2025年2月25日火曜日

『日本のなかの日本』(中島恵、日経プレミアシリーズ、2024)と、つい先日出版されたばかりの『潤日(ルン リィー)ー 日本へ大量脱出する中国人富裕層を追う』(舛友雄大、東洋経済新報社、2025)を読んで、中国からの「新移民」の実態を知り、その影響について考える

 

 SNSの X(旧twitter)では大々的に取り上げられているのが、インバウンドで大量に押し寄せる中国人たちである。そのあまりにも非文明的で迷惑きわわりない振る舞いに激しい怒りを感じている人も少なくないだろう。 

その一方、あまり取り上げられていないのが、中国から流入がつづく「新移民」である。

 「新移民」は、2000年代以降の現象である。習近平体制になってから社会の閉塞感がつよまるなか、ビザ要件が緩和された日本に移住してくる中国人たちのことだ。1990年代に移住してきた「新華僑」とは異なるカテゴリーに属する人たちだ。 

資産規模からいえば、アリババの創業経営者ジャック・マーに代表される、スーパーリッチな創業経営者たちだけではない。不動産バブルの恩恵にあずかり、資産を売却して日本に不動産を購入する都市住民の中間層たちもまたそうだ。だがかれらだけではない。政治的な自由を求めるリベラル派知識人たちもまたそうだ。

いずれも習近平による「ゼロ・コロナ政策」がもたらした経済社会の閉塞感に嫌気がさしているだけでなく、中国の将来に希望がもてない状況にある。大学が狭き門で、かつ就職機会も限られているため、大学をでても職がない若者たち。 

中国から流入がつづく「新移民」にかんしては、その是非にはさておき、実態についてはあまり知られていない。わたしにも個人的な知り合いがいるが、あくまでも大河の一滴というべきで、その全体像をつかんでいるわけではない。 

昨年9月に出版された『日本のなかの日本』(中島恵、日経プレミアシリーズ、2024)と、ついい先日出版されたばかりの『潤日(ルン リィー)  日本へ大量脱出する中国人富裕層を追う』(舛友雄大、東洋経済新報社、2025)を読むと、「新移民」の実態がおぼろげながら見えてくる。 

「潤」(ルン)とは、最近はやりの中国語で、中国を脱出する中国人のことを指している。英語の Run と音がおなじなので、そういう意味が生まれたのだという。 

「潤日」(ルン リィー)として日本に流入していくる「新移民」が増大した結果、すでに日本人も日本語もまったく介在しない中国人だけの生活空間が、リアルだけでなくネットでも成立しているのである。その空間のなかでなにが進行しているのか、外部からは窺いようがない。欧州で拡大中のイスラーム・コミュニティのような状態か。

労働力不足という理由で、経団連など経済団体の後押しを背景にした政治的思惑で中国人の流入が増加しているわけだが、先住者である日本人との軋轢も増大していることは、否定できない事実である。それだけでなく、もともと中国人内部にあったさまざまな対立関係だけでなく、「新移民」と「新華僑」のあいだの軋轢もあるというからややこしい。

さらに今後は、「新移民」の二世たちがビジネスエリートとして、あるいは官僚エリート、そして政治エリートとして、日本の政治経済に大きな影響をあたえるであろうことも、けっして絵空事とは言えない状況になりつつある。 


「アングロ・チャイニーズ」というべきかれらは、居住国の言語だけでなく英語で思考することもできるエリート層だ。東南アジアで例外的なのは、中国人に対してあまり融和的ではないベトナムくらいだろうか。スハルト政権崩壊後に大規模な反華僑暴動が発生したインドネシアでは、華人エリートは政商という形で政治家に接近する。

タイのように実質的な華人支配状況がいいか悪いか、その是非は別にしても、そのような状態になってしまうことを回避したいのであれば、量的な「移民制限」は絶対に必要である。人口構成の点からいって、先住民との比率が逆転するような事態が発生すると、なにが起こるかは火を見るより明らかだ。

「帰化」して日本国籍を取得する場合には、巨額な投資など含めた日本社会への「貢献」を求めるのが当然であるだけでなく、日本国家と日本国旗への「忠誠」を求めることも絶対に必要になる。

わたしがそう考えるのは、それが諸外国では当たり前のことだからだ。米国では帰化して米国の市民権を獲得する際には「星条旗への忠誠」が求められる。このセレモニーは全米各地で毎週行われている。


忠誠度に問題が発覚したら、「帰化」の認可の取り消しも行うべきだ。主権国家の国民になるということの意味はきわめて重いのだ。だからこそ、帰化して日本の「新国民」となった人間は、つねに見られていることを意識して生きなくてはならないのである。

もちろん「移民」に対する見解は、その本人にとっても、受け入れる側にとっても、個々人によってさまざまであろう。とはいえ、なによりもまず実態を知り、変化しつつる状況を注視していく必要がある。なにごとも功罪両面があることを認識しておかなくてはならない。

そのためには、事実を知ったうえで議論することが必要である。国籍(=ナショナリティ)と民族性(=エスニシティ)の乖離は、古くて新しい問題なのだ。




『日本のなかの日本』(中島恵、日経プレミアシリーズ、2024)

目 次
プロローグ 日本にいるのに、日本語が下手になる私 
第1章 日本人が知らない、中国人 SNS の世界 
第2章 中国人だけで回す経済ネットワーク
第3章 持ち込まれた中国的論理
第4章 日本に来たい中国人 中国に帰りたい中国人
第5章 多層化していく社会 
エピローグ 日本で暮らし働いた黄さんのささやかな夢 





目 次
プロローグ 
第1章 世界の現象としての潤 run 
第2章 タワマンに住む人々 
第3章 新お受験戦争 
第4章 引退組企業家安住の地 
第5章 独自のエコシステム 
第6章 地方という開拓地(フロンティア) 
第7章 焦燥する中間層 
第8章 リベラル派知識人大集結 
第9章 抗議者、小粉紅、支黒、大外宣 
エピローグ


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2025年2月24日月曜日

「40年前のコンサル一年生」が『コンサル一年目が学ぶこと』(大石哲之、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014)に目を通して思ったのは、20歳台に身につけたスキルとマインドセットは「一生役立つ」という実感だ

 


2025年1月で第36刷のロングセラーである。いわゆる「定番」のビジネス書といっていいのだろう。 

1975年生まれの著者は、外資系コンサルに入社して数年を過ごしたのち、さまざまな仕事を体験している。コンサル時代がビジネスキャリアの基礎となっているわけだ。そんな著者がコンサル卒業から15年後に書いた「ビジネスパーソンとして重要なことは、すべてコンサル会社で学んだ」、そんなテイストの内容である。 

もちろん、当然のことながら、わたしは現在進行形の「コンサル一年生」ではない。「40年前のコンサル一年生」である。大学を卒業して、いきなり銀行系のコンサル会社に入っているので、「走り」というべき存在だ。

とはいえ、けっして先見の明があって入社したわけではない。 すでに内定をもらっていた某電機メーカーに魅力を感じなかったからの転換であった。

電機メーカに入社していたら、人事か経理に配属すると言われていた。あとから考えれば、人事も経理のどちらもビジネスパーソンとしての基礎ではあり、その面で専門特化したほうがビジネスキャリアとしては堅実であっただろうが・・・ 

大学4年生で就職活動を行っていた1984年当時は「商社冬の時代」と言われており、成績のよい学生の多くは銀行に就職している。その当時、「なんでそんなとこに行くのか?」とあきれた表情で同級生たちから言われたことを鮮明に覚えている。 

実際問題、まだ設立から2年目のあたらしい組織で、カオス状態の組織であった。大半が中途入社の人たちで、きわめつきに個性のつよい、海千山千といった人たちの集団であった。 

だが、そんな状態であったからこそ、幸か不幸か現在のわたしをつくりあげることになったのは確かなことだ。「結局、自分しか頼りになるものはない」という、覚悟ともいうべき認識を痛感するにいたったからだ。 


さて、『コンサル一年目が学ぶこと』の「目次」は、以下のようになっている。 参考のために紹介しておこう。

第1章 コンサル流話す技術 
 結論から話す/Talk Strait  端的に話す/数字というロジックで語る/感情より論理を優先させる/相手に理解してもらえるように話す/相手のフォーマットに合わせる/相手の期待値を把握する/上司の期待値を超える 
第2章 コンサル流思考術 
 「考え方を考える」という考え方/ロジックツリーを使いこなす/雲雨傘 提案の基本/仮説思考/常に自分の意見をもって情報にあたる/本質を追及する思考 
第3章 コンサル流デスクワーク術 
 文書作成の基本、議事録書きをマスターする/最強パワポ資料作成術/エクセル、パワーポイントは、作成スピードが勝負/最終成果物から逆算して、作業プランをつくる/コンサル流検索式読書術/仕事の速さを2倍速3倍速にする重点思考/プロジェクト管理ツール、課題管理表 
第4章 プロフェッショナル・ビジネスマインド 
 バリューを出す/喋らないなら会議に出るな/「時間はお金」と認識する/スピードと質を両立する/コミットメント力を学ぶ/師匠を見つける/フォロワーシップを発揮する/プロフェッショナルのチームワーク 


ざっとこんな感じである。著者自身は、これですべてをMECE(漏れなく、ダブリなく)したわけではないという趣旨のことを書いている。 主観的に重要だと考えているものを取り上げたのだという。

個々の項目をみればわかるように、コンサル会社にいなくても学べるものは、もちろん多い。MBAコースでなくても学べるものも、もちろん多い。一流企業に入社できたなら、「一年目」からこういう鍛え方をされるはずだ。

ただし、第3章にかんしては、生成AIを筆頭にしたテクノロジーが日進月歩しているので、アップデートが必要だろう。 

だが、そんな機会にめぐまれなかった人、つかえるスキルやマインドセットを早いうちに自分のモノとして身につけることで成長したい、はやく結果を出したいという人には役にたつことは間違いない。コンサル会社での1年が、フツーの会社の何年間に相当するかは一概には言えないが・・ 

わたし自身は、「英語道」を提唱していた松本道弘の愛読者だったので、「結論から話す」とか「ロジックで語る」ということは、高校時代から実践してきた。 もちろん、実際にどこまでできていたかどうかは別の話ではあるが、Why - Because で語る姿勢はクセにしてきた。

とはいえ、「コンサル一年生」としてコンサル会社にいきなり入社して思ったのは、ビジネスというのは思っているよりロジカルなものなのだな、という感想だった。ロジカルに思考し、ロジカルに組み立てるが、もちろん知だけでなく、情がはたらく余地は大きいことは言わずもがなではある。 

1985年当時は「昭和時代」のまっただ中で、「バブル前夜」であった。 徹夜は当たり前の世界で、コンサル会社は「ブラック企業」の最たるものであろう。徹夜して報告書の作成とコピーを終えたら朝になっており、顔洗ってヒゲそって、始発の新幹線に飛び乗るなんて当たり前の日常であった。さすがに5年後にはカラダを壊す結果となったが‥… 

だが、こんなプレッシャーのつよい状況下だからこそ、鍛えられるというのもまた事実である。 なんといっても「頼れるのは自分だけ」だからだ。

もちろん、プロジェクトチームで動くのでチームワークは必要だ。チームワークには功罪両面もある。デッドラインというプレッシャーに耐えられず、プロジェクト終了前に逃げたプロジェクトリーダーもいた。そんなプロジェクトに属していたために後始末をさせられて、えらい迷惑を被ったこともある。 なんせチームワークだからねえ。

最近は「ワーク・ライフ・バランス」がしきりに語られて、それはそれでいいことなのだが、20歳台という鍛えられるべき時期に鍛えられないという問題も生じている。成長体験を高速で得られない、そんなユルい企業風土に耐えられずに転職する若者も少なくないと聞く。

 「人生100年時代」とはいうが、やはりビジネスキャリアの基礎は、20歳台にあるというべきだろう。気力と体力が充実している時期に、徹底的に鍛えることは絶対に必要だ。その時期に身につけたスキルとマインドセットは、まさに「一生役立つ」といっていい。 

もちろん、これから10年後、20年後(・・生きていれば)についてまではわからないが、40年前の「コンサル一年生」だったわたしは、コンサル会社入社から40年後のいま、そんな実感をもっている。 


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2025年2月23日日曜日

書評『シン読解力 ー 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(新井紀子、東洋経済新報社、2025)ー「生成AI時代」を生き抜く最低限のスキルが「読解力」】

 


この本を読むと、これからの時代を生き抜くため、最低限に身につけておかなくてはならないスキルとマインドセット、そしてそれらを支える基盤がなにかが納得される。 

結論からいえば、本書のタイトルになっている「シン読解力」こそ、それだということになる。

 「読解力」とは、書かれた文章を、文字通りに理解し、的確に読み解く能力のことを指している。英語でいえば「リーディング・スキル」のことだ。 

ところが、誰もが読めるはずの教科書が読めていない子どもたちがいかに多いことか。残念ながら、これは事実なのである。

しかも、子どもだけでなく、大人もじつは読めていないという衝撃的な事実。これが著者が主導し、現在まで50万人以上に対して実施してきた「RST」(リーディングスキルテスト」 から得られた結論だ。

その「読解力」に著者があえて「シン」とつけて「シン読解力」としているのは、文学作品のように多様な解釈が可能な文章ではなく、解釈が1つしかない文章の読解力が必要だと強調するためだ。

著者は、「シン読解力」は、 国語や読書では身につかないという。「シン読解力」がなぜ必要なのか、どうしたら身につけることができるのか。本書はその解説である。



■「生成AI」時代に生きるため必要なこと 

本書は、ベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』から7年後の最新作である。著者の新井紀子氏は、法学部出身の数学者という、珍しい経歴の持ち主である。  

さて、この7年間に起きた最大の変化といえば、生成AI(generative AI)の急速な進化と爆発的な普及であろう。しかも、この動きは2024年になってから急速に加速している。すでに日本でも普及している 米国発の ChatGPT や、中国発の DeepSeek など、生成AIについて話題にならないことはない。

 「人工知能」を意味するAI(artificial intelligence)じたいは、今回がはじめてのブームではない。1950年代から60年代に始まった第1世代、1980年代の第2世代、そして現在の「機械学習」による第3世代となる。 

だが、今回の第3世代の破壊力はとてつもないものがある。エキスパート・システムが話題になっていた第2世代の際にもよく言われていたが、今回の生成AIによって、とくにホワイトカワー関連の職の大幅に縮小が加速化することは間違いない。すでに外資系証券会社ではアナリストの大量解雇が始まっている。

そんな時代に生きていく日本人にとって、不可欠なスキルとマインドセットはなにか。この「問い」がさかんに提起されるようになっている。 


■「問い」をつくる能力と生活習慣が大事 

わたし自身は、みずから主体的に「問い」をつくる能力と、つねに「問い」をつくりだす生活習慣こそが重要だと考えている。 

言い換えれば、「問い」を立てるスキルとマインドセットであり、そのために必要なのが、最近よく耳にすることの多い「言語化」能力である。

言語化できなくては、問いを立てることも問いを発することもできない。自分のアタマで考え、自分のことばで表現しなくては、自分にとって必要な答えを引き出すことができない。 

それは、相手が生身の身体をもった人間であっても、生成AIという機械であっても、本質的に変わらない。 

生成AIにつかわれず、アシスタンとしてつかいこなすには、「問い」を立てるスキルとマインドセットが不可欠である。 



■「言語化」以前に「読解力」が必要 

子どもは、膨大な量の「問い」をつうじて学習し、成長していく。だが、ある一定の年齢を過ぎると、あまり「問い」がなされなくなっていく。 著者のいう「シン読解力」は、15歳前後で自然の伸びが止まってしまうのだという。

できる子どもと、そうでない子どもの差は、読解力の差にある。「シン読解力」と学力には強い相関がある。「問い」をつくる能力も同様だろう。 

「問い」をつくるために必要なのは「言語化」の能力である。だが「読解力」がなければ、「言語化」にも限界があることはいうまでもない。「読解力」こそカギになる能力である。

 著者は、「生活言語」と「学習言語」の違いを強調している。人間どうしの会話において使用される「生活言語」は、それほど論理性が求められるわけではない。 

これに対して「学習言語」は、「学習」をつうじて習得することが求められる言語のことである。それぞれの専門分野ごとに、独自の学習言語がある。そしてその「学習言語」を習得するためには、「読解力」が身についてなくてはならないのである。 

スキルである「読解力」は、トレーニングによって身につけることができる。もちろん、大人になってからもそれは可能だ。

 

■大人も「読解力」に欠けている! 

本書の議論は、基本的に子どもが「学習」して身につけるべき「読解力」について論じている。だが、「読解力」の低い大人もまた少なくない。この事実を直視することが重要だ。 

「目次」を見たら、「第7章 新聞が読めない大人たち」というタイトルに引きつけられることだろう。ああ、そんな大人もいなくはないよねと、思うのではないかな? 


これらの設問には、読者もまた回答してみるとよい。わたしもすべてに回答してみたが、意外に間違った回答をしてしまうことがある。これはちょっとまずいな、と思わざるをえないのだ。 

文章をよく読まないで回答してしまうと、ケアレスミスによる間違いが発生してしまうのだ。「ファクトチェック」はもちろん大事だが、それ以前に「読解力」が重要なのだと実感される。 

RST(リーディングスキルテスト)は、中高校生だけでなく、企業にも導入され、新入社員の採用試験に使用されているようだ。B2B企業や外資系が中心だという。 

口頭だけでなく、文書をつうじたコミュニケーションが主流になっている時代である。文章をただしく理解する能力がなくては、ビジネスに支障をきたすことは言うまでもない。 

だからこそ、本書は教育関係者や保護者だけでなく、現役のビジネスパーソンも読むべきである。「シン読解力」がいかに重要か、あらためて認識する機会になることだろう。 


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目 次
まえがき 
第1章 チャット GPT の衝撃 
第2章 「シン読解力」の発見 
第3章 学校教育で「シン読解力」は伸びるのか? 
第4章 「学習言語」を解剖する 
第5章 「シン読解力」の土台を作る 
第6章 「シン読解力」トレーニング法 
第7章 新聞が読めない大人たち 
あとがき 
Training and Column トレーニング&コラム 
 大人のためのトレーニング 
 子どものためのトレーニング 
 コラム

著者プロフィール
新井紀子(あらい・のりこ)
国立情報学研究所 社会共有知研究センター長・教授。 一般社団法人 教育のための科学研究所 代表理事・所長。 東京都出身。一橋大学法学部およびイリノイ大学数学科卒業、イリノイ大学5年一貫制大学院を経て、東京工業大学より博士(理学)を取得。専門は数理論理学。 2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを務める。2016年より読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。 科学技術分野の文部科学大臣表彰、日本エッセイストクラブ賞、石橋湛山賞、山本七平賞、大川出版賞、エイボン女性教育賞、ビジネス書大賞などを受賞。 主著に『数学は言葉』(東京図書)、『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社)、『ロボットは東大に入れるか』(新曜社)、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)、『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)などがある。(出版社サイトより)



<関連サイト>

リーディングスキルテストは、教科書や辞書、新聞などで使われる「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を読み解く力を測定・診断するツールです。読解プロセスごとに6つのタイプから構成されており、それぞれのタイプで読解の能力値を診断し、学習アドバイスを提供します。

「シン読解力」とは、教科書や辞書、新聞などで使われる「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を読み解く力のことです。シン読解力は、自学自習する上で欠かせないスキルです。リスキリングが求められる時代には、子どもだけでなく大人も身に付けておく必要があります。


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2025年2月22日土曜日

「卒論」執筆は一生ものの「見えざる財産」だ! ー『歴史学で卒業論文を書くために』(村上紀夫、創元社、2019)を読んで考えたこと

 

わたし自身は、卒論執筆に苦労している現在進行形の大学生ではない。とはいえ、いまを去ること40年前(!)に「歴史学で卒業論文を書い」て卒業した「元学生」であり、すごく気になるタイトルなのでね。 

著者の専門分野は「近世京都の庶民信仰」ということもあって、「日本近世史」を事例にして「卒論の書き方」を懇切丁寧にマニュアル的に記述している。いままさに卒論執筆に苦労している学生には、またとない手引き書となるだろう。 

自分の場合は、お亡くなりになってすでに20年近くなるが、ロングセラー『ハーメルンの笛吹き男』で有名な歴史学の阿部謹也先生の西洋中世史のゼミに所属して、「フランス中世におけるユダヤ人の経済生活」なるタイトルで卒論を書いて卒業している。  

西洋中世史で卒論を書いた立場からみたら、日本人にとって身近な日本史は、なんとなくとっつきやすい分野だ。それだけに、かえって学部レベルであるとはいえ卒論執筆に際して要求される水準が高く、なかなか大変な作業になるのだなあと思った。これは正直な感想だ。 

わたしの場合は、まだ卒論執筆にパソコン使用が認められていない時代であり、大学指定の400字詰め原稿用紙でなんと250枚も書いてしまった。文字数に換算すれば10万字(!)ということになる。長さだけは自慢の種だ(笑) 

こんなに長い卒論を書いたのは、阿部ゼミでは空前絶後だったようだ。「修論」(=修士論文)のような卒論をだした卒業生がいて、レジェンド化している(!?)のだ、と。 そんな話は、惜しくも4年前に亡くなったが、ゼミで同期だった北欧中世史の阪西紀子教授から聞いたことがある。 当時の阿部ゼミの様子については、彼女が懐古的に執筆している。


■卒論執筆は社会人になってから役に立つ!

『歴史学で卒業論文を書くために』の著者はまた、卒論執筆は「社会人になっても、<なってから!>役立つ」と書いている。「40年前に卒論を書いた」自分としては、まったく同感だ。 

ある特定のテーマについて、指導教官の指導を受けながら、自分でテーマ設定し、自分で調べて、自分で書くという経験。これはなにものにも代え難い、まさに「一生ものの財産」だとといって良い。 そうやって苦労しながら書いた卒論だからこそ、ディテールにいたるまで、ことこまかに覚えている。

インターネット時代の現在は、その必要は大幅に減少したが、当時は図書館で「図書カード」を一枚一枚手でめくっては参考文献を検索し、貸し出し申請するという時代であった。 

見つけ出した文献を読み込んだうえで、調査結果を自分なりに咀嚼したうえで自分のことばに「言語化」し、しかも原稿用紙に手で書くのだから、その記憶のひとつひよつがアタマとカラダに刻みつけられているのは、当然といえば当然だろう。

先日お亡くなりになった、世界的経営学者の野中郁次郎氏の主張ではないが、まさに「身体知」化しているのだ。 手書きでなくなった現在でも、おそらく違いはあるまい。音声入力したとしても、最終校正はキーボードで行わなくてはなるまい。


■卒論テーマの設定は?

テーマ設定にかんしては、すでに古典的名著となっている感のある『自分のなかに歴史を読む』(阿部謹也、ちくま文庫、2007)という本がある。  

この本は、1988年に初版が出ているが、その内容については、ゼミやその後の懇親会の場で、先生から直接さまざまなエピソード含めて聞いていた。リアルの場での肉声によるコミュニケーションである。 

『自分のなかに歴史を読む』には、いまではかなり有名になった「わかるとは、変わること」という、歴史家で思想家の上原専禄のことばが紹介されている。上原専禄は。阿部先生の先生にあたる人だ。 

探究すべきテーマは、自分のなかを掘り下げることで出てくるはずだというのが、阿部先生がつねに語っていたことだ。 

外発的動機と内発的動機という区分があるが、かならずしも区分する必要はない。たとえ外発的なキッカケが動機になったとしても、自分のなかにある問題意識と結びつけば、それは自分が探究すべきテーマとなるのである。 

テーマが決まったら、どう探究していくべきかにかんしては、『歴史学で卒業論文を書くために』のようなガイドブックを導きにしたらいい。 

「歴史学で卒業論文を書く」ということの意味について、つらつらと随想風に書いてみた。 歴史学に限らず、「卒論執筆は一生ものの見えざる財産」である! 


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