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2013年8月9日金曜日

書評 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、文春文庫、2013 単行本初版 2009)-"最初の被爆地" 広島と "最後の被爆地" 長崎の背後にあった違いとは?


ヒロシマは全世界的に有名になっているのにかかわらず、ナガサキはかならずしもそうではない。その理由の一つに目で見てさまざまな思いを感じることのできる原爆遺跡が残っているかどうかがあるのかもしれない。

爆心地に近い浦上天主堂は、じつは13年間も廃墟のまま放置されていたらしい。そのまま保存していれば「世界遺産」となったことは間違いないが、結局は取り壊されてしまったのはなぜか? 

本書は、そんな疑問から、"最初の被爆地" 広島と、"最後の被爆地" 長崎の違いの背後にあったものについて考えていくノンフィクション作品だ。

個人的な話だが、大学時代に『人間を返せ』というドキュメンタリー映画をみていたものの、実際に被爆地を訪れたのは長崎のほうが先である。いまから28年前、うまれてはじめて長崎にいったとき原爆関連施設を見学したが、そのとき目にしたモノクロの写真パネルの数々に大きな衝撃を受けた。

原爆の炸裂で破壊されたカトリックの教会堂、首が吹きとんだ聖母子像。本書にも何枚か収録されているが、なぜキリスト教国のアメリカは、日本でもキリスト教にゆかりの深い長崎にあえて原爆を投下したのか? 28年前のそのとき、まったく理解できない思いをもった。

長崎は、「鎖国時代」の日本においてオランダにも中国にも開かれていた、坂の多い異国情緒豊かな港町である。一般にはこの「観光イメージ」が前面に打ち出されている。坂本龍馬やグラバー邸、長崎ちゃんぽんに眼鏡橋といったイメージである。

だが、一方ではキリシタンの故地でもあり、二十六聖人の殉教などさまざまな記憶が刻まれている土地でもある。長崎といっても土地によって刻まれてきた歴史は同じではない。これは外部の人間にはわからないことだ。広島とは違って原爆遺跡保存が市民全体の運動にならなかった理由がここらへんにありそうだ。

浦上天主堂の廃墟は原爆投下から13年後、教会堂の再建と引き換えに撤去されたのであるが、その背後には複雑な要因がからみあっていたことが解き明かされている。

米国は、独立回復後の日本における「反米運動」に手を焼いていただけでなく、原爆遺構が反核運動のシンボルとして使用され、共産諸国を利することを恐れていた。この点においては、米国政府とバチカンは「反共」という価値観と利害を共有していたことも指摘されている。

当初保存に積極的だった市長は、米国政府による招待旅行で米国各地を外遊後に考えをひるがえしている。そこでは「文化外交」(public diplomacy)という高度な情報戦が行われていたのである。

第二次大戦における爆撃によって廃墟となった教会堂を、廃墟をそのままを活かして再建されているベルリンの例もあることを考えれば、浦上天主堂の廃墟が保存されなかったのはまことにもって残念だ。

だが、そう一筋縄でいかないのが人間世界。それなりの事情があったのだと知ることはきわめて重要だろう。思わず熱中して読んでしまうすぐれたノンフィクションである。ぜひ一読を薦めたい。



目 次

追憶
第1章 昔、そこに天主堂の廃墟があった
第2章 弾圧を耐え抜いた浦上の丘
第3章 原爆投下-浦上への道
第4章 浦上の聖者と米国の影
第5章 仕組まれた提携
第6章 二十世紀の十字架
第7章 傷跡は消し去れ
第8章 アメリカ
第9章 USIA
第10章 天主堂廃墟を取り払いしものは
あとがき
関連年表
主な参考図書・資料
文春文庫のための追記
歴史の残り香(星野博美)

著者プロフィール  

高瀬毅(たかせ・つよし)
1955年長崎市生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送入社。記者、ディレクター。1982年ラジオドキュメンタリー『通り魔の恐怖』で日本民間放送連盟賞最優秀賞、放送文化基金賞奨励賞。1989年よりフリー。『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』で2009年に平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

「原爆の日」-立場によって歴史観は異なって当然だ

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「米国にとっては正式な外交関係はなかったものの、実質的な「反共」のパートナーとしてのバチカンの存在は大きかったのだ。カトリック地帯であるポーランドをはじめ、カトリック国であるハンガリーやチェコが共産主義国家ソ連の影響下である共産圏に入ってからは、バチカンのもつネットワークが米国にとっては大きな意味をもったからだ」

(2014年8月8日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)





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