文芸評論家・安藤礼二氏の『折口信夫』(講談社、2014)をようやく読了。
読みたくて購入したのだが、あっというまに7年もたってしまった。意を決して538ページの大冊にとりかかるも、途中に空白が生じたりして読み終わるまで結局まる4日もかかってしまった。
「折口信夫という謎」に長年にわたって取り組んできた著者による「集大成」ともいうべき大著である。文芸評論家・小林秀雄の晩年の大著『本居宣長』に匹敵するといっていいかもしれない。おそらく著者自身も意識していることだろう。
■折口信夫とは
折口信夫というと、日本民俗学の創始者・柳田國男の弟子でライバルであったというのが一般的な理解であろうが、わたしは折口は本質的に国文学者であり、かつ釋釈迢の名による文学者とが一元化した存在であったと考えている。日本語ではうまく表現できないが、ラテン語でいう poeta doctus というのがふさわしい。
折口本人が認識していたように、学問が細分化される以前の「国学者」だとするべきであろう。それも本居宣長よりも、より神道神学の方向をくわめた平田篤胤の系譜につらなる国学者である、と。
『更級日記』や『伊勢物語』をはじめ、王朝文学は好きだったが、高校三年のときに「自分はまったく日本のことがわかってないな」と自覚して深く反省し、文庫本で柳田國男を読み始めた。
大学に入ってからは、寮で同室となった親友の影響もあって折口信夫を読み始めた。当時は、中公文庫から『折口信夫全集』も出ていたので手に取りやすかったこともある。
■「安藤礼二氏の折口信夫」は「評伝」ではあるが「伝記」ではない
わたし自身の回想はさておき、安藤礼二氏の『折口信夫』は、折口信夫の弟子筋を中心に積み上げられた膨大な回想録や評論などとは一線を画している。
折口信夫の知られざる生涯、とくに大学時代の青年期の神道系の宗教実践活動と、柳田國男の民俗学の出会うまでの学問遍歴に焦点をあてている。著者による長年の調査研究による数多くの新発見が反映されており、読みごたえは十二分にある。
青年期の神道系の宗教実践活動は、神道教義研究団体の「神風会」におけるものであった。キリスト教プロテスタントの米国発の「救世軍」に対抗する街頭活動も行っていた。
国家神道体制のもと、宗教性を欠いた神道へのアンチテーゼとして敗戦後に打ち出されたのが「神道宗教化」の構想だが、その萌芽はすでに青年時代に芽生え、培われていたのである。
しかも、仏教とキリスト教の一致を説く、浄土真宗系の謎の青年僧・藤無染との出会いをつうじて、キリスト教など一神教の本質を深く理解したうえでの「一元論」志向の形成が背景にあった。日米で平行した思想運動である。「純粋経験」(西田幾多郎、ウィリアム・ジェームズ)、鈴木大拙(仏教、スウェーデンボルグ)なども視野に入れる必要があるのだ。
その一元論とは、プロティノスの「一にして多、多にして一」というべきものである。折口信夫とキリスト教徒の関係は、表面にはほとんど出てこないが、それだけに無視できないものがある。
そして、「神風会」における謎の女・本荘幽蘭との接点。富岡多恵子氏の『釋迢空ノート』や、富岡氏と安藤氏の共著『折口信夫の青春』で、すでに取り上げられたテーマが本書でさらに深掘りされている。神道系新宗教への親近感、霊性の観点からみた女性の男性に対する優位性など、折口信夫の思想のラディカルな性格などがそうだ。
同時代のフランスの民族学者マルセル・モースの「マナ」の影響も指摘されている「外来魂」としての「たま(しひ)」の考察は、血筋だけでなく外来魂としての「天皇霊」(あくまでも作業仮説ではある)が重要だとした折口信夫の学説の基礎となっている。
この折口説を貫けば、「崎門の学」の浅見絅斎(あさみ・けいさい)の「(政治的)正統性」にかんする議論が「尊皇思想」を生み出しとする、山本七平や小室直樹が強調するとは真っ向から対立することになる。安藤氏自身は、その議論は展開していないが、天皇と天皇制をめぐる折口信夫の学説が、いかに危険なものであるかがわかろうというものだ。
その意味でも、折口信夫はまだまだアクチュアルな問題提起をつづける存在だというべきなのだ。
■いまだ解かれるのを待っている「折口信夫という謎」
本書は、「評伝」であり、生涯全体を論じた「伝記」ではない。膨大な資料探索を背景にしているが、狭い意味での研究書ではない。だから、部分部分を論じてもあまり意味はないだろう。それよりも、この大著全体から感じ取るものが重要だろう。
「折口信夫という謎」に限りなく迫った本書は、2014年時点の「集大成」ではあるが、いまこれを書いている2022年までの7年のあいだにも新発見やあらたな論著が生み出されている。「折口信夫という謎」にかんしては、個々の謎の解明は今後もさらに進んでいくだろう。
繰り返すが、折口信夫が提起した問題群は、過去のものになったわけではない。きわめてアクチュアルな問題を提起しつづけている存在だというべきなのだ。日本とはなにか、神とはなにか、その他もろもろの問題を考えていくいうえで、きわめて大きな存在である。
わたし自身は、大学時代に読みはじめた折口信夫だが、まだまだ理解に至るまでほど遠い。中公文庫版の『折口信夫全集』(ただし内容的には旧版)もすべて読み尽くしたわけではない。安藤礼二氏の著作活動も含め、折口信夫については、今後もつよく意識していきたい。
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目 次はじめに第1章 起源聖父子の墓/藤無染と本荘幽蘭/神風会第2章 言語曼陀羅の花/言語情調論/無我の愛第3章 古代根源の世界/詩と文法/「妣が国」へ第4章 祝祭祝祭の論理/「二色人」(ニイルビト)の発見/民俗学を超えて第5章 乞食魂のふるさと/弑虐された神々/乞丐相(こつがいそう)第6章 天皇大嘗祭の本義/森の王/翁の発生第7章 神餓鬼阿弥蘇生譚/憑依の論理/民族史観における他界観念第8章 宇宙生命の指標/万葉びとの生活/海やまのあひだ列島論国家に抗する遊動社会--北海道のアイヌと台湾の「蕃族」/折口信夫と台湾詩語論スサノヲとディオニュソス--折口信夫と西脇順三郎/言語と呪術--折口信夫と井筒俊彦/二つの『死者の書』--ポーとマラルメ、平田篤胤と折口信夫後記 生命の劇場初出誌一覧と謝辞
著者プロフィール安藤礼二(あんどう・れいじ)1967年、東京都生まれ。文芸評論家、多摩美術大学美術学部教授。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学を専攻する。出版社(=河出書房新社)の編集者を経て、2002年「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞、批評家としての活動をはじめる。2006年、折口の全体像と近代日本思想史を問い直した『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2009年には『光の曼陀羅 日本文学論』(同)で大江健三郎賞と伊藤整文学賞も受賞した。他に、『近代論 危機の時代のアルシーヴ』『場所と産霊 近代日本思想史』『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』などの著作がある。(講談社のサイトより一部修正)
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