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2023年9月17日日曜日

書評『インド仏教はなぜ滅んだのか ー イスラム史料からの考察-(改訂版)』(保坂修司、北樹出版、2004)ー ヒンドゥー教のカースト制を否定するマイノリティの仏教徒は、神の下での平等を説くイスラームに改宗した


「なぜ本家本元のインドで仏教が滅んだのか?」。この疑問を抱く人は少なくないはずだ。

ヒンドゥー教の影響を受け、密教まで発展した大乗仏教。だが、インドが征服王朝であるイスラーム王朝の統治下で「イスラーム化」が進行するなか、非暴力で寛容の精神を説くがゆえに、暴力を前にしたときに、残念ながらなすすべがない仏教は生き延びることができなかった

そんな簡単な説明で片付けられることが多い。わかったようで、わからない説明だ。

なぜなら、なぜインド全体がイスラーム化されなかったのかイスラーム王朝のもとにおいても、インド人のマジョリティはヒンドゥー教でありつづけたではないか。現在にいたるまで多種多様な宗教が混在するインドで、なぜ仏教だけが衰退したのか?

そんな反論がすぐにでてくるだろう。

『インド仏教はなぜ滅んだのか-イスラム史料からの考察-(改訂版)』(保坂修司、北樹出版、2004)という本がある。

一般人が疑問に思いながらも、学者が本腰を入れて研究することのなかった「仏教衰退」を、宗教が社会生活そのものであるインドの文脈において、しかもイスラーム史料から解明しよう治した大胆で魅力的な「仮説」が展開されている。

著者十数年間の苦闘の成果というだけでなく、大いに説得力のあるものだと思った。

数年前に読んだ本だが、ブログにアップ機会を失していた。いまあらためて書き直し、アップすることにしたい。


■「ヒンドゥー教地域」ではなく「仏教地域」がイスラーム化した

本書において提示される事実が、じつに興味深い。それは、「ヒンドゥー教地域」ではなく「仏教地域」がイスラーム化したという事実だ。

仏像がはじめて製作されたのは、アレクサンドロス大王の東征によってギリシア文明がおよんだガンダーラ地方であるというのは、よく知られていることだ。

この地域はいずれもイスラーム化されている。中央アジア(=アフガニスタン)とインド西部(=現在のパキスタン)である。21世紀初頭にイスラーム原理主義のタリバーンによって破壊されたバーミヤン大仏はアフガニスタンにあった。

そして、インド東部(=現在のバングラデシュ)もまたイスラーム化された地域である。インドが英国の植民地支配から独立した際、西部と東部のイスラーム地域がパキスタンとして分離独立した。バングラデシュが1971年に独立するまで「東パキスタン」であった。

つまり、イスラーム化されたのは、インドの西と東の辺境地帯なのである。もちろんその他の地域にもムスリムは居住しているが、集団として居住していたのはこれらの地域である。

よく知られているように、仏教はバラモン教が前提とする差別構造を否定した教えである。そして、一神教のイスラームもまた「神の下の平等」を説く教えである。ヒンドゥー世界の差別構造を否定した宗教という点において、仏教とイスラームには共通性がある。

バラモン教の末裔であるヒンドゥー教は、多神教というだけでなく、カースト制という差別構造を温存してきた。

この事実から引き出されるのが、著者による「仮説」である。

インドのイスラーム化が進行するなか、13世紀には大乗仏教信者は消極的にイスラームを受容し、その結果、仏教はインドで消滅したというものだ。

イスラム統治下で生き延びるために必要だったのである。スーフィーたちの布教活動によって集団改宗したのであろう、と。おそらく、二世代目以降はイスラームへの「同化」が進行していったのであろう。

説得力のある「仮説」である。ただし、イスラーム王朝であったムガル帝国において、アクバル帝は「宗教寛容政策」を実行したではないかという反論もありうるだろう。


いずれにせよ、インドではイスラームが大乗仏教にとって変わり、大乗仏教はインドではほぼ滅亡した。大乗仏教の最終形態である密教は、インドからヒマラヤ山脈を超えたチベットで栄えることになる。中国経由で空海が持ち帰った日本でも栄えることになった。

西からやってきたインド亜大陸まで進出したイスラームは、その後は陸路ではなく、イスラーム化したインド商人たちによって、海路で現在のマレー半島やインドネシア、フィリピン南部まで普及していくことになった。

また、イスラームとヒンドゥー教の融合によって、平等を説いたシク教を生み出したことにも触れておく必要があるだろう。日常的にターバンを巻いている人たちである。


■宗教がいまでもに熱い「中洋」という地域

注意しておかなくてはならないのは、「宗教」という日本語では、捉えきれないものが「宗教」にはあるということだ。

これは、大宗教発生のゆりかごともいうべき「中東インド世界」について考える際に重要となってくることだ。

この地域は、梅棹忠夫の『生態史観』にならって、インド亜大陸を中心にした「中洋」とよぶべきだろう。インドには西からイスラームが押し寄せてきたのである。

イスラームは、生活全体を律するきつい法体系であり倫理体系である。イスラーム化された地域では、完全にイスラームの生活体系に服すことが求められるのであって、例外はない。その点が、土着の信仰と習合しやすい、ゆるい仏教世界とは違う

イスラームがマジョリティとなった地域では、イスラーム以外の宗教は存在は認められても劣位に置かれた。原則として認められるのはズィンミー、すなわち「啓典の民」とされるユダヤ教徒キリスト教だけである。現在では、イスラーム主義者の台頭により、イスラーム以外の宗教への攻撃は高まりつつある。


■現在なおインドは一神教と多神教が直接対峙する「最前線」

現在のインドは、ヒンドゥー教徒がマジョリティを占める社会である。分離独立に際してムスリムがマジョリティーを占める西部と東部と分離された結果である。

とはいえ、14億人の人口をもつインドだが、現在なお1億人以上のムスリム人口を抱え、ヒンドゥー教徒との「宗教暴動」が絶えることがない。宗教暴動は、英語では communal violence という。宗教共同体が地域共同体とイコールだから発生する事態である。

現在のモディ政権は「ヒンドゥー至上主義」政党であり、マイノリティとなったムスリムへの締め付けが厳しい。多神教のヒンドゥー教 vs 一神教のイスラーム。

「宗教のるつぼ」であるインドだが、インドはまさに「一神教」と「多神教」が直接対峙しせめぎ合うホットスポットであり最前線なのである。

この点はよく理解しておくことが必要だ。けっして過去の話ではないのである。





目 次
改訂版序文
序文
第1章 宗教とは何か
第2章 インド仏教衰亡説の検証
第3章 イスラム史料『チャチュ・ナーマ』とは
第4章 『大唐西域記』と『チャチュ・ナーマ』の対照研究
第5章 西インド社会と仏教
第6章 イスラム教のインド征服と仏教
第7章 最初期のインドのイスラム教
第8章 他地域における仏教の衰亡
第9章 比較文明論からの考察
第10章 社会変革の手段としての改宗
第11章 アメリカの社会と宗教
第12章 結論


著者プロフィール
保坂俊司(ほさか・しゅんじ)
1956年群馬県渋川市出身。早稲田大学大学院文学研究科修了。現在、麗沢大学国際経済学部教授、早稲田大学政治経済学部非常勤講師、財団法人東方研究会・東方学院講師、財団法人モラロジー研究所研究員。著書に『シク教の教えと文化』(平河出版社)『イスラームとの対話』(成文堂)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報追加)



<関連サイト>

・・それぞれベンガル語版もある


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・・不可触賎民出身のアンベードガル博士の「仏教復興」の志をつぎ、インド仏教徒の頂点に立つ日本人・佐々井秀嶺師








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