2012年12月31日月曜日

書評『西洋史学の先駆者たち』(土肥恒之、中公叢書、2012)ー 上原専禄という歴史家を知ってますか?

(肖像写真の右から二番目が上原専禄)

上原専禄(うえはら・せんろく 1899~1975)という歴史家の名前を知っている人は、いまやそう多くはないだろう。

阿部謹也(1935~2006)の読者であれば、とくに名著 『自分のなかに歴史をよむ』の読者であれば、「わかるとは変わること」「それをやらねければ生きていけないようなテーマ」といった名文句を吐いた歴史家として記憶のなかにあるかもしれない。

もちろん、わたしも上原専禄の名を知ったのは、恩師である阿部謹也先生を通じてである。そして本書の著者であるロシア史の土肥恒之氏は阿部先生の弟子にあたる。つまり、上原専禄の孫弟子にあたる人なのである。

著者は、もともと上原専禄という歴史家についての関心から出発したと「あとがき」で書いている。

最晩年の著書 『死者・生者-日蓮認識への発想と視点-』(1974年)における「死者との共闘」という姿勢など、近年さまざまなかたちで上原専禄再発見の兆しが見え始めているが、著者は世界史像の再構築を提唱した論客としての上原専禄や、日蓮との実存的関係など戦後の上原専禄には踏み込んでいない。

あくまでも、近代歴史学が日本に移植されて、自前のテーマ設定によって研究が自立していく戦前と戦中に時代を区切り、専門の歴史学者として「禁欲的に」仕事に専念していた時代の上原専禄を取り上げている。史学史からのアプローチである。

『正統と異端』という名著の著者で、東大の西欧中世史をリードした堀米庸三が、若き日に衝撃を受けたという上原専禄の仕事は、歴史家としては当たり前の「あくまでも原史料に基づいて研究する」という態度を西洋史研究において貫いたことにある。

日本史や東洋史では当たり前のこの態度は、90年前の西洋史研究の分野では当たり前ではなかった。それは、現在では考えられないほど日本と西洋の距離は心理的にも物理的にも遠かったこともあるだろう。研究蓄積の層の厚みがなかっただけでない。マイクロフィッシュもなかった時代、そもそも西洋史の原史料には日本ではアクセスできなかったのだ。

京都西陣の商家に生まれ、旧制高校ではなく東京商科大学(・・現在の一橋大学)に入学した上原専禄がたまたまその世界に入ったのがドイツ中世史研究であったが、たまたま留学する機会を得ることになったウィーン大学では、今度はたまたまではなく、みずからの意思で社会経済史の泰斗アルフォンス・ドープシュ博士のゼミナールを選択したことにあることが、すべての出発点であることが、本書を読むとわかる。

ときは大正時代、関東大震災直後の1923年である。ヨーロッパが舞台となった大戦が終結してから4年、ハプスブルク帝国解体後の小国オーストリア共和国の首都ウィーンであった。

ドープシュ教授のゼミナールで当たり前のように行われていたのが、原史料をもとにした徹底的な史料読み込みの演習である。上原専禄は、2年間の留学をつうじて、日本人としての主体性を失うことなくヨーロッパを理解するためには、その方法しかないと深く心に刻み込んだようだ。ディテールを徹底的に深ぼりすることをとおしてしか、全体を理解することはできないということであったのだろう。

そしてその成果は日本で論文として発表され、同業の西洋史学者たちを大いに驚嘆させることになったのだという。「原史料への沈潜」という方法論は、日本の西洋史研究においてはそれほど画期的なものであった。

いまでは考えられないようなことだが、90年前はそんな状況だったのだ。

わたしが西洋中世史のゼミナールで勉強したのはいまから約30年前の1980年代前半だが、その時とくらべても2012年時点では日本人にとっての西洋は異なるものとなっている。

日本も変化し、西洋も変化したからではあるが、世界における日本のポジションが向上し(・・現在はまた下降プロセスにあるが)、西洋はもはや仰ぎ見るべき存在ではないということが大きいだろう。つまり、それは日本人の意識の変化である。

明治維新以降、「近代化」=「西洋化」を選択した日本と日本人が、いかに西洋文明の根源に迫るべく格闘したか。技術や法律など実学的なプラクティカルな分野だけではなく、文明そのものに迫る試みが歴史学という分野でもそれは行われたのである。そのプロセスは、考えようによってはきわめてスリリングなものがあるではないか。

本書は、上原専禄とそれ以外の忘れられた西洋史家たちを取り上げて、日本における西洋史学確立に貢献した歴史学者たちを掘り起こしたものだ。

おそらく本書に登場する歴史家の名前は、現在ではほとんど忘れられているであろう。きわめて地味な内容の本だが、先人たちがいかなる格闘をしていたのか努力の足跡をたどることは、きわめて意義のあることである。


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目 次

序に代えて
第1章 ドイツ史学の移植-ルートヴィヒ・リースとその弟子たち
第2章 歴史の経済的説明-欧州経済史学の先駆者たち
第3章 文化史的観照を超えて-大類伸のルネサンス論とその周辺
第4章 「原史料の直接考究を第一義とすること」-上原専禄とドイツ中世史研究
第5章 近代資本主義の担い手を求めて-大塚久雄の近代欧州経済史研究
第6章 「大東亜戦争の世界史的意義」-戦時下の西洋史家たち
あとがき
参考文献
本文中図版引用出典
人名索引

著者プロフィール  

土肥恒之(どひ・つねゆき)
1947年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授を経て、同大学名誉教授。専攻はロシア社会史・史学史。著書は、『ロシア・ロマノフ王朝の大地 (興亡の世界史)』(講談社、2007)、『岐路に立つ歴史家たち-20世紀ロシアの歴史学とその周辺-』(山川出版社、2000)その他多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものより)。



(参考) 山内昌之(歴史学者・明治大特任教授)による書評から(2012年7月16日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20120709-OYT8T00404.htm

帝国大学だけでなく、慶応義塾や東京商科大学(一橋大学)の西洋史家たちが社会経済史の面で独特な学風を築いたことは、日本の歴史学の発展にとって幸いであった。ことに、著者の執筆動機となった上原専禄にそそぐ尊敬心と愛情はまことに好ましい。1923年からウィーンに留学してドイツ中世史を専門にした上原は、一次史料で欧州の中世史を学んだ第一世代といってもよい。人気教授の教室に出席して大入り満員ぶりに、「余り香しくない気持におそはれた」という上原の印象は、この碩学の器をよく表している。あまり学生のいないドープシュ教授に師事したことがその後の上原の大きなスケールと実証的学風の基礎となったのだろう。

PS 上原専禄がウィーン大学でゼミナールに参加したアルフォンス・ドープシュ教授の主著が『ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎』(創文社、1980)。1100ページを超える大著である。(2016年10月29日 記す)


出版社の創文社は2020年に事業を閉鎖したので、この大著も同時に絶版となった。一部の書籍にかんしては講談社がひきついで講談社学術文庫から再刊したりしているが、この大著はその可能性は高くないようだ。「創文社オンデマンド叢書」から再刊される可能性もあるが、必要な人はまだまだ古書価も低いので古本で購入しておいたほうがいい。(2024年1月14日 記す)


PS2 『西洋史学の先駆者たち』は講談社学術文庫から文庫化された

『西洋史学の先駆者たち』は増補版として、新版が講談社学術文庫から2023年に文庫化された。わたしも新版の文庫本も購入した。上原専禄の「世界史構想」についてさらに考えたい人は、最初から文庫版を購入することをすすめる。(2024年1月14日 記す)



<関連記事>

記者の目:上原専禄さんが現代に問うもの=田原由紀雄(毎日新聞) [2010年10月26日(Tue)] 2010(平成22)年10月26日(火) 毎日新聞
・・「死者との共闘」という姿勢など、近年さまざまなかたちで上原専禄再発見の兆しが見え始めているが、その件についてはこの記事(のさらなる再録)を参照

『チマッティ神父の手紙』(1926年、帰国船における日本宣教に出発したサレジオ会修道士たちとの出会い)
・・「今回、日本に向かう私たちと上原専禄という方と一緒に撮った写真を贈る。この善良な若い先生は、自発的に、神秘な日本語の美しさを教えてくれると提案してきた。み摂理は、なんと素晴らしい! 私たちは、もう結構なところまで進み、文章も少し分かるようになった。神に感謝! 願わくは、神様が信仰の恵みをもってこの恩人を報いてくださるように。」

Intermission 謎の銅像絵葉書 上原専禄??
・・「大正13年1月18日 ウィーン王立博物館前 マリヤテレサの銅像の下にて 専禄」と書かれた 絵葉書を購入した人による記事


<ブログ内関連記事>

「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」(若松英輔氏)」を聴いてきた(2013年7月11日)

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・「隠遁後」の上原専禄についての言及がある。今谷明氏は上原専禄と同じく京都出身の歴史家。封建制論争で苦言を呈した上原専禄への敬愛が感じられる本だ

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・付録の「実学としての歴史学」で上原専禄についても触れている。上原専禄の師匠であった歴史家で銀行頭取でもあった三浦新七はドイツ留学時代にランプレヒトの助手をつとめていた。その三浦新七がウィーンでドープシュに師事するよう命じたという。

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方
・・「上原専禄(1899~1975)は、湯浅芳子(1896~1990)の3歳下になります。宮本(中條)百合子(1899~1951)と上原専禄は同年生まれになります。上原専禄は、わたしの大学学部時代の先生であった阿部謹也先生のの、さらに先生にあたる人です。 直接の接点があったのかどかどうかわかりませんが、湯浅芳子と上原専禄は、ほぼ同じ頃に京都の商家に生まれ、青春時代と職業人生を東京で過ごした京都人という共通点がある」

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている。経済学者シュンペーターが頭取をつとめていたウィーンのビーダーマン銀行は、1924年の株価暴落による不良債権膨張で経営危機に陥り、解任され巨額の借金を負っている。上原専禄が留学で滞在していたの1923年から二年間のウィーンは、そういう状況であったシュンペータはのち東京商大を訪問しているが、その際の記念写真には上原専禄も映っている。 
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/amjas/pamph.pdf

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

(2016年10月29日 情報追加)


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2012年12月30日日曜日

書評『「東洋的専制主義」論の今日性 ー 還ってきたウィットフォーゲル』(湯浅赳男、新評論、2007)ー 奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ



ウィットフォーゲルと梅棹忠夫。生涯まったくかかわりのなかったドイツの社会科学者と日本の民族学者は、まったく別個のアプローチから出発したのであるが、奇しくも同じ1957年にほぼ同じ結論に達したのである。これは本書の第5章「ウィットフォーゲル理論の残したもの」に記されている、じつに興味深い事実である。

ウィットフォーゲルは「東洋的専制論」で展開した「水利社会論」によって、梅棹忠夫は「生態史観」によって。いまだマルクス主義のイデオロギーが学問世界で幅を利かせていた戦後のアカデミズムの世界において、両者はともに徹底的にたたかれた

梅棹の「生態史観」については知っている人も多いだろう。一方、ウィットフォーゲルといってもピンとこない人も大いに違いない。なぜなら、ソ連崩壊後のいまも、いまだに名誉回復がいまだになされていないまま黙殺されつづけたのがウィットフォーゲルだからだ。

『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)は、ウィットフォーゲルの復権のために力を注いできた著者による渾身の一冊である。

ユダヤ系ドイツ人で元共産党員であったウィットフォーゲルは、その主著である『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)で、水利社会論から中国社会の本質を解明している。残念ながらこのわたしは大著を読んではいないのだが、翻訳者でもある著者の解説によって、そのおおまかなことを知ることができる。

ウィットフォーゲルの理論の原点には、文明を風土との関係でみる視点がある。着目したのは「水の管理」という観点である。これによって、遊牧、牧畜、天水農法、灌漑農法が区分され、灌漑農法のもとにおいては官僚制による管理が成立する。その典型が中国であり、これはユーラシア内陸部にあるロシアもまた「東洋的専制主義」そのものであることが指摘される。

つまり、生態系(エコシステム)でものを考える視点から出発しているといってもよい。この点もまた梅棹忠夫と同じである。

とかく人間は近視眼的にものを見がちだが、スパンを長くとれば、人間よりも生態系、地理学、地質学でのアプローチが重要となる。そういえば、マルク・ブロックと並んで、アナール派歴史学を主導したリュシアン・フェーヴルは地理学者であり歴史学者でもあった。第2世代にあたるフェルナン・ブローデルもまた歴史学者ではあるが地理学の成果を全面的に取り入れている。

自然科学の知見に基づかない風土論がいかに虚妄にみちたものであるかは、『梅棹忠夫 語る』に収録された、「(『風土』を書いた)和辻哲郎はスカタン」という梅棹忠夫の放言に端的に表現されている。

ウィットフォーゲルが理論化した「亜周辺」という概念はきわめて有効である。この概念を駆使した湯浅赳男氏の仕事については、書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?を参照されたい。

いちおう説明しておくと、「亜周辺」というのは、ウィットフォーゲルの理論をもとにした分析フレームワークである。「中心(core)➡ 周辺(margin)➡ 亜周辺(sub-margin) という三層」で文明を論じたもので、日本は「亜周辺」に位置づけられる。著者自身の表現を引用しておこう。

<亜周辺>とは文明史において、その文明を成立させた地域の外側で、その文明の強制を受けることなく、その文明の諸要素を自由に受け入れた地域、具体的にはユーラシア大陸の西端の西ヨーロッパと東端の日本を指すものである(ウィットフォーゲル)。そこでは、中心の文明に教条的に制約されることなく、先行する社会を下敷きにして、独自な文化を展開させることができた。この前近代の歴史において観察される文明のメカニズムから近代文明の未来を考える上でのヒントとして利用できるものがある。(出典:「亜周辺と知識人-『「東洋的専制主義」論の今日性』を書き終えて-」(2008年4月1日 「本と社会」 新評論社のニューズレターより 太字ゴチックは引用者=さとう)

中国社会の研究者であるウィットフォーゲルは、「日本は東洋的世界ではない」としているのである。

さらに湯浅氏は、「封建制」と「武人社会」がもたらした多元的社会は、専制国家である中国・コリアとは根本的にことなることを強調している。封建制が「亜周辺」である西ヨーロッパと日本においてのみ出現したことの意味を考えるヒントがこのフレームワークにあるのだ。海洋国家日本とユーラシア大陸の根本的な違いと言い換えてもいいだろう。

「封建制」をめぐる議論においても、ウィットフォーゲルの「東洋的専制論」と梅棹忠夫の「生態史観」は、ほぼ同じ結論を導き出しているのである。この点については、書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!も参照いただきたい。梅棹忠夫は、「日本文明」は「中国文明」とは異なると主張している。

梅棹忠夫のフィールドワークはモンゴル(=内蒙古)から始まったものだが、中国大陸のほぼ全域はみずから観察している。ウィットフォーゲルも梅棹忠夫も中国研究というコア(核)を発想の根本に据え、遊牧民の世界史的役割を熟知していたことも共通しているのだ。

以上、梅棹忠夫の「生態史観」とのかかわりを中心にウィットフォーゲルについて書いてみたが、ウィットフォーゲル復権のために書かれた本書は、著書の学問への情熱と真理探究への思いの結晶ともいえる内容である。そしてこれは、異なるサイドから梅棹忠夫の「生態史観」を補強することにもつながる行為である。

正直いって、マルクス主義陣営のこまごまとしたエピソードなど、わたしだけでなく多くの読者にとってどうでもいいような話題だろうが、ソ連という「東洋的専制国家」崩壊以前、いや崩壊後もいまだに残滓を引きづっている日本の社会科学が戦後どのような状況にあったのか、その「時代の空気」を感じ取ることもできる内容にもなっている。

またウィットフォーゲルの亡命先であったアメリカの政治状況や知的風土もいまから振り返ると異常な状態であった。とくにモンゴル研究者で中国研究の権威であった米国人オーウェン・ラティモアがいかなる人物であったかを徹底的に明らかにしたことに本書の意義があるといえる。マッカーシー旋風という赤狩りのなか、命運をわけた中国専門家の二人であるが、『アジアの解決』(1945)で示したラティモアの反日姿勢は記憶しておくべきだ。

文明の相互関係を「中心-周辺-亜周辺の三重構造」にまで突きつめたウィットフォーゲルの「東洋的専制論」は、日本に生きる日本人にとって、東アジアの「中国大陸-朝鮮半島-日本列島」間の関係を考えるうえで大きな示唆を与えてくれるものである。

社会主義でありながら市場をフル活用した「国家資本主義」を推進する中国は、まさにウィットフォーゲルのいう「中心」世界であり「東洋的専制国家」以外のなにものでもない北朝鮮も韓国もまた「周辺」世界であり、「亜周辺」の日本とは異なる世界である。

「東アジア共同体」などという安直な発想にくみしないためのには知的鍛錬が不可欠である。そのためにもぜひ押さえておきたいのがウィットフォーゲルの理論と湯浅氏の解説だ。




『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)

目 次

まえおき
本書の要点
第1章 今なぜウィットフォーゲルなのか?
 1. ウィットフォーゲルに対する歪曲・中傷
 2. ウィットフォーゲル再評価の契機
第2章 ウィットフォーゲル理論の到達点
 1. 風土と文明・・「水力社会」論、「征服王朝」論、ロシアの東洋的専制主義
 2. 文明の類型
 3. 単一中心性と多数中心性
第3章 ウィットフォーゲルの学問の展開(1)-『中国の経済と社会』まで
 1. 青年時代
 2. ドイツ共産党員として
 3. 歴史像とマックス・ウェーバー
 4. ドイツ共産党の転換と中国革命
 5. 「アジア的生産様式」)
第4章 ウィットフォーゲルの学問の展開(2)-『オリエンタル・デスポティズム』まで
 1. 共産党の拘束衣のなかで
 2. ファシズムとの闘い
 3. アメリカに定住
 4. 共産党との決別と研究の進展
 5. ロシアとスターリニズム
 6. ロシアへのアプローチ
 7. 激浪のなかでの理論的確立
第5章 ウィットフォーゲル理論の残したもの
 1. 梅棹とラティモア
   ウィットフォーゲルと梅棹の世界史上における先駆的発見
   ウィットフォーゲルとラティモアの生き方の違い
 2. イデオロギーの役割

あとがき
概念・事項索引
固有名詞索引


著者プロフィール  

湯浅赳男(ゆあさ・たけお)
1930年、山口県生まれ。文学青年。サラリーマン時代、1956年のハンガリー事件で感動し、歴史学を志す。フランス革命研究で学問的登攀訓練を行ったのち、ロシア革命の真相解明をめざし、その勝利が国内戦によるものであることを明らかにした『革命の軍隊』(1968、三一書房)を処女出版。新潟大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である! 

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・京都大学教授であった国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)氏は1964年に発表した論文で日本のことを「東洋の離れ座敷」と表現している。「島国として大陸から距離があることを、著者は「東洋の離れ座敷」と表現しているが、この地理的条件のおかげで、中国文明、西洋文明、アメリカ文明の圧倒的影響を受けながらも、日本人による取捨選択を容易にしただけでなく、直接国土を蹂躙(じゅうりん)されることもなく今日までやってこれたのである。」

書評 『銃・病原菌・鉄-1万3000年にわたる人類史の謎-(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000)-タイトルのうまさに思わず脱帽するロングセラーの文明論
・・環境という切り口から人類史と文明史を考察した大きな構想の本

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか

書評 『紳士の国のインテリジェンス』(川成洋、集英社新書、2007)-英国の情報機関の創設から戦後までを人物中心に描いた好読み物
・・「第Ⅱ部 祖国を裏切ったスパイ」に共産主義シンパとなった英国人エリートについての記述あり

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える ・・「地政学」の認識枠組みと、梅棹忠夫の生態史観、ウィットフォーゲルの東洋的専制主義論を重ね合わせて考えてみると面白いだろう

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

(2014年4月9日、2015年6月4日 情報追加)



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書評『梅棹忠夫 ー 未知への限りない情熱』(藍野裕之、山と渓谷社、2011) ー 登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝



2010年に90歳で亡くなった「知の巨人」梅棹忠夫にかんする本格的な評伝である。500ページにもおよぶ大冊であるが、飽きることなく最後まで読みとおすことができる内容だ。

著者は山とアウトドア関係の雑誌記者として梅棹忠夫に接しロングインタビューを何度も行ってきた人だ。みずからを登山家、探検家としていた梅棹忠夫自身も、山と渓谷社から出版される本書の完成を心待ちにしうていたそうだ。だが、残念ながら生前には間に合わなかったのだという。

副題のさらに副題に Desiderium Incognita なるコトバが書かれている。デジデリウム・インコグニタと読むこのラテン語は、本文でも説明があるが「未知への欲望」とでもいうべき内容だろうか。自らの内から湧き上がってくる抑えようのない情動のことであろう。

国立民族学博物館という研究組織の運営上はきわめて合理的に振る舞った梅棹忠夫も、個人レベルにおいては「知りたい」という子どものよう情熱は最後まで失われることはなかったようだ。きわめてつよい内発的動機といってもいいかもしれない。

低山ながらも山に囲まれた京都に生まれ、登山をつうじて昆虫少年から生物学に目覚め、大学では動物生態学を専攻することになった梅棹忠夫は、ラテン語の学名を理解するために、かなり早い時期からラテン語を習得していたらしい。そもそもが文理融合の人だったわけだ。

すでにさまざまな関係者が梅棹忠夫については書いているが、登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝は、戦前から戦後を連続して生き抜いた主人公をめぐる大河ドラマのような印象がある。著者の藍野氏は、梅棹忠夫の聞き書きの「声」をそのまま活かしながら、ブレもなく、よくこれだけのボリュームをまとめあげたものだと思う。

そしてまた、あらためて振り返りたいのは、梅棹忠夫をめぐる「知の巨人」たちの群像である。先駆者としての今西錦司、西堀榮三郎といった同じ京都一中の登山家の先輩たちや、「知的生産の方法論」の分野においては戦後のビジネスパーソンに多大な影響を与えたKJ法の川喜田二郎の名も忘れてはなるまい。

とくに忘れてはならないのは、パトロンとしての渋沢敬三の存在である。敗戦後に日銀総裁を務めた渋沢敬三は渋沢栄一の孫であり経済人であったが、私財を投じて民族学と民俗学の発展に尽くしただけでなく本人もまたすぐれた学者であった。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションがみんぱくのコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ。

弟子筋にあたる人たちはその多くが学者やジャーナリストだが、梅棹忠夫の真骨頂は「知的生産」を一般大衆に開放したことにあることから考えると、本書のように直接の弟子ではない、しかも学者ではない人が書いた評伝もまた意味あるものといっていいだろう。

梅棹忠夫のファンであれば、個々の事実関係についてはすでに知っていることはあっても、大河ドラマとして大いに楽しみながら読むことのできる評伝である。





目 次

序章 梅棹資料室
第1章 京都-山城三十山
第2章 三高山岳部-雪よ岩よ
第3章 京都探検地理学会-最後の地図の空白部
第4章 西北研究所-モンゴル遊牧民
第5章 ヒマラヤ-マナスル登頂計画
第6章 AACK-文明の生態史観
第7章 東南アジア-カカボ・ラジ登頂計画
第8章 京大人文研究所-アフリカとヨーロッパ
第9章 日本万国博覧会-人類の進歩と調和
第10章 国立民族学博物館-比較文明学
終章 再び梅棹資料室
あとがき

著者プロフィール 

藍野裕之(あいの・ひろゆき) 1962年東京都生まれ。法政大学文学部卒業。広告制作会社、現代美術のギャラリー勤務の後、フリーの雑誌記者に。『サライ』『BE‐PAL』『山と溪谷』などの雑誌で取材と執筆に携わる。自然や民族文化などへの関心が強く、日本各地をはじめ南太平洋の島々など、旺盛に取材を重ねている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『梅棹忠夫-「知の探検家」の思想と生涯-』(山本紀夫、中公新書、2012)-「最後の弟子」による読みやすい梅棹忠夫入門

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

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書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


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書評『梅棹忠夫 ー「知の探検家」の思想と生涯』(山本紀夫、中公新書、2012)ー「最後の弟子」による読みやすい梅棹忠夫入門



2010年に「知の巨人」であった梅棹忠夫が90歳で亡くなってからすでに2年、この間に古巣である大阪・千里の国立民族学博物館では「ウメサオ・タダオ展」が開催され、関連する書籍も多数出版された。

また、この展覧会は東京では科学未来館で開催された。後者の会場も、つねに知のフロンティアを探検しつづけた梅棹忠夫にはふさわしい会場であった。

書評 『梅棹忠夫-「知の探検家」の思想と生涯-』(山本紀夫、中公新書、2012)は、梅棹忠夫から「最後の弟子」といわれた、アンデスをフィールドとする民族学者による梅棹忠夫入門である。

「二番せんじは、くそくらえ、だ!」と言い放ち、登山家として、探検家として、民族学者として、つねにみずからが開拓者(パイオニア)であり続けただけでなく、アジテーターとして後進の若者たちを焚きつけつづけた「知の巨人」。

本書は、梅棹自身による文章と、関係者の証言をうまくつかいながら、しかも身近で接触していた期間のみずからの経験もまじえた文章は読みやすい。

著者自身、京大では農学部に籍を置きながらも、梅棹の「私塾」に通ううちにアジテーションに乗せられて民族学の道を歩んだという。アジテートされた側の人なのである。学生時代に山登りに熱中し、理系から民族学に転じた学者という点は梅棹忠夫と共通しており、その意味で適任かもしれない。

とくに面白いのは、著者が国立民族学博物館に就職して以降の経験談だ。「耳どおし」による編集と校正作業など、目が見えなくなって以降の著作集編集のプロセスにかんする述懐はひじょうに興味深い証言である。

梅棹忠夫というとロングセラー『知的生産の技術』(岩波新書、1967)しか知らないという人にとっては、ぜひ『梅棹忠夫 語る』(聞き手 小山修一、日経プレミアムシリーズ、2011)とあわせて読んでほしい入門書である。

学問だけでなく、強靭な精神力によって大きな影響を与え続けて続けた梅棹忠夫は、まだまだ過去の人になったとはいいにくい。これからも影響を与え続けることであろう。




目 次

はじめに
第1章 昆虫少年から探検家へ
第2章 モンゴルの草原にて
第3章 ふたたびフィールドへ
第4章 東南アジアからアフリカへ
第5章 アジテーター
第6章 研究経営者
終章 未知の領域に挑んで
あとがき

著者プロフィール

山本紀夫(やまもと・のりお)
1943年、大阪府生まれ。京都大学農学部農林生物学科卒業、同大学大学院博士課程修了。1976年、国立民族学博物館助手、助教授、教授を経て、国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。農学博士。専攻・民族学、民族植物学、環境人類学、第19回大同生命地域研究奨励賞、第13回松下幸之助花の万博記念奨励賞、第8回秩父宮記念山岳賞受賞。著書は『ジャガイモとインカ帝国』(東京大学出版局、2004)他多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


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2012年12月29日土曜日

書評『終わりなき危機 ー 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)ー 西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない


もはや資本主義にフロンティアはない! いま日本でミャンマーが最後のフロンティアとして喧伝(けんでん)されてるのはそのためだ。

もはやアメリカも自国内にフロンティアは存在しない! アメリカは自国の低所得者層を収奪したあげく金融破綻を引き起こしている。2008年のリーマンショックとは、低所得者向けの不動産ローン債券にむかったマネー暴走がもたらしたものであった。

そう、つまり近代資本主義がすでに行き詰まっているのだ。

これが利子率が低下したままになっている真の原因だ。著者はこの資本主義にとってのフロンティア状態をさして「世界史の終わり」が近付いているという。政治思想家のカール・シュミットに従った表現である。

この状態をさして経済史では「利子率革命」というが、日本でこの1998年続いているこの低金利という事態は、じつにヴェネツィアとライバル関係にあったイタリアの都市国家ジェノヴァ共和国以来の出来事なのだ。

ジェノヴァ共和国では、11年間(1611-1621)にわたった「利子率革命」が進行していた。そして同時期には西欧では「価格革命」が進行していた。つまるところ、その当時、もはやこれといった投資先がなくなっていたため、低金利状態が長く続いていたのである。つまり400年前もデフレ状態だったのである。

同様の状態にある日本も低金利状態はすでに14年以上続いており、著者の水野和夫氏は「21世紀の利子率革命」と名づけるべきだという。さらには金融危機後のアメリカも欧州も低金利政策を採用し、この政策が短期間に終わる見込みはまったくたっていない。この意味からいっても、いま世界経済は大転換期にあることは間違いない。

著者はこの状態をさいて近代初期の「長い16世紀」と、近代終焉後の「長い21世紀」として対比させて、「危機の予兆」「反転攻勢」「旧体制の危機」というダイナミズムを論じているが、問題は500年前とはちがって、21世紀の資本主義にはもはやフロンティアは存在しないことにある。存在しているとしても、開発されつくすのもそう遠い先ではない。

著者は、まえがきでこう書いている。

書名を『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』としたのは、ブルクハルトのいう「歴史における危機」は未だ中間点を過ぎたあたりで、これからも続く可能性が高いからである。危機が終わるのは数十年先であろう。(* 太字ゴチックは引用者=わたし)

本書は、現在の未曾有の世界的危機がなにを意味しているのか、16世紀以降の「500年単位の歴史」を近代欧米資本主義の歴史として徹底的に分析し、資本主義が主導したグローバリゼーションの興亡を詳細にみていくことによって、日本の立ち位置がどこにあるのかを考える500ページを超える大著である。

では、グローバリゼーションについて、近代西洋資本主義の流れにそって歴史的に振り返っておこう。


グローバリゼーションは与件ではない。資本主義が必要としたのだ

16世紀からはじまったポルトガルとスペインが主導した「大航海時代」は、実はイタリアのジェノヴァ商人とユダヤ商人が背景では主導権を握っていた大規模な投機経済である。これが大航海時代という「第一次グローバリゼーション」の波であり、その波は日本にまで押し寄せた。ちょうど戦国時代末期の頃である。

大航海時代の覇者ポルトガルが衰退し、覇権を握ったのはスペインであるが、その後オランダ、そして英国が勝利を収め、海洋帝国としてのグローバル・ネットワーク(=大英帝国)を築き上げていく。そのプロセスのなかで「産業革命」という「第二次グローバリゼーション」が始まる。

ここにあげたポルトガル、スペイン、オランダ、英国はみな植民地収奪によって富を蓄積したのである。一度も覇権国となったことはないものの、フランスもまたそのなかに含めるべきであろう。

米国の文明史家エマニュエル・ウォーラスティンのいう「近代世界システム」はこのプロセスのなかでを形成されていった。中心国が周辺国を従属化し、収奪することによって資本主義が進展するというプロセスである。中心国の資本主義にとっては周辺国が広大なフロンティアとして広がっていたわけだ。

その最後尾として、明治維新以降の近代日本がその流れに参加することになる。日本は第一次グローバリゼーションに巻き込まれたものの、その後はみずから離脱して西洋とは異なる歴史を歩んで三世紀に及ぶ空前絶後の平和時代を享受する。しかし、第二次グローバリゼーションの波には抗しきれず、積極的に巻き込まれることによってプレイヤーとして、植民地化されずに生き残る道を選択した。

世界の覇権国となった海洋帝国である大英帝国を受け継いだのが米国であるが、「海の時代」の覇者であった米国のパワーが衰退に転じたのは 1974年である。この年に粗鋼生産はピークを打っていることが著者によって示されている。前年の1973年に米国はベトナムに敗れ、膨張主義はストップをかけられた。いわゆるニクソン・ショックによって金とドルの交換が停止されたことは、覇権国としてのアメリカの衰退化を象徴した出来事であった。

そして、「第三次グローバリゼーション」は、ベルリンの壁が崩壊した1989年からはじまった。1992年にはソ連が崩壊し、旧東欧諸国が資本主義のとってのフロンティアとして登場したことも大きい。その前から暴走がはじまったマネー資本主義が2008年にはクラッシュしたものの、いまだにストップがかかることなく続いている。

つまり、グローバリゼーションは自然発生したものではない近代西洋資本主義が生き残るためのフロンティアを求めての運動であったということなのだ。


「海の時代」からふたたび「陸の時代」へ転換?

資本主義は、空間差と時間差を利用してその差異を縮小していく運動であるというのは名著 『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房、1985 現在はちくま文庫)における岩井克人教授の説明だが、空間差を利用した資本主義は、もはや地理的な意味でのフロンティアがほぼ消滅したことで終わりに近付いているのである。

時間差にかんしても、インターネットの普及でリアルタイムでのビジネスが可能となった結果、いちじるしく差異が縮小してしまっている。パワーの中心は中国やインドなどいわゆる古い「新興国」に移転する流れは止めようがない。これが現在の状態である。

資本主義にとっての最後のフロンティアは内陸部にしかない。残されたフロンティアはアフリカ大陸とユーラシア大陸奥地。さすがに宇宙への拡大は、まだまだ技術レベルがそこまで達していないので、かなり将来的なものとなるだろう。あるいは想定には入れるべきではないかもしれない。

いま進行しているのが「海の時代」からふたたび「陸の時代」へ転換しているというのが著者の見立てである。陸海空を制した米国も、「9-11」以降はもはや空の安全だけでなく海の安全も完全に確保できないことが、2001年9月11日に明らかになってしまった。

「海の時代」のプレイヤーである日本もまたピークアウトしているだけでなく、安全保障を米国に依存してきただけに苦しい局面に立たされているのである。

ものづくり日本は製品の高度化で、金融立国にシフトした米国はレバレッジをつかうという「高さ」をつかった立体(=三次元)勝負を行ったが、日本のものづくりも米国の金融もともに敗退を喫したのである。


日本と日本人は「長い21世紀」をどう生きていくか

ビジネスパーソンにとってもっとも関心が高いのは、この苦境からいつどのようにして脱出できるのか、今後の世界経済はどういう方向に向かっていくのか、そのなかで日本と日本人はどう生きていけばいいのかということだろう。

著者は、この500年の歴史については、手を変え品を変え何度も何度も語っているのだが、ではこれからどうなるのかについてはほとんど語っていない。ビジョナリーではないエコノミストの著者にそれを期待するのは無理があるかもしれない。その点については、 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)を参照するべきだろう。

少なくとも本書から読み取れるのは、ユーラシア内陸国家のフロンティアも、21世紀で開拓されつくされる可能性が高いということだ。そう考えると、ほんとうに「陸の時代」といえるのか疑問を感じざるを得ない。そうだとしても長期的な話ではないというべきではないか。

地政学的なポジションからいって日本がユーラシア大陸に深入りすることがいかに危険な企てであるかは、第二次大戦での敗退によって痛いほど味わっているはずだ。日本という国家そのものが衰退する潮流にあるとはいえ「海洋国家」である以上、取り得る選択肢はおのずから限定されることを認識しなくてはなるまい。

同じ内容が何度も何度もでてくるのは、正直いって冗長であるという感は免れない。注をほぼすべてカットして本文を2/3程度に圧縮したら、もっと読みやすい本になったであろう。学術書ではないがぜひ索引をつけてほしかった。

そのような欠点はあるものの、エコノミストとして証券会社という資本主義の最前線にいた著者が書いた本書はじつに読み応えのある本である。膨大なページ数にめげず、時間をつくってぜひガップリと四つに取り組んでほしいと思う。



 

目 次

まえがき
第1章 陸と海のたたかい-地理的・物的空間と電子・金融空間
 1. 9・11、9・15、そして3・11の意味するもの-近代の終焉
 2. 何のための、誰のための景気回復か
 3. 21世紀は海の国に対する陸の国のたたかいの世紀
第2章 成長神話と米国幻想-「成長」自身が「収縮」をもたらす
 1. 1974年になにが起きたのか
 2. 「過剰」な近代
 3. 日本が手本にしたのは、日本に10年遅れの米国
 4. 米「資本の帝国」 VS. EU「理念の帝国」
第3章 ヨーロッパ史と世界史の融合は可能か-「長い16世紀」を超える21世紀の衝撃
 1. 21世紀のグローバリゼーションは過去とどこが違うのか
 2. 賃金下落をもたらす「利潤革命」
 3. 今、世界は「長い21世紀」のどのあたりにいるのか
 4. 普遍化のヨーロッパ史 VS. 多様性の世界史
第4章 「技術進歩教」神話の崩壊とヨーロッパ史の終わり-「膨張」のヨーロッパ史と「定常」の日本史
 1. 新興国インフレと先進国デフレ
 2. 欧米近代資本主義の「全地球化」の矛盾と限界
 3. 「永久革命」の終わりと止まらない蒐集
 4. 3・11原発事故の衝撃-「近代の自己敗北」と「歴史における危機」
あとがき
注記
参考文献

著者プロフィール

水野和夫(みずの・かずお)
埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。1953年生まれ。1977年早稲田大学政治経済学部卒業。1980年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(国際証券、三菱証券、三菱UFJ証券を経て、現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。1998年金融市場調査部長、2000年執行役員、2002年理事・チーフエコノミスト、2005年参与・チーフエコノミスト。2010年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券退社。著書に、『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003)、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、2007)、『金融大崩壊』(日本放送出版協会、2008)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む 
・・水野和夫氏の著書について触れている

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・水野和夫氏の著書について触れている

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

(2016年1月16日 情報追加)


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