12月にでたばかりのちくま新書の最新刊だが、SNS の X(旧 twitter)で話題になっていたので読むことにしたのだ。
話題になっているのは、「あとがき」に書かれている内容についてだ。
若手の仏教研究者である著者に対する執拗なアカハラ(=アカデミック・ハラスメント)と、専門書の出版に際して著者と出版社に対して行われた「出版妨害事件」の実態が、実名入りで書かれていることにかんしてである。
本書は、この精神的に苦難の状態から立ち直り、研究を再開したのちに書かれたものだという。
「仏教者」としてのあり方、「仏教研究者」としてのあり方を身を以て示した著者による、一般向けの初期仏教入門書である。
■歴史的存在としてのブッダは、2500年前のインドにおいて「精神の革命家」であった
本書の目的は、初期仏教経典を徹底的に読み込むことによって、2500年前の古代インドに実在した、歴史的存在としてのブッダを虚心坦懐に描き出すことにある。
仏教学者の願望や想像が反映したに過ぎない「神話的なブッダ像」ではなく、「ブッダという男」が、なにを考え、なにを説いていたかについて、その先駆者性、革新性について探求したものだ。
「見たいものを見たい、聞きたいことを聞きたい」というのは、人間に備わった性質だ。学者や研究者もまた、その例外ではない。もちろん、著者自身もよく自覚しているはずだ。
認知バイアスから逃れることは容易なことではないのである。口当たりのいいこと、耳さわりのいいことを述べれば、読者は喜ぶ。読者サービスが過ぎれば、実像から大きく離れていく。
著者のアプローチは、「人間ブッダ」を描くことにはない。描き出されたのは、あくまでも「思想家としてのブッダ」、「思想の実践者としてのブッダ」である。
生まれではなく、現世における行為(カルマ)の重要性を説いたブッダだが、そのブッダの思想こそ当時のインド世界でインパクトをもったのであり、感激して受け入れた人びとが存在したのだ。
経典から神話的要素を除けば歴史が見えてくるというものでもない。著者は、こういう近代以降の研究姿勢にも批判的である。宗教学研究の参照系として、キリスト教の原典研究への目配りもいい。その貪欲な姿勢は賞賛すべきである。
もちろん言うまでもなく、著者の立場は原理主義の真逆である。初期仏典に書かれていることじたい、それぞれ矛盾に満ちている。
著者の態度は、あくまでも研究者として、現代人のもつ認知バイアスをできるだけミニマムにすべく、2500年前の古代インドをリアルタイムで理解しようという知的なアプローチである。
現代人にとってのブッダではなく、その当時に生きていた人にとって、ブッダがどう写っていたかが重要なのだ。間違ってはいけないのだ。
■ジャイナ教との共通性と相違性から仏教の特性を明らかにする
インドの支配者の宗教で祭祀を重視していたバラモン教だが、そのバラモン教のあらたな展開である「ウパニシャッド」が誘発した、多彩な「自由思想」の流れのひとつとして仏教を見る視点も有益だ。
なかでも、おなじ「沙門」宗教としての仏教とジャイナ教の共通性と相違性が興味深い。
現在はインド独立後にアンベードガル博士の尽力によって復活しているが、インドではいったん消滅した仏教。これに対して、ほそぼそながらも現在までインドに生き残りつづけたジャイナ教。
仏教とはジャイナ教は、インドの宗教世界では当たり前の「輪廻転生」(サンサーラ)を前提にしている点が共通している。
ただし違いもある。輪廻転生からの脱出にかんする方法論の違いである。苦行を重視するジャイナ教に対して、煩悩の滅却を重視する仏教という違いも浮かび上がってくる。ブッダその人は苦行を否定している。
仏教では、つねに変化していく「無常」こそこの世の実体である以上、確固とした自己など存在しない。「無我」である。それゆえに、人間は、過去世から現世を経て来世へと、さまざまな形態をとりながら「輪廻転生」を繰り返していく。過去の業が現世に、現世で積んだ徳が来世で働く。
仏教の最終目的は、解脱(げだつ)、すなわち「輪廻からの脱出」にある。そのためにどうしたらいいか、そこにこそ、仏教の創始者であるブッダが考えたことの革新性があるというわけだ。
もちろん、出家者と在家者の違いはある。基本的にブッダの教えは出家者に対するものであり、求められものも出家者と在家者とでは大きく違う。とはいえ、戒律を守る出家者とて、解脱などほぼムリな話であろう。現代人から見れば、そう思わざるをえない。
いずれにせよ、仏教が目指すべき最終目的地は「輪廻からの脱出」にある。この点こそ仏教の「初期設定」であり、当時の古代インド社会では革命的な意味とインパクトがあったのである。
■「仏教研究者」としての立ち位置とその成果
「仏教者として」淡々と語る、著者の姿勢には大いに共感を感じるものがある。
特定の宗派の立場に立った護教論ではなく、学問上の師弟関係を絶対化するものでもなく、あくまでも独立した「仏教研究者」としての姿勢である*。
*ただし、著者は浄土宗僧侶であることを X(旧twitter)上では表明している。(2024年3月2日に追記)
学界のビッグネームもふくめて、先行研究に対しては是々非々の態度で臨み、先行研究を乗り越えることに研究者としての使命をおく。批判なくして発展なし。まさに王道である。
その結果あきらかにされたブッダの姿は、著者もいうように、現代人からみたら、正直なところ、なにがすごいのかピントこないものもある。だからいったいなんなのだ、と。
とはいえ、2500年前の古代インドにおいては革命的な意味をもっていたのである。そのことじたいに意味があるのだ。現代人にとっての意味とは別ものとして、脇に置いておかなくてはならない。
こういった「初期仏教」についての理解は、ある程度まで「上座仏教」(=テーラヴァーダ)について知っていれば、とくに奇異な感じは受けない。
タイやミャンマーなど東南アジアやスリランカを中心に実践されている上座仏教は、初期仏教そのものではないが、大乗仏教しか知らない人には見えていないものがそこにある。
初期仏教は仏教のデフォルト、つまり「初期設定」である。その後の仏教の展開は二次創作的なバリエーションだから、この初期設定についてただしく理解しておくことが大前提になるのだ。18世紀前半の大坂が生み出した天才学者、富永仲基が打ち出した「加上説」を想起すべきであろう。
さらにいえば、大乗仏教である「日本仏教」においては、明治時代に入るまで仏陀釈尊、すなわちブッダその人は、かならずしも重視されてこなかった。親鸞なり日蓮なり、あくまでもその宗派の「祖師」が意味をもつ。その意味では、ブッダの真の姿が明らかになったとて、さほど影響はないのではないか。
そんな感想をもつわたしだが、現代人の願望の現れに過ぎない「平和主義者としてのブッダ」・「業(ごう)と輪廻を否定したブッダ」・「階級差別を否定したブッダ」・「男女平等を主張したブッダ」をたたみかけるように、バッサバッサとなで切りにしていく姿勢が小気味よい。しかも、きわめて説得力に富むやり方だから、後味はけっして悪くない。
おそらくこの本は、大いに読まれることになるだろう。アカハラ問題や出版妨害事件から関心をもった読者も、研究者としての正統的なアプローチによる本書を読んで、その内容には大いに納得することであろう。本文の背景説明も兼ねた、22ページにもおよぶ充実した「参考文献」も読みでがある。
まさに「天網恢々」(てんもうかいかい)である。「天網恢々疎にして漏らさず」である。いくら出版妨害をしようとも、アカハラを加えようとも、見ている者はちゃんと見ている。天はけっして見放さない。
現世で恵まれることがあろうがなかろうが、著者には今後も大いに研究を推進して徳を積んでいただきたい。研究者としての使命をまっとうしていただきたい。そう願っている。
目 次はじめに第1部 ブッダを知る方法第1章 ブッダとは何者だったのか第2章 初期仏典をどう読むか第2部 ブッダを疑う第3章 ブッダは平和主義者だったのか第4章 ブッダは業と輪廻を否定したのか第5章 ブッダは階級差別を否定したのか第6章 ブッダは男女平等を主張したのか第7章 ブッダという男をどう見るか第3部 ブッダの先駆性第8章 仏教誕生の思想背景第9章 六師外道とブッダ第10章 ブッダの宇宙第11章 無我の発見第12章 縁起の発見終章 ブッダという男参考文献 ─ より深く学ぶためにあとがき
著者プロフィール清水俊史(しみず・としふみ)2013年、佛教大学大学院博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などをつとめる。浄土宗僧侶。著書に『阿毘達磨仏教における業論の研究 ― 説一切有部と上座部を中心に』『上座部仏教における聖典論の研究』(ともに大蔵出版)がある。(出版社サイトより)
<関連サイト>
・・「(・・・前略・・・)2017年から始まる馬場先生の「研究不正の言いがかり」によって、私は筆舌に尽くしがたい屈辱を味わい、研究者として大成する未来を破壊されました。
私が『上座部仏教における聖典論の研究』の刊行に際し馬場先生に送ったメールへの返信で、馬場先生が「確かに三年前は日本学術振興会に訴えるつもりでしたが、その後、清水さんが公募に落ちて無職になったと耳にして、そんな気持ちは消え失せました」と自ら告白してしまった通り、そもそも「研究不正の正当な告発」を目的としていなかったことは明白です。
馬場先生におかれましては、仏教者らしく自らの過ちを懺悔滅罪され、当方の研究に文句があるのならば正々堂々と論文にて反論されますことを要請します。
本案件が多くの方に共有され、よりよい仏教学の発展につながることを祈念いたします。清水俊史」
(2024年3月1日 項目新設)
<ブログ内関連記事>
・・不可食賎民のあいだで仏教を再興したアンベードガル博士の衣鉢を継いだ日本人僧侶の生き様
・・18世紀前半の大坂が生み出した天才学者・富永仲基もその一人
・・輪廻転生には3種類ある。「1. 伝統社会で生まれた一族内での生まれ変わり/2. インドで生まれた輪廻転生(サンサーラ)の思想/3. 近代西欧で生まれたリーインカーネーションの思想」
(2024年1月15日 情報追加)
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end