2014年9月2日火曜日

書評『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹/梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論



『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹/梅棹忠夫)は、もともと中公新書から1967年に出版された対談である。いまからすでに47年前、ほぼ半世紀前ということになる。

「人間にとって科学とはなにか」という「問い」は、当時はありそうでなかったものだったらしい。そういう感想を文系の学者からもらったと梅棹忠夫は「あとがき」で書いている。こういう問いの立て方は、いまでも新鮮さは失っていないのではないのかもしれない。

「人間にとって科学とはなにか」という問いは、二段構えになっている。まずは「科学とはなにか」という問いである。これは、いわゆる「科学論」だ。

そして「科学とはなにか」という問いは、「人間にとって」という限定がつけられる。その結果、「人間にとって科学とはなにか」という問いは、「科学」とはそもそも「科学者」という人間によって行われてきた営みであるが、人間である科学者たちにとって、それから科学者ではない一般人にとって、意味合いが異なるのではないかということが示唆されている。

1907年生まれの湯川秀樹は日本人としてはじめてノーベル物理学賞を受賞した人であり、しかも人文系の教養を持ち合わせている人である。1920年生まれの梅棹忠夫は動物学出身で生態学者であったが最終的に人文科学の分野にいった人である。ともに文系的な素養をもった理系的発想の人たちである。しかも、ともに京都人で京大理学部卒である。

本書は、この二人の知的巨人による「人間にとって科学とはなにか」という「問い」をめぐる骨太の対談である。


科学者という存在と科学者以外の一般人

この二人の対談で重要なことは、科学者の視点で「科学とはなにか」を論じていることだ。

科学者は、ある種の知的衝動ともいうべきものによって突き動かされ開かれた世界で、つねに未知のものを探求するがゆえに、安心立命の境地とはほど遠い存在である。いわばあらたな科学的発見によって否定されるという、「自己解体」の可能性につねにさらされているのが科学者である。

不安定な状態がつづくことに耐えることのできる強靱な精神力、研究テーマに対する執着心とそれ以外のことには関心がないという変人性。人格円満とはほど遠い。

科学者の探求は、「未来」という未知の世界、「過去」という未知の世界に向かう。未来も過去も、ともに未知の世界であるのは、人間は一般に、「いま、ここ」という「現在」に生きている存在であり、未来も過去も、ともに「認識」の対象でしかないからだ。

これに対して、科学者ではない一般人は、未知よりも既知の世界、不安定よりも安定を志向する傾向が強い。対比的にいえば、科学よりも宗教の立場になびきやすいということだろうか。

この対談のなかでは、「科学」と「宗教」の共通性と違いがなんども指摘されているが、宗教を狭い意味の宗教ではなく、「~すべき」という当為(Sollen)の体系ととらえれば、一般人の日常な生活はほぼこの枠組みにしたがってなされているといっていいかもしれない。


(科学的認識は「未来」と「過去」に向かう 中公新書版より)

つまり、科学者と科学者以外の一般人は、それぞれが自分なりに「納得」したいというマインドセットを共有しているにもかかわらず、精神構造が大きく異なるということだ。そもそも科学と科学者という存在が確立したのが19世紀であるから、科学者はある時期までかなり特殊な人間類型であったのである。

ところが、この対談でも話題としてでてくるが、科学者が特殊な存在ではなくなり、「職業人」として一般化したことの意味について考える必要もある。研究所という組織に属する「組織人」としてのロジックに従わざるをえない状況についてである。2014年前半の理研をめぐる騒動における責任者の自死もまた、その一つの悲劇的結論といってよいだろう。科学者と組織人という、相異なるロジックの狭間で苦悩したのであろう。

科学の大衆化によって科学的知識が一般化するにともなう変化についても語られている。たしかに、科学的認識と科学的世界観の普及がなければ、未来と過去という時間意識は一般人にはあまり縁のないものであったかもしれない。ビジネスパーソンを含めた大多数の一般人にとっては、科学的探求精神による不確実な未来よりも、確実に予測できる未来がほしいのである。これは「科学」というよりも「宗教」に近いマインドセットである。

この対談が行われて出版された1967年当時は、「人類の未来」をうたう大阪万博を前にした「明るい未来」信仰と同時に、「高度成長期」のひずみによる公害問題など科学批判が発生していた。楽観主義と悲観主義が同時に存在していたのであった。

そのため、この対談は全体的にペシミスティックな基層低音を感じるのだが、2014年現在では、また異なる意味で科学批判が発生している。原発事故だけでなく、遺伝子工学やロボットなど、科学的知識をバックにした技術開発が、人間存在そのものに「ゆらぎ」を生じさせ、制御不能になっているのではないかという不安を一般人に与えているからである。

それが「科学信仰」のゆらぎということであれば、批判そのものは健全でもある。とはいいながら、狭義の科学者以外の一般人にとっては、宗教も科学もともに、もはや安心立命を与えてくれる存在ではなくなっていることを示しているのであり、不安感と不透明感は1967年当時よりも、さらに増しているといっていいのかもしれない。


「科学的探求」と「科学の未来」

対談では、「科学とはなにか」そのものについてのやりとりもきわめて面白い。

法則性についての因果論と目的論の違い、物質・エネルギー・情報で自然科学を統一できるという方向性、全体像が一瞬にして明らかになる直観的などである。これらは、科学者でなければ論じにくいテーマである。

最終章の「科学の未来」のなかで、超人間的存在としての神の実在の可能性について論じ合っている箇所がひじょうに興味深いので引用しておこう。この対談の雰囲気が理解できるだろう。

梅棹 科学は、どこまでいっても一種の宇宙論ですからね。科学が完結するとしたら宇宙論の段階で完結するしかない。もし、いやらしい結論は出したくないというのなら、そこまで繰り返して問うことはやめるほかはない。しかし、問題は厳然としてあるわけです。そこまで問うたら、いやらしい結論がたくさん出てきます。
湯川 人間が自分を特別貴重なものやというてるだけの話です。逆にいうと、人間より高等なものがあり得るわけでしょう。しかし、それを想像するだけでも、とってもいやなことになる。しかし、そういうことを考えるのが科学です。
梅棹 ここは大事なことですね。私は、神というものの存在が科学によって初めて実体的なものとして考えられるようになったと思う。・・(中略)・・人間自身を相対化し、地球を相対化し、太陽系を相対化する。そういう徹底的な相対化による人間自身の客観化、そしてその結果、なにか人間を超える生物のようなものだって、宇宙のどこかには当然あり得るのではないかという認識が生まれてくる。もしそういう超人間的生物が存在するとすれば、それはまさに「神」ではないか。

これが科学者の発想であり、科学的探求の行き着くところである。そしてその「問い」をやめることができないのもまた科学者という存在である。これは、この対談が行われた1967年当時も、2014年現在も変わらない科学者のマインドセットであろう。

科学的探求という知的衝動は、いわば「業」(ごう)のようなものだろう。それをいかに芽を摘むことなく「制御」することができるかは、科学者を含めた人間社会全体の問題である。

「科学者」が探求してきた「科学」という人間のいとなみが、「人間にとって」いかなる意味をもってきたか、そしてこれから持つのであろうかという問い。この「問い」をめぐるこの対談は、とくに結論めいたものはないが、「問い」そのものに意味がある対談なのである。

二人の知的巨人による知的密度の濃いこの対談は、ぜひ一度は読んでほしい。





目 次

はじめに (湯川秀樹)
Ⅰ 現代科学の性格と状況
 人間からの離脱
 情報物理学の可能性
 自然観の再構成
Ⅱ 科学における認識と方法
 非法則的認識
 納得の構造
 科学の人類学的基礎
 イメージによる思考
Ⅲ 科学と価値体系
 価値の発生
 目的論的追求
 むだと未完結性
Ⅳ 科学とヒューマニズム
 自己拡散の原理
 執念と不安
 非科学ということ
 人間中心主義の根拠
Ⅴ 科学の未来
 当為と認識
 科学の社会化
 究極になるもの
 永夜清宵何所為
あとがき (梅棹忠夫)

増補
 現代を生きること-古都に住みついて
 科学の世界と非科学の世界
 科学と文化
解説 佐倉統


著者プロフィール 

湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)
1907~1981。京都帝国大学卒業後、大阪大学助教授を経て京都大学教授。1949年、中間子理論でノーベル物理学賞受賞。京都大学名誉教授。核兵器廃絶運動にも熱心の参加した。理論物理学専攻 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

梅棹忠夫(うめさお・ただお)
1920~2010。京都帝国大学卒業。大阪市立大学助教授、京都大学教授を経て国立民族学博物館館長。生態学を基礎にしながら多方面に活動した。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。京都大学名誉教授。比較文明学専攻 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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