディードは、ドイツからオランダ、英国を経て、ポルトガルに足を踏み入れた日に「リスボン大地震」に遭遇、その後、スペインから地中海に抜けて南米を経巡り、エルドラードに飽きた主人公は欧州に戻り、ヴェネツィアを経てオスマントルコのコンスタンティノープル(=イスタンブール)へ。そして最終的に、イスタンブール近郊の農村に落ち着くことになる。
諸国遍歴の末、ヨーロッパに戻ってきたカンディードがしみじみとつぶやくセリフが「自分の庭を耕せ」。 耕すべき土地はここにある。幸福はいま、ここにある。そういう意味だろう。
しかしそれは、諸国を遍歴してみてはじめてわかったことだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」式の予定調和的因果関係を順々と説く師匠のパングロスの発言をさえぎって言う "Yes, but" 。それはまさに「意思のチカラ」によるもので、「意思の表明」以外のなにものでもない。
岩波文庫の新しい訳では次のようになっている。
「お説ごもっともです」と、カンディードは答えた。
「しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
同じくフランスの文学者サン・テグジュペリの『星の王子様』(Le Petit Prince)で、主人公の王子様が「自分の星に戻ってバラに水をやらないと」とつぶやいたことを思い起こす。
あるいはベルギーのフランス語作家メーテリルンクの『青い鳥』(L'Oiseau bleu)もまた。「幸福の青い鳥」は自分の家にいたのだ。
「人間万事塞翁が馬」、「万物流転」などさまざまなコトバが思い浮かぶ。また、「回り道の重要性」、「ムダの重要性」について語ったコトバにも思える。
人生には何一つムダなどない。回り道をしてこそ発見できる気がつくものがあるのだ。
■「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」
「自分の庭を耕せ」のコトバの前には重要なセリフがあるので紹介しておきたい。最終的にトルコに腰を落ち着けることになった主人公カンディードに対して、土地に根付く農民が答えたセリフだ。
「わたしの土地はわずか20アルパンにすぎません」と、トルコ人は答えた。「その土地を子どもたちと耕しております。労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」(岩波文庫版 P.456 太字ゴチックは引用者=わたしによる)
18世紀当時のオスマントルコは、同時代の欧州よりもはるかに寛容な地であった。15世紀末にスペインから追放されたユダヤ人たちを全面的に受け入れたのもトルコだし、その後もポーランドやロシアの革命家など多くの亡命者を受け入れてきた歴史がある。
「自分の庭を耕せ」のコトバの後にはさらに重要なセリフがあるので紹介しておきたい。
「理屈をこねずに働こう」と、マルチンが言った。「人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」。
小さな共同体の仲間は、こぞってこの賞賛すべき計画に加わった。それぞれが自分の才能を発揮しはじめた。ささやかな土地は、多くの収穫をもたらした。確かに、キュネゴンドはひどく醜かったが、しかし菓子作りの名人になった。パケットは刺繍(ししゅう)をし、老婆は下着類の手入れをした。ジロフレー修道士にいたるまで、役に立たない者はいなかった。彼は腕っこきの指物師(さしものし)だったばかりでなく、礼儀をもわきまえた人物になった。(P.458 太字ゴチックは引用者=わたし)
「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」、「それぞれが自分の才能を発揮しはじめた・・役に立たない者はいなかった」。じつに説得力のあるセリフではありませんか!それぞれが自分の才能の持ち分におうじて役割分担することで共同体が成り立つ。
幸せは、働くことによってのみ得られる。目の前にある仕事に専念する、足下の泉を掘る。なんだか東洋人の悟りのような感じもするではないか。ヴォルテールはこの達観めいたセリフを主人公に語らせるため、あえて舞台設定を東洋世界のトルコにしたのかもしれない。
1755年の「リスボン大地震」を知って、それまであったライプニッツ的な予定調和の世界がもろくも瓦解していくのを痛感し、その後の「七年戦争」の荒廃のなか、前半生から訣別したのがヴォルテール。人生の酸いも甘いも舐め尽くしたヴォルテールが書いたのが『カンディード』である。
『カンディード』を出版したのち、有名な『寛容論』が書かれることになる。『カラス事件』(冨山房百科文庫)というタイトルで出版されていたものが、このたび中公文庫から『寛容論』(中川信訳、中公文庫、2011)として復刊された。
「わたしは、君の言うことに反対だが、君がそう主張する権利は死んでも守る」という、しびれるようなセリフを吐いたのがヴォルテールだ。このセリフは、寺山修司の本でみた記憶があるがまさに「寛容の精神」を身を以て示した先人である。
不寛容の嵐が吹きまくっているグローバル時代には、ふたたびアクチュアルな作家・思想家として取り上げたい。
「3-11」の大地震と大津波、そして原発事故を体験したわれわれは、ヴォルテールとおなじ位置にたっているのだから。
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<関連サイト>
film "il faut cultiver notre jardin"
・・2010年製作のフランス語映画
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