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2014年4月22日火曜日

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典



『「経済人」の終わり ー 全体主義の起源』(The End of Economic Man: The Origins of Totalitarianism, 1939年)は、"社会生態学者"(socio-ecologist) ピーター・ドラッカーの実質的な処女作である。

「近代」の行き詰まりを欧州で体験し、深い教養をベースに社会研究の立場から分析した名著である。ドラッカー自身が出版から45年後(!)の「1994年版序文」で書いているように、リアルタイムに進行する社会問題を社会学的に分析したものだといえる。

その意味ではドラッカー自身が書いているように、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーや、イタリアの経済学者で社会学者のヴィルフレッド・パレート(・・「パレート分析」のパレート!)、それに同郷のウィーン出身で父親の友人でもあった理論経済学者で社会学者シュンペーターの系譜につらなるものだ。

「あの経営学者ドラッカーの原点」という読み方ではなく、社会科学の一古典として読むべきではないだろうか。ドラッカーが「経営学者」となるのは、戦後アメリカにおいてである。

そろそろドラッカーからは「経営学者」という肩書きをはずしてあげようではないか! 虚心坦懐にテキストそのものを読んでみようではないか!


「経済人」(ホモ・エコノミクス)とは?

『「経済人の終わり』というタイトルだが、「経済人」の終わり(?)といってもすぐにはピンとこないかもしれない。

「経済人」(economic man)とは、ドラッカー自身が第2章で説明しているように、18世紀の経済学の父アダム・スミス以来の「ホモ・エコノミクス」(homo economicus)概念のことだ。

「ホモ・エコノミクス」とは、経済活動において自己の利益の最大化を図ることを目的にした完全に合理的な人間のことを指した経済学の仮説のことである。


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このように絵にかいたような「経済人」(ホモ・エコノミクス)が、じっさいには多数派ではありえないことは、健常な「常識」をもった人にとっては当たり前だろう。

そもそも人間は非合理的な存在であることを前提にした「行動経済学」が近年発達してきたが、それでも主流の経済学においてはまだまだ「ホモ・エコノミクス」仮説が幅をきかせている。

なぜなら、自然現象を厳密に研究する「自然科学」とは異なり、人間が構成する社会そのものを対象とする「社会科学」においては、どうしてもドグマ的な支えを必要とするからだ。ドラッカーのこの指摘は重要だ。

ドラッカーは、「ブルジョワ資本主義」も「共産主義」も、ともに「ホモ・エコノミクス」仮説を前提とした経済モデルであり、その双方に失望した大衆は、「全体主義」に魅力を感じてなびいていったという分析を行っている。

つまり、ドラッカーはすでに1939年の時点で「ホモ・エコノミクス」仮説が現状理解には役立たないモデルであることを示していたのである。21世紀の現在、『「経済人」の終わり』が「古典」であるというのはそういう意味だ。


若き日のドラッカーによるリアルタイムの「社会分析」

ドラッカー(1909~2005)は、オーストリア=ハンガリー帝国(・・通称ハプスブルク帝国)の首都ウィーンに生まれ育ち、ドイツで学問を修めて法学博士号を取得しジャーナリストとして働いていた。ドラッカーは経済記者としてヒトラーにも取材を行っている。

『「経済人」の終わり』は、ヒトラー率いるナチス党が政権をとった1933年に執筆を開始し、英国を経て米国に渡った1937年には執筆はすでに終えていたという。出版は1939年である。

当時の状況は、1918年に終了した「世界大戦」によって欧州の既存の秩序が大きく崩壊(・・ドラッカーの生まれたハプスブルク帝国も崩壊)、さらにニューヨーク発の「大恐慌」(1929年)で欧州も大打撃をこうむっていた。

10代の好奇心旺盛で多感な時代であったドラッカーにとって、生きた経済と社会の勉強となっていたことであろう。そしてまた欧州の未来には懐疑的であったからこそ、最終的に米国に移民することを決意したのであろう。


(ナチス党が政権を執った1933年当時24歳の若き日のドラッカー)


『「経済人」の終わり』は、リアルタイムで進行する事態を肌感覚で体験しつつ徹底的に観察し、欧州の伝統である「教養」(=リベラルアーツ)をベースに徹底的に分析したものだ。

ナチス党政権の推移をみて内容に確信をもったうえで、やっとのことで出版社をみつけ、アメリカの出版社から英語で出版された。出版後たちまちベストセラーになったという。

ドラッカーは当時の欧州の知的世界では主流であったマルクス主義には立脚せず、エドマンド・バークに代表される英国的「保守主義」の立場に共感を示している。

そういう理由もあるのだろう、本書は英国を救ったチャーチルの座右の書となったとドラッカーは書いている。

では、『「経済人」の終わり』の内容についてみておこう。


■「近代合理主義」の行き詰まりが「全体主義」に大衆を引き寄せた

本書は、「全体主義の起源」という副題に表現されたテーマを探究したものであり、ふつうは序文からはじめて順を追って読んでいくことになろう。

だが、それぞれの章が執筆された順番は異なり、内容的にもよく書けている章とかならずしもそうでない章がある。また全体的に記述が簡潔すぎて、十分な説明がなされていないという印象を受けないでもない。

そこで、章立ての順番ではなく、順不同に内容を見ていくこととしよう。

「第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会」は、全体主義国家の「統制経済」の問題点について検証したものだ。

この分析を読めば、全体主義の「統制経済」がどう考えてもうまくいかないことが経済学的に自明であることが理解できる。これは第7章で分析される全体主義国家における「組織」との関連で理解されることが重要だ。

ドラッカーは、計画性という近代合理主義のワナについて語っているのである。


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「全体主義」は否定のための否定である。アンチとしてのみ存在する主義である。みずからがあたらしい価値を生み出したわけではない。

階級なき脱経済社会実現を妨げる階級闘争を説く共産主義は、全体主義にとっては絶対悪なので全否定された。

だが否定する対象は共産主義だけだったのではない。ブルジョワ資本主義もまた否定の対象とされた。大衆は、平等な社会を実現すると謳った「マルクス主義の失敗」にも、「.資本主義の約束不履行」にも激しく失望していたのだ。

この両者を否定したことによって一般大衆の不満を吸い上げることに成功したのが「全体主義」なのである。

英国やフランスのような先進資本主義国とは異なり、一般大衆に民主主義への愛着がなく、遅れて統一されたイタリアとドイツから全体主義がでてきた理由はそこにある。

イタリアとドイツの違いはどこにあるかについての分析も読みごたえがある。「第5章 ファシズム全体主義の奇跡-ドイツとイタリア」である。

イタリアのファシズムとは違って、ナチズムを最初から「革命運動」であったとする分析はじつに鋭い。ナチス(NSDAP)とは「ドイツ国家社会主義労働者党」の略称である。「国家社会主義」を標榜していた政党であった。


■なぜユダヤ人が憎悪の対象とされたのか?

ブルジョワ資本主義と密接に結びついていたユダヤ人が憎悪の対象とされたのは、フランス革命のような「ブルジョワ革命」が成功しなかった後進国ドイツの事情がおおきくかかわっている。

ドイツではブルジョワ階級の地位が低く、ユダヤ人の権利獲得とブルジョワ階級の成長が同時進行であった。そのため、ドイツではブルジョワ資本主義の担い手とユダヤ人がおおきく重なっていたのである。

だから、「悪魔との聖戦」としての「ユダヤ人絶滅政策」が全体主義維持のために必須のものと位置づけられたのである。

以上の点について分析した「第7章 奇跡か蜃気楼か」は本書の白眉である。ただし、ドラッカーは共産主義運動の担い手が、ドイツにおいてもユダヤ人が多かったことにはまったく触れていない。

第4章の「キリスト教の失敗」については、全体のなかではちょっと異質な感じのする章である。背景となる文脈はいまひとつ理解しにくいということがある。場合によっては飛ばしても全体の趣旨は追うことはできる。

聞いたことのないような人名が次からつぎへとでてくるが、要は知的エリートたちが「経済人」モデルの問題点を解決するためにキリスト教倫理に戻ってきたのに対し、一般大衆は慣習以上の関心をキリスト教に対しては抱いていなかった、ということが指摘されているのだ。

つまり、キリスト教はすでにヨーロッパにおいて熱情を失っていたのであり、そのために宗教的な熱情をともなう「全体主義」に引き寄せられたという分析だ。この点については、『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011) が詳しいのであわせて読むとよく理解できるだろう。


「社会科学の古典」としての一つの読み方の提案

以上、わたしなりの観点から『「経済人」の終わり』について簡単に解説したが、ドラッカーをマネジメントという側面からのみ見てきた人にとっては、この本の内容はすこしむずかしいかもしれない。

じっさい、記述が簡潔すぎるので、内容を読みとるのがややむずかしい。だが、さすがドラッカーの全著作を翻訳し、ドラッカーの「伴走者」として実質的なパートナーとして、その思想のすみずみまで理解しつくしている上田惇生氏の翻訳だけあって、日本語訳だけ読んで理解できるものとなっている。

2007年の新版では、さらに「チャーチルによる書評」など付録が増えたようだが、「人名索引」はあっても、「事項索引」がないのは残念なことだ。

そのかわりではないが、訳者がドラッカーと相談してつけくわえて見出しが内容の要約になっているのでおおいに参考にすべきだ。そのためは、読みだす前にじっくりと「目次」を読みこむことをすすめたい。

いまから約75年前に出版された本であり、その意味ではもはや「社会科学の古典」としての位置付けがなされるべき本であろう。

社会科学専攻の大学生でも気軽に読めるように、できれば岩波文庫や講談社学術文庫あたりで文庫化してくれるといいのだが・・・。だがダイヤモンド社にとってはドル箱のドラッカーを手放すことなどないだろう。

『「経済人の終わり』は、すくなくとも「初期ドラッカー」思想の中核をなすものである。「ドラッカーの思想の原点」かどうかは脇において、虚心坦懐に読むことをすすめたいのである。



目 次 (1997年版)

新版への序文(1994年)
1969年版への序文

第1章 反ファシズム陣営の幻想
 1. ファシズムへの誤解
 2. ファシズムの諸症状
 3. 大衆心理の不思議
 4. 「背理ゆえに信ず」
第2章 大衆の絶望
 1. マルクス主義の失敗
 2. 資本主義の約束不履行
 3. 「経済人」の破綻
 4. 合理の喪失
第3章 魔物たちの再来
 1. 世界大戦と世界恐慌が明らかにしたもの
 2. 魔物たちの追放
 3. 自由の放棄
 4. ファシズムの登場
第4章 キリスト教の失敗
 1. キリスト教の戦果
 2. 知的エリートとキリスト教
 3. 教会の無意味性
 4. ファシズムとキリスト教
第5章 ファシズム全体主義の奇跡-ドイツとイタリア
 1. ドイツ人とイタリア人の国民性
 2. 与えられた民主主義と獲得した民主主義
 3. ムッソリーニとヒトラー
 4. ドイツのナチズムとイタリアのファシズムの違い
第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
 1. 産業社会の脱経済化
 2. 社会有機体説
 3. 軍国主義
 4. 全体主義の経済
 5. 資源の輸入問題
第7章 奇跡か蜃気楼か
 1. 戦争と平和
 2. 聖なる戦い
 3. 反ユダヤ主義の原因
 4. ブルジョワ資本主義の化身としてのユダヤ人
 5. 組織がすべて
 6. 指導者原理
第8章 未来
 1. 独ソ開戦への期待
 2. 独ソの利害
 3. 新しい社会

年表-あの頃の歴史(第一次大戦から第二次大戦へ)
人名索引
訳者あとがき

*2007年新版では、より説明的な見出しに変更されている



<参考書>

ドラッカー思想における『「経済人」の終わり』の位置づけについては、さまざまな書籍や論文を参考にする必要がある。

経営学者によるものとしては、『ドラッカー、その思想-自由・管理・社会-』(三戸公、未来社、1971)をあげてきたい。

このほか、『現代思想 2010 Vol.38-10 特集 ドラッカー-マネジメントの思想』(青土社)に収録された諸論文が参考になる。



<関連サイト>

経済は「利己心」だけで動くのではない アダム・スミスが説く「共感」の哲学(1) (アマルティア・セン)  
・・『諸国民の富』(国富論)以前にアダム・スミズが出版したのは『道徳感情論』。厚生経済学の研究者で経済倫理にくわしいアマルティア・セン博士ならでは。「共感」と「利己心」というキーワードアダム・スミスは「経済人」(ホモ・エコノミクス)だけを強調したのではない!

スミスを「純粋な資本主義」の擁護者とみなすのは誤り アダム・スミスが説く「共感」の哲学(2)(アマルティア・セン) 

グローバル時代に有効な「中立な観察者」の視点 アダム・スミスが説く「共感」の哲学(3) (アマルティア・セン) (日経ビジネスオンライン、2014年5月7日)
・・「中立的な観察者」を設定するスミス流のアプローチと「超越論的制度」である社会契約アプローチの違い

あらゆる偏見と差別に立ち向かったグローバルな宣言書アダム・スミスが説く「共感」の哲学(4) (アマルティア・セン) (日経ビジネスオンライン、2014年5月14日)
・・「スミスが階級、ジェンダー、人種、国籍の壁を軽々と飛び越えて人間の潜在能力は等しいとみなし、天与の才能や能力に本質的な差異を認めなかったことは注目に値する」  スコットランド人としてのアダム・スミスの立ち位置は「経済人」といった狭いものではない



<ブログ内関連記事>



「全体主義の起源」

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・ドラッカーとは異なる「政治思想」という観点から「全体主義の起源」を思想的に解明した哲学者アーレント

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
・・「ユース・バルジ」という「人口爆発」による若年層男子の行き場の無さがファシズムにつながったと説く著者の見解は、なによりも「青春」を礼賛したムッソリーニやヒトラーユーゲントとして「若者」を組織化したヒトラーを考えると納得がいく

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・キリスト教による世界観が衰退した「近代」の行き詰まりを宗教学の立場から跡付けた著作

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要


「第一次大戦後」と「第二次大戦後」のドイツ社会

人生の選択肢を考えるために、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』は、できれば社会人になる前に読んでおきたい名著
・・第一次大戦の敗戦後のドイツの百家争鳴状況にウェーバーが訴えたかったこと

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・第二次大戦後」のドイツ。1968年ドイツ。ドイツ赤軍と極左テロの時代は何だったのか? ヒトラー世代の親たちへの反旗を翻した「若者」たち

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論
・・第二次大戦後」のドイツ。



ファシズム

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!
・・フランス人からみたドイツの指摘が興味深い


「経営学者」としてのドラッカー

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)-ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」

レビュー 『これを見ればドラッカーが60分で分かるDVD』(アップリンク、2010)
・・「経済よりも社会のほうがはるかに重要だ」というドラッカーの発言がすべてを言い表している。「マネジメントはサイエンスでもアートでもない、プラクティス(実践)である」という発言も

書評 『ドラッカー流最強の勉強法』(中野 明、祥伝社新書、2010)-ドラッカー流「学習法」のエッセンス

NHKのアニメ 『もしドラ』 最終回(5月6日)後に全10回のおさらい-ミッションの重要性と「顧客」は誰か?

ドラッカーは時代遅れ?-物事はときには斜めから見ることも必要
・・ホリエモンの興味深い発言を参照のこと

経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく

(2014年8月14日、2024年2月12日 情報追加)


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