■「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!■
「歴史にはイフはない」とは凡庸な歴史家たちの常套句である。だが、歴史が人間の営みの軌跡である以上、その時点その時点における判断と意志決定がその後の歴史の流れを大きく左右していく。
その判断と意志決定がなぜ、いかなる状況のもとでなされたかを、当事者意識でもって自分のアタマで考えることこそが、ほんとうの歴史を知ることの意味であるのだ。
これは政治リーダーだけではなく、日本国民の一人一人に求められていることだ。なぜなら、国民は投票や世論形成など、その他さまざまな形によって意思表示し、歴史の流れを変えることも不可能ではないからだ。
この「授業」は、受験界でも有名な私立男子校・栄光学院の歴史研究部のメンバーを対象に行ったものだそうだが、ビジネスマンのわたしからみると、ある意味ではハーバード・ビジネス・スクールで用いられる経営史のケーススタディにも近いものがある。歴史を傍観者としてではなく、当事者として考えて見よという姿勢が一貫しているからだ。
とはいえ、そのときどきの政治指導者や軍事指導者の立場にたって、最善の政策を考えよという授業は高校生にはきわめてヘビーなものだっただろう。大人でも考えながら読むのはヘビーなのだから(笑)。しかし、知的好奇心が強く、向上心のある人間にとっては最高に刺激的な授業であろう。
順序に従って「まえがき」と「序章」から読み始めたが、第3章からはがぜん面白くなり始めた。大衆社会が進展するなか、その当時はまだ男子に限られていたとはいえ、一般人が歴史の動きに、さまざまな方法によって参画し始めることが可能となってきたためであろう。
英雄豪傑や傑出した指導者の人物史ではなく、本書の主人公はじつは「日本国民」そのものである。その時代、その時代を、地政学的条件や社会資本の蓄積がいまだ十分ではないといったさまざまな制約条件のもとで精一杯生きてきた日本国民である。それはわれわれ自身であり、われわれの父母や祖父母、そしてそのまた先の世代の話でもある。
明治維新以来、徴兵制や義務教育の普及によって「国民国家」(nation state)の「国民」(nation)として成長してきた「日本国民」。名もなき市井の一般人が「国民」の一人として「声」を持ち、「声」の集合がチカラを発揮していったプロセスが日本近現代史そのものである。
このプロセスは、日清戦争と日露戦争からすでに始まっていたことが著者によって示される。国民の意思が何らかの形で反映していたのである。「総力戦」の時代においては、すでに戦争は政治家と軍人のものだけではなくなっていたのである。戦死という多大な犠牲を払うことになる国民の支持なくしては、たとえ軍部といえども勝手に動くわけにはいかなかったのである。これが著者のいう「社会契約」というものだ。戦争へという「空気」をつくりだしたのは、じつは国民自身による世論であった。
第3章と第4章がとくに面白いのは、今年(2011年)初頭から始まった中東世界の「民主化革命」、中国やタイの状況を、デジャヴュー感覚でみているような気がするからだろう。
「フランス革命」後のナポレオン時代のフランスがその典型であったが、国民国家は国民統合の求心力を外敵との戦争に求めやすい傾向がある。軍が権力の中心にいて、農民比率の高い社会というのは、近代化をすすめる発展途上国ではよくある話だ。もちろん安易な比較は禁物であるが。
第3章と第4章にくらべて、第5章がやや精彩を欠くのは、分量的にすくなく、やや物足りない気がするだけでなく、誰もがその破局的な結末を十分すぎるほど知りすぎているからかもしれない。
「大東亜戦争」(・・著者は「太平洋戦争」としているが)の結末を知らないという前提で、昭和16年(1941年)までの状況を直観的に理解するのは、じつはなかなか困難な課題なのだ。本書でも、後付けの説明にならないように、著者もかなり努力をして説明を行っているのだが、読者の側にそうとう程度の知的な取り組みとイマジネーションがなければ、ありのままの事実を受け止めるのは難しい。
本書は、かなり刺激的なタイトルであるが、中身はいたってロジカルなレクチャーと議論がぎっしり詰まった本である。著者の主張に賛成であれ反対であれ、「アタマの体操」として、ぜひ一度は読んでみることを多くの人にすすめたい。
<初出情報>
■bk1書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)
目 次
はじめに
序章 日本近現代史を考える
戦争から見る近代、その面白さ
人民の、人民による、人民のための
戦争と社会契約
「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」
歴史の誤用
1章 日清戦争-「侵略・被侵略」では見えてこないもの
列強にとってなにが最も大切だったのか
日清戦争まで
民権論者は世界をどう見ていたのか
日清戦争はなぜ起きたのか
2章 日露戦争-朝鮮か満州か、それが問題
日清戦後
日英同盟と清の変化
戦わなければならなかった理由
日露戦争がもたらしたもの
3章 第一次世界大戦-日本が抱いた主観的な挫折
植民地を持てた時代、持てなくなった時代
なぜ国家改造論が生じるのか
開戦にいたる過程での英米とのやりとり
パリ講和会議で批判された日本
参加者の横顔と日本が負った傷
4章 満州事変と日中戦争-日本切腹、中国介錯論
当時の人々の意識
満州事変はなぜ起こされたのか
事件を計画した主体
連盟脱退まで
戦争の時代へ
5章 太平洋戦争-戦死者の死に場所を教えられなかった国
太平洋戦争へのいろいろな見方
戦争拡大の理由
なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか
戦争の諸相
おわりに
参考文献
謝辞
著者プロフィール
加藤陽子(かとう・ようこ)
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
PS 2016年6月に新潮文庫から文庫化された。(2016年7月18日 記す)
正直いって前評判どおり面白かった。いや前評判以上というべきだろう。以下に、書評に書ききれなかったことをいくるか書いておきたい。
■「人口膨張」が戦前の日本にとっては大きな問題であった
地政学的状況、安全保障の観点からの「植民地拡大」という戦略を採用した日本国家。「海洋国家」という地政学的条件について、本書ではあまり強調されていないのが残念だ。
英国にとってのインドが、日本にとっての台湾と朝鮮、そして満洲であった。日本はそれ以外の植民地は、まさに「海洋国家」としての「安全保障」の観点から、面ではなく、点と線で押さえていたに過ぎない。
あとは膨張する人口問題解決という意味もあったことは、もっと強調すべきであった。
現在は、人口減少トレンドにある日本だが、かつては膨張する人口をどう食わせるかが、最大の課題だったのだ。だからこそ、移民問題で米国とは険悪な関係になったのである。
■民主主義が未発達であったために戦前の日本は・・・
本書のなかで重要なポイントだと感じたのは、日本の場合は国会で第一党をとったナチス党のドイツとは異なるということだ。このドイツの事例は、ワイマール共和国体制の崩壊は民主主義そのものによってなされた「民主主義の鬼子(おにご)」だという議論がよくなされている。
これに対して、日本では、政党政治では要求を満たされなかった農民や中小商工業者を中心とした国民大衆が、軍部を支持したことにあったのだ。これが第4章の内容であり、きわめて重要なことである。
とくに1925年には25歳以上の成人男子に限定されたとはいえ、「普通選挙」が実現したが、現在2011年の状況と同様、政党政治に対するきわめて大きな失望感が世の中全体にみなぎるに至った。
■事実をベースにした是々非々の「対話」が必要だ
ところで、Amazon でも、bk1 でも、わたしがネット書店に投稿した書評(レビュー)でも賛否両論のようだ。どうもい著者の好き嫌いが、そのまま発言の好き嫌いに反映しているようだ。
加藤陽子は「贖罪史観」だとかいって非難する論者もいるが、そんなことはどうでもいいことだ。この授業の記録を読んでみれば、かならずしもそうでないことがわかるはず。
このような非難をする論者は、自分色の色眼鏡をかけたまま、曇った目でレッテル貼りをして、虚心坦懐に読むという知的行為を放棄しているに過ぎないことを、悲しいかな、みずから露呈しているわけだ。
書評のなかでも書いているように、わたしは「大東亜戦争」と書くべきだという意見の持ち主なので、「太平洋戦争」と書く著者には、その点においては賛同できない。これは、かつてこのブログでも、書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006) でも書いたことである。現在の東南アジアを舞台に、英国やオランダと戦われた戦争が太平洋戦争ではないからだ。
米国との戦争は、その大半が「太平洋」を舞台にしたものであり、「太平洋戦争」というのも不思議ではない。ただ、米国に完膚無きまでにたたきのめされたという日本人の記憶が、占領中の米軍による「洗脳工作」とあいまって、日本人の脳裏に焼き付いてしまったのだろう。この点は、江藤淳が明らかにした「米軍による手紙検閲」など、すでに定説となっている。
そういった点はあるにしても、日本近現代史を「対話型授業」でやってのけた著者の能力と暴勇(?)は、素直に賞賛すべきである。読者は、授業に参加したつもりになって著者や高校生たちとの知的格闘を楽しむべきなのだ。
ただし、「対話型授業」とはダイアローグ(対話)をベースにしたものであり、ダイローグはディベートではない。これを混同している人が多いので注意が必要だ。
ものの見方は多元的、複眼的であるべきこと、これこそ歴史を学ぶ意義である。
(amazon レビュー 2011年8月28日現在 右クリックで拡大)
<関連サイト>
日本史近代を楽しむ野島研究室のページ
・・論文執筆名は加藤陽子、戸籍名は野島陽子とのこと。プロフィールと研究活動の履歴など
<ブログ内関連記事>
■民衆(ピープル)が「声」をもっていくのが歴史の不可逆の流れ-これがただしい歴史観というものだ
「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民なくして国家なし、されど国家なくして国民なし、とは言っていい。
書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・ナショナリズムは「近代」の産物
書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命そのものよりもナポレオン戦争が「近代」のカギであった
石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・
・・日本近代史を100年単位で、連続性と断絶をみる
エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
・・ついにアラブ世界でも「主権在民」の流れがメインストリームに
書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)
・・いかなる政治的思惑があろうと、大衆に「声」を与えたタクシン元首相は、ただしい歴史観の持ち主だ
映画 『イメルダ』 をみる
・・「ピープル革命」といえばフィリピン。革命された側の視点も重要だ
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・「応仁の乱」以降の日本史についての、内藤湖南の発言を引用しておいた。
■日本近現代史と戦争
書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・加藤陽子氏が文庫版の解説を執筆している
書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない
・・無謀な戦争であったが、その事実を直視するためには「大東亜戦争」と名付けた当時を想起しなくてはならない
書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)
NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?
秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)
書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)
書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!
■「対話型授業」とダイアローグ(対話)
「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある
「◆未来をつくるブック・ダイアログ◆『国をつくるという仕事』 西水美恵子さんとの対話」に参加してきた-ファシリテーションについて
書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・これは経済史の授業。加藤陽子教授の授業に近いかもしれない。ただしエグゼクティブ向け
「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
(2014年7月24日 情報追加)
(2021年11月19日発売の拙著です)
(2021年10月22日発売の拙著です)
(2020年12月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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