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2019年4月11日木曜日

書評『私のヴァイオリン ー 前橋汀子回想録』(前橋汀子、早川書房、2017)ー 冷戦時代のソ連と米国をともに体験し世界中で活躍してきた「魂のヴァイオリニスト」の回想録

(カバーの写真は、21歳の著者)

私のヴァイオリン-前橋汀子回想録-』(前橋汀子、早川書房、2017)は、演奏活動55周年を記念して出版された
「魂のヴァイオリニスト」の回想録だ。

エキゾチックな美貌だけでなく、その演奏は単なる技巧をはるかに越えた「魂のヴァイオリニスト」といって過言ではない。わたしも前橋汀子氏のヴァイオリンに大いに魅了されてきた一人だ。

技巧にかんしては世界トップレベルの演奏家を輩出してきた日本だが、前橋汀子氏のようなヴァイオリニストは、残念ながら希有な存在と言わねばならない。前橋氏自身も、自分が「追い求めてきたものと、いまの世の中が求めているものとが必ずしも一致しなくなってしまったような気がします」と、「エピローグ」のなかでつぶやいている。

わたしは、バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集」を繰り返し、繰り返し何度も聴きこんできた。いろいろ聴き比べもしてみたが、前橋汀子以外にはないという結論に達している。まさに入魂のレコーディングである。

近年は、日本におけるクラシック音楽の裾野を拡げるために、ヴァイオリン小曲集を中心にしたコンサートにも何度も開催しており、わたしも何度か聴きに行っている。
ライブの演奏に如くものはないからだ。

そんな「魂のヴァイオリニスト」がいかにしてできあがったのか、その知られざる生涯が本書で明らかにされている。分量的にはかならずしも多くないが、日経新聞の名物連載「私の履歴書」のようなスタイルだといっていいだろう。この本に書かれたことは、本人にしか書けないことだし、書かれていないことは本人の意志によるものだろう。

冷戦時代のソ連と米国をともに体験し、その後はスイスに居を定め、日本に拠点を移してからも世界中で活躍してきた前橋汀子氏。なによりも興味深く読んだのは、1960年にレニングラード音楽院(ソ連崩壊後の現在はサンクトペテルブルク音楽院)に留学していた17歳からの3年間の記録であった。

そもそもソ連に行きたい(!)なんて人は、当時の日本では共産主義者や社会主義者以外にはいなかった時代のことだ。最初に教えを受けた教師が亡命ロシア人の小野アンナだったからだ。さらにソ連が生んだ巨匠ダヴィッド・オイストラトフの来日演奏会を1955年に聴く機会を得たことなどが重なって、ソ連へのあこがれが形作られたようだ。イデオロギー的なものとはまったく無縁であった。

だが、実際のソ連の現実はといえば、欠乏していたのは自由だけでなく、また物資も慢性的に欠乏していた。あこがれが実現したレニングラードの留学生活であったが、なかなか大変であったようだ。

そんな1960年代前半、しかも米ソのあいだでキューバ・ミサイル危機があった時代のことだった。ただし、本人はそんなことはつゆ知らず、ひたすら音楽の勉強に専念していたのであった。音楽院は、あくまでも音楽家として食べていくための人材を育成することが目的なのである。

前橋汀子氏の軌跡が面白いのは、ソ連留学から帰国したあと、こんどは米国のジュリア-ド音楽院にあこがれてニューヨークへの留学を実現させたことにある。当時のソ連ではクラシック音楽は、古典音楽しか教育されていなかったからだ。ある意味、ソ連(ロシア)が後進国として基本に忠実であったためだろう。

ジュリアード音楽院とニューヨークで体験したのは、およそソ連とは異なる自由の国のあり方であった。卒業後は米国でプロのヴァイオリニストとして活躍していたが、米国の競争社会に息詰まる思いをして、今度はスイスへ。

前橋汀子というと、どうしてもその原点であるソ連(ロシア)というイメージがつきまといがちだが、米国を経て欧州で本格的に修行したこともまた大きな財産になっていることは間違いない。



それにしても本書を読んでいて興味深いのは、ソ連であろうが米国であろうが欧州であろうが、どこにいってもクラシック音楽の世界はユダヤ人が活躍している世界であることだ。レニングラード音楽院時代のルームメイトのラトビア人も、師匠たちもみなユダヤ系であった。

この回想録で、はじめてダヴィッド・オイストラフの名前を知ったが、彼もまたウクライナのオデッサ生まれのユダヤ系であった。オデッサは、ユダヤ系音楽家を多数輩出している。オイストラトフについては、この本を読むまで私は知らなかったが、演奏を聴いてみると、前橋汀子が影響を受けた理由がよくわかった。

この回想録は、先にも書いたように日経新聞の「私の履歴書」みたいな感じで、分量もそれくらいなのだが、本当のことを言うと、もっとたくさん語ってほしかった。まだまだエピソードはたくさんあるはずだからだ。

まあこれは、いつの日かノンフィクション作家によって書かれるであろう「評伝」に期待したいと思う。








目 次 
プロローグ
第1部 生い立ち
 第1章 ヴァイオリンを始める
 第2章 ソ連に行きたい
第2部 ソ連時代
 第1章 ソ連で一から
 第2章 ソ連を生き抜く
 第3章 最高の教育を受ける
 第4章 病に倒れる
第3部 ニューヨーク時代
 第7章 ジュリアード音楽院
 第8章 チャンスを勝ち取る
第4部 スイス時代
 第9章 シゲティに師事する
第5部 日本を拠点に
 第10章 運命
エピローグ
謝辞




著者プロフィール
前橋汀子(まえはし・ていこ)
日本を代表するヴァイオリニスト。2017年に演奏活動55周年を迎えた。その演奏は優雅さと円熟味に溢れ、多くの聴衆を魅了してやまない。国内外で活発な演奏活動を展開し、世界の第一線で活躍するオーケストラや音楽家との協演を重ねている。近年、小品を中心とした親しみやすいプログラムによるリサイタルを全国各地で展開、好評を得ている。2004年日本芸術院賞受賞、2007年第37回エクソンモービル(現・東燃ゼネラル)音楽賞洋楽部門本賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。








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