2011年5月31日火曜日

書評 『ことばの哲学 関口存男のこと』(池内紀、青土社、2010)-言語哲学の迷路に踏み込んでしまったドイツ語文法学者


言語哲学の迷路に踏み込んでしまったドイツ語文法学者を描いた「第二列の人生」番外編

 関口存男(せきぐち・つぎお)という名前にピンとくる人は、果たしていまどれだけいるのだろうか?

 いまから30年くらい前に大学でドイツ語を第三外国語として選択した私は、関口存男の『関口・新ドイツ語の基礎』(三修社、1981)(写真右下)を参考書に勉強した。

 数年前にドイツ語を復習した際に、この本を改めて読み直してみた。1945年発行の原本『新ドイツ語大講座』の戦前のよき伝統を残しつつ、敗戦後の日本社会復興という時代の息吹も感じられる名著である。

 ドイツ語との対比で英語がでてくるだけでなく、ギリシア語、ラテン語、ロシア語も何のことわりもなしにぼんぼん出てくる。また、例文が面白いだけでなく、哲学やドイツ思想にかかわる背景説明も詳しいので読んで楽しい。語り口の面白さでは、最近の教科書や参考書でも、そう滅多にお目にかからないものだ。

 この関口存男を、大学でドイツ語の先生もやっていた池内紀が取り上げるのは当然だろうなと思って読み始めたのだが、姫路生まれという共通点もあるのにかかわらず、池内氏の関口存男に対する関心はそういった共通の基盤から来るものではなさそうだ、ということが読んでいてわかってくる。おなじくドイツ語にかかわる仕事でも、ドイツ語学とドイツ文学とでは、まったくフィールドが異なるのだという。言われてみればそのとおりだ。

 池内紀には『二列目の人生-隠れた異才たち-』(晶文社、2003)という、評伝エッセイ集があるが、関口存男もある意味では池内氏ごのみの「二列目の人生」にふさわしい人物だ。

 陸軍士官学校卒業の関口存男は「軍人失格」なので「一列目の人生」を歩いた人ではない。士官学校時代に独自の語学勉強法を編み出してドイツ語をものにした関口存男の語学学習法は、奇しくもかのシュリーマンと同じようなものであったが、そっくりそのまま万人に適用できる方法ではない。

 ドイツ語の教師としても、学歴の点からいったら帝大出ではないので「二列目」だ。しかも、20歳台は陸士時代の反動であるかのように、東京でどっぷりと演劇の世界に浸かった青春時代を送っている。モリエールの『人間嫌ひ』の翻訳も草創期の岩波文庫から出していた。モリエールの原文はフランス語である。


 ベストセラーのドイツ語の語学教科書と参考書の著者だったが、出版のあてもなく骨身を削って取り組んだライフワークはあと少しを残して未完成。死後ようやく刊行されたその著者はドイツ語がぎっしり詰まった2千ページを超える大著、果たしていったい誰が読むのやら。

 戦時中のドイツ文学者たちが日独伊三国同盟という世相のもと、時局に便乗して、降って湧いたナチスドイツブームに乗っかったものの、敗戦後はその事実にほっかむりしてトマス・マンなどを持ち上げて民主主義者の旗をふっていたことは、『文学部をめぐる病い-教養主義・ナチス・旧制高校-』(高田里惠子、ちくま文庫、2006、単行本松頼社2001)で徹底的に暴かれた事実だが、この点にかんしては元演劇青年・関口存男は彼らとは微妙な関係で距離を置いていたようだ。

 士官学校卒業という学歴がたたって、戦後は公職追放のため大学教授の職に復帰することはなかった。生活費稼ぎの予備校教師以外はライフワークに専念した晩年。けっして群れない「狼」としての生き方

 関口存男という人物は、まあざっとこんな感じだ。言語哲学者ヴィトゲンシュタインを引き合いに出しているものの、本書は言語哲学を論じた本ではない。「第一列」に並ぶような高名な人物ではないが、かつては一世を風靡しながらも、文法にとりつかれて生涯をその探求に捧げてしまった人物を描いた作品だ。

 『二列目の人生-隠れた異才たち-』『モーツァルトの息子-史実に埋もれた愛すべき人たち』といった池内紀の作品が気に入っている人は、ぜひ手にとってもらいたい。読んで得になるわけではないが、人生とはこんなものだという一つのケーススタディとして読んでみるのも面白いのではないかな、と思う。


<初出情報>

■bk1書評「言語哲学の迷路に踏み込んでしまったドイツ語文法学者を描いた「第二列の人生」番外編」投稿掲載(2011年2月13日)
■amazon書評「言語哲学の迷路に踏み込んでしまったドイツ語文法学者を描いた「第二列の人生」番外編」投稿掲載(2011年2月13日)





目 次

1. 大尉の息子
2. 陸軍幼年学校生
3. 軍人失格
4. 言語演技
5. 文例集の周辺
6. 幕合喜劇
7. 教程の行方
8. 文化村の日々
9. 妻篭(つまごめ)にて
10. 文法の本
11. 狼暮らし
12. 死の前後

あとがき
参考文献


著者プロフィール

池内紀(いけうち・おさむ)

1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書に、『海山のあいだ』(講談社エッセイ賞)、『ゲーテさん、こんばんは』(桑原武夫学芸賞)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 関口存男(せきぐち・つぎお 1894~1958)は、陸軍士官学校卒業だが軍務に服したことがない「軍人失格」だったかもしれないが、士官学校で身につけた「規律」は生涯もちつづけたという。これは、在野の研究者として長かった人生においては、非常に大きな意味をもったことだろう。

 法政大学においては、夏目漱石の弟子で有名な内田百閒(うちだ・ひゃっけん)先生とは、ドイツ語の同僚であったらしいが、犬猿の仲であったらしい。正統的なアカデミックなコース出身者ではない関口存男に対する、内田百閒の男の嫉妬だったのかもしれない。

 ドイツ語の学習法は、池内紀氏が言うのは「変則的だが正攻法」であった、と。ドストエフスキーのドイツ語訳のレクラム文庫版を、読書百遍とばかりに来る日も来る日も、意味もわからず読んでいたら、あるときスラスラ意味がわかるようになって読めてしまった、という。

 これは、奇しくも「シュリーマン式」とよく似ている。

 シュリーマンとは言わずもがな、古代ギリシアのトロイの遺跡を発掘したドイツの実業家でアマチュア考古学者である。自伝である『古代への情熱』に記された語学勉強法とは、『テレマックの冒険』というフランス語の原書を、全部丸暗記してしまうもの。

 この勉強法をつぎからつぎへとその他の外国語で実施、その際のテキストは『テレマックの冒険』の各国誤訳を使用したという。話のあらすじはすでにわかっているので、あとは単語と言い回しさえ覚えてしまえば、どんな外国語だって実用のものとしてモノにできる。

 シュリーマンは自分が編み出したメソッドでロシア語もものにし、ロシアがらみの商売で一大財産をなしたのであった、と『古代への情熱』には書いてある。財産をつくったあと、することがなくなってミッドライフクライシスに陥ったシュリーマンが意味を見いだしたのが、古代ギリシアの遺跡発掘であった、とするのがシュリーマンの評伝を書いたロバート・ペインの見立てである。

 士官学校出身であるがゆえに「公職追放」となった関口存男、人生とはほんとうに自分の思うようにはならないものである。しかし、それくらいでめげるような人ではなかったようだ。

 言語哲学や、言語と意味の関係、言語と意味の中間領域である意味形態にとりつかれた一人の男の生涯。Ces't la vie. (人生とはこんなもの)と、フランス語でつぶやいてみたくもなる。



<ブログ内関連記事>

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・冒頭で関口存男(せきぐち・つぎお)の『関口・新ドイツ語の基礎』(三修社、1981)から引用

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)
・・いっけん池内紀らしくないテーマを池内紀らしく料理。ポイントはフランクフルトのユダヤ人コミュニティーから飛び出したロスチャイルドのその後




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2011年5月29日日曜日

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む


 かつて米国のタイムライフ社から発行されていた「ライフ」が休刊となって以後も、不定期の形で内外の新聞社から、大きな戦争や大規模な自然災害が起きる度に「報道写真集」がムックという形で出版されてきた。

 現在はすでにインターネット時代。ネットでもテレビでも、震災関連の報道写真や映像だけでなく、一般市民が撮影した写真やビデオ映像の多くをすでに目にしてきている。

 それだけが理由ではないが、書店やコンビニの店頭で各社からでている「報道写真集」を手にとってみることがあっても、もう購入することはないだろうと思っていた。

 だが、宮城県の仙台市の地方紙である河北新報(かほくしんぽう)社から発行された『報道写真集 3・11大震災 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』の存在をしって、このムックだけは手に入れたいと強く思った。

 現在は政府の決定によって「東日本大震災」という名前になってしまったが、もっとも大地震と大津波の被害が大きかったのは、言うまでもなく東北地方の大平洋沿岸である。

 地域に密着した報道機関が、報道の使命のもと、地の利を活かした報道によって、震災発生後10日間にわたって撮影した写真の数々は、外部からやってきた写真家による写真とはまた違う。外部の視線からのものではない、内部の目によるものだ。

 いま、入手してこの「写真集」を見ながら強くそう思っているところだ。

 すさまじい大津波の傷跡にあらためて息を呑み、そして静止画像でディテールを読む。128ページに収録された写真は、膨大な写真から現時点の視点から精選されたものばかりである。

 巻末に収録された「河北新報」の震災翌日3月12日から 3日間の紙面の第一面を見て、地域のことは地域に、という感をあらたにした。今回の大震災と大津波は、「復興と再生」にかんしては日本全体として日本国民が取り組まねばならないことであるとともに、「復興と再生」の主体は、あくまでも地域の住民である東北の人たちであるということも。

 わたしが入手したのは、2011年5月16日付けの第4刷、発刊から1ヶ月ですでに第4刷。地元以外では書店やコンビニでの入手は困難かもしれないので、ネット書店での購入を勧めます。






<関連サイト>

『報道写真集 3・11大震災 巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録』(河北新報の出版物のサイト)

「河北新報」(仙台市)のウェブサイト


<ブログ内関連記事>

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味




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2011年5月28日土曜日

タイのスパ(spa) へご案内-タイのヒーリング・ミュージックを BGM に


 前回のブログでは、書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010) によって、タイの「地獄」めぐりしたので、きょうはタイの「天国」へお連れしましょう!

 バンコクはタイ語では、クルンテープ・マハナコーン・・・というものすごく長い名前ですが、直訳すると「天使の都」となるそうですね。英語では City of Angeles となります。スペイン語の Los angelos がなまった Los Angeles となった、米国のロサンゼルスと同じですね。L.A.もまた「天使の都」!? クルマ中心の交通体系で、殺人事件が多いという点は共通してますが・・・。

 「天使の都」といえば、男性諸氏は別の連想をいだくことでしょうが(笑)、きょうは女性向けのお話を中心に。

 タイといったら、なんといっても「スパ」でしょう。スパ(spa)と聞いて温泉を思い浮かべた方、ちょっと連想が古すぎます。現在では、スパといえば、リラクゼーションの施設としてのほうがとおりがよいでしょう。

 日本でいうエステが該当すると思います。エステはもともとは美学を意味するエステティック(esthetics)の略、全身美容のことですね。アローマのあるオイルによる各種の全身マッサージをチュUS人にして、フェイシャルやペディキュアなども施こしてくれる施設のこと。

 仕事でバンコクに住んでいたとき、わたしは週に最低1回はタイ・マッサージ、月に1回はスパに行くことにしていました。

 なぜかというと安いから(笑)。もちろん、現地物価から考えればかならずしも安くはないのですが、日本と比較すると安いという、相対的なお値打ち感というのがまずあげられます。

 それにまして、やはりタイが「微笑みの国」というキャッチフレーズを標榜(ひょうぼう)する観光立国であり、スパ産業は政府が積極的に推進していることも、技術レベルの高さを後押ししていることの大きな要因であるようですね。

 まずは、スチームサウナ、つぎにボディ・スクラブ(body scrub)はトロピカル・フルーツを全身に刷り込みながらのマッサージ。シャワーで洗い流した後、ローズ・オイルでマッサージ。とオイル・マッサージを時間をかけてたっぷりとやってもらいます。カラダとココロが癒される最高の時間を過ごすことができるわけです。

 だいたい3~4時間くらいでしょうか。これで日本円で1~2万円くらい。これが標準価格です。もちろん、最高級ホテルのスパはもっと高いですし、雑居ビルに入っているスパにはもっと安いものもあります。

 わたしのイチオシは「オアシス・スパ」(Oasis Spa)。冒頭に掲載した写真は、オアシス・スパのウェブサイトから。

 ファラン(白人)とタイ人女性のカップルが、古都チェンマイで起業したもので、現在はチェンマイ市内の数店舗を中心に、バンコクでも展開しています。ファラン(白人)が大好きなチェンマイというブランド力があり、バンコク発のサービスではないというのが面白いところです。
 
 これは、タクシン元首相のファミリーと同じパターンですね。タクシン元首相のファミリーネームはチナワットといって客家系の華人ファミリーですが、実家はシルクのビジネスをチェンマイ中心に展開しています。


 以下に掲載した写真2枚は、「オアシス・スパ」ではなく、マッサージのためにいつも通っていたタイマッサージの店。スパも併設しているお店の内装です。比較的ミドルクラスのマッサージ&スパといえるでしょう。



 これはウェイティング・ルーム。台湾人がオーナーで、台湾人観光客を中心の集客を考えているためでしょう、ややエキゾチック・タイを前面に出しているようです。



 たいていのスパでは、タイのヒーリング・ミュージックが流されています。タイの作曲家でピアニストのチャムラス・セワタポーン(Chamras Saewataporn)によるヒーリング・ミュージッック。バンコクのスカイトレインBTSの駅でCDとDVDが販売されているので、見たことある人も多いでしょう。



 YouTube に DVD の映像がアップされていますので、心身ともに疲れているときに視聴してみてください。かならず癒されること間違いなし。

 Title 1 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 2 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 3 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 4 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 5 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 6 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic


 Title 7 : DVD The Beautiful Inspiration At Greenmusic



 ぜひタイのスパで、カラダとココロを癒されてくださいますよう。すくなくとも、スパの内部は「微笑みの国」ですから。
 


<ブログ内関連記事>

バンコクのアラブ人街-メディカル・ツーリズムにかんする一視点

タイのあれこれ (1)-タイマッサージ

タイのあれこれ  総目次 (1)~(26)+番外編

「マイナスをプラスに変える方法」-『なぜか、人とお金がついてくる 50の習慣』(たかの友梨、フォレスト出版、2011) 「出版記念講演会」 に行ってきた




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2011年5月26日木曜日

書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)-極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集


世界初、極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集

 観光ガイドブックには未来永劫にわたって登場することはないであろう、タイの「地獄庭園」の数々。

 いわば立体地獄マンダラともいうべき「地獄庭園」は、まさに極彩色によるB級ムービーのスプラッター・シーンのオンパレード。これでもか、これでもかと、見る人に迫ってくる。

 そう、「地獄庭園」とは教育目的の「目で見る地獄」なのである。一般民衆に善き行いをするように教え諭すために作られた「教育施設」なのである。

 タイガーバームガーデン(・・シンガポールのハウパーヴィラ)と同様、そもそも観光施設ではないのである。タイの「地獄庭園」は、実際のところ、歴史が新しいものが多いようだ。

 本書には、私自身も実際に訪れたものも多少は含まれているが、大半は未見である。ここまで撮影して一冊にした写真集は私も見たことがないし、著者もいうようにおそらく世界初めての試みだろう。この写真集をみながら、タイのテーラヴァーダ仏教(=上座仏教)の地獄と、日本の大乗仏教の地獄を対比させて考えて見るのも面白い。

 二次元の写真で見るのも面白いが、やはり「地獄庭園」は立体像として三次元で直接見てみたいものだ。次回タイにいく際は、本書をガイドブックにしていくつか回ってみようかな、なんて考えてみたくなる横長サイズの写真集である。

 タイ好きな人にも、キッチュ好きな人にも大いに薦めたい。


<初出情報>

■bk1書評「世界初、極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集」投稿掲載(2010年10月29日)
■amazon 書評「世界初、極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集」投稿掲載(2010年10月29日)


目 次 

ワット・パーラックローイ (ナコンラチャシマー)
ワット・パイロンウア (スパンブリ)
ワット・プートウドム (ラムルーカー)
ワット・ムアン (アユタヤ)
ワット・プラローイ (スパンブリ)
ワット・セーンスック (バーンセーン)
ワット・ケーク/ブッダ・パーク (ノーンカイ/ヴィエンチャン=ラオス)
ワット・ルアンポーナーク (ウドーンターニー)
ワット・プラタージョームジェーン (プレー)
ワット・ガイ (アユタヤ)・・・ほか

*ワット(wat)とは、タイ語でお寺のこと


著者プロフィール

都築響一(つづき・きょういち)

1956年、東京生まれ。ポパイ、ブルータス誌の編集を経て、全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』(京都書院)を刊行。以来現代美術、建築、写真、デザインなどの分野での執筆活動、書籍編集を続けている。現在も日本および世界のロードサイドを巡る取材を続行中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 かつて香港にあった、かろうじていまだシンガポールに残る「タイガーバーム・ガーデン」が、ある意味ではこのタイの立体地獄ワンダーランドにもっともコンセプトとして近いかもしれない。

 シンガポールのタイガーバーム・ガーデンは「ハウパー・ヴィラ」という。このブログに書いた 「タイガー・バーム」創業者の「タイガー・カー」(改造車) を参照されたい。ただし、タイガーバームの産みの親である胡文虎兄弟はミャンマー(当時は英領ビルマ)の首都ヤンゴン(当時はラングーン)に生まれ育った客家であり、その地獄図はタイ風ではなく、中国の道教と大乗仏教に、ミャンマーの上座仏教が融合したものであるとわたしは見ている。

 「ハウパー・ヴィラ」の地獄巡り立体パノラマから一枚だけ、比較的おだやか(?)なものを紹介しておこう。



 ちなみに、わたしがタイ北部チェンマイの寺院で撮影した画像もご紹介しておこう。 チェンマイはタイ北部で、もともと19世紀まではラオ系のランナー王国という独立王国であった。この地方の仏教寺院は隣国のミャンマーの影響を受けたものが多い。龍のクチに咬まれた人が何の教訓なのかは、わたしにはよくわからない。



 一般庶民むけの市場(いちば)でも、川魚などアタマを切り落とした状態で、血まみれのまま売られていることも多い。写真は、カンボジア王国の首都プノンペンの中央市場で撮影したもの。



 二次元の画像、モノクロよりもカラー、さらには三次元の立体像が、即物的である。とくにタイは、血まみれのスプラッターまがいの事件写真が現地紙の一面に掲載されることも多く、同じく魚を食べる仏教徒とはいえ、日本人とは感覚の違いが大きい

 「血の不浄」などといって、血を見ることを忌み嫌う日本人とは、上座仏教の東南アジア人は、かなり異なる感覚をもっているようだ。そしてこの違いはかなり大きい。ものの見方も異なるということだ。

 まだ本格的な夏まで時間があるが、「節電生活」の一環として、納涼のために恐怖を感じるのも悪くないだろうか。まあ、こんな趣味の悪い写真をのせるなんて品格がありません、とT大卒で元官僚の「品格おばさん」や「品格ある日本人」数学者からは叱られるだろうが(笑)。



<関連サイト>

タイの変なお寺に行ってきました!(Tagged with " 地獄寺")
・・インド関連グッズ通販の「老舗」的存在のティラキタのスタッフによるブログ記事。タイの地獄寺にじっさいに行ってきた報告レポートは写真入りで読ませる内容で実用性も高い。必見!

(2014年1月10日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

「タイガー・バーム」創業者の「タイガー・カー」(改造車)
・・シンガポールのハウパーヴィラのごく一部に言及 

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク
・・観光寺ではない、タイの一般庶民がかようワット(お寺)はコミュニティーセンターで遊園地

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-


P.S. この記事をもって、通算700本目となる。カメの歩みであろうと、1,000本目へ向けて進んでいく都t理にかわりなし。




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2011年5月24日火曜日

イサーン料理について-タイのあれこれ(番外編)


 イサーン地方は、タイの東北地方。現在のラオスから、タイ東北部、タイ北部にかけては、じつは同じラオ族の居住地域。同じタイといっても、そもそも微妙というか、かなり存在なのである。

 タイという国は、じつは国名もそうであるが、じつは古くて新しい国である。もともとは暹羅(シャム)と自らのことを自称していた(・・正確にいうとサヤーム。日本人は Siam という英語つづりからシャムと誤解したようだ)。

 自由を意味するタイという国名になったのは 1939年、まだ100年もたっていない。タイはまだまだ「国民形成途上」にある状態といっても言い過ぎではないだろう。明治維新以後の日本が、北海道を併合し、琉球王国(=沖縄)を併合し、「日本国民」を創り上げていったプロセスと似ている。

 交通体系から何から何まで、首都のバンコクを中心に放射状に設計されているタイという中央集権国家においては、つねに「都市と地方の対立」がつきまとってきた。都市バンコクの中流階級は、露骨に地方を蔑視した視線を隠そうともしない。

 この点は、いまでこそ東京一極集中が進んでいるものの、中心が複数あって楕円形の日本とは大きく異なる点である。日本でも地都市と地方の格差は狭まったかに見えて、またふたたび拡大しつつあるのだが。

 バンコク市内で屋台で営業している人たち、バイク便の運転手、天秤棒をかついで農産物を商っている農民などは、みな東北地方から出稼ぎできているイサーンの人たちである。貧富の差が、日本とは比較にならにほど、目に見える形で明らかなのが、バンコクという都市の姿である。


激辛のさらに激辛のイサーン料理は、バンコクでも定番に

 そのくせ、バンコクではイサーン料理が流行している。イサーン料理を前面に打ち出している店もあるが、たいていの料理店では、もともとイサーン料理であったものがメニューに入っているのが当たり前になっている。
 
 そもそも1980年代に日本でタイ料理店が激増した当時、タイ料理は辛い!というのが評判であった。韓国料理とならんで、唐辛子(プリッキーヌー)をたっぷりつかったタイ料理は、当時の「激辛ブーム」とあいまって、すっかり日本での市民権を得たものだが、イサーン料理はそのタイ料理よりも辛い。というより、タイ料理で辛いのは、イサーン料理起源であるものが少なくないようだ。

 日本と比べれば、一年中、暑いといってもいいタイであるから、辛い料理が定着しているのは当然といえば当然だろう。だが、すべてが激辛というわけでもない。


 わたしにとってのイサーン料理を紹介しておきたい。上掲の写真は典型的なイサーン料理。手前のビールに隠れていのが、独特のタレで焼いた焼き鳥のガイヤーン、左手には蒼いパパイヤをつかったサラダのソムタム、左手奥にはふかしたモチ米のカオニャオである。これが定番といったところだ。

 ガイヤーン(焼き鳥)



 ソムタム(青いパパイヤのサラダ)



 ヤムウンセン(春雨サラダ)



 ラープ(ブタ挽肉のサラダ)



 じつは、ここに掲載した料理のすべてがイサーン料理ではなくラオス料理もふくまれている。

 先にも書いたように、イサーン地方は、ラオスと同じくラオ族なのである! ラオス語の料理名は知らないが、タイ語とラオス語は言語的にかなり似ているので、料理名も似たようなものかもしれない。

 ところで、イサーンといったら「虫料理」が有名。バンコクでも屋台で、虫の揚げ物をスナックとして売っている。これは東南アジアではどこでもあるので、イサーンに限った話ではないのだが・・・

 以前、「今度むし料理を食べにいきましょう!」、といわれてゾっとした経験をもっている。

 なぜ女性が虫料理なんか好きこのんで!と思ったが、よくよく考えてみたら、その頃はやりだした「蒸し料理」のことであった。ああ、まぎらわしい(笑)。








<関連サイト>

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)
・・「バンコク騒乱」の赤服組は、タイ東北部や北部の農民が中心

仏歴2553年、「ラオス新年会」に参加してきた(2010年4月10日)-ビア・ラオとラオス料理を堪能
・・イサーン料理とラオス料理は基本的に共通しているが、コメからつくった麺の、いわゆる「ラオスそうめん」はタイで食べることはまずない

「ラオス・フェスティバル2010」 (東京・代々木公園)にいってきた
・・いわゆる「ラオスそうめん」

「ラオス・フェスティバル2014」 (東京・代々木公園)にいってきた(2014年5月24日)
・・ラオスのソーセージ

ラオスよいとこ一度はおいで!-ラオスへようこそ!

タイのあれこれ (2)-オースアン(タイ料理のひとつ)

タイのあれこれ (12) カオ・マン・ガイ(タイ料理) vs. 海南鶏飯(シンガポール料理)・・・

(2014年5月26日 情報追加)




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2011年5月19日木曜日

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)


政治的権利に目覚め、声を上げだしたタイ東北部の農民たちの素顔に迫る写真集

 長年にわたって、とくにアジアの社会問題の現実を撮ってきた報道写真家の最新写真集。今年72歳のベテラン報道写真家が最前線で取材を行った「解放区」とは、2010年3月から5月まで2ヶ月以上にわたって続いた、バンコクの中心部に「赤シャツ隊」が作って籠城したバリケードの内側のことである。

 「赤シャツ隊」の中心は、かつての学生運動のように学生や労働者ではなく、政治的な権利に目覚め、自らの声をもつようになった農民たち、それもタイ東北部イサーンの農民たちである。著者は、写真撮影とともに、彼らの声を直接聞き取っている。

 イサーンといってもタイ通でなければピンとこないかもしれないが、かつての日本の東北地方と同様に、独自の文化をもちながらも首都バンコクを中心とする中央集権体制のもとで差別され、貧困に苦しんできた地域である。

 「バンコク騒乱」は、最終的には治安部隊の突入によって「解放区」が強制排除され、農民たちはイサーンに戻ることとなった。激しい銃撃戦の模様や、騒乱末期に放火されて焼け落ちた中心街の百貨店の映像は YouTube などで見ることができるが、放火や銃撃戦は実は農民ではなく、潜入していたテロリストが行ったものだという説もある。その意味でも、農民たちがほんとうに訴えたかったことを取り上げたことに、この写真集の価値があるといえる。

 なによりも圧巻は、5月13日のタクシン派のカティヤ陸軍少将の取材中に、著者の 50cm 先でインタビューに答えていた将軍が、スナイパーの狙撃によって額を打ち抜かれた現場に居合わせた際の写真だろう。防弾チョッキを着用しないポリシーをもつ著者は、その直後発生した銃撃戦のなか、かろうじて生きのびることができたことは報道されていたとおりだ。その際のインタビューの写真も収録されている。

 この作品集は、「バンコク騒乱」の背景にある構造的な社会問題、すなわちタイ東北部イサーンの貧困の現実について、1973年の学生叛乱と鎮圧後にイサーンの森に逃げた学生運動家たち、またこのほかタイの華僑華人とタクシンもその一人である客家(ハッカ)の故郷など、著者が過去に撮影してきた写真もあわせて収録して、タイが抱える問題の背景まで写真で説明している。

 政治家レベルの話ではなく、あくまでも民衆の視線から、写真で切り取ったタイの現実。こういう視線は日々の報道に終始しているマスコミには残念ながら欠けているものだ。

 まずは直接この写真集を手にとって、著者が生命を賭けて撮影してきた写真を眺めて考えてみるべきであろう。タイが抱える社会問題を知る一つの手がかりになるはずだ。


<初出情報>

■bk1書評「政治的権利に目覚め、声を上げだしたタイ東北部の農民たちの素顔に迫る写真集」投稿掲載(2010年12月1日)
■amazon 書評「政治的権利に目覚め、声を上げだしたタイ東北部の農民たちの素顔に迫る写真集」投稿掲載(2010年12月1日)





目 次

ゴザと竹やりの解放区
カティヤ少将の暗殺
91人の死者
イサーン地方とは
バンコクのスラム
学生革命と「血の水曜日」-タイ民主化の源流
森に入った学生
山岳少数民族
歓楽街パッポン、タニヤ
南部の町
タイの華僑


著者プロフィール

三留理男(みとめ・ただお)

1938年生まれ。報道写真家。日本大学藝術学部中退。在学中に写真集『小児マヒの記録』(法政大学出版局、1961)を発表。以後、アジア・アフリカを中心に取材を続け、1982年『国境を越えた子供たち』(集英社)をはじめとする一連の作品によって第三世界の国境線上の状況を広く伝えたことで「第1回土門拳賞」を受賞。1988年、長期にわたるアジア・アフリカ取材活動に対して「第4回アジア・アフリカ賞」受賞。1997年、『辺境の民 アジアの近代化と少数民族』(弘文堂)で「第9回アジア・太平洋賞特別賞」を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 イサーンはタイの東北地方!

 歴史は古いのに、中央集権国家体制のもと、つねに抑圧されてきた存在は、日本の東北地方と似ている。

 タイの北部から、東北部にかけては、じつは現在のラオスと同じくラオ系なのである。余談だが、タイ北部のチェンマイには日本人好みの色白美人が多いといわれるのは理由があるのだ。

 単純な階級問題ではなく、身分差別の問題であり、地域差別の問題でもある。
 

 参考までに、twitter 投稿文章を再録して、一年前の再現しておこう。

2010年05月19日(水)
ソース取得:
バンコク情勢・・現地時間午前6時(=日本時間午前8時)、ついに強制排除が始まったようだ。
posted at 08:28:03

2010年5月19日(水)
タイ情勢について:バンコク市内の強制排除は本日完了したが、暴徒が各地に散らばって収拾がつかないとの報道。英語報道も、日本語報道も、「赤服組」内部に潜入していた"テロリスト"(外人傭兵)の存在に言及しないのはバイアス報道だという声がタイ国内であがっているようだ。
posted at 22:20:29

2010年05月20日(木)
【タイ】夜間外出禁止令を発令:各地で暴動、火災が発生 NNA・・・ビジネスに与える悪影響は計り知れない。クライシス・マネジメントの必要性をあらためて痛感 http://news.nna.jp/free/news/20100520thb002A.html
posted at 07:52:34

 バンコク市内は平穏を取り戻しているが、タイ王国がかかえる問題は依然として解決しているわけではない。その一方で経済は拡大傾向にある。これがさらなる社会矛盾の拡大を招いている点も否定できない。

 今年(2011年)7月にはタイでは総選挙が行われることが確実になった。つぎの政権は、真に民意を反映したものとなるであろうか?



<関連サイト>

バンコク反政府デモから1年: 日系企業、被害と再起 (NNA 2011年5月19日)


<ブログ内関連記事>

「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
・・<書評への付記>にもかなり書き込んでおいた

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)

「タイのあれこれ」 全26回+番外編・・随時増補中




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2011年5月18日水曜日

All's Well That Ends Well. 「終わりよければすべてよし」 (シェイクスピア)-「シンドラーのリスト」 と 「浜岡原発運転停止」


 「終わりよければすべてよし」。日常会話では、「結果よければすべてよし」とか、あるいはよりスラング的な表現なら「結果オーライ」といった感じだろうか。
 
All's Well That Ends Well. (Shakespeare)

 シェイクスピアのコメディのタイトルである。小田島雄志による日本語訳では『終わりよければすべてよし』となっている。英語の語調もいいが、この日本語の語調もクチに乗せやすく、耳にも心地よい。さすがに芝居の日本語を熟知している翻訳者による名訳である。


「善ならざる動機が出発点」だった実業家シンドラーのユダヤ人救出

 日本でも知名度の高いシンドラー。といっても、事故を起こして問題になったエレベーターのシンドラーではなく、スティーブン・スピルバーグ監督の作品で世界的に有名になった、強制収容所からユダヤ人を「合法的に」救いだした実業家シンドラーのほうである。つづりは同じだが。

 ユダヤ系であるスピルバーグ監督の作品『シンドラーのリスト』に描かれたシンドラーは、やや理想化された傾向がなくもなかったが、ETV特集で昨年(2010年)10月24日(日)に放送された『シンドラーとユダヤ人-ホロコーストの時代とその後-』(第332回)で描かれた等身大のシンドラーは、救世主でも聖人でもなんでもない、成功を求めていた実業家(ビジネスマン)に過ぎなかったことが描かれている。たしか、ドイツで制作された番組だっと思う。

 実業家としてのシンドラーは、ユダヤ人救出が目的だったのではない。カネ儲けが目的で、自分のビジネスを成立させるための有利な取引として、強制収容所に収容されていたユダヤ人たちを労働力として活用することにしたのだ。だから、初発の動機はけっして「善なるもの」だったわけではない

 製造業の経営者としての判断は間違っていたわけではない。たとえ「動機が善」ではなかったにしても。

 しかし、ユダヤ人を労働者として使用しているうちに、自らのなかに義侠心というか、人間としての連帯感というか、そんな感情が芽生えてくる。たんなる使用人ではなく、同じ人間であるという意識が前面にでてくることになる。

 これが、結果として、強制収容所からユダヤ人を「合法的に」救った英雄として、後世に祭り上げられることになったわけだ。けっして、ユダヤ人救出を目的に事業をおこしたわけではないのだ。

 その後のシンドラーは、戦後アルゼンチンへ渡り事業を起こしたが失敗し、ドイツに帰国しても立ち上げた会社は倒産するなど、成功者とはいえない後半生を送ることになる。しかし、そんなシンドラーだが、恩義を忘れないユダヤ人からは、その死に至るまで熱いもてなしを受け続けたことが番組では紹介されていた。

 動機そのものよりも、行為の結果で人は判断するという好例だろう。

 アカウンタビリティ(accountability)というコトバが日本語でも使用されるようになってきたが、これは「説明責任」と訳すのはほんとうは適当ではない。「結果責任」と訳すべきだろう。アカウントというコトバが含まれていることが示しているように、基本的に企業業績の数字に対する責任のことである。

 経営者だけでなく、政治家も求められるのは、動機の純粋さや善であることよりも、結果そのものである。もちろん、行動面における倫理性の遵守は必要だが、結果が意に反して悲惨なものであったら・・・である。

 わたしが思い出すのは、The Road to Hell is paved with Good Intentions. という英語のことわざである。「地獄への道は善意で敷き詰められている」

 不純な動機から始まった企てが善なる結果をもたらすという話は、キリスト教でも仏教でも、宗教の世界では腐るほどある。動機が善であるかがどかが、すべてを決定するわけではない。

 「善なる動機」が重要でないというのではない。より重要なのは「善なる結果」のほうなのだ。たとえ「動機が善」であっても、方向を誤ると「不善なる結果」がもたらされることもしばしばある。

 極端な話、たとえプロセスに問題があったとしても、「終わりよければすべてよし」ということは、現実世界ではじつに多い。


「浜岡原発運転停止要請」の件について

 先日いきなり日本の首相から発表された「浜岡原発運転停止要請」の件についても、まさにそのとおりであるといってよい。

 「浜岡原発運転停止要請」の件については、経団連会長を筆頭にいわゆる有識者たちからは、法律に基づくものでなく、しかも意志決定のプロセスが不明瞭で、政治的パフォーマンスに過ぎないという菅首相批判が批判がなされている。

 意志決定に至ったプロセスが不明瞭という点はもっともだし、ビジネスマンとしてはわからなくもない。ただ、TVの映像で見た経団連会長の、あたかも国民を愚弄(ぐろう)したようなゴーマンな態度には、きわめて不快感を感じたのだが。

 とはいえ、原発事故がさらに起きたときは、福島第一原発の比ではないといわれる浜岡原発が運転停止になることは、国民としては歓迎したいと正直に思う。

 放射能を含んだ風や雨という、「死の灰」をかぶるのはごめん被りたいからだ。まずは、健康に生きていくこと、こちらのほうがカネ儲けよりもはるかにプライオリティ(優先順位)が高い。いくらカネをもらったとしても、放射能を浴びるのはごめん被りたい。

 なぜ首相がその決断をくだしたのか、真の動機について現在もよくわからない。

 歴史に名を残したいのか? あるいは自分の任期中に浜岡原発で事故が発生したら責任をとるのはイヤだということか? そんな勘ぐりもしたくなるが、たとえそうであったとしても、それはそれでいいではないか!

 わたしは菅直人首相には一日も早く辞めてもらいたいと思っているので、「浜岡原発運転停止要請」の決断は評価しても、一国の総理大臣としての適性や能力を評価するものではないし、評価が変わることもない。

 だが、国民の立場からみたら、判断を先送りするのをただ黙って見ているわけにはいかないだろう。

今後30年間で約90%弱の確率で必ず発生することが明らかな東海大地震に際して、大津波を防潮堤で防ぎ得たとしても、直下型地震の直撃をくらったら間違いなく原発事故になることがわかっているのだから。

この点についてのみは、首相の決断を評価する。あくまでも、是々非々(ぜぜひひ)である。

 東電をはじめとする大手電力会社からの広告収入に大きく依存しているため、モノがいえない日本のテレビ局とは異なり、たとえばアルジャジーラではこんな番組も放送している。「日本の原発政策と日本のマスメディア」(音声英語、日本語字幕あり) マスメディアがなぜか取り上げない浜岡原発については、海外のマスコミをつうじていくらでも、一般人が情報を知ることのできる時代である。

 また、今回の「浜岡原発運転停止要請」の件については、「広瀬隆 特別インタビュー 「浜岡原発全面停止」以降の課題」という記事が、「ダイヤモンド・オンライン」に掲載されており、ネット上では読むことができる。

 このように、情報は知ろうと思えば知ることのできる時代なのである。

 「浜岡原発運転停止要請」の件については、政治的な動機がどこにあるのか、意志決定のプロセスも不明瞭な点があるとはいえ、中部電力の経営陣がすみやかに「要請受け入れ」を行ったことは、ビジネス上の判断にとどまらず、国民としての義務を果たしたものとして、賞賛すべきものだと考えている。

 もちろんすべてがそうだとまでは言わないが、 All's Well That Ends Well. (終わりよければすべてよし) 、現実世界ではこの格言めいた表現は大きな意味をもっている。






<関連サイト>

ETV特集で昨年(2010年)10月24日(日)に放送された『シンドラーとユダヤ人-ホロコーストの時代とその後-』(第332回)

映画『シンドラーのリスト』トレーラー(英語)


<ブログ内関連記事>

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・杉原ビザでシベリア鉄道経由で満洲国に入国したユダヤ人に入国許可を与えたジェネラル・ヒグチ。彼にとっては人生のヒトコマに過ぎなかったが、救出されたユダヤ人たちにとっては

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む

「自然エネルギー財団」設立に際して示した、ソフトバンク孫正義氏の 「使命」、「ビジョン」、「バリュー」・・・
・・姉妹ブログ「佐藤けんいち@ケン・マネジメント代表  公式ブログ」に掲載

フィギュアスケートの羽生選手を金メダルに導いた映画  『ロミオとジュリエット』(1968年版) のテーマ曲
・・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』

(2014年3月6日 情報追加)





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2011年5月17日火曜日

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために


    
 先週金曜日(2011年5月13日)のメルマガ KON362【「津波プレイン」で復興へ~スイスのように国民の自立を促す政策が必要だ】~大前研一ニュースの視点で、大前研一さんが「小国スイスに学べ」という趣旨のことを書いていました。

 ちょっと長くなりますが、メルマガの後半部分のスイスにかんする文章を引用させていただきます。


▼ 日本復興にあたって、スイスは研究する価値がある
-------------------------------------------------------------------

 これから日本の復興を考えていく際、スイスという国は研究に値すると私は思っています。

 日本に負けず劣らず資源が少ない国なのに、世界のトップ企業が数多く存在している国です。海外の成功事例として、日本にとっては参考にしたいところです。

 スイスは、国が小さい上に周囲を大きな国で囲まれているという特徴があります。国土の点から見るとオーストリアなど今は比較的小さい国ですが、かつてはオーストリア=ハンガリー帝国という巨大国家として君臨していました。

 そのような環境の中で、スイスはいつでも自分たちが征服されるかもしれないという恐怖を抱え、そして緊張感を持ち続けたのだと思います。国民皆兵制度にも、こうした歴史的な背景が影響しているのでしょう。

 国民性を見ると、まず非常に「国際的」です。スイスの中では、それぞれの地域で主要言語として、フランス語、ドイツ語、イタリア語に加え英語も話されています。

 多国籍企業も多く、海外に勤務している国民も多数います。この点、英語も話せずにドメスティックに過ぎる日本人とは正反対だと言えるかも知れません。

 また直接民主主義ということもあって、驚くほどに「議論」をする国民性を持っています。私は学生の頃ルームメイトにスイス人がいましたが、彼らの議論に向かってくる姿勢は全く日本人と違っていて驚きました。

 そのスイス人の友人とは未だに交友関係がありますが、今でも会えば議論になります。一緒に散歩に出掛けても、散歩の間に議論をけしかけてくるほどです。昔を懐かしむ話をする余裕などまるでありません。

 これがスイス人としての標準で、街の中でも平気で議論しますし、政治経済の事柄に限らず様々なテーマを扱います。

 日本人の国民性とは相当に違いますので、一朝一夕にスイス人のようなメンタリティを身に付けることは難しいかもしれません。そして、もちろんスイスの全てが成功事例という訳でもありません。

 しかしそれでも、研究する価値は十分にあると私は思っています。日本がこれから復興の道を歩んでいくにあたって、スイスという小国 がどのように発展してきたのか、それを学びとしてもらいたいと思います。

(出典)KON362【「津波プレイン」で復興へ~スイスのように国民の自立を促す政策が必要だ】~大前研一ニュースの視点 (2011年5月13日)


 大前さんが書かれているとおり、「直接民主制」のスイスは、大国に周囲を囲まれた小国のためでしょう、「国民皆兵」であるだけでなく、議論するチカラによっても「武装」しているというわけですね。

 ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と、公用語が 4つあるスイスでは、現在は英語が普及した結果、自分の母語以外に公用語を覚えようとしないという問題点も出てきているようですが、それでも平均的な日本人よりは、はるかに「国際的」であることは、一度でもスイスを訪問したり、スイス人とかかわったことがあればわかることだと思います。

 もちろん、日常使用しているコトバの影響は思っている以上に大きいものがあり、ドイツ語を母語とするスイス国民と、フランス語を母語とするスイス国民とでは、文化面でも、気質の面でも違いがあるようですが、それでも「盟約によって成立したスイス」という国においては、スイス国民は団結するときは団結するのです。

 フランス語世界の啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーのいう「社会契約論」そのものですね。「直接民主制」の背景にはこの思想があります。ちなみに、ルソーはフランス人ではなく、フランス語圏のジュネーヴ出身で時計職人(!)の子として生まれたスイス人です。

 「盟約という社会契約によって成立したスイス」は、「在りて在る日本」のような自然発生的な国家とは異なりますが、それでも周囲を米国や中国やロシアといった「大国」にかこまれた「小国」という点においては、共通するものがあるといっても間違いはありません。スイスも欧州の「陸の孤島」と形容されることもある、欧州の交通の要衝(ようしょう)でありながら、アプローチがかならずしも容易ではない「山岳国家」です。

 スイスについては、わたしもブログに「書評」という形式をつかって、何本か記事を書いていますので、この場を借りて整理して紹介いたします。


書評  『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)
・・ビジネスパーソンにとっては「ブランド王国スイス」という捉え方が面白い

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)
・・「マネーの防衛」というのがスイス流の投機。セキュリティの観点から投資と投機を考える

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)
・・スイスといえば、いまでは「国民皆兵」は日本人の常識になったことと思う。スイス人の家庭には、一家に一冊備え付けなのが、この本と銃器一式!

書評 『スイス探訪-したたかなスイス人のしなやかな生き方-』(國松孝次、角川文庫、2006 単行本初版 2003)
・・とはいえ、スイスも曲がり角にきていることが、スイス大使として赴任した國松元警視庁長官のやわらかな筆致で描かれている

1980年代に出版された、日本女性の手になる二冊の「スイス本」・・・犬養道子の『私のスイス』 と 八木あき子の 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』・・・を振り返っておこう
・・現在から30年前はまだスイスは観光先としてしか認識されていなかったようだ。そういう現状認識への異議申し立ての内容でもある

「急がば回れ」-スイスをよりよく知るためには、地理的条件を踏まえたうえで歴史を知ることが何よりも重要だ
・・欧州の「陸の孤島」とも形容されるスイス、まずは地形を知り、歴史を知るのが「急がば回れ」となる


 「小国」日本の将来を考えるあたって、わたしは、いい意味も悪い意味もふくめて、さらには「反面教師」としての意味においても、英国、スイス、イスラエル、ポルトガルを徹底研究することが重要だと考えています。

 このうちスイスについては、上記の記事を参考にしていただけると、執筆者としては幸いこれに過ぎるものはありません。



PS その後に書いたブログ記事を追加しておきます。(2014年6月2日 記す)

書評 『ゲームのルールを変えろ-ネスレ日本トップが明かす新・日本的経営-』(高岡浩三、ダイヤモンド社、2013)-スイスを代表するグローバル企業ネスレを日本法人という「窓」から見た骨太の経営書
・・スイスを代表するグローバル企業(多国籍企業)ネスレは、米国流とは異なる経営

映画 『アルプス-天空の交響曲-』(2013、ドイツ)を見てきた(2015年5月28日)-360度のパノラマでみる「アルプス地理学」

ペスタロッチは52歳で「教育」という天命に目覚めた
・・「預言者故郷に容れられず」という格言があるが、理想主義者のペスタロッチの試みは、すくなくとも生前においては故国のスイスでは受け入れられなかった。」

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

「フェルディナント・ホドラー展」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年11月11日)-知られざる「スイスの国民画家」と「近代舞踊」の関係について知る

(2016年3月7日 情報追加)


<関連サイト>

Swissinfo.ch (スイス放送協会が発信するネットのスイス情報 日本語)
・・「スイスのニュースやビジネス情報、文化、スポーツ、天気予報を提供するプラットフォームです。スイスをあらゆるアングルから捉えた最新情報を日本語で、全世界の読者の皆様にお送りします」(ウェブサイトより)


企業の楽園としてのイメージを失うスイス-国民投票で移民規制を承認、企業や富に対する態度に変化か? (JBPress 2014年2月17日 Financial Times 翻訳記事)
・・「スイス企業に深刻な打撃を与える可能性があるとの警告にもかかわらず、スイスはぎりぎりの過半数で欧州連合(EU)からの移民に割り当てを課すことを決定したのだ・・(中略)・・総合すると、様々な投票は、企業や富に対するスイス国民の態度に根本的な変化があったのではないかという疑問を提起している。」 
金融覇権も失い、そのうえ人材面でも大きな問題を抱えつつあるスイス。直接民主制の弊害も「指摘されている

移民急増を拒絶したスイス国民投票の衝撃-5月の欧州議会選挙で右派勢力に追い風か (熊谷 徹、日経ビジネスオンライン、2014年2月20日)
・・つまりこの国民投票は、グローバル化によって利益を得る大都市の住民と、グローバル化に対して不安を抱く地方在住の市民の対決でもあったのだ」。 

大量移民制限案可決の影響-二つの経済課題に直面するスイス連邦政府-(JETRO、 2014年11月 Pdfファイル)
・・「2014 年2月9日に実施された国民投票で、外国からの大量移民の受け入れ人数を制限す るイニシアティブ(国民発議)がスイス国民の 50.3%の賛成を得て可決された。・・(中略)・・ 改正内容は、スイスで滞在あるいは働く外国人の総数と毎年の受け入れに対し、 数量枠を設けることを規定するものだ。その最大の特徴は、これまで、数量枠の対象とは なっていなかった EU 及び EFTA の加盟国(欧州経済領域)の国籍者に対しても、受け入 れ数に上限を定めることになるという点だ。スイスと EU 間で締結した協定にある「人の 移動の自由」に反する内容である。」

ベーシック・インカム導入案、反対大多数で否決(Swissinfo.ch、2016年6月5日)
・・「働いているか、いないかに関わらず、国民全員に生活に必要最低限のお金を支給するベーシック・インカム(最低生活保障、最低所得保障)導入案は、反対約8割で否決。公共サービスの改善を求めたイニシアチブ(国民発議)と道路財源を巡るイニシアチブも否決。難民法改正案および着床前診断に関する法案は可決された。


(2014年2月18日 項目新設)
(2014年11月21日、2015年9月24日、2016年6月28日 情報追加)






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2011年5月16日月曜日

「目には青葉 山ほととぎず 初かつを」 ー 五感をフルに満足させる旬のアイテムが列挙された一句


 
目には青葉 山ほととぎず 初かつを(山口素堂)

 いまの季節にピッタリの俳句。作者の山口素堂(やまぐち・そどう 1642年~1716年)は、江戸時代前期の俳人・治水家だそうだ。松尾芭蕉の同時代人である。
 
 江戸時代前期には、すでに初鰹(はつがつを)が旬の食材として話題に上っていたことがわかる。

 この俳句は、ただたんに季節ものを並べただけなのだが、ビジュアルなイメージが浮かんでくるだけでなく、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚の五感すべてを満足させてくれるものになっているのが面白い。

 まずは青葉。青葉とは新緑のこと。目にまぶしい青葉で、太陽光とともに視覚が刺激される。

 ホトトギスが鳴いているのが聞こえる。聴覚の刺激。耳に聞こえてくるホトトギスの鳴き声で、姿は見えぬがココロのなかで視覚イメージとして再現する。ホトトギスの鳴き声は、YouTube で聞いてみるとよい。

 初鰹(はつがつを。これはいうまでもなく味覚。そして舌触りという触覚目で見て楽しむ赤身。現代なら、冷やしたビールでクイっと一杯といったところか。

 それにしても、初かつを、これはちょっと値段は高いが、じつに旨い。
 
 そういえば、たしか、徒然草にも「かつを」がでてきたという記憶がある。

第百十九段

 鎌倉の海に、かつをと云ふ魚は、彼(か)のさかひには雙(さう)なきものにて、此(こ)の比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍(はべ)りしは、「此の魚、己等若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍(はべ)れ。
(*太字ゴチックは引用者=私)
(出典)Japanese Text Initiative 所収の「徒然草」(Tsurezuregusa)
Japanese Text Initiative は、バージニア大学図書館エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が行っている共同事業。

 鰹(かつを)は、すでに鎌倉時代には食べられていたということがわかるエビデンスのひとつである。

 いちおう現代語訳をつけておこう。文学者の佐藤春夫訳による。

 鎌倉の海で、鰹(かつを)という魚は、あの辺では無上のものとして近来は賞美されている。これも鎌倉の老人が話したのだが、「この魚は自分らの若年の時代までは相当な人の前には出なかったものである。頭(かしら)は、下男ですら食べず、切って捨てていたものである」ということであった。このようなものでも世が末になると上流へもはいりこむものである。
(出典:『現代語訳 徒然草』(吉田兼好作、佐藤春夫訳、河出文庫、2004、原版1976)

 吉田兼好がこの話を聞いてからすでに、800年近くもたった現在は、世の末の末の末・・・か? それでも日本人は生きているわけだ。

 ところで、冒頭に掲載した「桜の若葉」、これもまた目で楽しむだけでなく、食用にもなる edible leaves である。塩漬けにして道明寺を包むのに使う。柏餅の柏の葉っぱは包むだけだが、道明寺を包む桜の若葉はそのまま食べることができるわけだ。

 そういえば、このブログでも、以前に「味噌で酒を飲む話」を書いたのだったなあ。

 どうも、食べものの話に終始してしまいがちなわたしである(笑)。また、そういう話ばかり「アタマの引き出し」のなかにあるというのもまた、「好きこそものの上手なれ」ということか?



<ブログ内関連記事>

味噌を肴に酒を飲む
・・『徒然草』第二百二十五段にでてくる話

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

『伊勢物語』を21世紀に読む意味

「桜餅のような八重桜」-この表現にピンとくるあなたは関西人!
・・塩漬けにした桜の葉っぱで餅を包んだ道明寺

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2011年5月15日日曜日

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)


 今年は、仏陀釈尊、すなわちお釈迦様が、覚りを開いて仏陀(覚者)となってから 2600年という記念すべき年にあたる。釈尊成道と書いて、しゃくそん・じょうどう と読む。

 いまから2555年前、マガダ王国(・・現在のネパールに位置する)の王府ルンピニに、世継ぎの王子として生まれて裕福な生活を送っていたシッダールタ青年は、29歳のとき現世の縁を断ちきり、一切合切を捨て去って文字通り「出家」する。さまざまな試行錯誤の末、35歳のとき覚りを開いて仏陀(覚者)となったのであった。覚醒したのである。

 わたしも一昨年から毎年参加しているウェーサーカ祭、いつもの誕生会(たんじょうえ)に加えて、今年は上記の理由で、特別に記念すべきものとなったわけだ。

 そう考えると、シッッダールタ王子が仏陀(ブッダ)となって「釈尊成道」したということは、じつに奇跡にも近いことに思えてくる。仏教世界が存在していることによって、世の中すべてが一神教世界に覆われているわけではないということは、じつに奇跡に近い。

 スマナサーラ長老による「記念法話」にもあったが、お釈迦様が人間であったこと、神ではなく人間であったことがいかに大きな意味をもっているか、あらためてそのことを深く考えてみ必要があるだろう。

 ちょっと先を急ぎすぎたようだ。「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 の当日の概要以下に掲載しておこう。

●日時: 2011(仏歴2555)年5月14日(土)
     開場 12:30
     開演 13:15〜
     終了 19:00(予定)
●会場: 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール4階(定員735名)
●参加費: 無料(お布施は歓迎)
●予約: 不要
●主催: 日本テーラワーダ仏教協会

 なお、当日のプログラムは以下のとおりであった。

プログラム *予定は一部変更されることがございます。

12:30 開場 誕生仏への献花(自由にお花を1本お持ちください)書籍販売
13:15 スライドショー
13:30 開式 おねり・献花・献茶
 記念式典:テーラワーダ&日本仏教の僧侶方
 1. 仏讃法要
2. 震災犠牲者追悼法要
3. 早期復興祈願      
 -小休憩-
14:50 記念法話:スマナサーラ長老
 -休憩-
16:30 特別対談:『無智の壁』養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏
18:20 祝福の読経・聖糸の授与
19:00 終了(予定)

 いつものことだが、今年もまた大幅に時間を超過して終わった。終わったのは20時前、スローライフを推奨する仏教とはいえ、現代に生きる現代人が参加する以上、終了時間の公差(=トレランス)は前後20分以内には収めてほしいものである。

 タイ王国公使の日本語によるあいさつ、モンゴル共和国公使、カンボジア王国公使からもそれぞれあいさつがあった。タイ王国公使は夫妻で出席、スリランカは公用のため残念ながら出席できず、と。スリランカ、タイ、カンボジア、モンゴルと、広い意味での仏教国の縁である。

 式典の内容は、例年と同じなので割愛させていただく。詳しくは、一昨年のものと、昨年のものをご参照いただければ幸いである。


スマナサーラ長老による「記念法話」

 スマナサーラ長老による「記念法話」の話は、すでに書いたように、ブッダが人間であったこと、神ではなく人間であったことの意味は、なんど強調してもしすぎることにはならないほど重要なことだ。

 それから2600年たって文明も進んだはずであるのに、ココロの科学である仏教の知見が圧倒的に深く透徹したものであることは、ブッダの覚りというものが、いかに人類史上において大きな意味をもつことかをあらためて知ることになる。

 今回のウェーサーカ祭は、また、「3-11」という未曾有の大災害のあとに行われるものとなった。「震災犠牲者追悼法要」と「早期復興祈願」の1分間黙とうも行われた。

 スマナサーラ長老は、大災害からの「復興」については、「復興は執着である」という趣旨の話もされていた。これにはわたしも大いに賛同するものである。

 いずれ人間は死ぬのであるから、生き残った人間は「復興」ではなく、また新たに作り上げればいい。その際に重要なのはカネよりも、精神的なチカラ、めげないやる気がでてくればなんとかなる。生まれてきたときよりも、死ぬときに精神的に豊かであるならばそれでいい。そんな内容であった。いっけん、突き放したように聞こえるかもしれないが、仏教的世界観にたてば正し発言だといえるだろう。


特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏

 今回のメインイベントは、なんといっても特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏 であった。養老孟司氏のベストセラー『バカの壁』をもじったものか?

 釈徹宗氏の司会進行は、正直なところ、あまりうまくないなあという感じもした。列挙すると、司会なのに余計なことをしゃべりすぎ、うなづけばすむものを掛け合いしてしまう、声のトーンが高すぎる、会場が東京なのに関西弁のままなので耳で聞いただけでは聴き取れない恐れなど。司会は引き立て役に徹すべしというのがわたしのポリシーなので他意はない。悪しからずご了承いただきたく。



 養老孟司氏とスマナサーラ長老という、ビッグな対談者の存在と発言そのものは、司会の巧拙とは関係なく、じつに内容深いものがあった。この二人の対談集『希望のしくみ』(宝島社、2004)はすでに読んだことがあるが、究極的には二人の意見が合致してしまうので、対談になると意見のぶつかり合いがなくなってしまう危険もある。

 つまり、スマナサーラ長老の説く仏教と、科学者としての養老孟司氏の脳の話は、アプローチの出発点と発想が異なるはずにもかかわらず、同じ結論になってしまうということだ。これは、仏教が科学「的」であるということと同時に、科学もつきつめると仏教「的」になるということを意味している。

 実際に、養老孟司氏の発言にたいして、スマナサーラ長老はとくに付け加えることがないという場面も何回かあった。

 養老孟司氏の深くて低いトーンの語り口を心地よく聞いていた。脳死問題にかんして、日本で脳死議論が諸外国に比べて10年以上も遅れた理由を「世間」から解き明かしたのは実に明快であった。日本では死ねば「世間」から外に出される。一方、妊娠中絶がまったくといっていいほど問題にならないのは、「世間」に入っていない状態だから。この両者は裏腹の関係にある、と。

 わが恩師・阿部謹也先生の提唱した「世間論」をこういうカタチで応用しているのを聞くのは、じつにうれしいことである。「世間」をあまりにも明快に説明されてしまうから。だが、「世間」というコトバが、もともとローカというサンスクリット語であったことに言及がないのは、このような性格の会場においては、すこし淋しいものがあったが。


「聖糸の授与」

 といったわけで、対談が終了したのは 19時前、このあと「祝福の読経」で終了。これまたえらく長いのですこし眠ってしまったような・・

 19時半頃、すべてが終了。このあと、「聖糸の授与」があり、スリランカの僧侶(・・スマナサーラ長老ではない)に、右手首に「聖糸」を結んでもらった。



 まあウイッシュ・リングのようなものだが、満願成就までは自分でほどいてはいけない。昨年はいきなり自然にほどけてしまったが、今年はまだまだほどける感じではない。ちょっとこそばゆい感じなのだが。

 このあと、大乗仏教の僧侶から「聖水」をいただき、錫杖で肩をうって祈願してもらった。

 会場に到着する時間が遅かったため、真ん中の席しか空いてなかったので、動くのが面倒で休憩時間もまったく席を立たなかった。ほぼ満員に近い入場者があったから。相撲ではないので、満員御礼の感謝も福袋もでないが(笑)。

 トイレにもいかず、約7時間ぶっ続けで狭い席に座っていた。途中で水分補給はしていたが、成田バンコク間よりも長い時間である。そのためだろうか、なんだか「エコノミー症候群」(?)になってしまったようで、えらくくたびれてしまった一日であった。





PS 特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏がサンガ新書として出版

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 (2011年5月14日)で行われた特別対談:『無智の壁』」が、3年たってようやくサンガから書籍化。

タイトルは、『無知の壁』(養老孟司/アルボムッレ・スマナサーラ、釈徹宗=聞き手、サンガ新書、2014)。2014年9月20日に出版。


目次は以下のとおり。

第1章 「自分」という壁
 解剖学者の「バカ」と仏教の「無知」
 意識は行為の後からやってくる
 五戒1 不殺生:殺すなかれ
 五戒2 不偸盗:盗むなかれ
 五戒3 不邪淫:邪な行為をするなかれ
 五戒4 不妄語:嘘をつくなかれ
 五戒5 不飲酒:酒、麻薬などの智慧を壊すものを使用するなかれ
 気持ちがなければ行為にならない
 人類初の科学的アプローチ
 バカの壁=自分の枠組み
 知識のリミット、三段階
 「受け入れる」ということ
 自分を守る苦悩
 自分の世界で固まっていたら後退する
 「本当の自分」なんてない
 困難も「自分」をはずすと楽になる
第2章 「死の壁」と「世間の壁」
 「私」と「死」と「葬儀」
 「死」は「生」のためのもの
 「死なない」が脳の前提
 文化で異なる死体への思い
 脳死問題に息づく日本の村社会
 脳死は死ではないという結論
 中絶が議論されないのも世間の壁
第3章 「自分」の解剖学
 自分のつくり方
 「私」とは蜃気楼
 「自分」を決める場所が脳にある
 自分のことはえこ贔屓している
 頭の地図で自分の範囲を決めている
 幽体離脱は自我の原型
 ふだんも二つの「私」を一元化している 「世界と一体」は覚りじゃない
 天才は脳機能をコントロールする
 生物学的な「自分」と社会的な「自分」
 修行とは、機能のコントロール
第4章 「転換」は克服のコツ
 知れば「嫌」は克服できるか
 「嫌」が治る場合、治らない場合
 嫌な対象を移すことは可能
 視点の転換は大事
 自分に移すのがいちばん簡単
 虫になると苦がなくなる
 役柄を入れ替えてお互いを理解する
 相手の立場から考える
第五章 信仰より智慧で自分を育てる
 人は何かを信じてる
 信仰は人生の手すり
 仏教は理性の教え
 ましなものを信じなさい
 今後の日本人の生き方は?
 どこまで楽をすれば気が済むのか
(2014年9月11日 記す)





<関連サイト>

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」


<ブログ内関連記事>

書評 『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)-近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達

「ウェーサーカ祭2014」にいってきた(2014年5月24日)「記念鼎談」におけるケネス・タナカ師の話が示唆に富むものであった

「ウェーサーカ祭 2013」(2013年5月12日)に参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた+タイ・フェスティバル2013(代々木公園)

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009

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書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)

(2014年5月26日、8月28日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









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