2025年9月15日月曜日

書評『越前福井藩主 松平春嶽 ― 明治維新を目指した徳川一門』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)― 幕末の政局で「第三極」であった福井藩

 

 ここのところ福井藩が気になっている。越前の国・福井の福井藩である。 

福井藩がらみの人物としては、幕末の開明的な藩主であった松平春嶽、安政の大獄で斬首された橋本左内、五箇条の御誓文のドラフトを書いた由利公正、そして熊本から招聘された政治思想家の横井小楠や、維新後に米国から招聘された御雇い外国人のグリフィスなどがあげられる。 

だが、そういった個性的な人物も  さることながら、幕末から明治維新にかけて重要な役割をはたした福井藩そのものについては、その全体像をつかんでいなかった。 

語りすぎるほど語られてきた薩長はいうまでもなく、幕府そのものや土肥と比較すると、情報量にかんしては雲泥の差である。 


江戸時代、とくに江戸時代後期をわかりやすく叙述するプロの著作家になる本書を読むと、福井藩の徳川体制における出発点から始まるビミョーな位置づけ、そして幕末の政局において「第三極」ともいえる役割をはたした松平春嶽(しゅんがく)という藩主について、ザックリとつかむことができた。 


(松平春嶽 Wikipediaより)


福井県人にとっては、あえて語るまでもないだろうが、県外の人間にとって、松平春嶽という名は知っているものの、いかなる働きをいかに遂行したかということがよくわかっていなかった。 

松平春嶽がはたした役割とはなにか、著者による要約を引用しておこう。 


春嶽の歴史的役割とは、徳川一門の大名でありながら、公論をキーワードに徳川家独裁の政治体制ではなく、挙国一致の国家造りを牽引したことにつきる」(エピローグより) 


「公論」こそ、まさにキーワードである。五箇条の御誓文にある有名なフレーズ「広く会議を興し、万機公論に決すべし」は、春嶽自身の理念であったのだ。 それがそのまま、家来であった由利公正が「五箇条の御誓文」のドラフト執筆につながってくる。

最終的に「薩長同盟」が倒幕に成功し、明治維新革命となるわけだが、薩摩は長州と手を組む前は、藩主どうしの関係から薩摩は福井と密接な関係にあったのである。 

とはいえ、親藩の福井藩の藩主である松平春嶽にとっては、当然のことながら倒幕に組みするわけにはいかなかった薩摩との距離が開いたのはそのためであり、福井藩と春嶽にとっては限界であったのだ。まさに著者のいうとおりであろう。 

そんな福井藩だが、新政府のメンバーであったため、戊辰戦争においては薩長を中心とした官軍と行動をともにせざるをえなくなる福井藩は長岡藩と戦い、会津まで転戦している。 本書ではそれ以上の記述はないが、維新後の江戸庶民の福井に対する視線に冷たいものがあったのは、そこらへんに理由があったのだろう。

 本書の主たるテーマではないので、横井小楠については福井藩とのかかわりが記されてているのみだが、政治構想と財政再建が目的の殖産興業などの観点から、横井小楠についてはもっと深掘りしてみたい。 

最近気がついたのだが、いままで福井を訪れたことがなかった。おなじく若狭湾に面した舞鶴から近い敦賀には行ったことがあるが、肝心要の越前には行ってないのだ。いずれ現地踏査をしなくてはならないなと思っている。 


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目 次
プロローグ ― 幕末の第三極・松平春嶽 
第1章 春嶽、越前福井藩主となる ― 親藩大名の苦悩 
第2章 大老井伊直弼との対決 ― 安政の大獄 
第3章 政事総裁職への就任と横井小楠 ― 慶喜・春嶽政権の誕生 
第4章 薩摩藩との提携路線を強める ―「薩越同盟」の可能性 
第5章 戊辰戦争という踏絵 ― 新政府の主導権を奪われる 
第6章 維新後の春嶽 ― 福井藩の消滅 
エピローグ―春嶽の歴史的役割 
松平春嶽関係年表 
参考文献

著者プロフィール
安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)
1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2025年9月14日日曜日

書評 『東洋の至宝を世界に売った美術商 ― ハウス・オブ・ヤマナカ ―』(朽木ゆり子、新潮文庫、2013)― 知られざる日本企業の海外進出サクセス・ストーリーであり、その絶頂期と敵国資産として接収され解体にいたる歴史を描いたノンフィクション

 


面白そうだなと思って買っておいたまま12年。ふと気になって読み始めたら、これがじつに面白い。最後まで飽きることなく、文庫本で450ページ超の大冊を読み通してしまった。 

知られざる在米日本企業の盛衰を描いたノンフィクションである。日本企業の海外進出ストーリーであり、出発点から解体までを扱った歴史ものであるが、主たるテーマは「山中商会」という美術商、つまりアート・ディーラーとその顧客たちの関係を描いたものだ。

19世紀後半から20世紀前半にかけて、欧米の大富豪たちのあいだで東洋美術ブームがあった。欧米各地の美術館に国宝級の日本美術が収蔵されているのは、その名残である。まずは日本美術がブームとなり、その後は中国美術にシフトする。

貴重な美術品が海外に流出した背景には、旺盛な需要だけでなく、ビジネスとして仲介を行ったの美術商たちが存在していたからである。 

本書の主人公は、山中定次郎(やまなか・さだじろう)であるが、大阪の山中一族が主人公といってよい。「ハウス・オブ・ヤマナカ」とは山中商会のことだ。江戸時代後期から幕末の動乱期を乗り切った大阪の古美術商の一族が、明治維新を経て海外に雄飛する道を選ぶ。

浮世絵にかんしては、ジャポニスムの中心地であったパリを本拠に活動していた林忠正が有名だが、山中定次郎は海外進出の出発点をニューヨークに選んだ。日本との関係でいえばボストンが有名だが、ニューヨークには小規模ながらすでに日本美術のアート市場が存在したからだ。 


■知られざる日本企業の海外進出のサクセス・ストーリー

本書は三部構成になっているが、「第1部 古美術商、大阪から世界へ」と「第2部 「世界の山中」の繁栄」は、日本企業の海外進出ストーリーとして読みでがある。

ニューヨークを本拠地にして、ボストンやその他東海岸を中心にした米国各地だけでなく、ロンドンにも進出して王室御用達にもなっていたのだ。 

古美術を扱うアートディーラーは、資金の回転が遅く、しかも大きなカネを動かさなくてはならないので、信用がものをいう世界である。格式がブランド力向上につながり、ビジネスに有利に働くだけことはいうまでもない。

山中商会が全盛期を迎えたこの間、顧客の関心は日本美術から中国美術に移っていくが、それは明治維新前後の混乱状況は、すでに収束を始めていたからだ。日本からの美術品の流出に法的な制限がかけられるようになったのである。だが、それだけが理由ではない。

20世紀のはじめには、中国大陸は清朝末期の「義和団事件」から「辛亥革命」にかけての激動期であり、その後もつづいた政治経済から社会全体におよんだ混乱状態のなか、大量の古美術品が手放され、あるいは略奪によって海外に流出したのである。山中商会も大胆な取引によって、中国美術で大いに儲けている。 


■日米関係の悪化と日米戦争によるビジネス接収と解体

ところが、そんな全盛期も終焉を迎えることになる。1929年に始まった「世界大恐慌」の影響があっただけではない。なによりも「日米関係の悪化」がビジネスに悪影響をあたえることになったからだ。 

1941年7月の日本軍の「南部仏印進駐」によって「在米日本資産凍結令」が発令され、12月の「日米開戦」によって資産が接収され、米財務省の管理下に入ることでトドメを刺された。資産売却のための営業がゆるされたが、敵国資産管理人局による清算作業によって3年後に解体された。 

接収から解体にいたるまでのプロセスを描いたのが「第3部 山中商会の「解体」であり、大戦中に接収された在米日本企業の資産が、どのように処分されたのかについての貴重なケーススタディになっている。

米国政府の一次資料を読み込んだ10年かけての労作であり、頭が下がる思いをする。 著者にはフェルメール全点踏破の旅』という著書もあって、その徹底ぶりには以前から感嘆していたが、この本はそれをはるかに上回る徹底した調査によってできあがった作品なのだ。

アート・ディーラーというビジネスをテーマにした日本企業の海外進出ストーリーであり、美術ファンはもちろん、それ以外の人にとっても読む価値のある作品であると、出版から時間がたっているものの、いまさらながら思う次第だ。

 
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目 次 
序章 琳派屏風の謎 
第1部 古美術商、大阪から世界へ
 第1章 「世界の山中」はなぜ消えたか
 第2章 アメリカの美術ブームと日本美術品
 第3章 ニューヨーク進出
 第4章 ニューヨークからボストンへ
第2部 「世界の山中」の繁栄
 第5章 ロンドン支店開設へ
 第6章 フリーアと美術商たち
 第7章 日本美術から中国美術へ
 第8章 ロックフェラー家と五番街進出
 第9章 華やかな20年代、そして世界恐慌へ
 第10章 戦争直前の文化外交と定次郎の死
第3部 山中商会の「解体」
 第11章 関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖
 第12章 日米開戦直前の決定
 第13章 開戦、財務省ライセンス下の営業
 第14章 敵国資産管理人局による清算作業
 第15章 閉店と最後の競売
 第16章 第二次世界大戦後の山中商会
終章 如来座像頭部
あとがき
資料と参考文献


著者プロフィール
朽木ゆり子(くちき・ゆりこ)
東京都生れ。国際基督教大学教養学部社会科学科卒。同大学院行政学修士課程修了。コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。1987年から1992年まで「日本版エスクァイア」誌副編集長。1994年よりニューヨーク在住。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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・・ボストン美術館の東洋美術部門は岡倉天心が責任者として基礎を固めた

・・アメリカの大富豪が「発見」しコレクションを作り上げたことで、日本でも注目されるようになった伊藤若冲

・・「博士論文のテーマは、19世紀後半の英国における日本美術収集にかんするものであり、オックスフォード大学と大英博物館の所蔵品を調べる」






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2025年9月13日土曜日

『象徴天皇の実像 ―「昭和天皇拝謁記」を読む』(原武史、岩波新書、2024)が面白い。 「人間的な、あまりに人間的な」昭和天皇の肉声のダイジェスト版

 


 「昭和天皇拝謁記」とは、初代宮内庁長官をつとめた田島道治氏が残した詳細な記録である。1949年(昭和24年)から4年10か月にわたり昭和天皇との会話を詳細に記録したものだ。 

「人間的な、あまりに人間的な」といいたくなるような昭和天皇その肉声が聞こえてくるようだ。そんなことも発言しているのか、そんなこと口にしていいのか、という発言まで記録されているのだ。 

「昭和天皇拝謁記」は、2021年に岩波書店から全文が公刊されているが、全7巻もあるのでさすがに読むのはためらわれる。そこで、ダイジェスト版というわけではないが、天皇研究の第一人者である原武史氏のものを読んでみたわけだ。 

約5年間にわたる発言をテーマ別に整理しているが、もちろん鉄道オタクである著者のテイストが随所に反映されている。どういうテーマで整理されているかは、「目次」を一覧すればわかるだろう。 


序章 『昭和天皇拝謁記』とは何か 
第1章 天皇観 
第2章 政治・軍事観 第3章 戦前・戦中観 
第4章 国土観
第5章 外国観 
第6章 人物観1―皇太后節子(さだこ)
第7章 人物観2―他の皇族や天皇 
第8章 人物観3―政治家・学者など 
第9章 神道・宗教観 
第10章 空間認識 
終章 『拝謁記』から浮かび上がる天皇と宮中 


第1章から5章までは、日本現代史そのものにかかわるものだ。 

大日本帝国憲法下の天皇と、日本国憲法下の天皇の位置づけの違いにかんしては、昭和天皇は十分に認識していなかったことが浮かび上がってくる。まあ、それは無理もないだろう。40歳を過ぎた「人間」の考えなど、そう簡単に切り替えができるものではない。 

なんといっても、第6章から8章までの昭和天皇による人物観が興味深い。 

大正天皇の皇后であり、昭和天皇にとっては母親であった貞明皇后こと皇太后節子(さだこ)との確執がとくに印象的だ。グレートマザーとして、昭和天皇に重くのしかかっていた存在だったのだ。また、弟宮たちへの感想も辛辣である。皇国史観に対しても批判的であったこともわかる。 

さらに「第9章 神道・宗教観」も興味深い。

昭和天皇は、キリスト教に親近感を感じていたのである。国民が想っているよりも、皇室とキリスト教との関係が深いことを知っておく必要がある。これはけっして戦後に始まったものではない。 

そもそも初代宮内庁長官をつとめた田島道治氏自身、新渡戸稲造の弟子で、内村鑑三の薫陶を受けた人物である。さまざまな事情があって田島氏はキリスト教徒にはならなかったものの、昭和天皇の子ども時代の養育係や歴代の侍従にキリスト教徒がすくなからずいたことも知っておく必要があろう。 

1962年生まれの著者は、わたしとは同年代にあたるが、政治観についてはだいぶ異なるものがある。とはいえ、昭和史を知るためには、このダイジェスト有用である。一度は目を通しておいたほうがいいだろう。 


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著者プロフィール
原武史(はら・たけし)
1962年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。東京社会部記者として昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退。東京大学社会科学研究所助手、山梨学院大学助教授、明治学院大学教授、放送大学教授を経て、明治学院大学名誉教授、放送大学客員教授。専攻、日本政治思想史。著書、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞受賞)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2025年9月9日火曜日

「重版出来!」 『超訳自省録』が第15刷に!(2025年9月5日)― ロングセラーとして定着しつつある

 


まことにもって、ありがたき幸せ。「有り難い」から「ありがたい」。ことしの増刷はまだ2回目ですが、間違いなくロングセラーの証といえましょう。 




ドラマ『ミステリと言う勿れ』による「特需」は、今は昔の物語と化しておりますが、ぜひまたなにか起爆剤がほしいところ。 すでに5万部は越えたが、10万部への道のりはまだまだ遠い。

皇帝マルクス・アウレリウスの「ストア派哲学」で激動期を乗り切りましょう! 


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