2011年7月12日火曜日

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)



 米国社会、特にビジネス社会でコミュニケーションがいかに必須のスキルであることか!

 このことについては、わたしが拙いコトバを書きつらねるよりも、作家・片岡義男のエッセイ「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 からの引用に語らせた方がいいだろう。

 これほど的確に、コトバを自由自在に運用する能力がすべてを決定していることを示した文章はほかにはない。はじめて読んだときに大いに納得して、抜き書きもしてみた文章だ。

 わたしは米国留学の際に、この本を日本からもっていった。そして、現地に暮らしてみて、まったくそのとおりだとつよく実感した。

 先日、パソコンのファイルを整理していたら、この抜き書きがでてきたので、そっくりそのまま紹介しておきたい。かなり長い引用になるが、すごく大事なことを指摘しているので、じっくり読んでみてほしい。

 
 「人生に成功をおさめるためにぜったいに欠かせない最大の条件は言葉に習熟することだ」、という伝統的な考え方が、アメリカにはある。この考え方は、いまでもつづいている。

 たとえば、ハーバード大学のビジネス・スクール(経営大学院)を出た人というと、アメリカではエリートになる可能性がもっとも高い人たちのうちに入るのだが、ハーバード・ビジネス・スクールで学んだことがあなたにあたえたさまざまな影響のなかで、最大のそしてもっとも大切なものはなにだと思うかと、友人たちにきいてみると、ほぼ全員が、『自分の考えていることを他人にむかって明晰に表現する能力の基礎をしっかりと身につけたことだ』とこたえてくれる。

 ハーバード・ビジネススクールにかぎらず、東部の名門でしっかりと猛勉強をしてきたアメリカ人の友人たちも、大学の勉強ぜんたいをとおして自分が得た最大のものは、言葉を使う能力を高度に身につけ、大学を出てからもずっと勉強をつづけていくための強固な土台をそれによって自分のものにしたことだ、とこたえてくれる。

 出世したり成功をおさめたり、トップにたつエリートになったりしたければ、アメリカで生きる場合まず最初にやらなくてはいけないのは、言葉の勉強なのだ。

 いろんな分野でトップの位置にある人たち、あるいはトップにむけて確実にのぼっていきつつある人たちと知り合ってまず最初にぼくが関心するのは、自分の考えていることを外にむけて表現するときの言語使用能力の次元がきわめて高くて深く、しかもそのことの基礎が非常にちゃんとしているということだ。

 アメリカはたいへんな階層社会だが、トップに近ければ近いほど言語使用能力が高度な次元のものになっていく。そして、主として街角で知り合う低い階層の人たちは、気の毒になってしまうほどに幼稚な、次元の低い言語能力しか持ってないことが、すぐに、そして、はっきりと、わかる。

 中間的な階層の人たち、あるいは中の下くらいの階層の人たちのなかには、もっと上へのぼっていきたいのになかなかのぼっていけず、鬱屈した思いを自分の内部にじっと閉じこめているような人たちが多いが、彼らも、これでは上昇はまず無理だなと思えるような言葉の使い方をしている。

 アメリカ社会はいろんな文化からの移民で構成されている。ことなった歴史や文化の背景をもった人たちを自分の国のなかに受け入れることに関して、一般的に言ってアメリカは非常に寛容的だが、言葉の使い方の習熟度を高めないことには、アメリカのほんとうの内部には絶対に入っていけない。英語が話せなくてもアメリカ市民として一生食っていくことはできるけれども、それはただ単にそれだけのことであり、アメリカの核心に接近することはできない。・・以下略・・

(出典)「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」(片岡義男)in 『ブックストアで待ち合わせ』(新潮文庫、1987 単行本初版 1983) *太字ゴチックは引用者(=サトウ)によるもの


 「自分の考えていることを他人にむかって明晰に表現する能力」、まさにこれである!

 アメリカのビジネス社会でコミュニケーション能力が特に重視されるのは、上記の理由による。コミュニケーション能力には、話す能力と書く能力の双方が含まれる。前者はプレゼンテーション、後者は論文だけでなく社内メモ、レターなどが含まれる。

 重要なのは、しゃべる英語と書く英語は異なるということである。しゃべり言葉なら許されても、書き言葉では間延びしただらだらした表現は、特にビジネスの世界では許されない。それこそアタマの程度を疑われることとなる。これはビジネスに限定されない。

 なお、この文章の初出は雑誌『ポパイ』に連載されたものだと「文庫本のためのあとがき」にある。アメリカの本について語ったエッセイである。

 現在からみれば、まだまだアメリカ文明が輝いていた頃の文章だが、ここに書かれていることは、40年ちかくたった現在でもまったく色あせていない。


自分の考えていることを、コトバで的確に表現し、相手に伝える能力を高める

 まずは自分の考えていることを、コトバで的確に表現し、相手に伝える能力を高めること。これが日本人にはもっとも求められていることだ。

 日本語は、なんとなくわかった気分になりがちな言語である。とくに漢字語が多いとその傾向が助長される。

 相手の話を鵜呑みにぜず、論理的に言語を分析すること、これは英文法の時間にいやになるほど勉強したはずだ。あまりいい思い出をもっていないかもしれないが・・。

 これは英語だけではなく、フランス語についても強調される。「明晰(めいせき)でなければフランス語ではない」と自慢されるフランス語の授業では、文法をひととおり勉強すると、l'analyse logique(アナリーズ・ロジック)とよばれる演習をしつこくやらされる。構文分析である。ものづくり用語でいえば、リバース・エンジニアリングといってもよい。分解だ。

 構文分析がキチンとできれば、作文は逆をやればいいだけの話だ。キチンと伝えたい文章は、論理的に構築することが求められる。

 しかし、感情に届くコトバを選択することも視野に入れなければならない。そのために必要なのはレトリックだ! ロジックだけで人は動かない


ロジックとレトリックは両輪

 ロジック(logic)とレトリック(rhetoric)。このふたつが両輪となって、伝わる文章ができあがる。すくなくとも西洋社会ではそれが常識だ。欧州文明の延長線上にある米国文明もその忠実な弟子である。

 ロジックが設計(デザイン)なら、レトリックは外装と内装。こういうアナロジー(比喩)も可能だろう。ロジックを建築をたとえてみれば、ロジックは骨組みであり、それなくして構築物は物理的存在として存在しえないものだ。

 ロジックとレトリックを取り違えている者が政治家にすくなくないのが日本だが、レトリックは、アリストテレス以来、基本的に「雄弁術」のなかで発達したものだ。日本の大学では教えられないが、米国の大学にはそのものずばり「レトリック」という授業がある。

 ロジックばかりが強調される昨今の日本だが、ロジックだけではクルマの両輪のうち、一輪を論じているに過ぎない西洋社会では、古代ギリシア以来、レトリックが重視されてきたことを知っておくべきだ。

 
作家・片岡義男の日本語論

 片岡義男(1940~)の小説はほとんど読んでいないわたしだが、英語と日本語にかんするエッセイは多く読んできた。平明だがあいまいさのない日本語は、ひじょうにわかりやすい。思想がすけて見えるような文体だ。英語をベースに日本語で書いているから(?)かもしれない。

 ちなみに片岡義男の父親は日系二世本人も東京生まれだが、少年時代はハワイに移住して英語教育を受けてきたひとだ。日本語で作家活動をしてきたひとなので、英語だけでなく、もちろん日本語もともに熟知している。

 戦後の日本では、大学教育を米国でうけた思想家の鶴見俊輔の文体に近いかもしれない。あと一人くわえれば、梅棹忠夫の文体だろうか。ともに「戦後日本の日本語文体」であるといっていいだろう。

 片岡義男には日本語や英語をテーマにしたエッセイや評論はすくなくないが、『日本語の外へ』『日本語で生きるとは』 という長編評論はぜひ読んでおきたい。たんなる語学を越えた、英語と日本語それぞれの内在的論理を知ることのできる、すぐれた評論である。

 日本語を母語とするひとは、なかなか自分自身を日本語で客観視することはむずかしい。その意味では、片岡義男という作家の存在は、日本語にとってはじつに貴重であるといっていいだろう。

 「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」。このアドバイスは、いまからでも遅くない。ぜひずべての世代の日本人は自覚してほしいものである。


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