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2023年2月10日金曜日

美術展「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」(千葉市美術館)に行ってきた(2023年2月9日)ー200年前のエキゾチックに驚き、その精緻な銅版画の技術にさらに驚く

 
ひさびさに千葉市美術館に行ってきた。昨日のことだ。「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」という美術展を見るためである。 

記録をみると2015年以来のことになるので、8年ぶりということにある。その間に新型コロナ感染症(COVID-19)コロナを挟んでいるが、理由はそれよりも浮世絵の研究者で美術史家の小林忠氏のような個性的な館長の退官後には、個性的な美術展が企画されていなかったからだろう。

亜欧堂田善は、オランダ語の書物のなかに見た西洋の風物や人物を、精緻な模写によって銅版画として再現、また同時代の江戸の風俗を浮世絵ではなく、洋画の道具と手法で描いた画家である。 

21世紀の現代から見てもエキゾチックな印象の画風は、同時代の人たちからみたら、なおいっそうのこと、そのように受け止められたことであろう。まるで外国人が描いたかのような印象である。

(洋風風俗画の「両国図」 画面中央に力士が二人)

 「没後200年」というこの機会をを逃したら、これだけの規模の回顧展はなかなかないだろう。その意味では、今回の美術展はひじょうにうれしい。

(「大日本金龍山之図」 浅草の浅草寺の境内を銅版画で NHK番組より)

亜欧堂田善(あおうどう・でんぜん 1748~1822)は、江戸時代後期に活躍した銅版画作家で洋風絵師本名の長田善吉を略して田善。佐藤けんいち略してサトケンのようなものだ。面白いねえ、そういう名乗り方もあるのか、と。 

亜欧堂という号は、老中も努めた白河藩主の松平定信から命名されたのだという。亜(=アジア)と欧(=ヨーロッパ)を合わせたような絵を描いてほしい、という含意である。 

(『銅版画見本帖』のうち「フローニンヘンの新地図」 忠実な模写に見えて田善による遊びの要素あり)

田善は、現在の福島県須賀川市の出身。定信に見いだされ、西洋の銅版画の技法を身につけるよう命ぜられたのは47歳のときである。子どもの頃から画才があったが、画家になるのは断念し、それまでは家業の染め物屋の主人であった。 

晩学や第二の人生というと、49歳から天文学と測量の勉強を本格的に始めた伊能忠敬を想起するが、亜欧堂田善も同時代人であった。ともに松平定信を中心とした学問芸術ネットワークに属する人たちだ。あらためて、松平定信という人物には、大いに注目する必要がある。



銅版画というと、同時代の万能人・司馬江漢(1747~1818)を想起させるが、田善は江漢をして「日本に生まれたオランダ人」と言わしめたほどの技量の持ち主であった。 

今回の美術展は「没後200年の回顧展」であり、福島県立美術館と共催である。福島県は亜欧堂田善の生まれ故郷であり、かれが生きていた時代から地元の人たちから大いに愛好され大事にされてきたらしい。そのおかげで、銅版画の原板も多くが保存されてきたのだ。 今回もその多くが出品されている。

田善が残した銅版画の原板を見ていると、その昔に高校の美術の授業で銅版画を作成したことを思い出した。田善の手法はエッチングであるが、ほぼゼロい近い時点からのスタートであった当時の苦労を考えると、なおさら頭が下がるのである。

 
(『医範堤綱内象銅版図』(1808年)の挿絵)


■「芸術」という概念のなかった時代、アートは芸術であり技術であった

今回の美術展では美術的要素の強い銅版画や洋画のほかに(洋画風の絵馬もあり!)、宇田川玄真が訳したオランダの解剖書『和蘭内景 医範提綱 付内象銅版図』の挿絵や、天文方の高橋景保を中心としたチームによる幕府官製の世界地図「新訂万国全図」が展示されている。いずれも実用性の高い仕事である。 

(「新訂万国全図」(1816年出版)東半球と西半球)

こういった西洋の最新知識を日本に普及させるためには、文字だけでは不十分である。目で見てわかるビジュアルが必要だ。そういう認識をもっていた定信は、写真術など存在しなかった時代に、原本の画像を銅版画で再現するという手法を推進させたのである。まさに慧眼というべきであろう。 

「広く知識を世界に求め」というのは明治維新における「五箇条の御誓文」(1868年)の一節だが、18世紀末の時点で定信は、実用性という観点からすでにその方向性を推進していたのである。田善は、その実行のために採用された一人なのであった。 日本人の世界認識の拡大に貢献したのである。

    (晩年の田善。弟子による肖像画 Wikipediaより)

司馬江漢は全国レベルの知名度だが、亜欧堂田善は西日本ではあまり知名度が高くないのかもしれない。福島の須賀川に生まれて、後半生を江戸を中心に活動し、晩年は故郷に戻った人だからであろうか。今回の美術展は西日本での巡回展はないようだ。 


(美術展の図録)

亜欧堂田善だけでなく、蘭学のビジュアル的側面に関心のある人はぜひ行くべきだろう。充実した図録も販売されている。大冊で2,750円するが購入する価値がある。 

  

画像をクリック!



<参考>




Johann Elias Ridinger(Wikipediaドイツ語版 英語版もあるが日本語版はない)
・・亜欧堂田善が模写したウマの図は、定信が所有していたドイツ人の動物画家で銅版画家のヨーハン・エリアス・リーディンガー(1698~1767)の画集から。日本に多く輸入されているのは、軍馬に対する関心からであろうとされている


<ブログ内関連記事>

・・これはすべて木版



・・17世紀西欧の銅版画の革新者ジャック・カロ


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