ひさびさに映画館で韓国映画を見た。キム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』((피에타, 英題: Pietà)2012)である。東京渋谷の Bunkamura のル・シネマで見た。
なんとも表現のしようのない、衝撃的な映画だった。感動とかそういった安っぽい表現を拒絶する内容。残念ながらそれを表現するコトバを持ち合わせないわたしは、ただ衝撃を受けてラストシーンを見ながら固まっていたとのみ書いておく。
悪魔のような残忍な手段で闇金の取り立てを行う虚無的な若い男。その男の前に突然あらわれた母親だと主張する女。この2人の男女の関係が密接になるにつれて明らかになってくる、さらなる残忍な事実の連鎖。ストーリーについてはこれ以上書かないほうがいいだろう。
描かれているのは、超格差社会となっている韓国の現実。
もともと格差の大きな社会であったが、グローバリゼーションのなか格差はさらに拡大し、底辺で呻吟する人間は、搾取する側もじつは搾取される存在であり、その無限連鎖がさらなる悲劇を生む。どこにも出口もない。どこにも救済を見出すことができない絶望的状況。
全編にわたってクチにされる「ケーセッキ」という不愉快な子音の響き。ケーセッキとは、日本語では犬野郎という意味の韓国語のスラングだ。畜生よりもはるかにののしりの要素がつよい。
最後の大どんでん返しとそれにつづくラストシーンに唖然としながらも、そしてありえない設定であるはずなのに、なぜかそこにリアルさを感じさせてしまう。
愛の物語である。母の無償の愛である。拒絶されながらも受け入れる愛。その愛は子を包み込み、そして子もろとも滅ぼしてしまうパワー。救済はどこにあるのか。わからない。
ウソくさい韓流ドラマとは違うリアルな世界を描いたのが映画という芸術だ。わたしは韓流ドラマはほとんど見ないが、韓国映画はずいぶん見てきた。
『嘆きのピエタ』が、「第69回ベネチア国際映画祭」で最高賞の金獅子賞を受賞したのも当然だ。見る価値のある映画である。人生の真実を見つめるために。
■韓国の超零細企業という最底辺で呻吟(しんぎん)する人々
20歳で海兵隊に入隊するまで17歳から工場で働いていたという1960年生まれのキム・ギドク監督は、大学卒のエリートが幅をきかす韓国社会ではきわめて異色の存在だろう。
国際的に成功した有名人だからこそ尊敬もされるが、厳しい学歴身分社会である韓国では底辺に位置づけられる存在である。
底辺から見るという視線、これはキム・ギドク監督のような前半生を過ごした人でなければもつことのできない。ものすごくリアリティのある描写は、その世界を知っている監督ならではである。現在52歳の監督が17歳であった頃よりも、はるかに過酷さの増しているのが現在の底辺の人生。
この映画にでてくる社長は、一人かあるいは妻と二人でやっている家内工業的な零細中の零細の自営業者だ。おそらく学歴は中卒や高卒であろう。若い頃には兵役を体験し、のれんわけのような形で機械を買い独立したのだろうか。
だが、韓国の中小零細企業については書いておかなければならないことがある。
日本なら、東京の大田区や墨田区、関西なら東大阪には機械工業の集積地帯があるが、韓国の中小部品工業の製品レベルは正直いって低い。わたしも機械部品産業にいたことがあるのでそれはわかる。
政府がいくら音頭をとっても、いっこうに中小企業が育たないのが韓国である。いや、中小企業を育てるという環境が、大企業はもとより、社会のなかにまったくといっていいほど存在しないのである。一方的に買いたたかれるだけでは、産業として育つわけがない。
大韓民国は1948年の建国以来、日本に対する貿易赤字が解消したことはない。日本の部品がなければ韓国製品など成り立たないことは、サムスンのスマートフォンも同様だ。これは、その分野のビジネス関係者なら周知の事実である。
「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」と歌ったのは歌人の石川啄木だが、『嘆きのピエタ』に登場する下請けの機械メーカーの社長たちもまた「じっと手を見る」。
しかし、「じっと手を見る」がその手はさらなる稼ぎをつくりだすのではない。その手を物理的に失うことを代償に保険金をゲットし、そしてそのカネを借金返済にあてる。
やりきれない思いをするのは登場人物たちだけでなく、それを見る観客もまた同じだろう。
日本にも 『闇金ウシジマ君』 というマンガがあるが、底辺に生きる者たちが暴利で食い物にされる構造は日本も韓国も違いはない。
だが、韓国のヤミ金事情は日本の比ではないようだ。韓国が世界有数のアングラ経済大国であることは、『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)の第8章「高級マンションはヤミ金大国の象徴」を参照されたい。零細業者が金融機関から正規の融資を受けることは至難の業なのである。
そして、手荒な手段で借金返済させる闇金の取り立て人で生きている虚無的な主人公もまた、見えない巨大な機構の末端で使用される道具に過ぎないのだ。
人生とは、残酷なものなのだ。とりわけ半島の国民として生きるということは。
■ピエタ、そしてキリエ
ピエタというのは、十字架からおろされて、まさにいま息が絶えなんとするイエス・キリストを抱いた聖母マリアの像のこと。聖母子像である。
ピエタ(pieta)と英語では piety に該当する、日本語では「敬虔」という意味だ。
(ミケランジェロのピエタ wikipedia より)
兵役を終え、絵画修業のためヨーロッパに滞在していた頃、キム・ギドク監督はローマでミケランジェロのピエタを見たのだという。冒頭に掲載した映画ポスターと比較してみるといいだろう。この映画は、ミケランジェロのピエタからモチーフを取ったのだと。
ラストシーンに流れる音楽から聞こえてくる「キリエ・エレイゾン」というフレーズ。ギリシア語で「主よ憐みたまえ」という意味だ。カトリックで使われる祈りのコトバである。
PS 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)は、この映画を理解するための必読書として、とくに推奨いたします。
『嘆きのピエタ』 公式サイト(日本版)
영화 피에타 (Pieta, 2012) 예고편 (『ピエタ』トレーラー韓国語版 YouTube)
Pieta (피에타) - Trailer - korean drama, 2012 [Eng subbed] (トレーラー 英語字幕つき)
中小企業のデータを持たない韓国・中小企業庁-売上高も把握できず、他省庁との連携も未熟(東洋経済オンライン 2014年1月8日)
<ブログ内関連記事>
マンガ 『闇金 ウシジマくん ① 』(真鍋昌平、小学館、2004)
書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける
書評 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)-この本を読んでから韓国について語るべし!
書評 『韓国のグローバル人材育成力-超競争社会の真実-』(岩渕秀樹、講談社現代新書、2013)-キャチアップ型人材育成が中心の韓国は「反面教師」として捉えるべきだ
書評 『凶悪-ある死刑囚の告発-』(「新潮45」編集部編、新潮文庫、2009)-ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない
本の紹介 『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)
書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)
書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する
・・「キリエ・エレイゾン」はギリシア語だが、それ以外のラテン語の祈りのコトバを解説
書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
(2014年1月7日、4月8日、8月19日 情報追加)
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