2019年10月5日土曜日

映画『ホテル・ムンバイ』(2018年、豪州・米国・インド合作)を見てきた(2019年10月5日)-ムンバイの超高級ホテルを舞台に、3日間にわたって続いた悪夢のようなテロ事件を描いたヒューマンドラマ


映画『ホテル・ムンバイ』(20188年、豪州・米国・インド合作)を見てきた(2019年10月5日)。3日間にわたって続いた、10年前の悪夢のようなテロ事件を、超高級ホテルを舞台にヒューマンドラマとして描いた作品だ。

テロリストに占拠された高級ホテル。乱射されるマシンガンの激しい金属音、いつ殺されるかわからない追いつめられ感、心臓が弱い人にはムリだろう。

インド西部の大都市で商都ムンバイ(かつてはボンベイと呼ばれていた)で、大規模な無差別同時多発テロが起きたのは2009年11月26日のことだ。この事態にムンバイ警察は、ほとんどなすすべもなく、首都デリーから特殊部隊が投入され鎮圧されるまでの3日間、インド有数の大都市は生き地獄のような状態に置かれていた。




テロリストのターゲットになったのはムンバイ中央駅と高級ホテルやカフェ。交通機関をマヒさせ、外国人宿泊客の多いホテルを占拠することで、最大限の効果をあげることを目的としていた。映像重視のメディア時代であるのみならず、SNSで簡単に画像や動画が送信できる時代であり、地獄絵が世界的に同時配信されることを意図していたのだ。

若いテロリストたちも、インカムを常時装着して指示をあおぎ、報告をおこなっている。声だけ聞こえて、目に見えないテロ指導者の存在。テロの性質をよく物語っているといえよう。


(アラビア海に面した大都市ムンバイ テロリストのターゲットとなったポイント wikipediaより)

ターゲットとなったホテルは、タージマハル・ホテルとオベロイ・トライデント・ホテル。この映画の舞台となったのは前者のタージマハル・ホテルである。

タージマハホテルは、1903年に開業したムンバイを代表する格式ある超高級ホテル。世界の政治家・王侯貴族・セレブが多く宿泊することで有名だ。


■テロリストは海の向こうからやってきた

テロリストの素性は、現在でもよくわかっていないようだ。パキスタン系のイスラーム過激派であることは確かなようだが、特定はされていない。テロ事件の直後から、インド成政府はパキスタンに対して強硬な姿勢を示したが、テロ事件がいつ再発してもおかしくない状況だ。

映画の冒頭のシーンが印象的だ。テロリストは海の向こうからボートでやってきたのだ。というのは、ムンバイはアラビア海に面した海港都市であるからだ。映画の内容もさることながら、大都市が海からのテロ攻撃に脆弱なことを示しているこのシーンは印象に残る。テロリストたちは、上陸後にタクシーに乗車して、ターゲットに向けて分散していく。


(海からみたタージマハル・ホテル 英語版ポスター wikipediaより)

鎮圧には3日間もかかったことも驚きである。ムンバイには特殊部隊がいなかったためだ。首都デリーから投入されるまで待つしかない状態だったのだが、デリーからムンバイまでの距離は約1,400km、準備にかかる時間をカウントしても、ホテルに閉じ込められている宿泊客たちから見たら、絶望的に長い時間であっただろうことは容易に想像できる。

乱射される自動小銃AK47の激しい金属音、いつ殺されるかわからないという、絶望的な追いつめられ感。エンターテインメントではあるが、迫真の映像と音響のリアリティは高い。


■危機対応のリーダーシップとマネジメント

この映画で印象的なのは、テロリストの攻撃を受け占拠されたホテル内で、危機対応のリーダーシップをフルに発揮し、的確なマネジメントを遂行した料理長の存在である。

彼の存在がなかったなら、宿泊客の犠牲者はもっと多かったことだろう。実話をベースにしているこの映画では、登場人物の多くが射殺されてしまうのだ。

テロリストの攻撃など想定もしていなかったときに、ミーティングででてきたことばも印象深い。それは、「お客様は神様」(Our guests are gods)というセリフだ。こういうフレーズは日本だけではなかったのだ。多神教世界のインドならではであり、英語でこのフレーズが語られても違和感はない

ホテル従業員のあいだに「お客様は神様」というマインドセットがあってこそ、チームとして動くことができたのだ、と納得する。強力なリーダーのリーダーシップだけでは事は進まないのだ。チームメンバーのフォロワーシップあってこそ、一人一人が使命達成のために動くことができるのである。

こういった観点から、この映画を見ることも可能だ。リーダーシップの映画でもある。

そういえば、『ホテル ・ルワンダ』という映画もあったなと思い出した。これもホテルマンが主人公の映画だ。内戦状態のルワンダを舞台にした物語であった。


(映画のチラシの裏)


■クライシスはインドとタイで同時進行していた

インドでムンバイで無差別同時多発テロが起きたのは、ちょうどタイの首都バンコクのスワンナプーム国際空港がデモ隊によって占拠され、封鎖されたその日のことだった。

2008年11月26日未明、スワンナプーム空港が閉鎖、全便運行中止されてしまった。わたしはといえば、この当時はタイのバンコクで現地法人の代表を務めていたのだが、たまたま前夜発(だったと記憶する)の便で翌朝には日本に帰国していた。だが、逆にバンコクに戻れなくなってしまったのだ。

結局、シンガポール経由でプーケットに飛び、そこから陸路でなんとかバンコクに戻ったのだが、この経緯については、タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察- に書いてある。

日本に帰国したまま、バンコクに戻れなくなったわたしは、日本国内でバンコク状況の把握に努めていたが、ムンバイの同事態発テロ事件にも衝撃を受けていた。国際ニュースで取り上げられていたのは、この2本が最大のものだったはずだ。

ムンバイから脱出しようとしても、インドからの国際便の本数の多いバンコク便が運行しておらず、そうとうな混乱状態になっているであろう、と。実際、そんな目に遭遇した人もいたらしいことは、あとから知った。


ムンバイのテロ事件と、バンコクのデモ隊による空港占拠は、性格も背景もまったくことなる独立した事象であるが、時間的に同時に起こった事件であることは共通している。

ある事件が取り上げられる際には、それ以外の情報がいっさい切り捨てられてしまうが(そうでないと輪郭がぼやけて理解しにくくなるからでもある)、この2つの事件が、同時進行の事件であったことを想起してほしくて、あえて補足情報として書いておくことにした次第。






<関連サイト>

公式サイト https://gaga.ne.jp/hotelmumbai/ (日本版)
トレーラー  https://www.youtube.com/watch?v=A8IxhVslvro


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