「地下鉄サリン事件」が起こったのが、1995年3月20日。上九一色村のサティアンに強制捜査に入ったのが、その2日後の19953月22日。
間髪入れずに2日後に実行された強制捜査は、事前に周到に準備されたものであったが、TVで視聴していた一般人にとっては、警察の素早い対応のように感じられて、なにか劇場的な印象さえあったものだ。
TV報道の歴史においては、1972年の「あさま山荘事件」のナマ中継に匹敵することだろう極左集団による暴力的な政治テロも、宗教教団による暴力的な宗教テロも、その本質においては共通している。
さきほど2025年3月20日に、NHKスペシャルで放送された「オウム真理教 狂気の "11月戦争" 」は、あらたに発見された文書で明らかになった戦慄すべき事実をベースに、当時の映像をまじえて30年前の「オウム事件」を振り返る内容である。
未遂に終わったが、1995年11月計画されていたというクーデターは「国家転覆計画」であった。化学兵器テロを越えたクーデターを計画していたことが、あらためてクローズアップしたものであった。
「11月戦争」は、今後は「ク-デター関連本」にはかならず記載しなくてはならない事項だというべきだろう。近年ではドイツで陰謀論に突き動かされた「2022年ドイツクーデター未遂事件」が発生しているが、日本でも同様のクーデターが発生する可能性はゼロではない、
オウム真理教に対しては、宗教法人としての解散命令が下されたが、破壊活動防止法ですら左派リベラル派から、人権の観点からの強硬な反対があった。わたしとしてはむしろ、「内乱罪」を適用すべきだったのではないかと思うのである。
「サリン事件」から30年たっているが、いまだに過去のできごとには思えない。
そのとき乗車していた地下鉄丸ノ内線が、社内アナウンスもなしに霞ヶ関駅を通過したという、間接的だがリアルタイムでのニアミス体験を有しているからでもある。
■ソ連崩壊後の混乱するロシアにつけ込んだオウム真理教
しかも、オウムがつけ込んだソ連崩壊後のロシアの窮状は、あらためて想起する必要がある。
ロシア人が、あの時代だけは戻りたくないという切実な思いを抱いていることが、オウム関連の当時の映像をつうじて手に取るようにわかるからだ。
なぜロシア人はプーチンのような強権的なリーダーを欲しているのか、あの当時を映像で振り返れば納得されることだろう。自由も大事だが、ロシア人がなによりも安全と安心を求めていることは、あえて「マズローの欲求五段階説」を持ち出す必要もなかろう。
国内で1万人いたオウム真理教の信者(出家者+在家者)だが、なんとロシアで当時3万人(!)もいたのだという。飢えていたのは食料だけではなく、よりどころを失った精神は渇きも覚えていたのだ。
だから、その精神的飢餓状態につけ込むような形で、日本からはオウム真理教が、アメリカからはプロテスタント諸派が猛烈な布教活動を行っていたという事実を忘れるべきではない。
ソ連の崩壊は「国家崩壊」であった。オウム真理教は、その崩壊国家につけ込んで旧ソ連製の武器を調達し、日本国家を崩壊させようという黒い野望を抱いていたのだ。
「国家が崩壊」することがなにを意味しているのか。「国家を転覆」するとはなにを意味しているのか。その意味をあらためて考える必要がある。
<ブログ内関連記事>
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end