友人のロシア経済専門家から読むように強く薦められてから3年。単なるレファンレンス書としてしておこうかと思ってもいたが、腰を据えて読むことにしたのである。
小さな活字の二段組みで500ページ超の単行本は、日本語訳でも読むのに骨が折れる。だが、その骨折りに値する内容だと確信できた。
(原書2015年改訂増補版)
原題は、Mr. Putin: Operative in the Kremlin (Geopolitics in the 21st Century) by Fiona Hill and Clifford G Gaddy, 2015。日本語訳は、原本2012年の改訂増補版(2015年)の翻訳。
■なぜ米国人による本書が基本書となるのか?
読む前まで、なぜ「プーチン分析の決定版」がロシア人によるものではなく、米国人研究者によるものか?という疑問を抱いていた。
だが、読み進めていくうちにわかってきたのは、好き嫌いや良い悪いといった価値観ではなく、忖度なしで虚心坦懐に事実ベースで分析する姿勢こそ重要だということだ。この目的からいえば、ロシア人によるものにはバイアスが多すぎるということになるのであろう。
著者の2人は、民主党系のシンクタンクであるブルッキングス研究所(The Brookings Institution)に在籍する現代ロシアを専門とする研究者である。実像を把握しにくいプーチンのような人物には、インテリジェンス的な分析が最適のアプローチであることがわかる。
断片的な情報や状況証拠から全体像を再現する手法は、ビジネスパーソンとしても大いに見習うべきものがある。
■プーチンは「6つのペルソナ」 が複合した複雑な人物
さて、著者たちは、プーチンを複雑な人物であるという前提で分析を行う。
プーチンが表舞台に登場してから最初の大統領の任期を終えた2008年までをベースに要素分析を行っている。分析の切り口として「6つのペルソナ」を抽出し、この6つのペルソナ複合してできあがっている人物だとする。
① 国家主義者② 歴史家
③ サバイバリスト(=サバイバルを至上命題とする人物)④ アウトサイダー⑤ 自由経済主義者⑥ ケースオフィサー(=諜報員)
いっけん相矛盾しながらも、これらの要素が生身の人間のなかで融合し、ときに応じてその一部が前面に出てくる。そう理解すると、プーチンを把握できるようになるのだ、と。
なによりも主権国家としてのロシアのサバイバルがミッションのため、たとえ民権を制限しても国家の存続が優先されるべきだとする「国家主義者」であり。
そしてまた本人も、サバイバルを至上命題とする「サバイバリスト」である。「サバイバリスト」は、結果として生き残った「サバイバー」とは異なる概念だ。
多民族・多宗教国家のロシアはとかく遠心力が働きがちであり、「国民統合」を図るために、使える事例を恣意的にロシア史のなかから引っ張り出してくる「歴史家」である。かなりの読書家であり、とくに歴史関係の本をよく読んでいるらしいとのことだ。
モスクワに対してサンクトペテルブルク出身であり、KGBでも主流ではなく傍流、その他さまざまな意味でインサイダーでありながらも距離を置く「アウトサイダー」であった。
KGB将校としての「ケースオフィサー」としての職業訓練が第二の天性となっており、国内外で工作員として情報を引き出し、思うように人を動かす術を身につけている。相手の弱みを握って脅すという手法である。そのためなによりも情報を重視する。
共産党護持のためのKGB出身であっったが、ソ連崩壊を招いたのは共産主義にもとづく非効率的な経済運営であったとして、社会主義的計画経済は全否定する「自由主義経済主義者」である。この点はきわめて重要だろう。
これらの要素分析を踏まえて一言でまとめれば、目的達成のためには手段にはこだわない「現実主義者」だということになろう。イデオロギーで動く人間ではない。
■「自由経済主義者」としてのプーチンの基盤
本書の記述で興味深いのは、情報機関KGBがソ連のなかではもっとも経済を重視した組織であったということだ。これが「自由経済主義者」としてのプーチンの基盤にある。
のちにソ連共産党書記長となったアンドロポフが KGB長官時代に改革路線を実行、1975年に「プーチンの世代」の人間が採用されたこと、レニングラード大学法学部卒業のプーチンは KGB 職員時代採用後の1984年にKGBの教育機関「赤旗大学」の1年コースに参加、米国の経営学書『Strategic Planning and Policy』(1978年)のロシア語訳をつうじて「戦略思考」を学んでいると推測されることである(*)。
(*)同書の日本語訳はない。タイトルをあえて訳せば『戦略計画と政策』となる。「計画経済」における「計画」と、自由主義経済における「戦略計画」の違いに留意。同書のロシア語訳は著者である William R. King と David I. Cleland 両氏に無断で行われたものと考えられる。なお、プーチンの博士論文でも無断引用されているようだ。
また、東ドイツのドレスデン駐在(1985~1990年)にベルリンの壁崩壊を経験し、末期状態のソ連に帰国したプーチンは、ペレストロイカ時代のソ連を知らないのである。この事実はきわめて重要だ。
さらに、工作員としてドイツ語に堪能なプーチンだが、英語での直接コミュニケーションはできないという。この事実もまた重要だ。プーチンの直接的な西欧認識は英語と英米人を介したものではなく、ドイツ語とドイツ人を介してのものだということになる。
ドイツから帰国後、KGB職員のままサンクトペテルブルク副市長として担当していたのは、外資誘致の許認可事業であった。こうしたキャリアをつうじて経済通となったのである。
■「株式会社ロシアのCEO」として国家を統治するスタイル
そんなプーチンが2000年に大統領に就任してから確立したのが、「株式会社ロシアのCEO」として国家を統治するスタイルである。この切り口がそのネーミングも含めて、ビジネスパーソンである私には興味深い。
「主権国家」としてのロシアの生き残りとミッションとし、そのため「戦略」として主要産業のエネルギー産業(石油とガス)をコントロールして財政安定を実現する。
多民族国家で他宗教国家としてのロシアの国家統一を維持するため、「愛国主義」を求心力として活用し国民統合に注力する。
そのために能力が高く、かつ忠誠心が高い少数の人物を信頼して任せる。その他の分野でも、少数のお気に入りの人間を信頼して任せ、要所要所を管理してグリップするスタイルである。
もちろん状況の変化に応じて、プーチン自身が前面に出て手動操作的に「戦術」面での微調整を行う。国民の前に直接姿を現し、さまざまなパフォーマンスを行い対話するパフォーマンスを重視するのもそのためだ。これは企業経営のスタイルとよく似ている。
いったん主要なポジションについた人間は、よほどのことがない限り、簡単にクビを切ったりはしない。逆にいえば、簡単に足抜けできない仕組みでもある。
きわめて属人性の強い仕組みであり、エリート層は利益を共有する運命共同体となる。 IMFショックの頃はやった表現をつかえば「クローニー・キャピタリズム」ともいうことになろう。
この仕組みで国家を運営することは、効率的で効果的だが、属人性が強いので制度的な脆弱性が存在する。いわゆる「余人をもって代えがたい」状況は、癒着を生み出す原因となるだけでなく、経営トップになにかあった場合は大きなリスク要因ともなりうる。
企業経営においては株主によるチェックというガバナンスが働くが、大統領選挙という機会しかステークホールダーである国民によるチェックが働かない現在のロシアの制度には、欠陥があることは言うまでもない。 国家の運営は、企業の経営とはイコールではないのだ。もちろん、制度としての民主主義のない中国共産党よはマシであるが。
はたして、この仕組みがいつまで維持できるのか? もし維持できなくなったときプーチンは、そしてロシアはどうなるのか? ・・
500ページ超の内容を一言で要約するのはきわめて難しいが、急がば回れである。きわめて有用な内容が満載の書籍である。 現代ロシアの現在と行く末に関心のある人には、読むことを推奨したい。
PS 共著者の1人のフィオナ・ヒル氏について
英国生まれで現在は米国籍。現代ロシア研究が専門で歴史学で博士号を取得、本書の出版後、米国家安全保障会議(NSC)元上級部長(ロシア・欧州担当)であった。
(プーチンの右隣が著者の1人であるフィオーナ・ヒル博士)
2019年には、トランプ前大統領の弾劾調査にかんして、米国議会で証人喚問に応じている。 いわゆる「リベラル・ホーク」として、プーチンのロシアには批判的だ。
目 次
日本語版に寄せて フィオナ・ヒル/クリフォード・ガディ
第Ⅰ部 工作員、現わる
第1章 プーチンとは何者なのか?
第2章 ボリス・エリツィンと動乱時代
第3章 国家主義者
第4章 歴史家
第5章 サバイバリスト
第6章 アウトサイダー
第7章 自由経済主義者
第8章 ケース・オフィサー
第9章 システム
補記 プーチンと博士号
第Ⅱ部 工作員、始動
第1章 ステークホルダーたちの反乱
第2章 プーチンの世界
第3章 プーチンの「アメリカ教育」
第4章 ロシア、復活
第5章 国外の工作員
エピローグ 工作員の活動は続く
謝辞
解説-『戦略家プーチンとどう向き合うか』(
ウラージミル・プーチン関連年表
注釈(抜粋)*詳細版なものは下記サイトにあるhttps://www.shinchosha.co.jp/images_v2/free_details/book/507011/Mr_Putin.pdf
参考文献・写真提供
索引
<関連サイト>
<ブログ内関連記事>
・・「1960年にレニングラード音楽院(ソ連崩壊後の現在はサンクトペテルブルク音楽院)に留学していた17歳からの3年間の記録(・・中略・・)実際のソ連の現実はといえば、欠乏していたのは自由だけでなく、また物資も慢性的に欠乏していた。あこがれが実現したレニングラードの留学生活であったが、なかなか大変であったようだ」
⇒ 前橋汀子氏は、1952年生まれで、レニングラードで育ったプーチンと同時代体験している。前橋氏のほうが9歳年上ということになる
・・この本の内容は『プーチンの世界』に多く負っている
・・ソ連(ロシア)と張り合ってきた英国情報部MI6
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