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2009年6月8日月曜日

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む


 美術史家・若桑みどりの畢生の大作『クアトロ・ラガッツィ-天正少年使節と世界帝国- 上下』(集英社文庫、2008、原著2003)を読了した。

 文庫本1,000ページを超えるこの大著を読み終えて思うのは、グローバル社会の中に生きざるをえない現在の日本人にとって、少なくともモノを考える日本人にとっての必読書だ、ということだ。

 自分自身を戦国時代末期の中に身を置いて考えることができれば--それは決して信長や、秀吉や、家康といった存在ではなく、その時代に生きたごくごく普通の人として自分を想定してみれば--それがよく理解できるはずである。

 クアトロ・ラガッツィ(Quatro ragazzi)とは、イタリア語で「4人の少年」という意味だ。戦国時代の末期の1582年、九州のキリシタン大名3人がローマ教皇庁に派遣した日本人少年たち4人、すなわち伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ、のことである。

 この本は、フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した1549年から、キリスト教が禁圧され少年使節最後の一人である中浦ジュリアン司祭が処刑された1633年までの約80年間、戦国時代末期から徳川時代初期までのいわゆる「キリシタンの時代」、すなわち日本がグローバル・プレイヤーとして、その当時ポルトガルとスペインが主導した西洋発の第一次グローバリゼーションの波の中で、西洋列強と対等に相対して振舞っていた時代を扱っている。

 著者の視点は、日本と西洋の両方にまたがっている。

 著者自身もいうように、この両者の視点から歴史叙述した例は、日本でも西洋でもないと思われる。日本史家は西洋史に暗く、西洋人の研究者はあくまでも自分たちを上に見ての歴史記述になりがちである。
 美術史家としてルネサンス美術を専攻してきた著者にとっては、専門分野での研究成果をフルに活用することができ、かつ西洋人ではなく日本人であるという実存から、西洋も日本も同じ視点にたって見ることができる。そしてまた、男性ではなく女性であることから、戦国時代ものにはよくありがちな支配者の側にたった歴史記述でもない。
 ところどころに著者の主観的感想を交えるスタイルが好感がもてるのは、史実に関しては、直接バチカンの文書館で原資料を博捜した上で、日本側の資料とも突き合わて、厳密な資料操作を行っているからである。

 登場人物は少年使節だけではない。

 プロジェクトの立案者にして推進者のイエズス会巡察師アッレッサンドロ・ヴァリリャーノ、そして彼をを取り巻く日本サイド、西洋サイドの諸々の登場人物。
 上は、信長・秀吉・家康を頂点とする戦国大名たち、そしてまたローマ教皇グレゴリウス13世にハプスブルク家出身のスペイン国王(ポルトガル国王兼任)フェリペ2世。
 下は、戦国末期の過酷な状況におかれていた名もなき日本の一般庶民たち。
 いつ殺されるかわからない時代に生きていたのは大名たちだけでなく、一般庶民もまた同じ状況にいた。
 現世があまりにも過酷であれば願うのは死後の救済のみである。
 平安時代末期の熱烈な浄土信仰が希求された時代より、はるかに深刻な状況であったであろう戦国時代末期に、熱烈なキリシタン信仰が燎原の火の如く爆発的に拡まったのは不思議でもなんでもない。
 限りなく一神教に近づいていた一向宗(=浄土真宗)と、一神教のキリスト教が、過酷な時代の一般庶民をめぐる「魂の争奪戦」を行っていた、と考えるべきなのだ。前者の一向宗は城砦化した石山本願寺に立てこもり、信長とは11年間にわたって激しい戦いをくり続けた。
 西洋と同時代の日本もまた、「宗教戦争」の時代であった。

 「少年使節」プロジェクトの趣旨は、第一に資金援助を請うこと、二番目には日本人の能力の高さを実際にヨーロッパ社会に知らしめること、であったという。
 ヴァリリャーノなくしては、「少年使節」プロジェクトはありえなかったことは重要だ。
 彼は西洋で発展したキリスト教を、異なる高度文明をもつ日本や中国に布教するためには、異文化を徹底的に理解した上で、その文化に適応した形で移植していくことが必要だと主張している。この考えに基づき、日本では当時の日本の布教責任者を更迭し、中国にはマッテーオ・リッチを送り込んでいる。
 この考えは現在、「インカルチュレーション」(inculturation)と呼ばれるメソッドとしてイエズス会では定着しているそうだが、実に300年早すぎた考えだったようである。
 国際マーケティング論としてはずば抜けた思考であるが、長くなりすぎるので、これについてはあらためて別の機会に。

 私も、大学時代に歴史学、しかも西洋社会史を専攻していることもあり、ずっと日本人=アジア人である自分が、なぜ西洋の学問を勉強するのか、実存そのものにかかわる問題として自問自答を続けてきた。西洋文明、とくに芸術文化に大きく魅了されてきたが、自分は西洋人ではない。「名誉白人」として扱ってほしいなど毛頭も思わない。
 しかし現実のアジアは、まだまだソフィストケートされているとは言い難く、自分自身アジア人でありながら、アジアの文化レベルの低いことをやり玉に挙げている自分をいまだに見出す・・・
 東洋文明の精神性をいかに称揚しようと、西洋の学問を習得し、西洋文明の枠組みの中にいるのは、日本人はいうまでもなく、その他近代アジアでもエリート層はみな同様である。16世紀に西洋と全面的にかかわりながら、そこから逃避して引きこもってしまった日本と日本人は・・・
 地政学的な状況、その他政治経済の状況と国際情勢を冷静に考えれば、他のアジア諸国のように植民地化されたかというとそれはなかっただろうと思われる。しかし、鎖国したことのない貿易立国サヤーム(=タイ)王国を考えると、また違う思考も必要になる。文明度の違いといってしまっていいのかどうか。 
 アユタヤ王朝のナレスアン王に仕えた日本人傭兵部隊の長、山田長政は、関ヶ原の役の生き残り武士であった。

 ポルトガルとスペインが主導した「大航海時代」は、実はイタリアのジェノヴァ商人とユダヤ商人が背景では主導権を握っていた大規模な投機経済であり、これが第一次グローバリゼーションの波として、米国の文明史家エマニュエル・ウォーラスティンのいう「世界システム」を形成した。
 日本ではヴェネツィア共和国については塩野七生の『海の都の物語』でよく知られているが、同じイタリアのジェノヴァ共和国についてもっと知らねばならない。コロンブス自身、ジェノヴァ人であった事実。
 ちなみに経済史的に見れば、日本の12年以上にわたって続く2.0%以下の低金利は、ジェノヴァの11年間(1611-1621)にわたった「利子率革命」を更新しており、エコノミストの水野和夫は「21世紀の利子率革命」と名づけるべきで、社会経済の激変期がある程度収束に向かうまで少なくとも20年は続く、といっている。

 日本とジェノヴァ、奇妙な暗合ではないか。ここにも「500年単位」の歴史が顔を出す。

 ポルトガルとスペインにとってかわったオランダと英国が、覇権争いの末に英国が勝利を収め、海洋帝国としてのグローバル・ネットワーク(=大英帝国)を築き上げたそのさなかに、徳川幕府は自由貿易体制を否定し、実質的な管理貿易体制である「鎖国」という選択肢を採用、日本を「世界システム」にとっての「外部世界」の位置に置き、世界の趨勢はオランダ風説書をとおして為政者のみがこれを知る、という徹底した情報統制を完成した。
 秀吉はキリスト教信仰は軍事力をもつ大名には禁じたが、一般庶民には黙認していたらしい。しかし家康は個人の思想信条に対する完全な「思想統制」を実行した。個人の内面にまで踏み込んだ統制を行っていたのである。
 著者はふれていないが、キリスト教だけでなく、日蓮宗の不受不施派や隠れ念仏なども徹底的に弾圧されたのである。

 こう考えていくと、 「少年使節」の悲劇は、日本人にとっての悲劇であった、という著者の表現も納得がいく。

 たとえ江戸時代の日本人が「パックス・トクガワーナ」(Pax Tokugawana)といわれる天下泰平を享受したとしても、個人の人格や人権といった普遍的な価値観が、日本内部から内発的に発生することはなかったであろうことは否定はできない。いや芽を摘まれた、というのが正確な表現だろう。
 19世紀半ばに再び全面的に開国して「JAPAN再デビュー」したとき、その時の日本人は16世紀の日本人とは異なり、西洋世界と対等にたっていると思うことはできなかった。すでに出来上がった世界である西洋世界に劣等感を抱き、ひたすら追い付追い越せというマインドセットにとらわれていたことは、昨日紹介したNHKの番組にみるとおりだ。
 19世紀、英国主導のグローバリゼーションの中でもがき苦しんだ末に自滅させられた日本を考えると、たしかに明治時代の先人は頑張ったが、日本の17世紀の選択が正しかったのかどうか・・・と思わざるをえない。歴史的想像力を駆け巡らせることが必要である。

 「この世紀(=21世紀)は、16世紀にはじまる、世界を支配する欧米の強大な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の抗争が最終局面を迎える世紀になるだろう。人類は異なった文化のあいだの平和共存の叡智を見いだすことができるだろか。それとも争い続けるのだろうか? それこそはこの本の真のテーマなのである。
 この500年を回顧することは、世界のなかでも日本のあり方を示してくれるかもしれない。私たちはいま500年単位で歴史を考えるときがきている・・・」(P.18-19)

 著者の問題意識が、「500年単位」の歴史にあること、これは非常に重要であると思う。
 
 著者は言及していないが、実は日本史だけを見ても「500年単位」で見たほうが正しい。これはすでに大正10年(1915年)、中国史家の内藤湖南が一般向けの講演「応仁の乱について」で指摘していることである。中国史の豊富な事実をもとに、日本史についても面白い指摘をしている。
 応仁の乱(1467-1477)について内藤湖南は、本質は下剋上による価値観の根本的変換であるとして、次のようにいっている:

 「とにかく応仁の乱というものは、日本の歴史にとってよほど大切な時代であるということだけは間違いないことであります。・・(中略)・・大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆ど(ほとんど)ありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらにしか感じられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。(後略)」(出典:『日本文化史研究(下)』、講談社学術文庫、P.61-64)。

 
 応仁の乱以降の100年間は戦国時代であり、この戦国時代の末期の1543年に鉄砲伝来、1549年にキリスト教伝来があった。つまり、日本と西洋はパラレルな関係にあり、ちょうどこの時期に日本は西洋主導の「世界システム」に巻き込まれたといえる。そして、戦国時代の終焉とともに、日本は「世界システム」からの離脱によって、統一日本を維持発展させる道を選択した。政治的選択としてはすぐれた意志決定であったとはいえる。
 ただ、「500年単位」の歴史をどの時点を始点に考えるか、議論はいろいろ分かれることと思う。
 また、出典は忘れたが、民俗学者の柳田國男も、日本人の生活習慣は室町時代、とくに応仁の乱以降に形成され今日にいたる、と述べている。
 
 もちろん、内藤湖南の発言も、柳田國男の発言も、いずれも1960年代以降の高度成長以前になされたものである。両者ともに、高度成長期以降の日本社会の急激な変動を目撃していない。
 経済史家の見解をみると、1960年代以降の高度成長時代に、農業人口が激減したことによって、明治維新や第二次世界大戦の敗戦といった激動期でもなかった大きな変化が日本人の生活習慣に現われており、流通システムなど江戸時代に完成した様々な社会システムが崩壊を始めたことを指摘している。
 つまり、応仁の乱(1467年)に始った「500年単位」の歴史は、すでに1960年代には終わり、あらたな「500年単位」の歴史に入っていると、少なくとも日本についてはいえるだろう。

 私がかつて自分のウェブサイトにこう書いたのも、それを踏まえての発言なのである。

 つれづれなるままに(2001年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。
 すでに「戦国時代」に突入して25年(高度成長開始からすでに「戦国時代」と考えるべきです)、価値観もすべて500年に1回の大混乱の最中ですが(いずれ数十年後には落ち着くことでしょう)、こういう時代の大転換期はとにかく、どんな形であれ、生き続けることが重要です。
 惑わされることなく、粛々と生きていきましょう(2001年1月1日)。


 若桑みどりは言及していないが、日本はただ単に「世界システム」に巻き込まれたのではないという見方も可能である。
 梅棹忠夫の「生態史観」でみれば、ユーラシア大陸をはさんで両岸にある日本と西洋は、その発展がパラレルなものであり、これは厳密な歴史学用語としての「封建制」(feudalism)が存在したのが、日本と西欧だけである(!)ことからも説明される。
 ほぼ同時期に(!)、西欧では宗教改革と絶対王政への道という近代へむけての激動期に入り、日本では応仁の乱から始まった激動が戦国時代を経て国家一統にまで至っていた。
 互いにまったく関係なく(mutually independent)、ほぼ同時に社会変動を経験しているのである。これは広い意味でのシンクロニシティ(共時性)といえるかもしれない。

 しかし梅棹忠夫の『文明の生態史観』(中公文庫、1974、原著1966)は、西洋側からは正当に評価されていないらしい。日本が西洋と同じはずであるわけがない、と西洋人は意識の底では思っているようだ。
 いまだに西洋人は自分たちのことを日本人を含めたアジア人より上に置いており、また日本人がそれに真っ向から反論しなければならないことは、松原秀子の『驕れる白人と闘うための日本近代史』(田中敏訳、文藝春秋、2005 原著はドイツ語)という本の 序章を読めば明らかである。ドイツのTV番組で自説を主張した著者は、翌日TV番組をみたという女性から街頭でいきなり平手打ちをくった、という。はからずも西洋人の意識の心底にあるものが露呈した一瞬であった。
 その意味では、梅棹忠夫や若桑みどりのような歴史の捉え方は、西洋では存在しにくいのかもしれない。

 織田信長は比叡山焼き討ち、一向一揆を打ち破って浄土真宗を屈服させ、一方キリスト教を優遇してバランシング・パワーとして既存宗教の牽制を行った。
 秀吉は旧来の神仏勢力と結びつくことによって権力基盤を強化、これを継承した家康は、秀吉をさらに徹底、完全な思想統制に基づく宗教政策により「世俗化」への道筋をつける・・・
 こう考えると日本は世界にさきがけて「世俗化」した社会を作り出した、ともいえるのであり、少なくとも宗教に足をからまえれて経済発展ができなかった、ということは経験せずに済んだといえる。
 江戸時代、キリシタン禁止のために導入された「五人組制度」などの相互監視制度は「世間」という形で現代に生き残り、日本人を無意識にしばり続けている。

 いやはや歴史解釈は難しい。

 現在から過去を再構成する以上、著者自身の価値観、現代への関心に大きく引きずられるのは仕方がないことだ。

 しかしながら、「500年単位」の歴史で考えなくてはならない。
 次の500年がどうなるのかは、その渦中にいるだけに、容易に想像しがたいのだが・・・

              

<付記>
 2009年8月11日に文章全体に手を入れて、論旨がより明瞭になるための修正を加えました。







<関連記事>

Europe, the International System and a Generational Shift(George Friedman, STRATFOR, November 8, 2011)
・・ジョージ・フリードマンもまた、1500年から1991年を500年単位と捉えている。(2011年11月15日 追加)





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書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

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