■異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」■
ラディカルな本である。コトバの本来の意味で、日本語のありかたについて根源的な問いかけを行っている本である。
せっかく受け入れたフィリピンやインドネシアからきた外国人看護士を実質的に閉め出しているのは、医療関係者以外は日本人でもまったく読めも書けもしないような難しい漢字の専門語をクリアしなくてはならないからだ。
ワープロの使用によって、不必要なまでに変換されてしまう漢字にみちみちた文章。これは日本語への世界的な普及には、むしろ大いに逆行する現象だ。
現在の日本語の状況は、ビジネス界の流行語をつかえば「ガラパゴス化」とでも言うしかない。
本書でとくに重要なのは、「漢字に苦しめられてきた中国」にかんする第3章だろう。中国語をローマ字で表記するピンイン、そして簡体字。その先には、漢字の産みの親である中国ですら、漢字の廃止というビジョンが根底にあることを知るべきなのだ。本書には、中国語をローマ字のみで表記する少数民族の存在が紹介されているが、その大きな例証となっている。
いわゆる「漢字文明圏」で、いまでも漢字を使い続けているのは、現在ではもはや日本と中国、そして香港と台湾のみとなっている。はやくからローマ字を採用しているベトナムはいうまでもなく、北朝鮮はハングルのみ、韓国もハングル中心で漢字はほとんど使わなくなった。
そもそも言語というものは、耳で聞いてわかるものでなければ意味はない。日本人は漢字という表意文字に依存し、視覚に頼りすぎるので、外国語習得が得意ではないのは当然といえば当然である。
著者の田中克彦は、言語学者でありモンゴル学者である。
後者のモンゴル学者としての視点が面白いのは、漢字を拒否し続けた中国の周辺諸民族をふくむ、「ツラン文化圏」(トゥラニズム)にまで至る壮大な文明論に言及していることだ。
西端は欧州のフィン族やハンガリーから東端は日本にまで至る、ユーラシア遊牧民につらなる「ツラン文化圏」。戦後日本ではほとんど言及されることのないこの概念に、あらたに息を吹きこもうというこの試みには、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」を感じ取るものである。
英語が優勢のグローバル世界のなか、人口減がそのまま日本語の話者の減少にもつながっていく。このような状況のなかで日本語を守るためには、漢字を段階的に廃止する方向にもっていかなければならないというのが著者の主張である。この主張の是非については、間違いなく反対論が多数派であろう。本書もまた、「品格」がないとして、多くの反発を生むことのではないか?
この「屈折した逆説的な日本語への愛」が、なかなか世間一般にはストレートには拡がらないのは、ある意味では仕方がないことだ。
タイトルに強い違和感(!)を感じた人は、ぜひ手にとって読んでみてほしい。著者の主張の是非はさておき、日本語のありかたについて根源的に考えるための、耳を傾けるべき主張がそこにはある。
<初出情報>
■bk1書評「異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」」投稿掲載(2011年6月2日)
目 次
はじめに
第1章 日本語という運命
第2章 「日本語人」論
第3章 漢字についての文明論的考察
第4章 「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ
あとがき
参考文献
人名索引
著者プロフィール
田中克彦(たなか・かつひこ)
1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科修了。一橋大学名誉教授。専門は社会言語学とモンゴル学。言語学をことばと国家と民族の関係から総合的に研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
PS 『言語学者が語る漢字文明論』と改題され「講談社学術文庫」から再刊!
2017年8月10日に『言語学者が語る漢字文明論』と改題され「講談社学術文庫」から再刊されるという予告がでている。さすがに『漢字が日本語をほろぼす』というセンセーショナルな煽り系のタイトルそのままというわけにはいかないだろうが、「目次」を見る限り中身は角川SSC新書版とほぼ同じである。内容がきちんと評価された上での学術文庫入りというわけだろう。まことにもってめでたいことである。(2017年7月15日 記す)
<書評への付記>
本書は、すくなからぬ読者には、きわめて大きな不快感を与えているようだ。
試みに本書の amazon レビューなどを見てみるといいだろう。圧倒的に否定的な論評が目白押しである。まともなレビューを書いたところで、レビューの内容ではなく、「漢字廃止派」だとアタマから決めつけて拒否反応が即座にでてくるようだ。面白い(笑)
おそらく少なからぬ日本人の神経を逆なでする内容だからだろう。日本人はなぜか舶来の漢字をなくすことには抵抗感が強いらしい。不思議な話だ。
ただし、タイトルは出版社の編集者がつけるもの。著者の本意とは微妙なズレがあるのは当然だろう。タイトルだけで判断するのは問題があるが、それもまた仕方ない面もある。著書は漢字全廃とまでは言い切っていない。むしろ慎重にすらみえる。
わたしもいま漢字を使っているが、それは現在においては、漢字かなまじり文で書く以外、日本語を書くのがきわめて難しいからだ。カナモジであろうが、ローマ字であろうが、漢字語のせいで同音異義語がきわめて増殖してしまった現代日本語を、漢字抜きで表記するのはきわめてむずかしい。
ただし、必要以上に漢字はつかわないように、意識的に大幅に漢字は制限している。目安としては、漢字対かな比率は、3:7 といったところか。
もし漢字を廃止するなら、ひらかなあるいはカタカナでわかち書きをするか、ローマ字でわかち書きをすることが必要だろう。これは韓国のハングル表記をみれば一目瞭然である。ハングルもむかしはわかち書きをしていなかった。
田中克彦の日本語にかんする言及はこれが初めてではなく、ずいぶんむかしから、さまざまな発言をつづけてきた。これまでに書かれた内容を編集して一冊にまとめる作業も必要かもしれないと思う。
本書はあらたな書き下ろしであるが、問題提起としてはきわめて重要なポイントをついている。ただ、一冊のまとまった書籍としては、これが最初で最後ということだろう。このテーマで出版できただけでも、まだ出版界も捨てたものではない、という気にもさせられる。
本書は、基本的に問題提起の本として受け止めるべき内容である。
■「日本語という肉体に深くささったとげ」である漢字(田中克彦)
田中克彦は、かつてこのような発言もしている
漢字は日本語という肉体に深くささったとげであると感じている。このとげを抜こうとすると肉体そのものも出血多量で死んでしまいかねないほど、それは急所の奥深くまで入り込んでいる
(出典:『ことばのエコロジー』(農山漁村文化協会、1993)
まったくそのとおりであると思う。それほど、抜き差しならぬところまで漢字という舶来品が入り込んでしまっているのだ。
だから、本書でも田中克彦は「漢字を全廃せよ!」などとは一言も述べていない。むしろ、漢字全廃にかんしては、師匠や弟子筋のほうが徹底しているというべきだろう。田中克彦自身は、自分の名前を、ひらかなで表記するようなことはいっさいしていない。
別の本では、漢字の造語力についても、冷めてた見方をしている。たしかに、日本人は明治維新後、西洋文明を貪欲に取り入れるにあたって、膨大な量の新語を漢字熟語によってつくりだした。社会や会社などの概念もそうである。その多くが中国に逆輸入されていることは、知る人は知っている事実である。
最近は日本人の漢字運用能力が低下し、造語力が落ちているという議論が保守派からなされるが、これはかならずしもそうとはいえない。
田中克彦が造語能力にかんしてよく例に出しているのは、モンゴル語とドイツ語である。漢字熟語の簡潔さはないものの、ともに既存のコトバを組み合わせてあたらしいコトバをつくりだすことはつねに行われている。ドイツ語の場合はめちゃくちゃ長い単語になってしまうし、この点についてはタイ語も同様である。
■漢字語の魅力あるいは魔力になんとなくわかった気分にさせられやすい
漢字語を使用したがる知識階層については、思想家の鶴見俊輔は、「ことばのお守り的使用法について」(1946年)という、日本の敗戦後いち早く書いた論文でも批判的に捉えていることを紹介しておこう。
戦争中、「八紘一宇」「皇道」「肇国の歴史」「国威を宣揚する」・・・・。敗戦後も「民主主義的」「自由」などが「お守り言葉」として使われていた。意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがない「お守り言葉」として。
この件については、スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929) に書いておいた。
漢字研究にかんしては世界に誇る存在であった碩学・白川静博士は、漢字の起源はそのそも宗教的な呪術にあったことを、さまざまなところで明確に述べておられる。
呪術としての漢字は、21世紀にいたっても日本人を呪縛し続けているようだ。中国の簡体字に拒否反応を示すのもそのためだろう。何を隠そう、わたしも正直なところ簡体字は好きになれない。慣れの問題といってしまえばそれだけなのだが。
こういうことも一度は考えてみたほうがいい。
■言語の本質は音声にある
じつは本書で展開された考えは、なぜ日本人が外国語学習が不得意なのかを説明していることになる。
文字ではなく音声(オト)重視の学習法をとらない限り、日本人が外国語に習熟することは難しい。これは、中国語をふくめてだ。徹底的に耳を開発し、聴くチカラを強化しなくてはならない。
言語というものは、本質的に音声言語なのであるという命題。田中克彦の立場は、ソシュール以来の正統的な言語学の立場にたっている。
しかも、あくまでも民衆の側に立つという立場である。難しい漢字をちりばめてペダンティックなものいいをする評論家を、一貫して否定的に見てきた人である。
世の中には、言語の本質が音声であることを、日本語をみていない論であるとして退けるひとが少なくないが、言語道断である。さきに音声があって、その後習得される文字によって足かせがはめられる、これが人間の言語の特徴である。
かつては、文盲率が高い時代や地域があったが、日本語は問題なく使われていた。音声言語としての日本語については、話ことばとしての方言を考えてみればすぐに理解できるはずだ。
■トゥラン文化圏について
田中克彦が「トゥラン文化圏」について言及していることに対し、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」だと書いたのは、わたしもかつてこの「ツラン文化圏」なるものにたいへん魅力を感じた経験があるからだ。
日本語の起源、日本人の起源を考えると、かならずや半島から大陸にかけての遊牧民の存在がそのひとつの流れであることにゆきつく。
『ツラン民族圏』(今岡十一郎、龍吟社、1942)という本がある。
ツランとはトゥラン(Turan)のこと。この本は、戦前のハンガリーで日本びいきを多くつくりだした貢献者の元外交官が書いた分厚い本だ。昭和17年という戦時中の出版物であり、箱書きにもあるように、「大東亜共栄圏」というコンテクストをまとっているが、中身はいたって学術的なものである。このような形で、かつて連帯感の表明が日本でもなされたことがあるのだ。
数年前になるが、ハンガリーを再訪した際、英語でかわした会話だが、ある初老のハンガリー人から、若き日の昭和天皇の愛馬がハンガリー産であることが話題になったことがある。われわれが思っている以上に、ハンガリー人は、同じアジア人としての日本人を見ているようだ。これもまた「ツラン文化圏」議論の名残であろう。
なお、ツラン主義(ツラニズム)については、『陰謀と幻想の大アジア』(海野弘、平凡社、2005)の第2章 ウラル・アルタイ民族で取り上げられているので、ぜひ参照されたい。大東亜共栄圏のコンテクストで語られたツラニズムを、切り捨ててて見てみないふりをするのは、けっして好ましい態度ではない。日本人はもっと歴史的な重層性に目をむけなくてはならない。
その意味では、この2011年という時点で、あえて「トゥラン文化圏」に言及した田中克彦の試みはじつに興味深い。
■田中克彦と梅棹忠夫はモンゴルつながり
書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に、わたしは以下のようなことを書いておいた。
ロングセラーの『知的生産の方法』(1969年)で、ずっと黙殺され続けてきたローマ字論について、そもそもの思想的根拠がどこにあるかがわかって興味深い。とくに、エスペラント語をめぐっての、モンゴル学者で言語学者の田中克彦との対談では、梅棹忠夫が筋金入りのエスペランティストであったことの理由が明確に語られており、ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家でったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ。
この点については、あらためて「梅棹忠夫の日本語論」について書く際にあらためて触れたいと思うが、米国嫌いでモンゴル好きという点がこの二人に共通している。
日本語の改革については、もともと理系であった梅棹忠夫のほうがはるかに過激であったといっていいだろう。本書ですら、梅棹忠夫のローマ字論やカナモジ論にくらべたら、言語学の専門家が書いたかどうかの違いだけで、内容的には過激さは低いとさえ思える。
本書のあとがきで田中克彦は梅棹忠夫のことを、「最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例」(P.264)と述べている。もうすこしくわしく引用しておこう。
また、文字は人々の日常の慣習に深く根をおろしているから、文筆で地位を得ている人たちは、その足元をゆるがすような批判を加えるようなことは許しがたいから、文字を改革しようなどというあらゆる試みは不快であるだけでなく強く嫌悪し、敵視する。そして、このような本を書く私も、そのような文筆の徒の一人としてふるまわなければならないという深い矛盾をかかえている。こうした根本的矛盾をかかえながらも、最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例も私のすぐ身近にある。
梅棹さんのような素朴で明快で単純な果敢さを、私はそのまま引きうけて実行するわけにはいかないが、その精神を私のことばに翻訳して次のような-のスローガン=こころえとしてかかげ、読者の共感を得たいのである。
一、漢字をたくさん使って書かれた文章は、そうでないものよりもりっばで価値が高いという考えを捨てよう。漢字の多さは、むしろ書き手のことばの力のまずしさを示しているのだと思おう!
二、もっと問題なのはその人の国語力のみならず、漢字を使っていぼる人は、自分の言っていることをごまかし野心をかくそうという、はしたない考えの持ち主であるから、国語力だけでなく、徳性においても劣っているのだと思うことにしよう!
--とこう言っても、私じしんが今のところ漢字をきっぱりやめることはできないが、心がければ、時間はかかっても、目標に近づいて行けるだろう。(P.264~265)
このように田中克彦は書いているが、わたしの印象では梅棹忠夫に言っていることとイコールでないのは当然である。
ただし、ワープロの使用が漢字廃止を大幅に後退させたこと、ピンインという中国のローマ字化の試みとと簡体字の導入、国際語としての日本語についての見解など、梅棹忠夫と田中克彦には共通するものも多い。
田中克彦のコトバでわたしが好きなのは、「かわいい日本語には旅をさせよ」というものだ。日本語が国際化することによって、日本語は日本人のものだけではなくなる。英語がそのような体験をしたように。
それ以前は、漢字を知らないアマテラスやアメノウズメやヒミコの時代であり、その時代の記憶をしっかりととどめているのが、ほかでもない私たちの日本語である。この日本語の可能性をよみがえらせることが、私たち日本語人の可能性を保障するのである。(P.261)
田中克彦はこのように本書を締めくくっている。日本人ではない、「日本語人」である。
梅棹忠夫のローマ字論については、あらためて取り上げることにしたい。
PS 梅棹忠夫のローマ字論について
この記事を執筆後、梅棹忠夫のローマ字論については以下の記事を執筆しているので、ぜひご覧いただきたい。(2014年7月18日 記す)
梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!
梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)
<ブログ内関連記事>
■日本語と表記法
書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
・・カナ文字からローマ字へ。モンゴル学にかしては梅棹忠夫は田中克彦と先輩にあたる。二人の対談が収録されている
書評 『お馬ひんひん-語源を探る愉しみ-』(亀井孝、小出昌洋=編、朝日選書、1998)-日本語の単語を音韻をもとに歴史的にさかのぼる
・・田中克彦の言語学の師が かめい たかし(亀井孝)。日本語分かち書きも実際に行っている
書評 『日本語は亡びない』(金谷武洋、ちくま新書、2010)-圧倒的多数の日本人にとって「日本語が亡びる」などという発想はまったく無縁
・・たしかに日本語話者は減少するが「絶滅言語」になどなるわけがない
■モンゴルとシベリア、そしてユーラシア
書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦
書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦
書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・
書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!
ハンガリーの大平原プスタに「人馬一体」の馬術ショーを見にいこう!
・・「トゥラニズム」の西端はハンガリーである
(2014年7月18日 情報追加)
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end