「日本本主義の父」とされる渋沢栄一は、いわゆる「論語と算盤」というフレーズに象徴される儒教倫理で近代ビジネスを律した人だ。
だが、その主著である『論語と算盤』は、タイトルに引きずられことなく虚心坦懐に読んでみることが必要だろう。
というのも、儒教や論語は、幕末に教育を受けた豪農出身の渋沢栄一にとっての「教養」であっても、すでに近代化のプロジェクトが完成し、近代以後に生きている日本人にとっては、かならずしもそうではないからだ。
たしかに儒教の教典をそらんじていた人の訓話であるから、読み慣れないむずかしい漢字も多いし、表現も古くさいものがある。だが、内容はきわめて実践的で現代でも十分に通用するものだ。というよりも、現代人にとって十分に自分のものとしなければならないビジネス倫理を説いた内容である。
■経営者向けの「自己啓発」としての講演や訓話
『論語と算盤』は、経営者向けの講演や、竜門会という後進育成を目的とした結社で行った訓話を筆記したものを項目別に編集したものに、儒教を代表する『論語』と商売人にとっては命である「算盤」(そろばん)というキャッチフレーズでまとめあげたものだ。1916年(大正5年)の出版である。
『渋沢栄一』(渋沢秀雄、渋沢青淵記念財団竜門社、1961初版)には、渋沢栄一は後進が事業を計画するときへのアドバイスとして、以下の4項目の「心得」をよく反省した上で事業をはじめなさいと教えていたとある。
1. その事業が道理正しいかどうか
2. 時勢に適しているかどうか
3. 人の和を得ているかどうか
4. 自分の分(ぶん)にふさわしいかどうか
事業開始のタイミング(=時勢)や事業の協力者(=人の和)が重要であることは当然のことながら、「その事業が道理正しいかどうか」という第一の心得は、なんだか稲盛和夫氏の「動機善なりや」を想起させるものがある。
「自分の分(ぶん)にふさわしいかどうか」という教えは、儒教的な古くさい印象を受けながらも、内容的には自分の能力のキャパシティ(=うつわ)を正確に把握せよという教えだ。
幕末の豪農や豪商の「教養」がいかなるものであったかを念頭に読んでみる必要があるだろう。前近代の日本から続いてきた「修養」としての「教養」。
ただし、江戸時代後期の商人たちにきわめて大きな影響を与えた「石門心学」のような通俗商業道徳とは異なるのは、渋沢栄一の父親が藍玉の栽培と販売で成功した新興豪農であり、武士的な「教養」の持ち主であったことも大きいのだろう。息子の渋沢栄一も、実態としては「商」であっても、身分としては「農」の出身であった。しかも、本格的に儒教の古典を精読し読み込んで「教養」を身につけた人であった。
明治時代は「成功時代」といわれているが、新渡戸稲造の「修養主義」的な自己啓発書などとともに、現在からみても内容的には面白い。日本型自己啓発書の発想の源泉は、明治時代以前の「教養=修養」であった漢籍にあったからだ。
『論語と算盤』は現在では現代語版もでているが、「渋沢栄一入門」としてはそれでもいいかもしれない。だが、やはり渋沢栄一自身の語り口こそ味わってみたいものだ。みずからの体験談を交えた具体的で実践的な内容で、読むとじつに面白い。
「目次」でおもしろそうな項目をみたら、その文章だけ拾い読みしてみるのもよい。「この章ではここに注目」という抜粋要約もあるので、それを読むだけでもいい。とはいいながら、読んでいると面白いので、結局はぜんぶ読みたくなってくるのではないかな?
(渋沢栄一 wikipediaより)
■「義利一致」は理想と現実を一致させるためのビジネス倫理
渋沢栄一がいわゆる「論語と算盤」というフレーズで象徴された儒教倫理とは、一言で要約してしまえば「義利一致」というフレーズになる。
儒教の徳目である「義」と商売人にとって重要な「利」の一致である。「義」(=理想主義)と商売人にとって重要な「利」(=現実主義)の一致させることを説いたものだ。道徳なき商業における拝金主義を否定し、利益追求を蔑視した道徳をともに否定するのは、実業界で財界リーダーであった渋沢栄一ならではの教えといえるだろう。
渋沢栄一自身は、『論語と算盤』のなかで「仁義と殖利」、「道義と金銭」という表現を使用しているが、まさにビジネス倫理のエッセンスといえるだろう。これは経営者のみならず、経済活動に従事する者であれば、かならず悩むことになる二律背反的というかダブルバインド的な状況でいかに行動するかを説いたものなのだ。
だが、疑問に思うのは、なぜキリスト教でも仏教でもなく儒教なのか? という点だ。
幕末に公務でフランスに1年半滞在し、業務の関係上フランス語会話もできた「欧化主義者」であった渋沢栄一だが、なぜかキリスト教の影響は受けていない。倫理的規範はあくまでも「実践倫理」としての儒教に求め、明治時代以降に拡がったキリスト教も、前近代から存在する仏教も「宗教」として遠ざけている。非合理的なものを徹底して嫌っていた近代合理主義者の姿勢が生涯をつうじて一貫していたことがわかる。
旧幕臣の少なからぬ人たちがキリスト教を受け入れているのだが、渋沢栄一は心ならずも幕臣となったとはいえ没落士族ではない。もともとが経営者マインドの強い富裕な豪農の出身であって、旧武士階級出身ではない。武士的なエートスはあくまでも後天的に教育をつうじて身につけたものであったために、武士以上に武士的なメンタリティも身につけたのであった。
もちろん、渋沢栄一も攘夷運動の未遂による挫折や、日本不在中に幕府が崩壊するなど、やる気を喪失した失意の時期を過ごしているが、キリスト教などの宗教に安心立命の境地や救いを求めたりするタイプではなかったようだ。「維新の負け組」ではないから、敗残者意識もなかったのであろう。
東京商工会議所会頭としてアメリカの実業界と深い交際を行うようになった後半生に興味深いエピソードがある。『渋沢栄一』(渋沢秀雄、渋沢青淵記念財団竜門社、1961初版)から引用しておこう。缶詰メーカーの経営者ハインツや腕時計メーカーの経営者ワナメーカーとの交際のなかで交わされた会話である。
栄一も近い将来、東京でひらかれる日曜学校世界大会の後援者だったので、このふたりとその打ち合わせをしたのである。
するとふたりは期せずして、栄一に同じ質問をこころみた。
「いったいあなたは、どうして日曜学校の世界大会にそう熱心なのですか?」・・(中略)・・
そのとき栄一はこう答えている。
「私はキリスト教も仏教も信仰していませんが、人は自己の為にのみ生くべきものではないという信念を東洋哲学で深く感じています。この点キリスト教精神と同一であろうと思います」(P.97~98)
アメリカの慈善行為(=フィランスロピー)は、キリスト教やユダヤ教に基づくものであるが、渋沢栄一は宗教でなくても、儒教に代表される東洋哲学がそれに該当すると語っているのである。
ちなみに、キリスト者の内村鑑三は、 『後世への最大遺物』(1894年)のなかでアメリカの実業家が慈善行為にカネを惜しまないことを絶賛 している。渋沢栄一にかんする言及はないが、日本の実業家たちも慈善にはカネを惜しまずつかっていたことは明記しておきたい。
もう一つエピソードを引用しておこう。『聖書』と『論語』の大きな違いについて、期せずして語っている後妻の述懐である。『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)から引用しておこう。
一説には、栄一が生涯になした子は二十人近くにのぼるといわれる。後妻の兼子は晩年よくいった。
「大人(たいじん)も論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで教えが守れっこないものね!」
『論語』には性道徳に関する訓言がほとんどない。だから、「明眸皓歯(めいぼうこうし)に関することを除いては、俯仰天地に恥じない」などと堂々と言えたのであって、性道徳に厳しい『聖書』だったら身が保たなかっただろう、という妻でこそいえる皮肉であった。(P.195~196)
渋沢栄一の『論語』にもとづくビジネス倫理は、下半身とは無縁の教えであったということだ(笑)
■渋沢栄一の『論語』は朱子学的解釈ではない!
渋沢栄一の儒教は朱子学ではない! これはきわめて重要なポイントだ。
主観的で抽象的な観念論に終始する朱子学と違って、渋沢栄一の儒教解釈はきわめて具体的で実践的なものである。幕府の官学とも違う柔軟な解釈によるものであることを、日本を代表する儒教研究の第一人者である加地伸行氏が「日本企業の先駆者の汲めども尽きせぬ知恵」と題した「解説」で指摘している。「士魂商才」という概念など、まさに渋沢栄一ならではのものだ。
幕府は朱子学を官学としており、親藩である水戸藩との人的つながりの強かった渋沢栄一だが、『論語』をはじめとする儒教の教えは、原典そのものを生涯にわたって熟読精読することをつうじて自分のものとしていたのであった。
だからこそ、『論語と算盤』においては、朱子学とはまったく異なるプラクティカルな解釈にこそ注目すべきだろう。朝鮮や中国でキリスト教が普及したことや、維新の負け組となった旧幕臣たちのなかの少なからぬ者たちがキリスト教徒になったのは、朱子学とキリスト教が親和性が高いからだと、朝鮮をフィールドワークしていた文化人類学者の泉靖一氏が指摘しているとおりである。
大乗仏教がブッダその人の言行録である『ダンマパダ』とはまったく異なる印象を抱かせるのと同様、朱子学と孔子その人の言行録である『論語』は異なるものである。
目 次
日本企業の先駆者の汲めども尽きせぬ知恵 (加地伸行)
凡例
格言五則 (加地伸行訳注)
処世と信条
立志と学問
常識と習慣
仁義と富貴
理想と迷信
人格と修養
算盤と権利
実業と士道
教育と情詛
成敗と運命
格言五則 (加地伸行訳注)
解題 (加地伸行)
著者プロフィール
渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)
1840年、深谷市生まれ。幕臣。維新後、1869年明治新政府に仕官。民部省、大蔵省に属した。辞任後は、第一国立銀行をはじめ500社前後の企業の創立・発展に貢献した。また商工業の発展に尽力、経済団体を組織し商業学校を創設するなど実業界の社会的向上に努めた。(amazonより)
■渋沢栄一関連
書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝
書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る
日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた
書評 『渋沢栄一-社会企業家の先駆者-』(島田昌和、岩波新書、2011)-事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く
『雨夜譚(あまよがたり)-渋沢栄一自伝-』(長幸男校注、岩波文庫、1984)を購入してから30年目に読んでみた-"日本資本主義の父" ・渋沢栄一は現実主義者でありながら本質的に「革命家」であった
『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!
書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
■アメリカ資本主義とビジネス倫理
内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・「この講演のなかでは、アメリカ的な慈善(=フィランソロピー)のためにカネを設けるということを美徳として評価もしていることに注目すべき
「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・アメリカではキリスト教というバックボーンがあったので、このような「両立」が可能であった。ひるがえって日本ではキリスト教に該当するものはなにかと考えたとき、渋沢栄一の脳裏にあったのが論語ということなのだろうか? 孟子とキリスト教に共通性についての指摘が研究者にされている
■論語と儒教などについて
書評 『漢文法基礎-本当にわかる漢文入門-』(二畳庵主人(=加地伸行)、講談社学術文庫、2010) 儒教がそもそもグロテスクなものであることは、古田博司氏の・・・を読んでみればよい。わたしは個人的には、世界的な漢字研究者の白川静博士の『孔子伝』を読んでみるとよいと薦めておきたい。
「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
(2014年12月23日 情報追加)
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