仏教やインド哲学に関心のある人なら、その名を知らないはずのない碩学・立川武蔵教授の若き日の米国滞在記とインド滞在記。1970年前後の米国、しかも東海岸の状況がよくわかる私的ドキュメントである。
すでに絶版になっていたので、20年近く前に古書で入手していたものだが、ようやく読むことにした次第だ。
なぜ入手したいと思ったかというと、著者の場合、もともと仏教学とインド学研究者であったとはいえ、アメリカ体験がインド体験に先行しているからだ。順番だけをとってみれば、わたしとおなじである。わたしの場合は米国滞在中に初めて「アジア人としての意識」が目覚めたのであった。
個人的な話であるが、まず帰国後に毎年1カ国訪問することにしたのだ。近隣の韓国に行き、つぎにタイ、そしてインド・ネパール・チベットを回り、カンボジア、ミャンマー、スリランカと回った。米国体験の前は、香港・中国とシンガポール・マレーシアである。
インドは、日本人がふだん考えている「東洋」とは違って、むしろ「中洋」ともいうべき存在である。だがそれでも、「西洋」とは異なる存在だ。岡倉天心の「Asia is One」の意味は、「一にして多、多にして一」であることを念頭に置くべきであろう。
2024年の現時点では、出版からすでに55年を経過し、書かれている内容は60年も前のことだ。しかも、舞台は西海岸(ウェスト・コースト)のカリフォルニアではなく、東海岸(イースト・コースト)のハーバード大学のあるボストンである。
この1970年前後こそ米国では「カウンター・カルチャー」の全盛期であったが、西海岸に限定された現象ではなかったのだ。
著者が米国体験として語っているのは、ハリ・クリシュナ教団、チベット仏教研究者のロバート・サーマン(・・息子のガンデン、娘のウマ(=ユマ)*についても)、そしてチベット仏教僧のチョギャム・トゥルンパである。
*1970年のこの時点では、もちろんウマ(ユマ)・サーマンがハリウッド女優になるなど、誰も考えもしなかったことであろう。
米国体験ののちのインド体験では、サンスクリット研究のために滞在したプーナ(=プネ)にてラージーニシ・アシュラム(=道場)について語られている。ラージニシーは後年みずからのことを OSHO(=和尚)と名乗るようになった。
アメリカとインドの関係は、政治や経済の前に、まず1970年代前後の「カウンターカルチャー」時代があったことをアタマのなかに入れておかなくてはならないのだ。その世代の人たちはすでにリタイアの年代に入っているが、影響は現在に及んでいる。
もちろん、それ以前のエマソンやソローの時代の東海岸における東洋文明受容という素地があったことは言うまでもない。エマソンもソローも、ともに東部の名門ハーバード大学の卒業生であったことを想起すべきであろう。
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・・異色の宗教学者・町田宗鳳(まちだ・そうほう)氏もハーヴァード・ディヴィニティ・スクールを卒業している。『文明の衝突を生きる-グローバリズムへの警鐘』(町田宗鳳、法蔵館、2000)のなかで
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