2023年8月31日木曜日

映画『ケロッグ博士』(1994年、米国)を公開30年後にはじめて視聴した ー 実話をもとにしたこのコメディは傑作であり快作だ!

 
映画『ケロッグ博士』(1994年、米国)を amazon prime video ではじめて視聴した。このコメディは傑作だ。いや快作というべきか。爆笑につぐ爆笑の2時間であった。

と同時に、米国の菜食主義(ベジタリアニズム)の歴史を考えるうえで、きわめて重要な人物を取り上げた映画でもある。健康へのオブセッションを笑いに変えた快作である。

19世紀後半から20世紀前半にかけてのドイツ発の「生活改革運動」を扱った『裸のヘッセ』と『踊る裸体生活』を読んでいたら、ケロッグ博士の名前がでてくる。

おお、あのコーンフレークのケロッグのことか! ケロッグ博士もまたベジタリアンで、医者としてサナトリウムを運営していたのか、と。この時代のサナトリウムは、日本で連想するような結核療養所だけでなく、生活習慣全般の改善を行うリゾートタイプの治療施設であった。

しばらくしてから、そういえば「ケロッグ博士」とかいうタイトルの映画があったな、と思い出してネットで調べてみた。

なんと『ケロッグ博士』は、1994年に日本公開されているというではないか。いまから30年近く前のことにある。

映画の中身も確認せず、視聴もしていなかったのは、バブル崩壊のなかハリウッド映画への関心を失っていたためかもしれない。米国留学から帰国して2年後のことだったのだが、ビデオを借りまくって韓国映画ばかり見ていたのだった。




というわけで、 amazon prime video でさっそく視聴したわけだが、ブリジット・フォンダが助演女優として出演していたのか! 

わたしが大好きな『リトル・ブッダ』の翌年の作品ということになる。夫婦でサナトリウムに滞在するためにミシガン州のバトルクリークにやってくる設定である。ブリジット・フォンダは、わたしが好きな女優のひとりだったが、映画に出なくなって久しい。

それにしても、ケロッグ博士を演じているのがアンソニー・ホプキンズとは! 

どうしても『羊たちの沈黙』のレクター博士の印象が強いのだが、おなじく強烈なキャラであるとはいえ、ケロッグ博士はレクター博士とはまったく違う。とはいえ、この映画でもまさに快演というべき演技である。

ケロッグ博士と彼が経営していたサナトリウムは、ミシガン州のバトルクリークにあった。

この設定じたいは実話に基づくようだが、基本的に小説が原作なので、登場人物の多くはフィクションであろう。


■ケロッグ博士と彼が経営していたサナトリウム

さて、ケロッグ博士とは、あのコーンフレークのケロッグの生みの親である。

フルネームは、ジョン・ハーヴィー・ケロッグ(John Harvey Kellogg)。1852年に生まれ、亡くなったのは1943年。みずから考案した「健康法」の実践者だけあって89歳の長命を保ったわけだ。


(実物のケロッグ博士 Wikipediaより)


シリアルは彼が経営するサナトリウムでの療食食として開発されたものだ。このほか、ピーナッツバターも彼の発明である。

ケロッグ社の本社がミシガン州のバトルクリークにあるのは、サナトリウムがバトルクリークにあったからだ。ケロッグ社の経営は、のちにサナトリウムから独立した、弟のウィル・キース・ケロッグが行うことになる。




オリジナルの英語版タイトルは、The Road to Wellville(ウェルヴィルへの道)。日本語でいえば、「幸福村」あるいは「健康村」といったニュアンスか? 

「健康リゾート」というべきであろう。クアハウス(Kurhaus)やリトリート(Retreat)、あるいはスパ(Spa)とよばれているものだ。長期滞在型の療養施設である。




時代設定は1907年。20世紀初頭であり、おそらく当時の米国はドイツが発祥の「生活改革運動」の影響下にあるのだろう。

映画の後半には Dr. Spitzvogel なるドイツ出身で女性に性感マッサージを行う医師が登場したり、男性が股間に装着するドイツ製の精力増強マシン(?)が登場するのは、そういった背景を暗示しているためか。これらの点については、調べてみたい。

ケロッグ博士が設立し個人経営していた「健康リゾート」は、正確には「サニタリウム」となっている。「バトルクリーク・サニタリウム」(Battle Creek Sanitarium)である。英語のつづりは sanitarium であり、このほうが sanitary からの類推がききやすい。


(バトルクリーク・サニタリウム全景の絵はがき Wikipediaより)


療養所では、「代替療法」(オルタナティブ・メディスン)が実践されていた。

発明家でもあったケロッグ博士が考案した、電気コイル治療、高圧電気風呂、マッサージベルトなどの治療法は、100年以上たった現在から顧みたら、医学的根拠に乏しい奇妙きてれつでへんてこなものが多い。ありのままを忠実に再現すると、はからずしてコメディになってしまうというわけだ。

まあ、具体的なことは映画を直接見てもらえばいいが、ホメオパシーやホリスティック医療として、現在も行われている治療法も、もちろんある。


(実践されていた「呼吸法」 Wikipediaより)


肉を食べるなという菜食主義。タバコもアルコールカラダに悪いから禁酒禁煙カラダに悪いからという理由で療養所ではセックスも不可で、夫婦であっても寝室は別となっていた。もちろんマスターベーションも禁止

そして、呼吸法(breathing exercise: in and out)の実践。

また、治療法としての浣腸(enema)をこよなく愛していたらしい。大腸洗浄である。その前提として、よく噛んで食べること(fletcherize)が奨励されていた。消化をよくするためである。

そういえば、もうだいぶ前のことになるが、タイはチェンマイの療養リゾート施設 Tao Garden で一連の代替医療を受けたことがあったのを思い出した。滞在客の大半は欧米の白人ばかりだった。

その意味では、たとえ東洋文明の影響を受けていても、菜食主義や代替医療はあくまでも西洋文明の一部なのである。


■菜食主義はセブンスデー・アドバンティスト教会の教義から

どうやら、こういった主義主張は「セブンスデー・アドバンティスト教会」の教義から来ているらしい。ケロッグ博士は、この教会の信者であり、草創期の重要なメンバーであったのだ。

セブンスデー・アドベンチスト教会(Seventh-day Adventist Church:SDA)は、19世紀後半の米国で生まれたプロテスタントの一派である。

「セブンスデー」とは週の第7日目のことで、日曜日ではなく土曜日が安息日となる。「アドベンチスト」(Adventist)は、キリストの再臨(Advent)を待ち望む者のことを意味している。

菜食主義をもちこんだのは、創始者のエレン・ホワイトだという。「セブンスデー・アドバンティスト教会」は、米国における菜食主義の歴史において、きわめて重要な位置づけにあるわけだ。

調べてみると、「セブンスデー・アドバンティスト教会」は、Sanitarium Health and Wellbeing Company という会社を所有しているようだ。オーストラリアとニュージーランドで営業しているようだ。

日本では三育フーズ」がベジタリアン・フードの製造・販売を行っている。ウェブサイトには、「三育フーズは穀物・卵乳菜食のポリシーを掲げ、植物たんぱく食品、ゴマ加工品などを製造しております」とある。

「卵乳菜食」にかんしては、ウェブサイトに掲載された「企業理念」にはこうある。

三育フーズは卵乳菜食を提唱しています。それは動物性原料の栄養成分が健康に及ぼす影響だけでなく、農薬などの環境汚染による影響が植物連鎖の面から考えて植物性原料よりも大きいと考えられ、さらに狂牛病など動物に発症した病気が食物からよりも人間に移りやすいなどの理由によります。但し、動物性の食品を全く摂取しないとビタミンB12が不足する可能性があり、必要に応じて摂取すべきであるとの学説があります。その為、吟味した卵・乳製品を原料とした商品も提供しています。


なるほど、これなら実践可能だろう。正直いって完全なベジタリアンであるヴィーガンの実践は、究極の理想だとしても、実践はきわめてむずかしいから。


(1910年代のケロッグ社の広告 Wikipediaより)


朝食にシリアルに牛乳をかけて食べるライフスタイルは、日本で定着してから久しいが、そんな背景があったのだな、と。ケロッグ博士まで連想することはあっても、さすがに宗教的背景など、まず意識することなどない。

映画『ケロッグ博士』は、爆笑につぐ爆笑のコメディ映画であるが、この映画の背景を知るとさらに知的に楽しめるのである。


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2023年8月29日火曜日

書評『韓国文学の中心にあるもの』(斎藤真理子、イーストプレス、2022)ー 文学作品をつうじて「逆回し」で「現在」から「過去」にさかのぼって考える韓国現代社会史

 

韓国文学に熱い視線が向けられているという話は、よく目にするようになった。

『82年生まれ、キム・ジヨン』という本が日本でベストセラーとなり、女性読者のあいだでで大きな話題になっていることも知っている。最近は早くも文庫化された。

また、「Z世代」とよばれる若年層のあいだでは韓国文化への関心が高いようだ。韓国の若年層もまた日本文化への関心が高いようだ。「Z世代」(Gen Z)とは、1990年代後半から2010年生まれの世代をさしている。

若い世代どうしで相互理解が進むのはたいへんよいことだ。好き嫌いは別にして、まずは知ることが大事だからだ。

かれら自身は意識することもないだろうが、中高年層の男性を中心とした「嫌韓」とは一線を画している。というより、過去をよく知らないから偏見なく接することができるのかもしれない。

そんな熱視線を浴びている「韓国文学」について解説された本があるということをネットで知った。『韓国文学の中心にあるもの』(斎藤真理子、イーストプレス、2022)がそれだ。著者は、『82年生まれ、キム・ジヨン』の翻訳者である。


■「逆回し」で「過ぎ去らない過去」を意識させる構成

なぜ韓国文学がいま熱いのか、その理由を知りたくてこの本を読んでみることにした。

桜色というか、薄いピンク色のカバーの表紙のこの本は、女性読者を意識したものなのだろう。書店でも海外文学か女性エッセイのコーナーに置かれていた。

読み始めたら、ぐいぐいと引き込まれていくのを感じた。どんどん先を読みたくなってくるのだ。たんなる解説書を超えた、深い洞察に満ちた本である。この本じたいがひとつの作品として捉えるべきだ。

思ったよりも中身の濃い、重厚な内容であった。韓国文学がもつ倫理性、韓国哲学研究者の小倉紀蔵氏のことばを借りたら「道徳志向性」にそうさせるものがあるのだろうが、著者の文体にもあるのだろう。「ですます調」はいっさいつかわない、ある種の硬質な文体である。

きわめて知的で、深い考察をつづる文体。語彙の選択の適切さ。対象が対象であるだけに、内省的で、慎重にならざるをえないという面もあるだろう。つまりこのテーマを扱うには、知的にならざるをえないのである。




現代から始めて、過去にさかのぼっていくという構成がいい。

まずは話題になった『82年生まれ、キム・ジヨン』から話が始まる。著者のチョ・ナムジュ自身が1982年生まれ、小説が発表されたのは2016年、日本語訳がでたのが2019年である。韓国での映画化2019年でその翌年には日本公開されている。導入としては最適だろう。




この本が読ませるのは、「現在」から始まって、どんどん「過去」にさかのぼっていく構成となっていることだ。

「現在」は「過去」の集積のうえに存在するからだけではない。韓国の現在には、「過ぎ去らない過去」が見え隠れしているからだ。「過去」が「過去」になっていないのが韓国社会なのである。重層的な構造になっているのである。

現在から過去にさかのぼっていく構成は、本書でも取り上げられている『ペパーミント・キャンディー』(2000年)とおなじだ。

「IMFショック」(1997年)で壊滅的打撃を受けた韓国で猛威を振るった「新自由主義」のなか、起業するが夢破れ、人生に挫折していくある青年の物語である。




「20年間の韓国現代史を背景に、ひとりの男が絶望の淵から人生の最も美しい時期までをさかのぼっていくという手法」と、DVDの解説にある。男性としては、どうしても感情移入してしまう内容なのだ。

現代女性の生きづらさを描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』に匹敵するといっていいかもしれない。

わたしはこの映画はDVDで何度も繰り返しみているが、原作は読んでいないので正確なことは言えない。おそらく原作もその構成をとっているのだろうとしておく。

わたしは、それを「逆回し」と称して、現在から過去にさかのぼる形式の歴史書を執筆している。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)がそれだ。リーマンショックから始まり、アメリカ独立と同年に出版されたアダム・スミスの『国富論』までさかのぼった試みだ。

じつはこの構成は、『ペパーミント・キャンディ』をヒントにしていることを、ここに告白しておこう。


■あまりにも過酷な韓国現代史と、そこから生み出されてきた韓国文学

『韓国文学の中心にあるもの』も、「逆回し」の手法で現在から、「セウォル号事件」と「キャンドル革命」、「IMF危機」、「光州事件」、「朴正熙(パク・チョンヒ)時代」、「朝鮮戦争」、「植民地支配からの解放時代」へとさかのぼっていく

近過去が現在に大きな影響を及ぼしているのは当然だが、すでに70年以上前の過去も過去になっていないのが韓国社会である。

韓国現代史は、近過去もその前の過去も、あまりにも過酷で、さかのぼれば、さかのぼるほど過酷になっていく。

韓国へのコミットの度合いは大きく異なるものの、わたしは1960年生まれの著者とはほぼ同世代なので、ある種の共通経験と共通感覚をもっている。

「朴正熙時代」の末期から韓国を意識しだしたわたしは、「光州事件」もまたリアルタイムで知っている。しかも、それらは他人事としてではない。当事者の体験として韓国人自身から軍隊時代の体験として聞いていた。だが、それ以前の歴史はあくまでも映画その他をつうじて知っているに過ぎない。

イデオロギー戦争であった朝鮮戦争がもたらした不幸、その前史となる日本からの解放時代がすでに分断状況が激化していたことなど、「過ぎ去らない過去」を意識することが日本の読者には必要なのだ。韓国を知ることは、日本について知ることにもつながるのである。

いわゆる「恨」(はん)など手垢のついた概念をつかわずに、現代日本に生きる読者を念頭に考えるという姿勢がいい。あくまでも日本語訳をつうじて接する読者にとっての意味を考えるためだ。

ここで取り上げられた小説は、映画化された映画は別にして、はるか昔の金素雲によって書かれた日本語の著作以外はほとんど読んでいない。だが、作品ごとに適切な解説がなされているので、たとえ読んでいなくても、その作品とその背景にある世界観を手に取るように理解できる気分になってくる。

読んでいてひじょうに印象に残ったのが、チョ・セヒによる『こびとが打ち上げた小さなボール』という小説だ。

「維新時代」すなわち朴正熙時代に戒厳令が敷かれていた時代に書かれた奇跡のような連作は、韓国では現在も読み継がれていて「ステディ・セラー」なのだという。日本語でいうロングセラーよりもアクチュアリティの高い表現である。

この小説も著者である斎藤氏によって日本語訳され、しかもつい最近になって文庫化されたようだ。ぜひ読んでみたいと思う。



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目 次 
まえがき
第1章 キム・ジヨンが私たちにくれたもの
第2章 セウォル号以後文学とキャンドル革命
第3章 IMF危機という未曾有の体験
第4章 光州事件は生きている
第5章 維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』 
第6章 「分断文学」の代表『広場』 
第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である 
第8章 「解放空間」を生きた文学者たち 
終章 ある日本の小説を読み直しながら 
あとがき
本書関連年表
本書で取り上げた文学作品
主要参考文献


著者プロフィール
斎藤真理子(さいとう・まりこ)
翻訳者、ライター。1960年新潟市生まれ。明治大学考古学科卒業。1980年から大学のサークルで韓国語を勉強、91年からソウル延世大学語学堂に留学。92年から96年まで沖縄で暮らす。訳書に『カステラ』(パク・ミンギュ著、ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン)、『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著、河出書房新社)、『ピンポン』(パク・ミンギュ著、白水社)など。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞受賞。2020年、『ヒョンナムオッパへ』(チョ・ナムジュ他、白水社)で韓国文学翻訳大賞(韓国文学翻訳院主催)受賞。(斎藤真理子 かみのたね(フィルムアート社 ウェブマガジン)に掲載されているもの)

 


<関連サイト>

・・こちらもまた読ませる文章。日本語の文章力の高さが、名翻訳を生む力になっているのだろう



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2023年8月28日月曜日

書評『「蛮社の獄」のすべて』(田中弘之、吉川弘文館、2011)ー 渡辺崋山は 19世紀前半の「国策捜査」の犠牲者、この事件は蘭学弾圧が主目的だったわけではない

 
ちょっと前のことになるが、『「蛮社の獄」のすべて』(田中弘之、吉川弘文館、2011)という本を読んだ。

「蛮社の獄」とは、1839年(天保10年)に起こった事件のことだ。江戸時代後期の事件である。「獄」と名前がついているように、蘭学サークルの中心にいた渡辺崋山と高野長英など著名な人たちが逮捕され投獄された事件のことだ。

渡辺崋山についてもっと知りたいと思って、もはや古典ともいうべき書誌学者の森銑三ドナルド・キーンや比較文学の芳賀徹によるものなど、さまざまな本を読んでこの事件について調べているなか、正面から扱った本が意外とすくないことを知った。本書の著者の田中氏もまたそのようなことを書いている。

著者の田中氏は、無人島を意味する「ボニン・アイランズ」、つまり「幕末の小笠原」を調べていて、その関連でこの事件に取り組むことにしたらしい。


■「国策捜査」であった「蛮社の獄」

この本を読んでいて思ったのは、これは19世紀前半の「国策捜査」というべきだな、ということだ。

事件の指揮をとったのは、老中・水野忠邦の右腕として辣腕をふるった鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)。甲斐守であったこともあって、耀蔵の「よう」と甲斐守の「かみ」をあわせて、「妖怪」と陰では呼ばれていたらしい。幕末の歴史にくわしい人なら、悪役(ヒール)として記憶にあることだろう。

(渡辺崋山の肖像画 弟子の椿椿山によるもの Wikipediaより)


被害者だった渡辺崋山は画家として有名だが、田原藩家老をつとめた武士。国宝になっている鷹見泉石の肖像画や、重文の佐藤一斎の肖像画で有名だ。

幕末の内憂外患状態のなか、本人はオランダ語は習得できなかったが、「蘭学の施主」として蘭方医の高野長英や小関三英などに翻訳の仕事をさせていた。

「国策捜査」とは、検察当局が捜査方針を決める際、ときの政権の意図や、世論の動向を踏まえて、かならずしも有力な根拠を欠いたまま、「まず訴追ありき」という方針で捜査を進めることをいう。

この表現は、現在は作家の佐藤優氏が外務省時代に逮捕され投獄されたのち、第一作となる『国家の罠 ー 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社、2005)で使用されたものだ。佐藤優氏の発明ではなく、捜査担当の検事がそう言ったのだという。わたしもこの本を読んで「国策捜査」なることばを知った。

その後発生したホリエモンこと実業家の堀江貴文氏が「ライブドア事件」で逮捕投獄された事件でもつかわれ、一般に定着することになった。

本書は基本的に研究書であり、しかも研究者である著書は、間違っても「国策捜査」なる表現をつかたりはしないが、虚心坦懐に本書を読んでいくと、「蛮社の獄」はまさに「国策捜査」以外の何者でもなかったことがわかる。

なぜなら、「蛮社の獄」は「つくられた事件」であり、一罰百戒を狙った見せしめ的なものであったからだ。つまり冤罪事件でもある。

事件の核心に据えられたのは「無人島渡航計画」なる実態のあやふやな計画である。渡辺崋山も高野長英らも、「鎖国」という国法を犯しての計画であるとし、この計画に関与しているとされ逮捕投獄されたのだ。

危機感を抱いていた渡辺崋山は「開国策」を主張していたが、それが幕藩体制の「祖法」である「鎖国」という、国策の根本に触れることへの認識が不足していたのである。脇が甘かったというべきかもしれない。

ただし、かなりの程度のフレームワーク(でっち上げ)が存在したことは否定できないが、これまた意外なことに、「吟味」においては事実関係の調査がかなり公正に行われており、かならずしも一方的な弾圧とまでは言い切れないものがある。

たしかに、渡辺崋山が田原藩の重臣ではあったが幕臣ではなく交友関係もひろくて目立っていたのでターゲットにされ、ずっと内偵が行われていたのである。自白主義の捜査は江戸時代も同様で、崋山は心ならずも罪を認めて獄中生活を送ることになった。

獄中生活で身体を壊してしまったが、最終的に死罪一等は免ぜられ、蟄居扱いとなっている。師であった佐藤一斎の指摘どおり、渡辺崋山は武士であったからだ。医者の高野長英が看守を買収して脱獄し、顔をつぶして各地に潜伏生活を送ったことは、比較的知られているかもしれない。

(高野長英 Wikipediaより)


だが、同時に逮捕された町人たちと僧侶は獄中死している。獄中における過酷な拷問のためとされている。

身分制度のもと、権威主義体制の体制維持のための「国策捜査」で犠牲になったのは、渡辺崋山や高野長英だけではなく、無人島渡航計画を雑談レベルで話していた無名の民間人たちであた。


■捜査を指揮した鳥居耀蔵という「悪役」の真相

捜査を指揮した鳥居耀蔵は、大学頭の林術斎の息子として生まれ、名門旗本の鳥居家に養子として入った男であった。べらぼうに頭が切れ、林家の出身だけに儒学を中心とした教養も深く、しかも堅い信念の持ち主であった。

言い悪いは別にしたら、使命感のきわめてつよい人物であり、しかも、強靱な精神力の持ち主であった。現在でも東大出身の高級官僚や、そういったエリート官僚出身の政治家に見られるタイプである。

幕藩体制という「権威主義体制」を身体を張ってでも守らなくてはならないという使命感の持ち主だったのである。現在の中国共産党をはじめとする権威主義体制を支えている政治家や高級官僚たちとなんら変わりがない。

鳥居耀蔵は、水野忠邦が失脚後の不義理な振る舞いにより、水野が一時的に復権された際には、今度は本人が失脚することになった。丸亀藩預かりとなって20年以上にたって軟禁状態になっていたが、その間にも心が折れることなく幕府の崩壊と明治維新後まで生き抜いている。

『鳥居耀蔵 ー 天保の改革の弾圧者』(松岡英夫、中公新書、1991)によれば、だから俺の言うとおり「開国」などしなければよかったのだ、という意味の発言をしているという。

最期は介錯なしの切腹で果てた渡辺崋山、逮捕され処刑された高野長英は、ともに「開国」後の日本を知ることができなかった。その他の獄中死した町人たちもあわせて考えれば、人間の運命というものにある種の感慨を抱かずにはいられない。

「蛮社の獄」は「国策捜査」だったわけだが、わたしはこの事件を現代日本に引きつけすぎて読んだのかもしれない。だが、本書『「蛮社の獄」のすべて』によって、この事件の複雑な性格を知ることができたのは幸いだった。

複雑な事件の真相を多面的に、絡め手で迫り、複合的に解明した好著といえよう。関心のある人に、ぜひ一読を薦めたい。




目 次 
はじめに

研究史の回顧と問題の所在
蛮社の獄の背景
林家と蛮社の獄
鳥居耀蔵
渡辺崋山
田原藩の助郷と海防
渡辺崋山と江川英竜
高野長英
小関三英
モリソン号事件
江戸湾巡視
尚歯会と蛮社
『戊戌夢物語』と『慎機論』
無人島
鳥居耀蔵の告発
一斉捕縛と取調べ
判決とその周辺
蛮社の獄をめぐって

あとがき


著者プロフィール
田中弘之(たなか・ひろゆき)
1937年東京に生まれる。1964年駒澤大学文学部歴史学科卒業。元駒澤大学図書館副館長。著書には『幕末の小笠原』(中公新書)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


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・・「証人が、その事態について、感情の上で同意か不同意かを、日本語は見事に表現してしまう。そうしないためには、日本語ならざる日本語、つまり官庁式答弁をするほかはない。他方、現実のその事態がどんなものかについては、ややいい加減で済む。だから、われわれは伝統的に自白を重視する。これは言語の特性だから、しかたがない。日本語は、使用者の心理状態と、ことばとの間の関節が固いのである」  告発者の「自白」と心理的動機の関係について考察するヒントになる


・・国宝の鷹見泉石像を描いたのは渡辺崋山

・・重文の佐藤一斎像を描いたのは渡辺崋山

・・渡辺崋山はまだ平穏無事だった頃に旅した鎌ケ谷の風景

・・高野長英はシーボルトの弟子であった


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2023年8月27日日曜日

書評『中国哲学史 ー 諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』(中島隆博、中公新書、2022)ー 西からやってきた「外来思想」との対決と変容から考える中国哲学史

 
この本は面白かった。じつに面白かった。中国関連の本でこれほど知的に面白く、最初から最後まで読ませ本はなかなかない。わたしのように中国を専門としない人間こそ読むべき本だろう。

3000年の中国哲学の通史を、全世界的な流れのなかに位置づけて、その起源から現代までコンパクトな形でまとめあげた本だからだ。新書版の形にまとめあげるのが大変な作業であったことが「あとがき」に記されているが、その苦労がしのばれる。

というのも、『中国哲学史 ー 諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』というタイトルにもあるように、教科書にも登場する諸子百家や朱子学は別にして、現代の「新儒家」まで中国3000年の哲学史を通史の形にまとめあげるのは、大きな軸となるストーリーが必要だからだ。その軸となるものを見つけ出し確定することは、狭い意味の専門家の範囲を越えた仕事である。

冒頭で「中国哲学」は「哲学」かという問いがなされている。これは一般読者向けというよりも、哲学研究者からの批判を想定したものであろう。というのは、「哲学は古代ギリシアから始まった」とされているからだ。

だが、インド哲学と中国哲学は、当然のことながら「哲学」であるといっていい。それぞれ自前の哲学思想があるからだ。孔子による儒学や、老荘思想といった自前の哲学を生み出してきたのは中国である。

とはいえ、中国哲学も外部からの影響をまったく受けていないわけではない

影響というよりも、むしろきわめて強力な「外来思想」との対決と受容が「中国哲学史」の大きなテーマであることは、目次をみればよくわかることだ。

それは著者によって「パラダイムシフト」と表現されている。それ以前と以後で思考の枠組、つまりパラダイムそのものに大きな変化がもたらされているのである。

21章ある構成のなかに「パラダイムシフト」とされるものは3つある。「仏教」と「キリスト教」そして「西欧近代」の3つである。

第9章 仏教との対決 ー パラダイムシフト1
第14章 キリスト教との対決 ー パラダイムシフト2
第17章 西洋近代との対決 ー パラダイムシフト3

「仏教」は2世紀にインドから、「キリスト教」は16世紀にカトリックの宣教が、そして19世紀には「西洋近代」が、中国に多大なインパクトをもたらしたのである。

いずれも中国からみたら、西からやってきた異質で、きわめて強力な「外来思想」である。

具体的な内容については、本文を読むのがいちばんだが、仏教とにかんしては対決と変容から(受容すなわち禅仏教のような中国化とそれへの反発)生まれたのが「朱子学」を中心とした「宋学」でありキリスト教にかんしては中国における対決と受容そして排斥の成果は、日本人は主として漢籍をつうじて取り入れてきた。

日本思想史を考えるにあたっても、中国の状況をしておかなくてはならないのである。


■西洋近代の影響以降の東アジアにおける中国の位置づけ

三番目の「西洋近代」には、プロテスタントのキリスト教、米国を含めた西洋世界からの近代思想の流入があげられる。禁教政策をとっていた日本に先行して、租借地において英米の宣教師による宣教活動と聖書の漢訳が行われ、幕末の日本に漢訳聖書が持ち込まれることになった。

だが、それ以外の近代思想にかんしては、むしろ逆転して、日本での受容との成果が中国に流入する形になっている。明治維新後の日本が積極的かつ猛烈に西洋そのものを吸収したからだ。西洋で生まれた概念語は、日本であらたにつくられた漢字語として表現されることになり、自由や社会などの概念語は中国に逆輸入されることになった。

最終章で解説される、現代中国の「新儒家」の思想は、読者としては新鮮な印象を受けた。21世紀における儒教復興。西洋近代思想との対決後の儒教復興。現代にかんしては、専門家のあいだは別として、中国独自の思想の流れが日本で紹介されることがあまりない。知らないことを知るのはよいことだ。

西洋世界もまた中国哲学のインパクトを受けてきたことに留意する必要があろう。キリスト教布教がキッカケとなって、17世紀以降には中国哲学が西洋にもたされたのである。西洋の啓蒙思想には中国哲学の影響がある。影響というものは一方的なものではなく相互関係なのである。

世界がグローバル化した結果、古代の中国哲学は日本など東アジアに限らず、すでに世界の共有財産であるといっていい。それだけでなく、パラダイムシフト以降の中国哲学の軌跡についても知っておくことが重要であると、本書を通読してあらためて感じた。




目 次
まえがき
はじめに ー 中国哲学史を書くとはどういうことか
第1章 中国哲学史の起源
第2章 孔子 ― 異様な異邦人
第3章 正しさとは何か
第4章 孟子、荀子、荘子 ー 変化の哲学
第5章 礼とは何か
 コラム1 『孫子』ー 配置の哲学
第6章 『老子』『韓非子』『淮南子』ー 政治哲学とユートピア
第7章 董仲舒、王充 ー 帝国の哲学
第8章 王弼、郭象 ー 無の形而上学
第9章 仏教との対決 ー パラダイムシフト1
第10章 『詩経』から『文心雕龍』へ ー 文の哲学
第11章 韓愈ーミメーシスと歴史性
第12章 朱熹と朱子学 ー 新儒学の挑戦
第13章 陽明学 ー 誰もが聖人になれる
第14章 キリスト教との対決 ー パラダイムシフト2
第15章 西洋は中国をどう見たのか1 ー 17~18世紀
第16章 戴震-考証学の時代
第17章 西洋近代との対決 ー パラダイムシフト3
第18章 胡適と近代中国学の成立 ー 啓蒙と宗教
第19章 現代新儒家の挑戦 ー 儒教と西洋哲学の融合へ
第20章 西洋は中国をどう見たのか2 ー 20世紀
第21章 普遍論争 ー 21世紀
おわりに
あとがき
参考文献
中国哲学史 関連年表
人名索引

著者プロフィール
中島隆博(なかじま・たかひろ)
1964年生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専攻博士課程中途退学。中国哲学・世界哲学研究者。東京大学大学院総合文化研究科准教授、東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2014年より東京大学東洋文化研究所教授、2020年より東京大学東アジア藝文書院院長。著書『共生のプラクシス―国家と宗教』(東京大学出版会、第25回和辻哲郎文化賞)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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