(古河市の鷹見泉石記念館 筆者撮影)
■「雪の殿様」土井利位と蘭学者であった家老・鷹見泉石
なぜ古河かというと、とくに古河という土地そのものに強い関心があるわけではないのだが、古河藩主で老中にもなった土井利位(どい・としつら)と、その家老で「ナンバー2」であった鷹見泉石(たかみ・せんせき)に多大な関心があるためだ。
(『雪華図説』(土井利位、1832(天保3)年刊) wikipediaより)
(渡辺崋山による鷹見泉石の肖像 Wikipediaより)
家老の鷹見泉石(1785~1858)は、渡辺崋山による肖像画(国宝!)で有名で、幕末期の著名な蘭学者でもあった。鷹見泉石の収集品を常設展示しているのが古河歴史博物館なので、展示物を実地に見に行きたかったというのが主な理由。ついでに古河市街を散策。
鷹見泉石が生きた当時の世界情勢は、フランス革命後のナポレオン戦争に最終的に勝利した英国が世界の覇権を握り、英国と対抗するロシアは南下策を実行して日本近海に出没、江戸後期から幕末にかけての日本をめぐる軍事情勢は、厳しいものに変化しつつあった。
譜代大名の家老であった鷹見泉石は、だからこそ、みずからオランダ語を習得して、ありとあらえる海外情報と舶来品を精力的に収集し、政策立案のために分析していた。いわゆる「情報参謀」でもあったわけだ。そして蘭学をつうじて形成されたネットワークは、じつに広くかつ深いものがあった。渡辺崋山もその一人である。
ちなみに、当時大坂所司代であった土井利位は、鷹見泉石の多大な貢献によって「大塩平八郎の乱」を鎮圧し、最終的には老中まで出世している。幕末期は、国内的にも対外的にも、日本は危機的な状況にあったのだ。
(古河市横町の にある鷹見泉石の墓 筆者撮影)
■「関東の中心」の古河は、利根川と渡良瀬川が合流する交通の要衝
古河は「関東の中心」に位置しているが、徳川家にとってきわめて重要な日光への街道筋にあり、しかも利根川と渡良瀬川が合流する地域にある交通の要衝。当時は水運がメインだったからだ。だが、それだからこそ、洪水になると大被害がもたらされる。
(Google map による古河市周辺)
いわゆる「カスリーン台風」(1947年=昭和22年)で渡良瀬川は決壊し、大被害を出している。利根川が氾濫すると逆して渡良瀬川に流れ込むからだ。こういった立地特性は、実際にその土地を歩いてみて実感できることでもある。
渡良瀬川の上流には、かつて足尾銅山があり、身を挺して谷中村の鉱害を訴えた田中正造の存在を忘れるわけにはいかない。
(渡良瀬川の土手の「カスリーン台風決壊口跡」の碑 筆者撮影)
日光街道の街道筋に立地する古河藩は譜代大名が領地で、16万石の旧城下町であるが、渡良瀬川の改修工事のため、明治時代に水没し、現在では城址の一部しか残っていないのは残念だ。
(古河城跡「獅子が崎」に立つ看板 筆者撮影)
今回は東武鉄道の新古河駅で下車して、渡良瀬川を渡って市街に歩いて入ることで、体感することができた。市街を散策したあと、帰りは市街を東に抜けて、JR古河駅から大宮へ。
(生家が古河にある歴史小説家・永井路子氏の旧宅 筆者撮影)
■『利根川図志』(赤松宗旦)に登場する古河
持参したわけではないが、旅を終えたあとは、まず開いてみる本が2冊ある。それは『利根川図志』と『新・利根川図志』。この2冊で、古河にかんする部分を読んでみるのだ。
(新旧の『利根川図志』 筆者撮影)
布川から利根川をさかのぼって関宿(せきやど)まで、布川から利根川をくだって海への出口である銚子まで、利根川流域の地域(かなり内陸部までカバー)にかんして、名所旧跡や物産、動植物がなんでも書き込まれている百科事典みたいな本。挿絵がまたいい。
必要なところだけ読むので、全部とおしで読んだことはないのだが、高校時代からの愛読書(?)で、これは3冊目。自分が住んでいる地域をこの本で読むと面白い。いわゆる好事家的アプローチではあるが。
もう一冊の『新・利根川図志 上・下』(山本鉱太郎、書房出版、1997)。千葉県流山市にある地方出版社からでている本。赤松宗旦の『利根川図志』の現代バージョン。20年以上前の情報だが、それでも江戸時代後期と平成時代の比較が面白い。
群馬県に発し、栃木県、茨城県、埼玉県、東京都、千葉県が流域の大河川である利根川。まだ源流には行ったことがないので、いずれ行ってみたいと思っている。
<参考>
『雪華図説』の研究(中谷宇吉郎)1939年
https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/57860_60232.html
雪の結晶の顕微鏡写真あり
『雪華図説』の研究後日譚(中谷宇吉郎)1941年
⇒ https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/57861_60233.html
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