2026年8月5日水曜日

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(吉田守男、角川書店、1995)で知る「事実」。 原爆投下計画の実際と占領軍の情報宣撫工作に乗せられた日本人たちがまき散らした「美しいウソ」、そして積極的に受け入れた日本国民による「共同幻想」

 

明日(2026年8月6日)は「原爆の日」である。NO MORE HIROSHIMA (& NAGASAKI)は、日本国民の願いである。いや、全人類の願いだと思いたい。 

なぜ広島に、そして3日後に長崎に原爆が投下されたのか。その理由については、あまりにも長くなるので、ここではあえて語ることはしない。 

だが、「なぜ他でもない広島だったのかという問い」は、「なぜ京都に原爆が投下されなかったのかという問い」と裏腹の関係にある。この事実は知っておく必要がある。 

ほんとうは、京都に原爆が投下されるはずだったのだ。

 広島と長崎に原爆が投下されたが、3発目の原爆が投下されなかったのは、その前に日本が降伏したからだ。もし日本が降伏しなかったら・・・。なんと、3発目の原爆は京都に投下される計画であった。京都が完全に投下対象都市からはずされたわかではなかったのだ。 

この知られざる事実、不都合な真実を明らかにしたのは、京都出身の近代史研究者である吉田守男氏。その著書である『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(角川書店、1995)である。  

副題の「ウォーナー伝説」とは、米国の日本美術研究者ラングドン・ウォーナー博士が京都や鎌倉などの古都を救ってくれたという、根拠不明の「伝説」のことだ。

百万都市の京都が空爆を免れ無傷で残ったのは、文化財ゆたかな古都であり、米軍が「空爆対象のリスト」からはずしていたからであり、そのリストを作成したのがウォーナー博士であったというのだ。 

だが、それはあくまでも「伝説」であって、「事実」ではなかったのだ。戦後来日したウォーナー博士は、その話題を出されてたいへん困惑していたという。 その話題を出されるのをいやがっていたのだ、と。

いわゆる「ウォーナー・リスト」は、連合軍による占領地域での文化財を保護し、とくにナチス・ドイツが略奪した文化財を返還させ、弁償させるために作成したリストの一部に過ぎなかったのである。リストに記載されている名古屋城や岡山城なども、空爆によって焼失していることが、そのなによりの証拠である。

わたし自身は直接見たことはないが、京都にも鎌倉にもウォーナー博士を顕彰する記念碑がには設置されており、現在にいたるまで撤去されることなく、「伝説」が再生産されているらしい。都市観光のアイテムとなっているからだ。 


(岡倉天心ゆかりの五浦の「ウォーナー像と記念碑」 筆者撮影)



■なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか? 

「なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか?」という問いは、なぜ京都は一部を除いて空爆が実行されなかったのか?」 という問いと裏腹の関係にある。

米国で原爆開発計画が最終段階にさしかかっていた1945年5月、軍部が強硬に主張した原爆投下対象が、京都、広島、横浜、小倉、そして新潟であった。共通点は、百万都市であり人口密集地帯があること、三方を山で囲まれた盆地であること、空爆が実行されていない都市であること、などであった。

原爆という新兵器の効果を最大限に発揮させること、実戦では使用されたことのない新兵器の効果を検証するためという、あくまでも軍事的観点からする主張である。 いまだ空爆がされていない手つかずの状態であることが、原爆そのものの効果を測定するために必要不可欠だとしたのだ。

ソ連参戦を控えた8月に原爆投下がおこなわれるまでの3ヶ月間、シビリアンコントロール原則のある米国では、政権上部と軍部のあいだで激論が交わされている。 最終的に決断を下すのは、あくまでも大統領である。

結論として、第一目標から京都がはずされたのは、戦後をにらんだ米国の政治的思惑からであった。京都への原爆投下がいかなる反発を招くか想定しづらいこと、結果として米国の国際的威信を傷つけることになるのではないかという懸念である。文化財を守るのが第一目的ではなかったのだ。* 

*ただし、一点だけ違和感が残るのは、スティムソン国務長官が京都への原爆投下に反対した理由だ。国際関係におけるアメリカの道徳的優位性を確保するために京都を対象からはずすべきだと主張したのだが、なぜ京都に原爆投下すると国際的な非難につながるのか、日本国民の米国への反発が生まれるかについて、スティムソンが京都のシンボリックな意味を理解していたかどうかまでは、本書では踏み込まれていない。


だから、京都が無傷で残ったのは、偶然の結果に過ぎないのである。広島と長崎に原爆が投下され、ソ連の参戦が日本の降伏につながったため、3発目の投下対象であった京都に原爆が投下されることはなく、したがって空爆も実行されることなく終わったのである。 

敗戦後の日本国民は「敗北を抱きしめ」、敗戦国に寛大な「アメリカ様」に感謝することになる。「ウォーナー伝説」はその重要なテーマのひとつであった。 

「ウォーナー伝説」は、アメリカ占領軍のGHQ「民間情報教育局」(C.I.E.)によるプロパガンダ工作の一環であり、それに乗せられた美術史家の矢代幸雄をはじめとする日本の文化人たちがまき散らした「美しいウソ」であり、積極的に飛びついて受け入れた日本国民による「共同幻想」が成立したのである。この「共同幻想」から、日本国民の多くは、いまだに囚われたままだ。 

京都や鎌倉以外でも、類似の「ウォーナー伝説」が生き続けている。東京神田の古書店街や、文京区にある「東洋文庫」が空爆を免れたのは、空爆リストから外されていたからだという「伝説」がそれだ。現在では否定されているにもかかわらず、この「伝説」は生き続けている。 

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』という本を読んだ第一の理由は、「京都の原爆が投下されるはずだった」という件よりも、岡倉天心の薫陶を受けた日本美術の研究者としてのラングドン・ウォーナー博士にまつわる「ウォーナー伝説」の真偽に関心があったからだ。横山大観も戦後の回想録『大観画談』でウォーナー伝説と博士との交友について語っている。

この本はその後、『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫、2002)として文庫化されたが絶版、現在は『原爆は京都に落ちるはずだった』(パンダ・パブリッシング、2017)として再刊され、kindle版で読むことができる。 出版社とタイトルを変えながらも読み継がれてきたのである。




ただし、副題の「ウォーナー伝説」がはずされたのは、残念なことである。ウォーナー博士が亡くなってすでに70年以上、その名はもはや忘れ去られ、読者の関心が「京都と原爆」というショッキングな「事実」にむかうからであろう。

日本近現代史を正確に理解するためアメリカという国家の本質を理解するため本書で論証されている内容はかならず知っておくべき「常識」となってほしいものである。そのためにも、この本はぜひ読んでほしい。 

あらためて、原爆という非人道的な兵器による犠牲となった広島と長崎の人びとに哀悼の意を表します。合掌



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目 次 
はじめに
第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?
 1 志賀直哉のハガキ
 2  《ウォーナー伝説》の定着
 3  六つの記念碑
 4  《伝説》の根拠
 5  《伝説》の真相1─ロバーツ委員会の目的
 6  《伝説》の真相2─〈ウォーナー・リスト〉の正体
 7  石仏を盗んだ?
第2章 京都に原爆を投下せよ!
 1  第一目標は京都
 2 投下目標の〈予約〉
 3 空襲の実態
 4 戦時下のうわさ
 5 奈良・鎌倉・会津若松の場合
第3章 京都の運命 
 1 京都案をめぐる確執
 2 〈スチムソン恩人説〉批判
 3 原爆投下のリハーサル
 4 五〇発のパンプキン爆弾
 5 〈八月六日〉以後のリハーサルの意味
 6 原爆ラッシュの開幕
終章 『ウォーナー伝説』を創作したのはだれか?
 1 占領軍からの呼び出し
 2 民間情報教育局の使命
参考文献
あとがき

著者プロフィール
吉田 守男(よしだ もりお)
日本の歴史学者。1946年、京都生まれ。1971年、京都大学文学部(国史学専攻)卒業。1978年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学。1987年樟蔭女子短期大学講師、助教授を経て、1994年より教授。2001年より大阪樟蔭女子大学教授。 京都が太平洋戦争で米軍の大規模な空襲を免れたのは文化財保護が目的だったという説や、このためにラングドン・ウォーナーが尽力したという「ウォーナー伝説」を否定し、京都は原爆投下目標の一つであり、原爆の威力を測定するために通常の空襲が抑制されていたことを明らかにした。またウォーナーが作成した文化財リストは枢軸国の被侵略国への賠償用のリストであること、ウォーナー伝説は民間情報教育局(CIE)のプロパガンダであることを明らかにした。 著書 『京都に原爆を投下せよ――ウォーナー伝説の真実』(角川書店[[]]、1995年)。 Wikipediaより


<関連記事>

ラングドン・ウォーナー(1881~1955  Wikipedia英語版)
・・英語版にはウォーナー博士による「略奪問題」が記されている。敦煌の莫高窟の壁画を持ち帰ったまま中国に返還しようとしないハーバード大学についてである。中国共産党は返還を求めながらも実際的な対応をしているが、日本の「ウォーナー伝説」のような情緒的なおめでたい態度はとっていない。


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■ナチス・ドイツが略奪した文化財の返還プロジェクト





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