「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)。このコトバをいまほど、かみしめるべきときはほかにはないだろう。
随筆家として有名な寺田寅彦(1878~1935)は、地球物理学を専門とする物理学者で、かつ夏目漱石門下の文人でもあった。
豊富な人文学的な素養を背景に、科学の知見に裏付けられた数々の随筆は、現在でも十分に味読できる内容である。いや、むしろ人文科学と自然科学をクロスオーバーし融合させた試みとして、先駆的なものであるといっていいかもしれない。
漢字が多く句読点の少ない文章だが、きわめてロジカルな文章なので理解は困難ではない。
岩波文庫から『寺田寅彦随筆集 全5巻』として出版されているが、文庫本の表紙になっている『百花譜』(写真)を描いた詩人の木下杢太郎もまた、本名を太田静雄といった、ライ病の研究では世界的権威の皮膚学者であったこととも共通している。
俳句も詠んだ寺田寅彦が夏目漱石の門下生であれば、詩人で作家でもあった木下杢太郎(=太田静雄)は陸軍軍医で作家・翻訳家であった森鴎外の門下生であった。
■「天災と国防」(1934年)という随筆
『寺田寅彦随筆集 第5巻』には、「天災と国防」という、いまから77年前の昭和9年(1934年)に書かれた文章が収録されている。関東大震災12年目の年、9月21日の台風の被害のあとに書かれたものである。
おそらく、この文章が「天災は忘れた頃にやってくる」というフレーズの出典になったのだろう。だが、そのものずばりの文句はこの随筆のなかにはでてこない。
「天災と国防」は、著作権はとうのむかしに切れているので、パブリックドメインとなっている。「青空文庫」のおかげでウェブ上で読むことができる。初出は1934年11月、『経済往来』という雑誌である。
この随筆を読んでもらえばわかると思うが、寺田寅彦の主張は、「天災」そのものよりも、「国防」のほうに重点が置かれている。
1934年という執筆時点は、1923年(大正12年)の「関東大震災」から12年目であるが、1929年にはじまった「世界大恐慌」のなかにあり、2年後の「二二六事件」で爆発することになるように、軍人が跋扈しはじめた時期にあたる。
■「天災と国防」を抜粋で読んでみる
それほど長くないので、できれば全文を読んでほしいものだが、いくつか重要な箇所を抜き書きしておこう。文庫本では、P.55 から P.66 に該当する。
日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために国際的にも特殊な関係が生じいろいろな仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである。
わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。
しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。
もう一つ文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。
戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。
寺田寅彦が言っていることは、以下のように要約できるだろう。
(要約)「天災」は、日本という国にいる以上、避けて通ることはできない。文明が進めば進むほど、自然災害による被害は増大するだけでなく、たとえ一部の損害であっても、すべてがシステムのなかに組み込まれている以上、その被害はシステム全体に拡がる。しかも、国防という観点からみたら、天災が外敵以上に対応が難しいのは、「最後通牒」もなしに、いきなり襲いかかってくるからだ。
執筆から約80年後の現在でも、そのままそっくり当てはまることではないか!
産業界の話に限定してみても、サプライチェーン問題が、日本のみならず世界の製造業に大きな影響を与えるに至っている。金融の世界で言われる、いわゆるシステミック・リスクが顕在化したのである。
■「国防」の意味をあらためて考えさせられた今回の「大震災と大津波」、そして「原発事故」
今回、「東北関東大震災」と「原発事故」に際して、自衛隊が創設された以来では最大規模の作戦をただちに立案し実行に移したことは、まことにもって快挙である。
シビリアンコントロール原則のもと、最終意思決定者である首相が決断するまで 2日間の時間を浪費したと聞いているが、それにしても自衛隊にとっても、日本国民にとっても快挙であろう。
寺田寅彦も言うように、災害への対応は国防そのものである。防衛省に格上げされた防衛省・自衛隊にとっても、まさに悲願が実現したということであろう。危機への対応は、まさにそのために備えている自衛隊のミッションそのものである。
しかも、米軍も全面的に協力している。Operation Tomodachi(トモダチ作戦)と命名された大規模な救出作戦を、自衛隊との密接な連携のもとに遂行している。米国は、同盟国日本が直面している最大の危機であると捉えているわけだ。もちろん、それ以外の思惑もあろうが、現実政治の世界においては、それは当たり前のことである。
■「天災は忘れた頃にやってくる」から、なによりもまず「自衛」が必要だ
「天災は忘れた頃にやってくる」というフレーズじたいは、寺田寅彦が書いたもののなかには見つけることができないというが、このコトバのもつチカラは、日本人であれば子どもの頃から何度も何度も聞かされているハズだ。
恥ずかしながら、私は「天才は忘れた頃にやってくる」ということだと、子どもの頃、長いあいだ思い込んでいた(笑)。「天才」ではなく「天災」であると知ったのはいつのことだったろうか。
すでに日本列島の地震は「活動期」に入っていると言われている。
もはや「天災は忘れた頃にやってくる」とくちずさむだけでは済まない状況となってきた。
「備えあれば憂いなし」。寺田寅彦がいうように「国防」(ナショナル・ディフェンス)だけではなく、自分自身とその周辺にとっての「自衛」(セルフ・ディフェンス)もしっかりと行っておかねばならないとあらためて思うのである。
まずは、自分が生き残ることが大前提。そして家族、そして国家、という順番は、儒教の徳目であもある「修身斉家治国平天下」にも対応している。
今回も大津波の大被害のあった三陸海岸では、「津波てんでんこ」というコトバがあるらしい。日経ビジネスオンラインに連載されている小田島隆のコラムで知った。孫引きさせていただくと、「・・度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。(後略)』(3月28日読売新聞)のだそうだ。
個人と集団とどっちが大事かという二者択一の話ではない。一人でも多く助かるためには、これしかないという知恵の伝承なのだ。
とはいえ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のは、私だけでなく、日本人全体に共通する悪弊であるが・・・。
なお、『寺田寅彦随筆集 第五巻』には、「災難雑考」(1935年)という随筆も収録されている。あわせて読んでおきたい。
地球物理学者・寺田寅彦は、「「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない」と正しく指摘している。このコトバのもつ意味をよく考えておきたいものである。
<関連サイト>
「天災と国防」(寺田寅彦)・・「青空文庫」で全文が読める
「被災地最前線の真実」自衛隊員たちが見た「地獄」-死体だらけの海岸・住宅地、放射線への特攻、その後に来た〝被曝差別〟・・現場で任務を遂行する自衛隊員の皆さんに感謝!
Operation Tomodachi -「写真共有サイト・フリッカー」にアップされた、米軍の「トモダチ」作戦写真集
Images from Google Earth -「写真共有サイト・ピカサ」にアップされたグーグルアースで見る被災地の写真
Photos of the Day - Fukushima Dai-ichi Aerials・・福島第一原発を「無人機」から撮影した静止画像集。きわめて鮮明な画像をみていると、あらためて水素爆発のすさまじさを感じます。滅茶苦茶に破壊されて、崩れ去っています・・・
P.S. 寺田寅彦の災害に関連する論考のアンソロジーとして『天災と国防』(講談社学術文庫)が出版されました(2011年6月刊)解説は、「失敗学」の提唱者で、福島第一原発事故の事故調査委員会委員長に任命された畑村洋太郎氏が担当しています(2011年6月14日 記)
<ブログ内関連記事>
■科学と芸術
最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる
■時代状況
石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・
・・寺田寅彦が「天災と国防」を執筆した当時の1934年(昭和9年)は、どういう時代状況のなかにあったのか。「1910年以降の100年」について簡単に振り返る。
■国防
海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)
・・当然のことながら、今回の大震災と大津波の災害救助と復興支援という、自衛隊始まって以来の「史上最大の作戦」に動員されている
マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み
・・「海洋国家」日本の国防戦略。そして「原子力潜水艦」
■まず自分から始めることが肝心
書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)-家庭に一冊は常備すべき「防災と防衛のバイブル」
「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ・・自分あっての家族、家族あっての国家、そして全世界・・・
■自然災害への心構え
書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)
書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)
永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味
(2014年9月26日 情報追加)
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