(文庫本には「熱いメッセージ」のカバーつき)
つい最近のことだが『本のエンドロール』(安藤祐介、講談社文庫、2021、初版2018年)という小説があることを知った。
「本のエンドロール」とは「奥付(おくづけ)」のことだ。紙の本の最後のページに「印刷」されている1枚の情報。そこには、本づくりにかかわった人たちの名前が(・・とはいっても、会社名だけのことも多いが)すべて記されている。
この小説は、そんなモノとしての「紙の本」づくりにかかわる「製造工程」、つまり「印刷」と「製本」ではたらく人たちへのリスペクトを、印刷会社の営業パーソンを主人公にして描いた仕事ものだ。
(講談社の「特別サイト」より「1冊の本ができるまで」 クリックで拡大)
印刷工場で働くひとびとを主人公にした小説といえば、プロレタリア作家・徳永直の『太陽のない街』(1929年)があることを読みながら思い出した。鉛の活字を拾って製版していた時代の印刷工場の労働争議を描いた小説だ。こちらも舞台は東京都心である。
中小零細の多い印刷業界は、ほかにも小説の舞台背景になっているものも少なくないと思うが、2018年に初版のでた『本のエンドロール』は、活版印刷が衰退していく時代の小説だ。印刷業にかっての勢いはない。
ふだん小説はほとんど読まないわたしも、この小説は大いに共感しながら読み終えた。なぜなら、自分もまた「本好き」のひとりだからだ。しかも「紙の本」が大好きだ。
世の中から「紙の本」が完全に消えてしまうことはないにしても、すでに成熟期を終えて衰退ステージにあることは否定しようはない。とはいえ、そんな「紙の本」であるからこそ、しぶとく生き残ってほしいし、自分なりに愛着もある。
都心に電車通勤していた時期の長いわたしは、文庫本のページをスマホのように片手でめくる特技(?)をもつ世代である。
電車のなかで「紙の本」を読む人が「絶滅危惧種」になっているとしても、あえて文庫本として読むことに意義を見いだすのである。左手で文庫本をめくり、同時に右手でスマホを操作するというわけだ。ただし、スマホの操作は若者のレベルには達することはないだろう。
「印刷会社」ではたらく人びとを描いたこの小説は、だからこそ「紙の本」として読むべきなのだ。1冊の「紙の本」の背後に、多くの関係者の姿を思い浮かべながら、そしてリスペクトの気持ちをもちながら。
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PS フランクリンは印刷工から出発した
「アメリカ建国の父」のひとりであるベンジャミン・フランクリンは18世紀の人。活版印刷時代の「印刷工」からキャリアを出発し、「印刷工場」の経営から新聞発行などで財をなした人でもある。
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