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2011年12月17日土曜日

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある



「移動図書室」という先駆的な試み-フィールドワークによる「知的生産」とはこういうものだ!


『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 初版単行本 1964)を読んだのは、文庫本に書き込んだメモによれば1995年の7月である。おそらく、タイにはじめて行った際の参考書として読んだのであろう。旅の最中か、旅の前後かが現在でははっきりしないのだが。

もともと東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に出版された本で、もととなった自動車による東南アジア探査は、1957年から1958年にかけてのことであるから、もういまから53年前(!)のことになる。

現在からみれば、資本主義化が進展し、すっかり近代化する以前のタイはもとより、ベトナム戦争によって荒廃するまえのインドシナ三国(=ベトナム、ラオス、カンボジア)の貴重なドキュメントにもなっている。

ベトナム戦争について簡単に振り返っておこう。

植民地支配を行っていたフランスとのあいだで戦われた第一次インドシナ戦争が1958年に終結し、第二次インドシナ戦争であるベトナム戦争は、1960年12月に「南ベトナム解放民族戦線」が結成され南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始されてから始まった。

1975年3月に北ベトナム軍による全面攻撃が開始され、4月30日にサイゴンが陥落することで終結した。だが、カンボジアはその後もポルポト派による混乱が続き、最終的に混乱が収まったのは、国連監視下のもと 1993年に民主選挙が実施されてからである。ラオスはこの間の1975年に王政が倒れて人民共和国となっている。

したがって、梅棹忠夫が率いる学術調査隊は、まさにインドシナ半島が動乱に巻き込まれて荒廃する前に行われた貴重な記録になったのである。

日本の敗戦によって大陸の探査ができなくなったこともあり、梅棹忠夫は探検の方向を東南アジアに据える。これは戦後日本が東南アジアに送り出した最初の学術調査隊となったが、この旅行で踏査して記録は、『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011) に豊富に収録された写真とあわせてみるとじつに興味深い。この文庫本には、文庫本の上下のカバーにある、著者が撮影したカラー写真2枚(・・上掲)しか掲載されていない。

「東南アジア学術探検」は、『文明の生態史観』で提唱した梅棹理論の検証という側面もあるが、まずは日本の敗戦から12年に実行された旅行記として読めばいいと思う。そして、その時代の失われた東南アジアの面影をさぐるために。

わたしにとって何よりも興味深いのは 「移動図書室」 についてである。この探査行にフィールド・アシスタント(・・運転手兼通訳)として全行程に同行した東南アジア学者の石井米雄氏は、当時は外務省留学生としてタイ王国のバンコク滞在していたが、本書の解説でもその件を回想している。

「移動図書室」というコンセプトは、きわめて現代的だ。いまならテクノロジーの進歩で、「電子書跡」という形でポータブル化が可能となり、だれでも簡単に実行可能となったといえる。媒体は何であれ、知的インプットは 「現場で本を読む」に勝るものはないからだ!

非番のときは、わたしは後の座席にすわって、いつものとおりタイプライタで日記をつける。しかしこんどの旅行では、もう一つ新しいくふうをやってみた。それは移動図書室の設置である。移動図書室などというとたいそうだが、要するに、木箱に一ぱい本をつめて、車につんで来ているのだ。わたしは、広い座席を占領して寝そべりながら、本をよむ。寝そべるために、大きなフォーム・ラバーのまくらも持ってきている。

出発まえに、東京の古本屋をあさって、戦争中の「大東亜共栄圏」に関するものをだいぶ買った。満鉄調査部の「南洋叢書」などは、いま見ても、ひじょうにいいものである。それから、バンコクで英語のものをたくさん買った。それを、みんな持ってきている。
現地で実物を見ながら本を読む。わたしはまえから、これはひじょうにいい勉強法だと思っている。本に書いてあることは、よく頭に入るし、同時に自分の経験する事物の意味を、本でたしかめることができる。

(出典:『東南アジア紀行(下)』P.64~65) 太字ゴチックは引用者(=わたし)



ところで、『私の読書法』(岩波新書、1960)には、梅棹忠夫が書いた 「行動中心の読書」 という文章が収録されている。『東南アジア紀行』の前か後かはわからないが(・・『著作集』があれば調べることは可能)、「移動図書室」についての記述はないものの、そのエッセンスとなる思想が書かれているので引用しておこう。

わたしのやり方は、自分に何かはっきりした課題、それも主として行動上の課題があって、そのために本を読む。いわば、行動中心の読書法である。これはいまに至るまでつづいている。
・・(中略)・・

わたしは、自分が実地に歩いて見てきた事実を、本の中に発見し、その歴史的・理論的な意味をさとる。本で得た知識は、実地の体験で確める。この操作をくりかえすうちに、わたしは重大な教訓を得たようだ。それは、本というものは、かならずしも信用できないものだということである。・・(中略)・・とにかく活字をうかつには信用しないという習慣は、このころにできあがりいまにいたるまで残っている。そのことは、だいたいにおいて良い影響をおよぼしたようだ。

(出典:『私の読書法』(大内兵衛/茅誠司他、岩波新書、1960)P.57~66) 太字ゴチックは引用者(=わたし)



こういった 「知的生産の方法」 だけでなく、じっさいにその方法論を駆使して観察した記述が、現在2011年に読んでもひじょうに新鮮だ。これは自分がじっさいに現地を歩いて五感をつうじて得た結論だからだろう。

現地を自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分で感じたことを、その場で本を読んで検証するというプロセスをなんども繰り返して、知識を生きた知識として自分のアタマのなかに定着させていくのである。

その具体的な観察内容をいくつか引いておこう。梅棹式の 「アタマの引き出し」 のつくりかたの実践例である。


ベトナムの国民性 (第15章 P.135)

食事をしながら、石井さんはつくづく言った。
「ベトナム人というのは、まったくえらいもんだ。そう思いませんか」
わたしも同感だ。タイやカンボジアでは、食堂といえばみんなシナ人の経営である。しかし、この国ではシナめし屋の数ははるかに少い。この店だって、ちゃんとベトナム人の経営である。看板も、メニューも、みんなローマ字書きのベトナム語である。
・・(中略)・・

ベトナム人の国民性については・・(中略)・・こうしていなかを走って、かれらの日常の働きぶりを観察すればわかるというものだ。ベトナム人は勤勉で、エネルギッシュである。勤勉という点では、わたしの見たかぎりでの東南アジアの諸民族の中では、ベトナム人が一ばんである。


タイの柔軟性 (第22章 P.268~269 探査行から4年後のバンコク再訪の際の感想)

タイという国は、インドなんかとはちがって、なんとなく制約の少ない国である。文化的・社会的に自由なのだ。複雑な社会制度や、やっかいな慣習にしばられることなく、なんでもとりいれながら、のびのびとやっている。テレビをいちはやくとりいれたのも、そういう点のあらわれだろう。その点はどこか日本に似ているのである。

じっさい、日本ではやることは、かなりの程度にタイでもはやる可能性がある。ひょっとしたらタイの人のなかには、ひそかに日本の世相の動きを観察していて、意識的にまねることをやっている人がいるかもしれない。日本的商業主義は、ここでは成功する公算が高いのである。


どうだろうか。この文章が書かれたのは、1964年である。まったくその後の展開を読み切ったような発言ではないか。

こういった切れ味の鋭い観察結果をまじえたこの紀行文は、梅棹忠夫のものだからというだけでなく、東南アジアの過去を知る上でもたいへん貴重な記録となったのである。

もちろん、現在読んでもじつに面白いドキュメントである。ぜひ一読を薦めたい。







目 次

上巻
まえがき
第1章 バンコクの目ざめ
第2章 チュラーロンコーン大学
第3章 太平洋学術会議
第4章 アンコール・ワットの死と生
第5章 熱帯のクリスマス
第6章 謙虚に学ぶべし
第7章 ゆううつよ、さようなら
第8章 最高峰にのぼる
第9章 類人猿探検隊
第10章 ランナータイ王国の首都
下巻
第11章 配置を終る
第12章 歴史の足あと
第13章 ゾウと王さま
第14章 コーチシナ平原
第15章 チャムの塔
第16章 大官道路
第17章 大森林をゆく
第18章 高原の朝
第19章 最後の隊員会議
第20章 汽車の旅
第21章 再会
第22章 バンコクは変わった
第23章 エピローグ
追記
解説(石井米雄)



<書評への付記>

東南アジアの学術調査から帰国したあと、ちょうど南極越冬から帰国した西堀栄三郎の『南極越冬記』(岩波新書、1958)をまとめる仕事を依頼されたようだ。

国民的な関心事からいったら、それは 宗谷による南極越冬のほうがはるかに高かったことは間違いない。西堀栄三郎は、今西錦司の先輩であり、梅棹忠夫からみるとはるかに先輩ということになる。

この事実は、『南極越冬記』(岩波新書、1958)のあとがきで西堀榮三郎自身も記しているが、これを知った上で 『南極越冬記』 と 『東南アジア旅行記』 を読んでみると面白いかもしれない。

また、本書の文庫版の解説を執筆している石井米雄氏は、『道は、ひらける-タイ研究の五〇年-』(石井米雄、めこん、2003)で、『東南アジア紀行』のことを回顧している。当時、石井氏は外務省派遣の留学生としてタイのバンコクに駐在していた際に勧誘されて「学術調査」に助手として参加することになった。







<ブログ内関連記事>

東南アジア関連

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)
・・日本の敗戦時、タイのバンコクに居た辻正信のインドシナ半島から中国にかけての僧侶に身をやつしての逃避行の記録。1945年当時のインドシナ半島の貴重な記録でもある

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編

ベトナムのカトリック教会

カンボジアのかぼちゃ

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)


梅棹忠夫関連

岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い







(2012年7月3日発売の拙著です)







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