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2009年11月27日金曜日

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-




(シンガポールからのフライトでプーケット国際空港へ・・・)


 バンコク国際空港閉鎖(2008年11月25日~12月4日)の体験を書いておこう。今回もビジネスからみの話である。

 ちょうど1年前のことであるが、迷惑を被ったのは観光客だけではない。ビジネスが大きな打撃を被ったのである。


「バンコク国際空港封鎖」という非常事態が発生

 リーマンショックに端を発した世界経済は玉突き現象として、とくに製造業におけるトヨタショックを引き起こし、そんな壊滅的な経済状況のさなか、タイは内政問題がエスカレートして、反政府側の"黄色服組"(Yellow Shirt)による国際空港占拠(!)という暴挙に打って出たのである。

 昨日とりあげた、展示会 METALEX が終了したあとほっとしていたのもつかの間、まさかそこまでやることはあるまいと高をくくっていたのだが、こちらの予想に反して、国内便専用になっていたドンムアン空港につづき、スワンナプーム国際空港まで占拠するにいたったのだ。

 私は、空港占拠の発生した日の早朝便で、成田空港にむけて出国したので、日本に帰国するまで空港占拠の事実は知らなかった。まさに間一髪の脱出であったわけだ。

 日本のTVでは連日、空港占拠の現況と解決にむけての動きを報道していたが、なんといっても気の毒だったのは、タイがはじめてという観光客のようであった。まさか、タイでこんな目に合うとは・・・という心境ことだろう。

 日本で用事があるので一時帰国したのだが、マネージング・ディレクター(代表取締役)の私自身が、11月末の支払い関係の書類にサインしなければならず、給料も支払わねばならないので、バンコクに戻らなければならなかったのだ。

 私がバンコクに戻るまでには空港占拠は当然終わっているだろうと思ったのは、実に甘かった。ANAの予約便をキャンセルし、また再予約し、またキャンセルする、こうしたことを繰り返しながら、どうやってバンコクに戻るかアタマを悩ませていた。


「バンコク一極集中」の交通網という脆弱性

 タイは交通網にかんしては、実に中央集権のバンコク一極集中のシステムとして設計されており、国際ハブ空港がバンコクのみという脆弱性がもろに露呈したのである。

 現在、民主党の前原国土交通大臣は、羽田空港のハブ化を主張しているが、危機管理の観点からは好ましくない政策である。バンコクの空港封鎖を体験者として、一言いわせていただかねばならない。

 もし羽田を国際ハブ空港にするとしても、成田国際空港との併用は絶対不可欠であり、さらにいえば日本各地にゲートウェイが複数あることは望ましい。

 1980年代に世界的な潮流となった、航空路のハブ&スポーク・システム(hub and spoke system)は自転車の車輪にみたてた発想だが、いまや時代遅れだという考えが主流になってきており、大規模なハブ空港設備を必要としない、中小規模空港どうしを中型機や小型機でダイレクトに結ぶ、ポイント・トゥ・ポイント・システム(point-to-point system)が近年の趨勢にある。


どういったルートでバンコクに入るのか?

 さて、どういったルートで東京からバンコクに入るべきか。もしかすると、危機管理(crisis management)の観点から皆様の参考になるかもしれないので、やや詳しく書いておこう。

 空港が封鎖されている以上、空路でバンコクに入るのは不可能である。陸路でいくしかあるまい。ではどの地点からタイに入国するか。

 タイは、ラオス、カンボジア、ミャンマーと国境を接している。それぞれ出入国ポイントがあるが、ミャンマーのヤンゴンから陸路でタイ国境までいくルートは、不可能なのでまず却下する。利用しているのは難民か、密輸者のみだ。

 残るはラオスか、カンボジア。カンボジアのプノンペンまではハノイ経由でベトナム航空で行くことが可能だ。しかし、プノンペンから陸路で国境を越えてバンコクまでいくのは距離がありすぎるのでやめることとした。

 ラオスのヴィエンチャンも、同じくハノイ経由でベトナム航空か、ラオス国営航空でいくことができる。ヴィエンチャンからは、陸路でタイのノンカイから入国して、陸路でバンコクに行くことが可能だ。

 そこで、ラオス経由のルートでいくことを考えてみた。しかしまったくチケットがとれないのだ。11月はラオスも観光のハイシーズンだからだ。ハノイ経由ではなく、ホーチミン経由にしても同じこと。結局、このルートは断念した。


■プーケットから陸路でバンコクまで戻った

 どうしたらいいのだ。そこで思いついたのが、成田からシンガポール経由でプーケット国際空港からタイに入国するというルートだ。なんとか手を尽くしてチケットを確保することができたのは幸いだった。

(上空から見たプーケットの美しいビーチ)

 成田空港からSQ(シンガポール航空)といいたいところだが、残念ながらNH(全日空)でシンガポールへ。ここで一泊。そして翌朝、SQ系列の Silk Air(シルクエア)でプーケットへ。シンガポールからは、バンコクで商売をしているらしいシンガポーリアンとプーケットに遊びに行く白人たちで満杯状態だった。

(プーケット国際空港から相乗りでバンコクに向かったTGのタクシー)


 そしてプーケットからは陸路でバンコクまでいかねばらなないのだが、バンコクまでは1,000km以上ある。一人だとタクシーをチャーターしたら高すぎる。カウンターの前で粘っていたら、運良く同じくバンコクにいくという米国人とタクシーをシェアすることができたので、助かった。

 ここからはまさにラリーであった。プーケットから陸路でバンコクまで1,000km以上、これを所要時間11時間半(うち休憩時間はトータル1時間弱)で走破したのである。一般道を時速100km近くぶっ飛ばして走るのだから、運転する方も乗っている方も命懸けである。あとから知ったのだが、バンコクからプーケットに脱出する外国人観光客が乗った6人乗り自動車が雨天のなか横転、死傷者がでたという事故があったのだ。

(タイ南部の幹線道路を走るタクシー)

 実に幸いなことに私がプーケットから自動車で移動した日は晴天で、事故もなく夜の9時半にはバンコクの自宅に戻ることができた。

 繰り返すが、まさに命懸けである。運転手は二人乗っており、一人が運転している間はもう一方は仮眠し、途中で交代しながらバンコクまで一気に走りきった。

 運転手がいうには、バンコクから客をのせてプーケットに走り、すごまたその足でバンコクに戻るというピストン輸送だったらしい。事故にあわず本当によかった!

 翌日は朝から出社、滞りなく業務を済ませ、一件落着となった次第である。


東南アジアではシンガポールが代替機能をもつ

 この機会にわかったのは、東南アジアのハブ空港は、バンコク以外にシンガポールが代替機能をもつということであった。危機管理の観点からいっても、シンガポールの利用はきわめて有用と確認された。

 いや本当のことをいうと、シンガポールのほうが、もともと機能としてはバンコクよりはるかに上である。ただ、日本からタイに行く場合は、シンガポールよりもバンコクのほうが近い、というただそれだけの話なのである。

 ちょうど同じ時期にインドのムンバイでテロリストによる高級ホテル占拠事件が発生、インドからの帰国者がバンコクで足止めを食ったらしい。チケットの関係からシンガポール経由に変更できなかったのか、あるいはバンコクについたら空港が封鎖されてしまったのか、たいへんな目にあった人も少なからずいるのだろう。

 バンコクの一般市民生活にはそれほど支障はなかったようだが、日本からの輸入の魚に頼っている日本料理店では(・・タイの魚は極端に種類が少ない)、仕入れが一週間とまったので大きな打撃をうけたようだ。タイの農産品であるオーキッド(=蘭)の輸出もストップして大きな損害を出したらしい。


「バンコク一極集中」の交通網はタイ国内でもきわめて不便

 最初に書いたが、タイへの入国は、空路の場合、バンコクにほぼ一極集中するカタチで設計されているので、北部のチェンマイなどにいく場合も、直行便なら最短距離なのに、いったんバンコクで乗り換えてから北上するというバカバカしいことを強いられる。

 もっともバカバカしいのはタイ国内の移動で、タイ北部のチェンマイからタイ東部のウボン・ラーチャタニへ移動したことがあるのだが、地方空港間の直行便がないので、いったんバンコクで乗り換えてからいかねばならなかった。中央集権国家タイの交通政策の大きな問題である。

 日本の地方都市の場合は、実質的に韓国の国際ハブ空港である仁川(インチョン)空港経由で海外に渡航する人も多いようだが、これは当然のことだろう。このように多様なルートが確保されている方が、消費者のためではないか、と私は思うのだ。消費者にとっての利益は国益と合致しないというのだろうか?


ロジスティクスの重要性は「戦史」に学べ!

 東南アジアでビジネスする人には、大東亜戦争ベトナム戦争を徹底的に研究しておくことが、何にもまして重要だとアドバイスしておきたい。

 これらについては、辻政信の『潜行三千里』について書いたブログの投稿『加藤隼戦闘隊』について書いたブログの投稿を参照されたい。ベトナム戦争については、このブログではまとまった記事は書いていないが、あくまでも東南アジアのインドシナ半島が舞台になった点に注意して研究してもらいたいと思う。

 バンコクが空港封鎖されているあいだ代替空港として、ベトナム戦争時の米兵の慰安所として開発された歓楽地パッタヤに近い、ウタパオ海軍航空基地が臨時に使用された。ここから出発するTG便(タイ国際航空)で帰国した人のことをうらやましいといったら怒られるだろうか。

 ウタパオ基地からは、かつてベトナム戦争時代、米軍のB52爆撃機がラオスからベトナム北部にかけて爆撃していたのだ。軍関係の施設には滅多なことでは入れるものではない。

 ロジスティクスはもともと軍事用語で、日本語では兵站(へいたん)、戦前は輜重(しちょう)と訳されている。物流関係者にとっては常識でも、それ以外の人には知らない話も多いだろう。

 なお、ロジスティクスは英語のスペリングは logistics と複数形であることに注意されたい。



* タイのあれこれ(22)につづく。次回はマーケティング関連



PS ふたたびバンコク国際空港封鎖の可能性

現政権に反対する「黄色シャツ派」によるデモは「首都封鎖」という暴挙に訴え、ふたたび国際空港封鎖の可能性もでてきている。あらかじめ空港封鎖も「想定内」として、日々のビジネス活動にいそしんでいただきたいと思う。

このたび改行を増やし、小見出しも加え、写真にキャプションを加えて読みやすさを向上させた。一部加筆したが、本文には変更は行っていない。

(2014年1月16日 記す)

 

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(2014年1月18日、2014年2月1日 情報追加) 





(2012年7月3日発売の拙著です)








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