■未完に終わった『人類の未来』。その構想を可能な限り再現し「あらたな未来」を考える■
河出書房から1970年に出版されるはずだった梅棹忠夫執筆予定の『世界の歴史 25人類の未来』。
しかし、国立民族学博物館の開設に奔走する超多忙状態のなか、残念ながら未完に終わってしまった幻の著作である。
本書は、その構想を可能な限り再現しようとした試みである。
梅棹忠夫の手書きによる「目次」と、知的生産のツールであった「こざね」に書き記された発想メモが写真版で収録されており、『人類の未来』の構想プロセスを知ることができる。
また、1970年前後に行われた、SF作家の小松左京などのメンバーとの座談会の記録を読むことによって、『人類の未来』について考えていた知的土壌がどういうものであったかも知ることができる。
1970年の前後に、当時30歳代から40歳代の気鋭の論客たちが「未来」についてリアルタイムで語り合った対談や座談会を40年後の「未来」から読み直すというのは、なんだか不思議な感じもする。ある意味では、タイムカプセルに入れた手紙を40年後に掘り出して読むような感覚だろうか。
梅棹忠夫の未来予測が大筋ではほとんど当たっているのは、それが予言ではなく、論理的にそうなるのは当然だという思考の筋道をとっているからだ。それは、すべてを「地球レベル」というマクロの視点と、具体的な事物というミクロの視点で同時に見ているためだ。
その意味では、「地球時代を考える-SF化する科学文明-」という樋口敬二(名古屋大学水圏科学研究所教授)との1977年の対談と、「地球文明-2000年の座標-」という秋山喜久(関西電力株式会社会長)との2000年の対談が、2012年時点で読んでも、興味深い内容になっている。
『人類の未来』はもしかすると、あまりにも悲観的な話ばかりがつづくので、もし仮に1970年時点で出版されていたとしても、たんなる悲観論として片付けられてしまっていたかもしれない。
だが、それから40年以上たった時点では「すでに迎えた未来」として、現実的なものとなっていることは、多くの人が納得していることだろう。だからこそ、『人類の未来』をテーマにして昨年NHK・ETVで放送されたETV特集 「暗黒のかなたの光明-文明学者 梅棹忠夫がみた未来-」が大きな反響を呼んだのだろう。
「3-11」を経験した日本人は、日本と日本人が世界のなかでどう生きていくべきなのかについて、あらためて徹底的に、根本的に考えなくてはいけない状況に追い込まれている。
ETV特集「暗黒のかなたの光明」を見ていない人も、本書を読むことで、「これからやってくる未来」を考えて、何をなしていくべきかを考えていくための貴重なヒントを得ることができるかもしれない。
ぜひ目を通していただきたいと思う。
<初出情報>
■bk1書評「未完に終わった『人類の未来』。その構想を可能な限り再現し「あらたな未来」を考える 」投稿掲載(2012年1月8日)
■amazon書評「未完に終わった『人類の未来』。その構想を可能な限り再現し「あらたな未来」を考える」投稿掲載(2012年1月8日)
目 次
はじめに(小長谷有紀)
第一部 梅棹忠夫の残した「人類の未来」
『人類の未来』目次案とこざね
梅棹忠夫ののこした『人類の未来』(小長谷有紀)
第二部 梅棹忠夫の見つめていた未来
人間の未来を語る(1966年・・石田英一郎・今西錦司・梅棹忠夫)
どうなる・どうする-未来学誕生(1966年・・林雄二郎・小松左京・加藤秀俊・梅棹忠夫)
なぜ未来を考えるのか(1967年・・加藤秀俊・川添登・小松左京・林雄二郎・梅棹忠夫)
地球時代を考える-SF化する科学文明(1977年・・樋口敬二・梅棹忠夫)
地球文明-2000年の座標(2000年・・秋山喜久・梅棹忠夫
第三部 「人類の未来」に迫る
まだ、間に合う-梅棹忠夫の達成を未来に延長する(毛利衛)
「貝食う会」の5人(1982年・・加藤秀俊)
梅棹忠夫の未来研究-教祖か予言者か祭司か?(中牧弘允)
「はかなさ」の感受性へ-梅棹忠夫の「人類の未来」論に即して(竹内整一)
科学で価値を語れるか-梅棹忠夫に見る人類の未来(佐倉統)
おわりに(小長谷有紀)
<書評への付記>
1970年前後というのは「未来学」がブームになっていた頃である。
その未来学をリードしたのが梅棹忠夫や小松左京といった人たちだが、同じメンバーが大阪万博の構想についても考え、それが国立民族学博物館として形あるものとして残った一方、書くことを約束していた『人類の未来』はついに書かれずじまいになってしまった。
編者のモンゴル学者・小長谷有紀氏は、梅棹忠夫は『人類の未来』をおそらく書けなかったというよりも、書くというモチベーションを失ってしまったのだろうと指摘している。一つの解釈として耳を傾けるべきである。
1970年の大阪万博が終わってからすぐ、1973年には石油ショックに見舞われた日本人からは楽観論は一気に消えてしまったが、「3-11」後の現在もそうだが、悲惨な未来がやってくるという悲観論はたしかに日本人の耳に入りやすい。梅棹忠夫は、自分が国民にむかって提示する議論がこういう俗流悲観論とみなされてしまうのがいやだったようだ。
未来予測やシナリオシンキングは、ビジョンや目標のような目的志向をもった「創り出す未来」とは根本的に異なるものだ。「そうなりたいもの」という人間の意志とはかかわりなく、「そうなってしまうもの」である。それが悲観的になりがちなのは致し方ない。
いまから考えると、「人類の未来」について考えるという発想じたいが、この時代の特有のものだったような気がしなくもない。1970年前後では、「未来学」というのは先進国のなかでも、英国とフランスと日本でしか見られなかった現象らしい。その当時の冷戦時代の大国であった米国もソ連も、未来を悲観するような「空気」は存在しなかったようなのだ。
座談会のなかで、未来について語る史観には、輪廻史観、終末史観、無限の進化史観しかないという指摘がでてくるが、1970年前後はいまだ「無限の進化史観」の代表である唯物史観が大勢であった時代だ。
いまやそのソ連も崩壊して20年、米国もまたアイデンティティ・クライシスを迎えつつあるように思われる。外敵を設定するだけでは済まされなくなってきている状況だ。
『世界の歴史 25人類の未来』は未完に終わってしまったが、本書に収録された「梅棹忠夫の未来研究-教祖か予言者か祭司か?」(中牧弘充)を読むと、梅棹忠夫の未来研究政府系のシンクタンクであるNIRA(総合研究開発機構)における政策研究に引き継がれたことがわかる。
願わくば、その流れが政府の政策研究としてはもちろん、国民一人一人の課題として、それぞれ取り組むマインドセットとなってゆくことである。
なお、『世界の歴史 25人類の未来』の目次については、梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える と題してこのブログで紹介しておいた。
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