2025年3月9日日曜日

韓国で読み継がれてきたロングセラーの連作小説『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ、斎藤真理子訳、河出文庫、2023)をようやく読了。絶望的な超格差社会の最底辺で生きる人びとの声は過ぎ去った過去のものではない

 

昨年8月以来、断続的に読んでいた『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ、斎藤真理子訳、河出文庫、2023)という連作小説をようやく読み終えた。  

ふだん小説はほとんど読まないわたしだが、この小説を読んでみたいと思ったのは、斎藤真理子氏の『韓国文学の中心にあるもの』(イーストプレス、2022)を読んで、気になっていたからだ。 

「維新時代」すなわち朴正熙(ぱく・チョンヒ)政権のもと、「戒厳令」が敷かれていた1970年代に書き継がれた奇跡のような連作だという。韓国では現在も「ステディ・セラー」として読まれており、累計140万部になっているのだと。 

この連作小説の主人公の「こびと」とその一家は、1960年代に始まった資本主義化する韓国、急速な工業化による高度成長が推進されていた時代に、超のつく格差社会の最底辺で生きぬいている人びとだ。 

そんな出口のない過酷な状況で生きることを強いられ、蹴散らされるがままの人びと。そして封建領主のような財閥企業の経営者とその家族。そんな両極端に生きる人たちにかんするリアリティある描写に寓話的なナラティブ。さまざまな声が多層的に響き合う世界。けっして救いのある小説ではない。 

それにしても不思議なタイトルの小説だ。このタイトルの意味は、4番目におかれたおなじタイトルの短篇小説を読めばわかる。 

1970年代の韓国が舞台であるが、そういった過ぎ去った一回性の出来事に終わらない普遍性がある。近代化を邁進していた時代の日本もそうだし、いまでも発展途上国では現在進行形の設定なのではないか。 

いや、ふたたび格差社会が深刻化している現在、アクチュアルなテーマなのかもしれない。だから現在の韓国でも読まれているわわけだし、また日本をふくめた諸外国でも受け入れてきたのだろう。韓国語を学び始めた大学時代にこの小説に出会ったという訳者の思いもまた伝わってくる。 

「この悲しみの物語がいつか読まれなくなることを願う」と著者は述べているが、そんな日がくることは、残念ながらなかなか来ないのかもしれない。それが良いことなのか、悪いことなのか、わたしにはわからない。


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2025年3月7日金曜日

美術展「中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写」(目黒区美術館)に行ってきた(2025年3月6日)ー 「すべては徹底的な模倣から始まる」ことを実感

 

昨日(2025年3月6日)のことだが、「中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写」という美術展に行ってきた。会場は目黒区美術館。 

美術展の副題は、「チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅」とある。1970年代にイタリアに留学してテンペラ画の画法を徹底的に学び、その技法を日本に持ち帰った石原靖夫氏の仕事を回顧的に振り返ったものだ。 

テンペラ画は、中世イタリアで発展した画法で、ジオットから始まり、13世紀から14世紀にかけて全盛期を迎えている。結合材として卵黄を使用し、これに顔料を混ぜて絵の具として使用するものだ。金箔の地に映える色鮮やかな色彩が美しい。 

石原氏は、1970年からイタリアに留学し、14世紀当時の技法を完全に復元、なんと6年かけてシモーネ・マルティーニの「受胎告知」の復元模写を完成させている。 


(シモーネ・マルティーニの「受胎告知」の復元模写 この作品は撮影可)


今回の美術展の目玉となるのが、この「受胎告知」の石原氏による復元模写作品であり、これだけは実際に会場にいって自分の目で観て見なければ、そのすごさはわからない。この作品に限っては撮影可だが、写真では当然のことながら表現不可能だ。 




会場では、石原氏も日本語訳の作業に参加している、1400年頃に完成したチェンニーノ・チェンニーニの『絵画術の書』をガイドに、テンペラ画の画法の徹底的な復元に全精力を注いだ石原氏の軌跡が、具体的なモノをつうじて展示されているほか、石原氏の工房で復元模写を行った弟子たちの作品も展示されている。  




完全に模倣することがいかに大変な作業であることか。「すべては徹底的な模倣から始まる」、そんなフレーズを想起する。それととともに、細部にわたるまでの徹底的なこだわりには、さすが日本人の職人魂と感嘆するばかりである。

テンペラ画に関心のある人、ルネサンス以前の中世イタリアに関心のある人は、ぜひ訪れてみる価値があると思う。宗教性は抜きにして、技法の完成度を確かめてみるのである。 

会場の目黒区美術館は目黒川の近くなので、桜の咲く時期に散歩がてら訪ねてみるのがタイミング的にはいいかもしれない。 会期は、2025年3月23日まで。


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2025年3月6日木曜日

政策研究大学院大学で開催されたインドネシアの元大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ博士の「特別講義」に参加してきた(2025年3月6日)

 

 本日(2025年3月6日)、インドネシアの元大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ博士(Dr. Susilo Bambang Yudhoyono)による「特別講義」(Special Lecture)に参加してきた。

主催と会場は、六本木にある政策研究大学院大学。訪問するのは10年ぶりくらいか? 特別講義のみならず議事進行もすべて英語のみ。




わたし自身は、インドネシアには2回行っているものの、仕事としてメインでかかわってきたわけではない。だが、ASEANの盟主で地域大国であるインドネシアは、人口規模が2億人を突破し、近未来の経済大国になることが予測されていることから、関心を持ち続けてきた。

インドネシアには、スハルト政権時代から、その崩壊を経て現在に至るまで、リアルタイムで関心を持ち続けてきた。 インドネシアのスラウェシ産の「トラジャ・コーヒー」を愛飲している。

1949年生まれのスシロ・バンバン・ユドヨノ博士は、退役陸軍大将の政治家で農業経済学で博士号をもつ実践的知性の持ち主米国でM.B.A. も取得している。大統領就任後の来日の際に、たしか2011年で日経主催だったと思うが、講演会をききにいっている。 

独立以来、中立を保ってきたインドネシアは、米中のはざまという地政学的状況下でどう生き抜いていくか、そしてまた日本との関係をどう発展させていくか、こういった大きなテーマについてナマの話を聞くことができた。
 
大統領職から離れてすでに10年以上たっているが、さすがアクチュアルな問題にかんしても一家言をもっている「知の人」である。レクチャーは「トランプ2.0」時代のウクライナの話から始まり、国際政治におけるインドネシアの立ち位置の確認がなされる。

インドネシアが 中ロを中心とする BRICS に加盟している10カ国の1つであることは、うかつなことにユドヨノ氏の発言を聞くまで知らなかった。どうやら、インドネシアは最新加盟国として 2025年1月6日 に加盟したようだ。ちなみに、アフリカのエチオピアは第9番目の参加国である。



インドネシアは独立の前後から日本との関係が密接であるが、スカルノ時代には非同盟諸国のリーダーとしてニュートラルな立場を維持してきた。

ASEANの盟主であり、OECDにも加盟しているインドネシアは、西側とみなされがちだが、インドとともに、いわゆる「グローバルサウス」の雄であることを再確認させられたわけである。独立後のインドもまた、非同盟諸国のリーダーであった歴史をもつ。

質疑応答にかんしても、インドネシアの留学生の農業政策にかんする質問や、日本人からの津波対策などの質問が有益であった。 島国で火山国、つまり地震国でもあるインドネシアと日本は共通の課題を抱えているのである。

 ふだんはこの手の講演会は YouTube 動画の視聴で済ませているが、たまにはその場で肉声を聴く機会をもつのもいいと思った次第。


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2025年3月3日月曜日

竹橋から神保町へ、そして九段坂をあがって市ヶ谷まで歩いてみてわかったこと(2025年3月1日)ー この一帯は「近代日本の高等教育ゆかりの地」であり「知の集積の地」である



先週土曜日(3月1日)の夜は、かつて民間企業のイスタンブール所長であった旧友とトルコ料理店で会食。お店は、ボスポラス・ハサン市谷店。ぐるなびで検索して見つけた店で、今回がはじめて。

ひさびさにトルコ料理とトルコビール FES そしてトルコワインを堪能。Yakut というトルコでは一般的な赤ワインをボトルでセレクト。トルコはイスラームの国だが、国際都市イスタンブールは規制は厳しくない。


ボスポラス・ハサン のウェブサイトより)


トルコ料理にも「ファラフェル」があること(・・まあ、中東だから当然だ)トルコでは餃子が「マントゥ」とよばれている(・・シルクロードは餃子ロードでもある)ことなど、はじめて知ったことも多々ある。

もちろん「ケバブ」も注文して食べたが、ヨーグルトで軟らかくなった肉はうまい。トルコの「マントゥ」は本家本元の中国の肉まん「マントウ」(饅頭)とはまったく異なり、イタリアの「ラビオリ」のようだった。

粉食文化圏ということなら、中国からイタリアまでとなるわけだ。もちろん、東方の終着点は日本。トルコのチャーイは、言うまでもなく中国の茶(チャ)から。


ボスポラス・ハサン のウェブサイトより)


旧友とその息子さんとの会食はたいへん楽しく、時を忘れて楽しんだが、なぜか料理の写真がぜんぶ蒸発していたので(・・まったくもってミステリーとしかいいようがない)、トルコ料理の話の詳細は残念ながら断念。

ほんとうはトルコ料理の話をも中心に書きたかったのだが・・・

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当日は、竹橋から市ヶ谷まで都心を散歩。その話をちょっと書いておこう。

たまには世界有数の古書店の集積地である神保町にでも、たまにはちょっと立ち寄ってみるかということで、江戸城のお堀にかかる「一ツ橋」を渡り母校の卒業生組織・如水会の「如水會舘」を左手にみながら「学士会館」の前を歩く




学士会館は建て替えのため現在は休館中だが、今回はじめて「東京大学発祥の地」というプレートがあるのを発見。




学士会館が東大を頂点にした旧帝大の卒業生のためのものであることは知っているが、東大発祥の地のみならず「わが国大学発祥の地」であることは知らなかった。

学士会館の前には「日本野球発祥の地」の銅像(?)もある。ボールを握った右手の像だ。




神保町の古書店街をぶらぶらしたあとは、九段坂をあがって市ヶ谷へ

靖國神社を右手に見ながら登っていくと、左手には九段會舘がある。かつて二二六事件の際に戒厳司令部が置かれた旧軍人会館であり、後世に残すべき由緒ある建築物だ。





九段坂の交差点を渡ると昭和記念館がある。これまた今回はじめて気がついたのだが、「蕃書調所跡」のプレートが建てられている。勝海舟の肖像写真がまず目に飛び込んできたが、蕃書調所の跡だったとはねえ。




「蕃書調所」(ばんしょしらべしょ)は、徳川幕府が「開国」後につくった西洋知識の調査研究機関「蕃書調所」が前身となって東京帝大となったことは日本史の教科書にも書かれているとおりだ。

なるほど、竹橋から九段にかけてのこの地は、さまざまな大学が集積している土地であるが、すべては九段に置かれていた「蕃書調所」から始まっていたのだなと理解。

現在では、大学のメインキャンパスはみな郊外に都心部からその周辺地域に移転しているが、サテライトキャンパスという形でふたたび都心に拠点を設けたりもしている。

昨日は、図らずして「近代日本の高等教育ゆかりの地」の歴史散歩を行ったことになったのであった。


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