先日のことだが、アレクシ・ドゥ・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読了した。1ヶ月ほど前のことになる。部分的な引用はよく目にするが、全体を通しで読んだことがなかったのだ。
「読まなくては・・」という投稿を SNS の ことしの7月にFB にしてから、ちまちまと読み続けて1ヶ月かかったわけだ。読み飛ばすわけにはいかない重要なことが書かれているからだ。
購入してから10年以上も積ん読のままになっていたが、さすがに「2024年米国大統領選」が接戦状況となって、急速に面白くなってきたこの機会に読んでしまわないと、つぎはまた4年後(!)になってしまうからね。
自分で口に出して宣言(?)して、自分で自分を追い込みでもしない限り、こういう古典的著作はなかなか読まないものだ。
■なぜフランス革命後に生まれた若きフランス貴族がアメリカを視察したのか?
さて、岩波文庫版で4冊ある『アメリカのデモクラシー』だが、「第一巻」(上・下)と「第二巻」(上・下)で構成されている。原著にかんしては、前者は1835年の出版で、後者は1840年の出版である。
「フランス革命」後に生まれた若き貴族であるアレクシ・ドゥ・トクヴィル(1805~1859)は、法学を修めたのち共和制の政府のもとで判事となる。
(トクヴィルが45歳のときの肖像画 Wikipediaより)
1830年の「7月革命」でルイ・フィリップの王政が始まってから、公務員として新体制への宣誓を余儀なくされる。内心ではそれがいやだったが、なんとか口実をつくってアメリカ調査旅行を実現させた。
アメリカの監獄制度の調査旅行を企画したのである。公務での海外出張の許可を得て、盟友とともにアメリカに渡って9ヶ月にわたって精力的に視察を行った。1830年のことだ。
その公務による海外出張の副産物が、1835年に出版された『アメリカのデモクラシー』(De La Démocratie en Amérique)なのである。当然のことながら原文はフランス語である。
もちろん、公務出張なので「アメリカの監獄制度」の調査報告書も如才なく提出しているとのことだ。
とはいえ、本来は副産物であった『アメリカのデモクラシー』こそ、トクヴィルがほんとうは書きたかったもので、「第一巻」は一気呵成に数ヶ月で書き上げたという。 だからこそ、読んでいて若き著者の情熱や意気込みが感じとることができるわけだ。
『アメリカのデモクラシー』はフランスではベストセラーになり、その後、英語にも翻訳されることになる。
内容にかんしては、古典的名著なのでこまごまと紹介する意味はないだろう。わたしなりに簡単に感想を書いておきたい。
■法実務家による「アメリカのデモクラシー」の制度面の分析
1835年に出版された「第一巻」を一貫しているのは、「アメリカのデモクラシー」の制度面にかんする分析が、法律実務家の立場から、実地の観察と文献をもとに詳細に行われていることである。
「共和制で連邦国家」というのが「アメリカという国のかたち」(constitution)であり、これが1776年の建国から13年後の1889年に制定された「アメリカ合衆国憲法」(Constitution of the United States)に規定されている。
この点にかんしては、トクヴィルの時代からすでに200年近い追い現在、建国からまもなく250年になるアメリカだが、環境変化に応じて「修正条項」(Amedments)が追加されているとはいえ、「憲法」つまり「国のかたち」(Constitution)にはいっさい変更はない。根幹部分に変化はないのである。これはきわめて例外的なことかもしれない。
日本では State を「州」と訳すのでわかりにくいが、 State は「国家」を意味することばである。だから、United States とは「連合国家」であり、「合衆国」というよりも「合州国」と訳したほうが実態に近い。
異なる表現をつかえば、 Federation(連邦)となる。 個々の State と Federation の関係は、日本人にはなかなかわかりにくいかもしれない。明治維新後の「中央集権」体制のもとにある、日本の都道府県と中央政府の関係とは違うのである。1776年の建国以来、米国においては State と Federation のコンフリクトは小さくない。
後者の Federation中心 の立場を代表する「連邦主義者」が、アレクサンダー・ハミルトンやマディソンに代表される論客たちで、かれらが精力的に執筆した『ザ・フェデラリスト』である。ちなみに、明治憲法の生みの親である伊藤博文は、英語版の『アメリカのデモクラシー』と『フェデラリスト』(こちらはもちろん英語)をつねに座右において熟読していたという。
だからこそ、State と Federation の関係について詳細に記述しているトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は、いまなお読む意味があるといえる。
一般市民の日々の暮らしに密接にかかわる地方自治は、「州」レベルの領域であり、さらにいえば「タウン」という小単位まで降りてこないといけない。
「連邦」レベルの話は、外交や軍事、そして徴税にかかわるものだ。 日本でもよく知られているFBI(=Federal Bureau of Investigation)は、あくまでも連邦レベルの法執行機関である。
徴税は連邦政府の所管事項であるが、「付加価値税」(≓ 消費税)は個々の「州」レベルの話であり、州ごとに税率が異なるのである。*
*わたしはニューヨーク州に住んでいたが、ニューヨーク市の税率は、ニューヨーク州のその他の地域よりも高く設定されていた。
トクヴィルは、アメリカで「相続税」が導入されていることを特筆している。
世襲制への対抗措置としての相続税は、現在の日本人には当たり前すぎて読み飛ばしてしまうだろうが、タイ王国のようにいまだに相続税が導入されていない国や、香港のようにいったん導入されたがその後廃止された地域があることを知っていれば、トクヴィルの驚きも理解されようというものだ。
このほか、読んでいてわたしが強い印象を受けたのは、「アメリカのデモクラシー」を草の根レベルで支えているのが「陪審制」(jury system)の存在であり、とくに「民事での陪審制」のもつ意味が大きいという指摘だ。
その心はなにかというと、一般市民の義務である「陪審員」として裁判に参加することが、権利と義務の関係を知り、デモクラシーがいかに機能しているかを学ぶことになるからだ。それも身近なテーマである「民事」であればなおさら、ということになる。
■「デモクラシー」はアメリカ人の生活と思想にいかなる影響を与えているか?
1840年に出版された「第二巻」は、「第一巻」とは違って、「アメリカのデモクラシー」がアメリカ人の生活と思想にいかなる影響を与えているかについて、個別のテーマごとに考察が行われているが、さすがに現在では当てはまらない話も多い。
1830年代当時、州の数は34に増えていたが、大規模な内戦となった「南北戦争」(1861~1865)の前の話であり、しかも20世紀にアメリカも参戦した2つの「世界大戦」の前であり、さらには本土がはじめて攻撃された2001年の「9・11」の前の話であるからだ。
とはいえ、なかなか鋭い考察だなと思われる事項もあった。 たとえば、「なぜアメリカはビジネス文明なのか」についての分析や、「アメリカ女性の自立性」など興味深いテーマもある。
なかでも、「デモクラシー体制の軍隊はなぜ緒戦では弱いが、戦争が長引くと強くなっていくか」についての分析など、なるほどとうならされるものがある。トクヴィルの時代からすれば、はるか後世のことであるが、第二次世界大戦における「日米戦争」の推移を見れば、大いに納得がいくものだ。
トクヴィルについては、「デモクラシー」についての思想家で「社会学の元祖」の一人という扱いがなされているが、まずなによりもアメリカ理解のための基礎文献として読むのが、もっとも素直な読み方だと思う。
もちろん、トクヴィル以後の200年で何が変わったのか、何が変わっていないのかについて、考える材料として捉えることが必要である。
書けば長々となってしまうので、ここらへんでやめておくが、下手な解説書を読むより、いきなり本編に取り組んだほうがいいと思う。
というのは、古典とされている本は、時間の試練を経ても生き残っているから古典なのである。それをどう読むかは読者次第であり、著者との対話をつうじて得るものが個々人で異なるのは、当然といえば当然なのだ。
『アメリカのデモクラシー』は、2020年代の現在でも読む価値はある。そう確信した次第だ。
岩波文庫版は、意外と日本語訳の訳文も読みやすいので、アメリカを制度面から理解するために、「第一巻」くらいは、ぜひ読んでおくといいと思う。ただし、日本語版に索引がないのが、玉に瑕なのので、自分で線引きするなり、付箋をつけたりするしかない。
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目 次第一巻(1835年)序文第一部第1章 北アメリカの地形第2章 出発点について、またそれがイギリス系アメリカ人の将来に対してもつ重要性について第3章 イギリス系アメリカ人の社会状態第4章 アメリカの人民主権原理について第5章 連邦政府について語る前に個々の州の事情を研究する必要性第6章 合衆国の政治裁判について第7章 連邦憲法について第二部第1章 合衆国では人民が統治するとまさしく言える事情第2章 合衆国の政党について第3章 合衆国における出版の自由について第4章 合衆国の政治的結社について第5章 アメリカの民主政治について第6章 アメリカ社会が民主政治から引き出す真の利益は何か第7章 合衆国における多数の全能とその帰結について第8章 合衆国で多数の暴政を和らげているものについて第9章 合衆国で民主的共和制の維持に役立っている主な原因について第10章 合衆国の国土に住む3つの人種の現状と予想されるその将来にかんする若干の考察第二巻(1840年)序言第一部 デモクラシーが合衆国における知的活動に及ぼす影響第1章~第21章(*詳細は省略)第二部 デモクラシーがアメリカ人の感情に及ぼす影響第1章~第20章(*詳細は省略)第三部 デモクラシーが固有の意味の習俗に及ぼす影響第1章~第26章(*詳細は省略)第四部 民主的な観念と感情が政治社会に及ぼす影響について第1章~第7章(*詳細は省略)第8章 主題の概観
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<ブログ内関連記事>
・・フランス人のトクヴィルが渡米したのは1830年代前半。その100年の1930年代の米国でウィーン出身の社会生態学者ドラッカーが考察したこと
・・「この映画のもう一人の主人公である「合衆国憲法」、とくに「権利章典」ともいわれる「合衆国憲法修正10カ条」(1791年制定)が大きな存在感を示す。合衆国憲法には、「人権」について定めた「権利章典」が欠けていたので、「修正」(Ammendments)という形で付加された。(・・・中略・・・)
「銃規制」については、一般市民による銃器所有を正当化する根拠となるのが「合衆国憲法修正第2条」である。つまり「銃器の所持と携帯」は「武装権」であり「自衛権」であり、米国人の認識においては「人権」なのである。「基本的人権」なのである。
(・・・中略・・・)そしてこの映画は、いきなり「修正第5条」から始まる。主人公がロビー活動において非合法な手段を用いて倫理違反を行ったのではないかという件にかんする上院の公聴会で、主人公は委員長の質問のすべてについて「修正第5条」をたてに証言を拒む。」
書評『スノーデンファイル ー 地球上で最も追われている男の真実』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)ー 国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目
・・「スノーデン氏自身、「合衆国憲法」への思い入れが強く、とくに「憲法修正第4条」の「不当な逮捕・捜索・押収の禁止、安易な礼状発行の禁止」へのこだわりが、NSAによる通信監視の実態を暴露する動機になったようだ。」
・・「軍法会議であっても「陪審制」である。ただし、陪審員が現役の海兵隊将校たちであることは、軍法会議ならではといえよう。」
・・日本語の「憲法」と英語の Constitution(憲法=構成)とのニュアンスの違い
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