人間精神がこれと抗争してついに徒爾(とじ)に終わるものは、愚昧(ぐまい)・官僚主義および標語の三事である。この三者は、何らかの意味において必要であるという点においても互いに相似ている。・・(後略)・・
いきなり冒頭からこのような辛辣(しんらつ)な表現で始まるこの論文は、第一次大戦で敗戦後のドイツ参謀本部のトップをつとめ、ヴェルサイユ条約で弱体化させられたドイツ国防軍の再建を果たした知将ゼークト将軍(1866-1936)の著書、『一軍人の思想』(篠田英雄訳、岩波新書、1940)からの引用である。
徒爾(とじ)とはムダのこと。文体が古くさいのは、戦前の翻訳であるためだ。標語はスローガンと言い換えるとわかりやすい。以下の引用ではすべてスローガンと書き換えておいた。
ゼークト将軍はいう。
私の属する軍人社会において、私が特にスローガンを追求して止まないのは、まことに明白な理由に基づくのである。すなわちスローガンは軍人社会においてこそ字義どおりに致命的な結果を招くことがありうるし、また致命的ならざるをえないからである。
実際かかるスローガンに禍(わざわい)せられて数千の人命が--もとより悪意に出たのではなくて、まったくみずから思考することを欠いたために--犠牲に供せられたのである。
ゆえに私は、既往の過去よりもはるかに重大な将来に対する責任感に促されて、若干の軍事的スローガンをとってその実質を検討しようと思う。さすれば人もスローガンに従って行動するに先立ち、まずこれに省察を加えるようになるであろう。(p.3)
こういってゼークト将軍は、第一次大戦後のドイツ社会でクチにされていたスローガンを、ことばの真意がわからぬまま使用されているとして、次々とやり玉にあげてゆく。
「平和主義」に始り、「帝国主義」、「戦争は他の集団をもってする政治の継続である」というよく引用される軍事思想家クラウゼヴィッツのコトバ、さらには「クラウゼヴィッツ」という名前そのもの、「攻撃戦」、「殲滅戦略か消耗戦略か」、「戦争目標」、と。
最後に、将軍はこう締めくくる。
私は上述するところにおいて、無数に存在するスローガンの中からわずかに若干を取り上げて、その空虚なる内容を暴露せんとし、また実際にも暴露しえたと思う。しかし世界にはなお無数のかかる幽霊が跳梁(ちょうりょう)しているのである。これに対する唯一の護符(おまもり)はただ一つである、--すなわち『明らかに考えること』がこれである(p.19)
組織にはびこるスローガン、これは中国共産党や、朝鮮労働党(北朝鮮)、ベトナム共産党だけではない。
日本企業も、規模の大小にかかわらず、その多くがスローガンに満ち溢れている。
いやビジネス社会そのものが、こういったスローガン性の強いコトバで充満している。「戦略」、「ビジョン」、「マーケティング」・・・・。
いったいどれだけの人が、ことばの真の意味を理解した上で使っているのであろうか? 日本企業だけでない、ビジネス「世界にはなお無数のかかる幽霊が跳梁(ちょうりょう)している」(ゼークト将軍)といえる。
ビジネスパーソンは、ゼークト将軍がいうように、「明らかに考えて」いるだろうか?
軍人社会のように、スローガンのために死屍累々(ししるいるい)という光景が、ビジネス世界では「見える化」されていないだけではないのか?
ところで、哲学者の鶴見俊輔に、「ことばのお守り的使用法について」(1946年)という、日本の敗戦後いち早く書かれた論文がある。
そこで鶴見は、ゼークト将軍とほぼ同じようなことをいっている。戦争中は「八紘一宇」、「皇道」、「肇国の歴史」、「国威を宣揚する」・・・。敗戦後も「民主主義的」「自由」・・・。戦前も戦後も、これらの空疎な漢字熟語が「お守り言葉」として使われていた。
意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがない「お守り言葉」として。
ドイツ参謀本部のトップであったゼークト将軍は「上から目線」で、第二次大戦中、軍属として海軍に徴用され、インドネシアのジャカルタで通訳官として海軍に勤務していた鶴見俊輔は「下から目線」で。当時オランダ植民地であった東インドには、日本軍が進駐していた。
視線の違いはあれ、しかもまた合理主義精神の強いドイツと、非合理的精神のはびこりがちな日本という違いはあれ、軍隊という巨大官僚組織での経験が、同じ発想にたどりつくこととなったのであろう。
軍隊や官庁だけでなく、企業組織もまたその構成員を同じ方向に向かわせるためのスローガンを必要とする。スローガンは必要だが、コトバだけが先行してしまうと・・・
「経営理念」も、スローガンの一つと化してしまってはいないだろうか?
スローガンには気をつけろ!--これは21世紀の現在も古びない至言である。肝に銘じたい。
*引用文の旧字体は新字体に、漢字の一部はひらかなに直した。また篠田訳の「標語」はすべてスローガンと転記した。『一軍人の思想』(篠田英雄訳、岩波新書、1940)の原著は、Hans von Seekt, Gedanken eines Soldaten, 1929
PS 岩波新書から『一軍人の思想』が復刊!
『一軍人の思想』(ゼークト、篠田英雄訳、岩波新書、1940)が2018年に復刊! 本文にも書いたようにカント哲学の翻訳者である篠田氏の日本語は読みにくいが、それでも日本語で読める価値は大きい。この機会にぜひ購入しておくことをすすめたい。(2018年5月27日 記す)
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(2015年10月2日、6日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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