大森といえば、なんといっても「大森貝塚」であろう。縄文人の住居跡と貝塚である。日本ではじめて「発見」された由緒ある貝塚だ。現在は公園として整備され「品川区立大森貝塚遺跡庭園」となっている。
その存在をはじめて耳にしたのは、化石に多大な関心のあった中学時代だったような気がする。明治時代初期に米国東海岸のボストンから来日した御雇い外国人教師のエドワード・モース博士による発見だ。大森貝塚にはモース博士の胸像がある。
モース自身が大森貝塚の発見について記した『大森貝塚』(岩波文庫、1983)は、大学時代に出版されてすぐに購入して一読している。理科少年の名残である。
「東京湾ベイエリアの東側」には、かの有名な千葉市の「加曽利貝塚」をはじめ、わたしが住んでいる船橋市にも「飛びの台」や「取掛西」など縄文遺跡と貝塚は多数ある。
「東京湾ベイエリア西側」の貝塚を訪れたのは今回がはじめてで、ようやく「大森貝塚」を訪れるという長年の課題が解決したわけだ。
なにごとも百聞は一見にしかずであって、大森貝塚もまた小高い丘の上にある。さすがに埋め立てが進んだ現在は海は見えないが、「大森貝塚遺跡庭園」から東京湾方面を見下ろすことが可能だ。
現在は住宅の密集地となっているが、なるほど縄文人の知恵というべきだなと実感。「縄文海進時代」は、縄文人の住居である貝塚の下まで海だったのだろう。船橋の縄文遺跡もみな高台の上にある。
■「品川区立品川歴史館」は「大森貝塚」から歩いて10分ほど
ついでに足を伸ばして「品川区立品川歴史館」へ。大森貝塚にきたついでに立ち寄ることにする。ゆるやかな坂を登って、約10分ほどの距離である。
縄文時代から始まり、鎌倉時代を経て江戸時代には東海道の街道筋にあって、江戸の入口にある宿場町として賑わったのが品川だ。「♪こちゃ高輪すぎて品川へ~」である。
幕末混乱期には砲台である「お台場」が江戸湾に建設され、明治維新後の明治時代には工業地帯として日本の近代化を支えることになる。
(1号 一等水準点の蓋石)
品川は、西方につづく東海道の宿場町であり、江戸の入口であった。東海道新幹線に新規に品川駅が開業して以降は、その意味があらたに再確認されることになった。
過去の展示会の図録が有用なので購入することに。『特別展 品川から世界へ サムライ海を渡るー幕末明治の日本と外交使節団』(1,000円)と『品川の海にお台場ができるまでー日記でひもとく170年前の大工事』(500円)の2点。
前者のテーマは、それなりに昔から関心があったが、後者の「お台場」の土木工事については、今後も関心をもって調べていきたいテーマである。
大森での訪問を終え、つぎは下丸子に向かう。 ➡ https://e-satoken.blogspot.com/2025/04/20up32025418.html
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