女嫌いで有名だった<折口信夫=釋迢空>に鮮烈に惹かれ、その作品に惚れ込み読み込んできた、1999年の出版当時39歳の女性研究者が書いた、非常に新鮮で鮮やかな切り口で折口信夫像。
著者の高校二年生のときの出会いの一冊とは、古書店の店頭で見た漆黒の装丁のハードカバー、折口信夫の小説『死者の書』だっというのだから、それは運命的なものだったといえよう。
折口信夫のような複雑な人物の全体像を描くためには、さまざまな切り口から迫っていくしかない。「群盲象をなでる」という格言に陥る危険をもちながらも、キラキラ光る断片から迫っていくしか方法はないのである。
その点、著者は1995年から2000年まで、新編『折口信夫全集』(中央公論新社)に編集に携わっていたという強みがある。テクストのすべてを読み込んだ上で浮かび上がってきた断片の数々。拾い上げた断片のいくつかは、目次に表現されいる。
目次を紹介しておこう。
餓鬼の思想-大食家・正岡子規と折口信夫
<伝承>をめぐって
誕生の系譜・母胎を経ない誕生
折口信夫の内なる<父>
奴隷論-創造の原風景
釋迢空『安乗帖』と田山花袋『南船北馬』
汗する少年-「口ぶえ」論-
碩学を描く-折口信夫における懐疑の思想-
結婚の文化/独身の文化
折口信夫における水への郷愁
すべてが面白いといってしまうと、何もいっていないことにつながりかねないが、硬軟取り混ぜた切り口は、ある程度、濃厚な、肉体をもった存在であったの折口信夫象の再現に成功しているといえよう。
私はとくに最終章の「折口信夫における水への郷愁」で描かれたイメージが、非常に強く記憶に残っている。
古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安。
著者はあとがきで非常に面白いことをいっている。
女性読者に限っていえば、おそらくその好みは柳田國男と折口信夫のいずれかに、きれいに二極分化するのではないだろうか。柳田も折口も両方ともに好き!という人は希有の存在に違いにない。
・・(中略)・・
ともあれ、結婚し子をなす人生に疲れ、行き暮れる世代にとって、柳田はあたたかい擁護者であり、理論的支柱でもある。それに比べ、しゃがれ声でぼぞぼそと同性愛を語り、<まれびと>の孤独を語る折口信夫の文章は、彼女たちにとっては「エキセントリック」「気もちがわるい」「わからない」ということになるのかもしれない。
しかし逆に、柳田の語り口に感動する母たちの娘である私の世代はもう、柳田の言葉にそう素直に感応することはできない。それどころか、柳田國男の温順に対すると、どうにも居心地のわるさと面映ゆさを感じざるを得ない。私たちは、優しいおだやかな女性として、語りかけられたくないないのだ。<家>に定住する根源的な存在としてなど、評価されたくないのだ。
・・(中略)・・
折口信夫の声は、人をそのあるべき位置に定位する力強い確信に満ちた声とは異なるものである。その声はむしろ人を、固着するそれぞれの位置から解き放ち、浮遊させる。根を離れ、たゆたい、ゆらぐことにより、私たちはひどく醜怪な存在にもなり、この世ならぬ貴やかな存在にもなり得る。聖女ににもなり、少年にもなり得る。
おそらく現実には、折口信夫読者の大多数は、定住を旨とする堅実な人生を送るのだろう。しかしその胸底には、そのような人生を相対化し、越えようとする不逞で豊穣な想像力が育まれ、それが時に私たちを大きく自由にし、身動き取れぬ崖っぷちから救い、飛躍させるであろう。(P.241-243)
1999年の本書出版当時、39歳の著者による発言である。著者自身は子供もいるようだが、であるからこそ、上記のような文章がつづられるのだと読む。
折口信夫を読む、この関わり方に私は共感をもつ。
著者は本書執筆後、研究テーマを永井荷風に移行させてしまったようで、折口関連の単行本は執筆していないのは残念だ。いうべきことは、いいつくしてしまったのだろうか。
<ブログ内関連記事>
書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」(P.263 注23)。 日本の神は敗れたもうた、という深い反省をともなう認識を抱いていた折口信夫の予言が、まさに的中していることは、あえていうまでもない」
書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「私は大学時代から、中公文庫版で『折口信夫全集』を読み始めた。日本についてちっとも知らないのではないかという反省から、高校3年生の夏から読み始めた柳田國男とは肌合いのまったく異なる、この国学者はきわめて謎めいた、不思議な魅力に充ち満ちた存在であり続けてきた」
「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・逆説的であるが、折口信夫のコトバのチカラそのものは激しい
「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)
(2013年12月19日 追加)
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