2011年12月18日日曜日

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!



ユーザー視点からの日本語論-くもん選書からでた日本語論三部作(1987~88) と 『日本語の将来』(2004)

梅棹忠夫は、かなり初期の頃から、日本語についての論文をかなり多数書いている。

くもん選書からでた日本語論三部作とは、以下のタイトルのものだ。

『あすの日本語のために』(1987)、『日本語と日本文明』(1988)、『日本語と事務革命』(1988)の三冊で、梅棹忠夫の 「ローマ字時代」 から 「カナモジ時代」 にかけての日本語論が収録されている。

この三部作のあとに書かれたものをまとめたのが、『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(梅棹忠夫=編著、NHKブックス、2004)。これについては、この記事に続く 「その (2)」 で取り上げることとする。この4冊で、梅棹忠夫の日本語論をほぼカバーしたといっていいだろう。

梅棹忠夫の日本語論は、言語学の専門の立場からのものではない。

日本語をつかう側、すなわちユーザーサイドからの現状に対する不満と要望を、実践をふまえて理路整然と文章にしたものだ。しかも理系出身だけに、とくに日本語の表記にかんする問題がその中心を占めている。

実用言語としての日本語について、書斎の学問ではない、フィールドワーク(=野外科学)による学問に従事していた人にとって切実な問題であった、情報整理と知的生産にかかわる問題意識から出発したものである。

現在は、パソコンによるローマ字入力が中心になったため、顧みられることの少ない梅棹日本語論だが、わたしは日本語の実用と普及という観点から、けっして無視できない議論だと思っているのであえて取り上げることとした。

以下、梅棹忠夫が提起し続けた問題を取り上げて簡単に見ていきたいと思う。



日本語の問題は「標準語」も「正書法」も確立していないこと-これは「近代国家」にはあるまじき問題

梅棹忠夫が、とくに問題であるとして取り上げつづけたのは、日本語の書き表し方、すなわち表記方法についての議論である。これにくわえて「標準語」の問題もある。

この2つは、日本が明治維新後、近代化に入るにあたってクリアしておかねばならない課題であったのに、未解決のまま現在までやり過ごしてきてしまったものである。「近代国家」にはあるまじき問題なのだという梅棹忠夫の指摘は重い。

日本にはデファクトで「標準語」扱いされている「NHK語」はあっても、フランスやイタリアのように国民統一のためにつくられた「標準語」は存在しない。たまたま東京山の手のコトバを採用しただけである。関西人が、いわゆる「標準語」のことを関東弁というのは、その意味では一理ある。

『あすの日本語のために』(1987)に収録された「第二標準語論」(1954)では、関西弁を第二標準語として認めよという論だが、耳を傾ける価値はある。

対話原理をなかに含んだダイアローグ志向の関西弁と、モノローグ志向の関東弁。わたしも不思議に思うのは、なぜ NHK は関西でも「標準語」で放送するのか?、ということだ。

たしかに、対話のなかでこそパワーを発揮する関西弁で、掛け合いのない一方通行のアナウンスするのは、なかなかたいへんだとは思うが、関西弁をアナウンス言語として鍛え上げていくことが必要なことは重要であり、現在でも意味を失っていないのではないだろうか。実際、メディアの発達にともなって、関西弁は関西圏をこえて使用地域が拡大傾向にあることはたしかである。

「標準語」が未成立である点は、「京都中華思想」(?)のもちぬしである梅棹忠夫には我慢がならないことであるようだ。


「標準語」の問題以上に未解決なまま残されている「正書法」の問題

「標準語」の問題以上に未解決なまま持ち越されているのが、日本語の表記法の問題である。日本語を文字としてどう書き記すか、これはやや専門的な言い方をすると「正書法」の問題となる。

中国共産党の文字改革によって誕生した簡体字について知らない人はないはずだが、そこに至るまでのローマ字運動などの前史を知っているひとはあまり多くないかもしれない。

またロシア革命によって成立したソビエト政権がロシア語の正書法改革を行い、ソ連崩壊後もそのまま変更がないこと、トルコでもケマル・アタチュルクがアラビア文字を廃止してローマ字を採用したことなど、社会変革によって正書法が変革されることは常識である。言語をより一般民衆に開かれたものとし、国民意識を高めるというナショナリズムと不可分のものであるからだ。

しかし、政治経済上の変革にとどまらず、巨大な社会変革でもあった明治維新に際しては、抜本的な文字改革が行われなかったのである。むしろ問題が複雑化したことが、梅棹忠夫によって指摘されている。

とくに重要なのは、『日本語と日本文明』(1988)に収録されている「国語改革の問題点」(1961年)という論文。日本語表記法の複雑さ、不安定さはについて指摘したものである。この論文をふくめて、繰り返し指摘している論点は以下のようなものだ。

明治時代以降に大量につくられた漢字語は、同時に大量の同音異義語をつくりだし、耳で聞いてそのまま理解できる日本語から遠ざかる結果をもたらしてしまった。

明治時代に、漢語の正確な知識を欠いた者たちが、むやみやたらに漢文直訳体で新造漢語をちりばめた呪術的文体をつくりあげたことは、評論家の加藤周一が 『日本文学史序説』 でも触れていることである。

「それはどういう漢字を書くのですか?」という聞き返しが日常生活では珍しくないように、書かれた漢字を読まなければ意味がわからないのでは、とうてい口頭のコミュニケーションがスムーズにいくことが保証できない

また、漢字かなまじり文に端的にあらわれているのが、送りがなが一定しないこと。

戦後の「国語改革」でもっとももめたのが送りがなの問題だという。「明か」か「明らか」か、いまにいたるまで一定していない。正書法が確立していないのである。これも日本語の文章に、言語体系のまったくことなる漢字をまぜることによって生じる問題である。

問題は漢字そのものよりも、日本語のなかで漢字をつかうことにあるのだ。音読みも一定せず、訓読みもアクロバティックなので、日本語人にとってもきわめてやっかいなしろものだ。ちなみに、漢字を受け入れた朝鮮でも音読みの一通りのみ、中国語でも普通話でも広東語でも、それぞれ固有の音読みが一通りあるのみだ。

しかし、国語国字問題は感情的な反発を招きやすい。不思議なことに「保守派」は漢字を守れという、それに対して「改革派」は漢字をなくせと主張する。本来なら、国粋主義者は日本語に漢字は不要と主張すべきなのだが、えらくねじれてしまっているのが不思議なことなのだ。

これは明治時代のはじめに、漢字廃止という論点にかんして、国学派と洋学派が呉越同舟ながら握手したのを考えると、じつに不思議でしょうがない。

国学派は、漢字は日本固有のものではないから排除せよと主張、洋学派は世界の大半は表音文字のローマ字を使用しているから漢字は廃止せよという主張であった。

だが、現在では漢字廃止派はまったくの少数派である。

どうも、国語国字問題は、日本人の多くの神経を逆なでする発想のようなのだ。


■ロングセラー『知的生産の技術』で、現在ではほぼ黙殺されている第7章


『知的生産の技術』(梅棹忠夫、岩波新書、1969)には、現在ではほぼ黙殺されている章がある。

それは、第7章「ペンからタイプライターへ」 だ。この章にかかれているのは、カナモジ・タイプライターとひらかなタイプライター

正直なところ、カナモジ・タイプライターとひらかなタイプライターの両者ともに、わたしはその実物はをみたことはない。

ワープロ時代になって以降、もはや、ごく一部の関係者を除いては、顧みられることも言及されることもないローマ字論、カナモジ論

『知的生産の技術』が出版されたのは 1969年、基本思想は変化がなくても、情報整理と知的生産の手法は日々進化し、1969年当時の最先端があっという間に時代遅れになってしまい、顧みる人がいないのも当然といえば当然かもしれない。

日本は、タイプライター時代を経ることなく、いきなりペンからワープロに飛んでしまったのである。結果として、「情報化の第2段階」 を飛ばしてしまったことになる。

わたし自身、就職して会社で働き始めたのは1985年、オフィスではパソコンとワープロ専用機がべつべつに普及しはじめた時期である。カナモジ・タイプライターとひらかなタイプライター など見たことはおろか、耳にしたことすらなかった。

しかも、タイプライター自体、米国留学のために願書作成の際に英文タイプライターを見よう見まねでつかって見た限りだ。また、大学で勉強したのにもかかわらず、テレックスは一度も使ったことはない。すでにワープロ専用機とパソコンの時代に入っていたのだ。

大前研一流にいえば、1985年は「ゲイツ元年」、MS の WINDOWS がはじめて世に出た年である。

1985年当時、わたしが入社した会社のオフィスの電話はまだ手回しのダイヤル式で、しかも二人に一台(!)という時代だったが、その後、あれよあれよといううちに、パソコンまで一人一台となり、しかも通信回線でつながってインターネット時代に突入し、現在ににいたっている。1980年代後半は「事務革命」においては、じつに激しい変化の時代であった。

だから、かつてオフィスでカナモジ・タイプライターがつかわれていただけでなく、伝票や帳票はおろか、社内文書がカナモジを使用していた会社があったなんて・・・! わたしの世代にとってすら、どこか遠い国の話のようにしか思えない。

もはや電報ですらカナモジではないのだ。かの有名な 「カネオクレタノム」 という電報文にまつわる悲喜劇(?)の意味も、もういまの若い人にはピンとこないのだろう。

いまでは一部の帳票に半角のカナモジが生きているだけだ。これはおそらくその当時から使用しているデータベースをそのままひきついで使用しているためだろう。

「情報化の第2段階」の意味を知るためにも、ぜひ梅棹忠夫の議論をトレースしておいてほしいと思うのはそのためである。



カナモジ論、ローマ字論とは?-ビジネス界、軍部、そして文部官僚が追求した日本語の表記法改革

カナモジ論、ローマ字論は、『日本語と事務革命』に収録された 「日本探検-事務革命」に、くわしく書かれている。これはきわめて面白い論文(・・というより読み物)で、内容は 『知的生産の方法』の第7章「ペンからタイプライターへ」にぐっと接近することになる。

この「日本探検-事務革命」は、もしわたしが 『実業家の思想』 というアンソロジー集を編集することがあれば、実業家自身が書いた文章ではないが、ぜひ入れたい一編である。


「日本探検-事務革命」には、総合商社伊藤忠の伊藤忠兵衛が登場する。

若き日に欧米を体験して、ローマ字による事務処理が日本語の漢字かなまじり文の事務処理とは、段違いに効率的であることを痛感していた伊藤忠兵衛は、熱心なカナモジ論者となり、社内でもカナモジ化をみずから推進したのであった。

梅棹忠夫は、この二代目伊藤忠兵衛(1886~1973)を隠居先に訪問してくわしく話を聞き取っている。

日本語の表記法については、ぜひ『日本語大博物館-悪魔の文字と闘った人々』(紀田順一郎、ジャストシステム、1994)を、図書館ででも探して読んでみるとよいと思う。

梅棹忠夫の問題意識とは異なる方向に進んだ日本語改革であるが、ワープロが開発されるまでの日本語表記との格闘の歴史が、豊富なビジュアル資料とともに収録されたている。「悪魔の文字」とは漢字のことである。

伊藤忠兵衛は、もちろん『日本語大博物館』でも取り上げられているが、いまではまったく忘れ去られているカナモジ論者の ヤマシタ  ヨシタロー という人も登場しており興味深い。山下芳太郎(1871~1923)のことである。

この人は東京商大(・・現在の一橋大学)の出身で、外交官を経て大阪の財界で活躍した異色のビジネスマンである。墓碑銘もカナモジで掘らせたほど徹底した人であった。

このように、カナモジ論者には、事務効率の向上という観点に立っていたビジネスマンがいたことは、「実業家の思想」としてアタマの片隅におれておきたいものだ。

戦後になっても、会社のオフィスでカナモジが使用されていたことは、こんな本がなんとビジネス書出版のダイヤモンド社(!)から出版されていることからもうかがい知ることができる。そのタイトルとは、『カナ・ローマ字共通やさしい分かち書き法 : 実用分かち書き辞典』(堀内庸村、ダイヤモンド社、1959)

カナモジであれ、ローマ字であれ、現在のハングルのように「分かち書き」をしないと読みにくい。先に出した古典的な電報文「カネオクレタノム」であれがば、「カネオクレ タノム」なのか、「カネオクレタ ノム」ではまったく意味が異なってしまう。前者は「カネ送れ頼む」だし、後者は「カネをくれた飲む」。

前者の意味でなら、「カネ オクレ タノム」なら、まず間違いなく真意を伝えることができるわけだ。ローマ字なら「kane okure tanomu」となる。いずれにせよ、「分かち書き」の必要がでてくるわけだ。

国会図書館のデータベースで検索してみたら、堀内庸村にはこんな本もあった。『ヒルルスバンニコイ : 日本語の分かち書き』(堀内庸村、白桃書房、1961)。白桃書房は経営学の専門出版社である。参考のためにデータベースの内容を転記しておこう。


書誌情報 和図書(11/11件目)
他のデータベースへ
請求記号 811.7-H683h
タイトル ヒルルスバンニコイ : 日本語の分かち書き
責任表示 堀内庸村著
出版地 東京
出版者 白桃書房∥ハクトウ ショボウ
出版年 1961
形態 289p ; 18cm
全国書誌番号 61006372
個人著者標目 堀内, 庸村 (1900-)∥ホリウチ,ヨウソン
普通件名 分かち書き∥ワカチガキ
→: 上位語: 表記法∥ヒョウキホウ
NDC(6) 811.7
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001020567

カナモジやローマ字表記が求められたのはビジネス界だけではない。軍部においても、情報伝達の効率性という観点から、日本語表記法の改革が求められていたことは知って置いたほうがいいかもしれない。

口頭の情報伝達では聞き間違いによる伝え間違いが生じやすいことは、伝言ゲームをやってみればすぐに理解できることだが、軍隊でも時間を示す際には24時間制で、たとえば0900は ゼロキュウマルマル のように発音している。

基本的に官僚制である以上、軍でも命令は文書によって行うのだが、その文書の表記方法が漢字かなまじり文では効率性が低すぎるという主張がなされていた。

たとえば、『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989)のなかで、陸軍情報参謀であった堀栄三中佐(当時)は、報告のなかで以下のようなことを喋ったと回顧している。

大本営での帰任報告の中で、堀は比島(・・注:フィリピンのこと)の戦況と米軍の戦力について、いままで研究してきた鉄量の問題と制空権のないところでの今後の作戦の難しさを述べたほか、奇妙なことを一つ喋った。
「日本は漢字をやめて、ローマ字か片仮名を採用しない限り、将来戦争はできない」
と言ったのである。考えてみたら、あんなことを喋っていまさらどうなることでもなかったのに・・・・と思うが。しかし日本軍の暗号の非能率さは、どんな角度から見ても第一線戦力の減殺であって増強にはなっていなかった。 (単行本 P.205 太字ゴチックは引用者=わたし)

戦争末期においては切実な感想だったのである。文中で「堀」と三人称で語らせていながらも、戦後 45年もたった時点でも書かざるを得ないものがあったためだろう。上官からの反応が記されていないが反論はなかったのだと思われる。

最後に触れておきたいのは、漢字制限など日本語の表記法の改革を主導してきたのは、民間もさることながら、むしろ文部官僚であったという事実だ。

戦後の漢字制限をはじめとする日本語改革は、占領軍が強制したのではなく、戦前から文部省内部で研究され準備されてきたものであることは、『「国語」という思想-近代日本の言語意識-』(イ・ヨンスク、岩波書店、1996)が詳細に触れている。

そしてそれは、戦中の大東亜共栄圏において、日本語を海外普及させるという実践的取り組みがもたらしたものであった。

『「国語」という思想』は、あわせてぜひ一読を薦めたい本である。


(⇒ 梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004) につづく)





<関連サイト>

カナモジカイ 

「日本ローマ字会」は「国際日本語学会日本ローマ字会」へ名称が変わりました。


『電脳社会の日本語』(加藤弘一、文春新書、2000) 紹介(著者のサイト)
・・「文字コードは重箱の隅をつつくような話が多く、また敵味方がはっきりした世界ですので、この四年間でいろいろなことがありましたが、初期の目標が不完全ながら達成されたので、本書の刊行をもって文字コード問題から離れることにしました」、とある。賛否両論はさまざまな利害関係によって錯綜している。文字表記の問題はじつにやっかいな問題なのだ。コンピューターが漢字をどう処理してきたかについて知るための一冊。かならずしも著者の主張には賛成ではないが、読み物としてはじつによく調べ上げた作品であり、出版後10年たった現在でも読む価値はある。





<ブログ内関連記事>

日本語の表記方法について

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
・・とくにモンゴル学者で社会言語学者の田中克彦との対談を参照。「ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家であったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ」。

書評 『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)
・・その田中克彦の最新論考

書評 『お馬ひんひん-語源を探る愉しみ-』(亀井孝、小出昌洋=編、朝日選書、1998)-日本語の単語を音韻をもとに歴史的にさかのぼる
・・社会言語学者の田中克彦は、「かめい たかし」と表記していた国語学者の亀井孝の弟子。収録されている「かァごめかごめ」(1971年)という論文は内容もさることながら文体に特徴がある。ひらかなの多い、しかも分かち書きの文章は、日本語が漢字を廃止してかな文字化したりローマ字化したらこういう文章になるという見本と考えてもいい」

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録
・・耳で聞いてわかる日本語とは?

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・情報参謀の堀大佐は、いっそのことローマ字にしたほうがいいと陸軍部内で主張したという記述がある

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・この記事で触れた、鶴見俊輔の「お守りことば」にも通じる呪術性が「八紘一宇」などの意味不明瞭な和製漢語には多い 


梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!
・・ただし、「日本語と事務革命」は講談社学術文庫版の『日本探検』には収録されず、くもん選書版の文庫化である『日本語と事務革命』のほうに別個に収録されている

(2016年3月13日 情報追加)


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