カルピスが誕生したのは、1919年7月7日。なんと、誕生からすでに99年もたっているのだ!
子供の頃はよく飲んでいたが、大人になってからあまり飲んでなかった乳酸菌飲料のカルピス。ここのところ猛暑日が続いていることもあって、ほとんど毎日のように、よく冷やしたペットボトルの「カルピスソーダ」と「濃い目のカルピス」ばかり飲んでいる。
そんなときに、ちょうど時宜を得たかのように出版されたのが『カルピスをつくった男 三島海雲』(山川徹、小学館、2018)だ。
カルピスを発明した人が三島海雲(みしま・かいうん)であり、その着想を得たのがモンゴルだったことくらいは知っていたが、詳細についてはほとんど知らなかった。なぜなら、この本が出るまで、伝記といえるような本がまったくなかったからだ。
読んで面白い内容だった。
三島海雲が青春の日々を過ごした100年前のモンゴルと、その生涯に多大な興味をもっている1977年生まれのノンフィクションライターの著者が追体験する現在のモンゴル。三島海雲の生誕の99年後に著者は生誕したことになる。
100年を隔てた時代を行ったり来たりしながら記述していくことで、三島海雲がモンゴルで発見した乳酸菌飲料と、100年にわたって飲み続けられた「国民飲料」としてのカルピスが立体的に浮かび上がってくる。まさに日本とモンゴル(正確にいうと、現在は中国領の内蒙古=南モンゴル)をつなぐ深い関係を象徴するものだたといっていい。
三島海雲が生まれたのは1878年(明治11年)。生まれたのは浄土真宗の貧乏寺だった。生涯にわたって親鸞と釈迦を尊敬して生きた三島海雲であったが、少年時代に偽善的な信仰にはNOを突きつけ、なんと寺にあった仏像を焼いてしまったという。感情には正直な、直情径行型の人だったようだ。
表紙カバーの写真は、三島海雲が30歳代でモンゴル時代のものだが、好奇心が強く、意志の強そうな面構えではないか!
小学校中退後に西本願寺文学寮を卒業後、仏教大学に編入するが中退して大陸に渡る。僧籍を得たものの寺を継がなかったのは、狭い日本から飛び出して大陸に渡ればチャンスをつかむことができるかもしれないと考えたからだ。大陸ではまだ清朝が存在した時代のことだ。
その後、紆余曲折を経て、現地で事業家として身を立て、日本陸軍のための軍馬買い付けのため、さらに奥地の蒙古へと向かう。そこで出会ったのが、遊牧民の日常生活に欠かせない乳酸菌飲料であった。これが、清朝崩壊によって日本に帰国を余儀なくされたあと、カルピスの発明へとつながっていく。
面白い内容なので、詳細は本を読んでいただければいいが、私がとくに印象を受けたのは、三島海雲が生涯にわたって仏教思想にもとづいて思考し行動していたという点だ。モンゴル時代には、毎日寝る前には『華厳経』を読んでいたらしい。「すべてはつながっている」ことを説いた教典だ。そして、言うまでもなく、モンゴルはチベット仏教がマジョリティだ。そして人生最後の仕事が、『仏教聖典』の編纂と普及であった。
(三島海雲がかかわった『仏教聖典』。仏教伝道協会のものとは異なる)
明治時代の人だから「国利」というのは自然な発想だが、「民福」という発想がでてくるのは、仏教思想のたまものだというべきだろう。私利私欲を離れ、物事に執着しないという姿勢が生涯にわたって貫かれたという。経営者としては弱みになりかねなに希有な姿勢も、そう考えれば納得がいく。利益はあとからついてくるのであって、利益追求を目的にしてはならない。
カルピスの発明者で事業家であった三島海雲の仏教思想に基づく姿勢は、「カルピスという会社」が吸収合併されて消えてなくなったあとも、「カルピスという国民飲料」として生き残り続けている。
これほど息長く生き続けている飲料は、ほかにはあまり見当たらない。その意味では、その発明者であり事業家であった三島海雲という人物について知ることは、大いに意味あることと思うのである。
目 次
序章 カルピスが生まれた七月七日に
第1章 国家の運命とともに
第2章 草原の国へ
第3章 戦争と初恋
第4章 最期の仕事
終章 一〇〇年後へ
著者プロフィール
山川徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター。1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大學二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
カルピスが99歳で人気を取り戻せたワケー憧れの「濃いめ」が大人に刺さった(山川徹、プレジデント・オンライン、2018年11月5日)
(2018年11月6日 項目新設
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(2018年8月2日 情報追加)
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