2019年8月27日火曜日

JBPressの連載コラム第59回は、「あの抵抗がなければ日本は分断国家になっていた-日本側の希望的観測が招いた「ソ連侵攻」の悲劇」(2019年8月27日)


JBPressの連載コラム第59回は、あの抵抗がなければ日本は分断国家になっていた-日本側の希望的観測が招いた「ソ連侵攻」の悲劇(2019年8月27日)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57403

東アジアは、激動の時代に逆戻りしている。1991年に米ソの冷戦構造が崩壊してから、見えなかった問題が顕在化してきたのである。

尖閣諸島をめぐる日中対立軍事的な台湾統一も辞さないとする中国共産党、いっこうに終わることのない香港のデモ見通しの見えない日韓紛争などなど。枚挙にいとまがない。

こういった東アジアの諸問題は、いずれもかつての「大日本帝国」の領土で起こっていることに注目したい。かつて日本は、良い悪いに関係なく、歴史的事実として海外に植民地を保有する「帝国」だったのだ。

8月6日の米軍による広島への原爆投下につづき、8月8日にソ連は「対日宣戦布告」して、9日午前0時から満洲に侵攻を開始した。「日ソ中立条約」を一方的に破棄したうえで、満洲、朝鮮半島、樺太南部、千島列島に次々に侵攻し、各地で日本軍と戦闘になったのである。

「終戦記念日」は8月15日だが、実際に大東亜戦争が終結したのは9月2日である。 「北方領土問題」の焦点となっている歯舞諸島のソ連による占領が完了したのは、9月5日のことであった。このことは銘記しておきたい。

南樺太と占守島の守備隊の頑強な抵抗のおかげで、北海道北部が占領されることなく、日本が「分断国家」となることから免れ得たのであった。この事実は、日本国民として十分に認識しておく必要がある。

詳しくは本文で https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57403







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64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した(2008年8月8日)

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝

(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…

23年間「積ん読状態」だった藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』(現代教養文庫、1995)を読んで自問自答する「日本人にとっての満蒙とは何か?」という問い

書評 『五色の虹-満洲建国大学卒業生たちの戦後-』(三浦英之、集英社文庫、2017 単行本初版 2014)-わずか8年の歴史しかなかった「満洲建国大学」という実験とその後

『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ



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2019年8月23日金曜日

「先の大戦」関連本から「これぞという3冊」をピックアップして紹介


いわゆる8月15日の「終戦記念日」の周辺の日々ほど「先の大戦」について考えるにふさわしいものはない
  
毎年この時期になると集中的に戦争ものを読むことにしているが、そのなかから「これぞという3冊」をピックアップして紹介しておきたい。

対象は、手頃な新書本に限定する。 


『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実-』(吉田裕、中公新書、2017) 
『太平洋戦争日本語諜報戦-言語官の活躍と試練-』(武田珂代子、ちくま新書、2018) 
『独ソ戦-絶滅戦争の戦慄-』(大木毅、岩波新書、2019) 


まずは『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実-から。 

帯には「15万部突破のベストセラー」とある。日本近現代史の吉田裕教授は、正直いって好きなタイプの歴史家ではないのだが、先入観を捨てて読んでみることにした。 

戦史ものは、それこそ腐るほどあるのだが、この本は、あくまでも「兵士の立場」から「兵士の現実」を描いたものだ。膨大な数にのぼる回想録から引き出された記述が読ませるのである。読者自身が、自分の身体に引き寄せて虚心坦懐に読めば、身体でその苦痛を体感できることだろう。 

著者自身は、あくまでも事実を語ることに徹して、とくに批判がましいことは書いていない。あくまでも事実の呈示にとどめている。徴兵制のもとにあった帝国陸海軍だが、平時は徴兵による充足率は2割程度であり、問題ある人間が入隊することはなかった。だが、戦時になると多種多様な人間が入ってくる。年齢の高い者たち、なんと知的障害者まで!

だが、読んでいて私が思ったのは、「先の大戦」における陸海軍兵士ありさまは、現代のブラック企業や相撲部屋のパワハラとなんら変わることがないではないか!という感想だ。旧軍の体質は、敗戦から74年たった現在でも濃厚に存在するのである。

問題は、指導層の高級将校たちの保身だけではなく、まともだとされてきた兵と下士官のレベルでも依然として変わることがないという、イヤ~な現実だ




次に『太平洋戦争日本語諜報戦』。 

これは、対日戦を戦うことになった「連合軍」の「諜報戦」についての研究を新書本に圧縮したものだ。

研究水準はきわめて高く、正直いって情報が多すぎて読みやすくはないのだが、米軍を中心とした連合軍の徹底ぶりに驚かされるとともに、「敵を知り己を知らば・・」という「孫子の兵法」を実践していたのは、むしろ敵側であったのだという事実をかみしめることになる。 

特筆すべきは、やはり米軍であって、移民立国の米国ならではの日系米国人の活用が主たるテーマとなる。英語がわかり、かつ日本語がわかる日系人が徹底的に活用されたのである。 

解読されていたのは暗号だけでなく、日本軍兵士の手帳に記された日記(・・米軍では日記は禁じられていた!)、作戦計画書を含めたその他もろもろの文書類。 

「敵性外国人」として収容所に閉じ込めておく一方、活用できるものは徹底的に利用し尽くすという米国の合理主義的姿勢。この姿勢は、現在に至るまで継承されている。太平洋戦争時の日本語は、戦後はロシア語、そして2001年の「9・11」後にはアラビア語になり、そして現在は中国語になっているようだ。理由はあえて説明するまでもないだろう。 




そして『独ソ戦-絶滅戦争の戦慄-』。 

「先の大戦」で日本は主として太平洋上で米国と戦った海戦が中心となっているが(もちろん、大陸では陸軍による日中戦争が続いていた)、ユーラシア大陸の反対側では、ドイツがソ連と「絶滅戦争」を戦っていたのである。航空支援をともなった地上戦である。 

日本人は、日米戦争の激烈さと悲惨さについて語るが、「独ソ戦」はその比ではない。帯には「戦場ではない、地獄だ」とあるが、「スターリングラード攻防戦」について少しでも知っていれば、その通りであることに反論のしようのないことが理解されるだろう。 

「独ソ戦」がなぜ「絶滅戦争」となったのか? 

それはドイツとソ連の戦争が、ヒトラーとスターリンという独裁者の率いる全体主義国家どうしの激突だったからだ。(ちなみに、日本の東條英機が独裁者だと言われることが多いが、東条英機の場合は、首相と陸軍大臣など各種の大臣を兼任した程度で、独裁者とはほど遠い。大政翼賛会であるとはいえ、日本では戦時中も敗戦後も、議会はずっと開催されていた) 

「独ソ戦」においてドイツの甘い見通しがはずれ、ヒトラーにとって資源確保と市場確保が主目的だった対ソ戦争は、世界観闘争にもとづいた「絶滅戦争」へと転化していく。そのなかにはホロコーストも含まれるのである。

そして、この史上まれにみる絶滅戦争を戦い抜いたソ連軍将兵たちが、独ソ戦終結後に満洲に送り込まれてきたのである。日本人居留民に対する暴虐の数々がなぜ発生したか、その背景を知ることもできることだろう。

この本は、とくに読むことを勧めたい。 





以上、これぞという3冊を紹介したが、「第2次世界大戦」が終わってから74年たった現在も、さまざまな側面において、まだまだ影響が根強く残っている以上、考えるべき事は多く、また新たな新事実や新たな切り口による解釈も生まれ続けている。 

戦争というものは、観念論ではなく、具体性にもとづいたリアリズムとして考える必要がある。この3冊は、その要件を満たしている満たしているといってよいだろう。


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・・あくまでも「兵士」の立場から戦争を描いた希有な作品群

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JBPress連載コラム第29回目は、「ロシアの「飛び地」に見る国境線のうつろいやすさ-Wカップの舞台となったカリーニングラードの歴史」 (2018年7月3日)
・・独ソ戦で最大の攻防戦となった「スターリングラード攻防戦」は、会場となったヴォルゴグラードが舞台



 
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2019年8月14日水曜日

香港のデモは一線を越えてしまった・・(2019年8月14日)



香港のデモは一線を越えてしまった・・

8月13日に若者を中心としたデモ隊による香港国際空港のデモ活動混乱のため国際便が飛ばないという事態が発生。本日8月14日には正常化しつつあるとはいえ、実質的な「空港閉鎖」は好ましいことではない。

香港のデモは、ついに一線を越えてしまったのだ。

「空港閉鎖」には苦い思い出がある。タイの首都バンコクのスワンナプーム国際空港がデモ隊によって占拠された事件(2008年11月25日~12月4日)のことだ。タイを出国したその日の午後に空港が閉鎖され、逆にタイに戻れなくなってしまったのだ(当時はバンコク在住)。

デモそのものは、あくまでも国内問題だ。だが、国際空港が閉鎖されてしまうとビジネス活動に大きな悪影響がでてくる。ヒトとモノの流れが止まってしまうからだ。ビジネスパーソンとしては、正直いって迷惑だとしか言いようがない。

中国共産党の圧政と恐怖と戦う香港の若者たちの気持ちは理解できるが、「空港閉鎖」をもたらすような事態には賛成できない。やり過ぎだ

現在のところ、中国共産党は恫喝と威嚇を続けながらも、かろうじて実力行使そのものは「自制」している。デモに参加する若者たちにも「自制」を求めたい。とはいえ・・

「最後の闘争」と位置づけるかれらには、もうなにを言っても無駄なのだろうか。もはや自暴自棄に近い状態なのか? 

このままだと、たとえ最終手段としたの人民解放軍の暴力的介入がなかったとしても、国際金融都市・香港自体の衰退、いや実質的な終焉につながってしまうかもしれない。


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タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-

書評 『香港バリケード-若者はなぜ立ち上がったのか-』(遠藤誉、深尾葉子・安冨歩、明石書房、2015)-79日間の「雨傘革命」は東アジア情勢に決定的な影響を及ぼしつづける

天安門事件(1989年)から20年か・・(2009年6月4日)

JBPressの連載コラム第57回は、「英国の民衆弾圧、ピータールーの虐殺を知っているか-200年前の英国の民主化運動から現在の香港を見る」(2019年7月30日)


 
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2019年8月13日火曜日

JBPressの連載コラム第58回は、「先の大戦の真の敗因とは?大人が見たい伝説のアニメ-司令官たちの意思決定を描いた『アニメンタリー 決断』」(2019年8月13日)


JBPressの連載コラム第58回は、先の大戦の真の敗因とは?大人が見たい伝説のアニメ-司令官たちの意思決定を描いた『アニメンタリー 決断』」(2019年8月13日)

⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57275

8月15日を「終戦記念日」というが、本当は「敗戦記念日」というべきではないかという議論がある。「終戦」という表現では、日本が「敗戦」したという事実が十分に意識されないからだ。 


このことを考えるには、「開戦」と「終戦」という劇的で瞬間的な出来事だけではなく、4年間にわたって続いた大戦のプロセス、言い換えれば個別の具体的な戦争そのものに即して考えてみることも必要だろう。 


(『アニメンタリー 決断』第1話 TatsunokoChannel) 

そこで今回は、いまから48年前の1971年にテレビ放送されながら、あまり知られることなく終わってしまった伝説のアニメ作品『アニメンタリー 決断』を取り上げてみたい。


1971年(昭和46年)のテレビ放送当時、小学校4年生だった私は、全26話からなるこのアニメをリアルタイムで視聴していた。クラスの男子生徒の多くが見ており、学校でその話題をいつもしていたものだ。 

つづきは本文で  ⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57275




(冒頭のナレーションのシーン YouTubeよりキャプチャ)
















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2019年8月3日土曜日

書評『大山倍達正伝』(小島一志/塚本佳子、新潮社、2006)-「戦前・戦中・戦後の昭和史」を生き抜いた朝鮮半島出身の男の骨太で波瀾万丈の人生


『大山倍達正伝』(小島一志/塚本佳子、新潮社、2006)を読了。出版されてすぐに購入した本だが、今回がはじめての通読。なんと13年間も寝かしたままだったことになる。600ページを越す大著である。 

大山倍達(おおやま・ますたつ)といってピンとくるのは、当然のことながら空手、しかも極真空手にかかわってきた人たちだろう。あるいは、子ども時代にアニメやマンガで『空手バカ一代』に熱狂した世代の人たちであろう。私は前者には該当しないが、後者の1人である。『空手バカ一代』は、いまでも大好きだ。 

大山倍達が亡くなったのは1994年、すでにもう25年も前のことになる。すでに四半世紀も過ぎているので「過去の人」になっているといえば、そのとおりだ。 だが、1994年に大山倍達が亡くなって直後に始まった極真会の後継組織の混乱ぶりは、少なくとも私にとっては記憶に新しい。武道界のなかのことであるが、男子直系相続で3代目の道主が率いる合気会とは、際だった違いを示していたからだ。 


『大山倍達正伝』は二部構成をとっている。「第1部 人間・崔永宜」(塚本佳子)と「第2部 空手家・大山倍達」(小島一志)。 

崔永宜と書いてチェ・ヨンイと読む。大山倍達の出生時の「本名」だ。大山倍達は「通名」である。大山倍達は、朝鮮半島出身者であった。戦時中に日本に密航してきのである。だから、空手家・大山倍達の人生とは、「戦前・戦中・戦後の昭和史」を生き抜いた半島出身の男の波瀾万丈の人生、ということになる。 

大山倍達が半島出身であることは、すでに1980年代後半には私も知っていた。「倍達」はハングルで「ペダル」と読み、朝鮮の古名であることもまた。 

だが、本書によれば、大山倍達のメンターであった民族運動家・曹寧柱(そう・ねいちゅう:この人は石原完爾の東亜連盟の中心人物でもあった)に命名されたが、大山倍達自身は「倍達」の意味を知らなかったようだ。故郷を捨て日本で生きることを決意し、民族運動からは完全に足を洗ったつもりだったが、皮肉なことに、最期の最期まで「民族」を背負い続けたことになる。 

極真空手の関係者ではないので、私にとって第2部はそれほど関心のある内容ではなかったが、大山倍達の信条である「力なき正義は無能なり、正義なき力は暴力なり」がパスカルの『パンセ』の一節から来ていることを知ったのは驚きであった。武器を取り上げられた沖縄で発達した空手(当時は唐手)が内地に導入されてとげた進化、また大山倍達が空手以外の武道からも貪欲に学び、柔道や合気道のエッセンスも取り入れていることは興味深い。 

とはいっても、興味深く読んだのは「第1部」である。日本の近現代史、そのなかでも「戦前・戦中・戦後にまたがる昭和史」そのものを熱く生き抜いた大山倍達=崔永宜を、日本と半島のあざなえる縄のごとき複雑なからみあいを丁寧に解きほぐしながら迫っているからだ。大山倍達もまた、力道山と似たような人生を歩んだことになる。 

とくに圧巻となるのは、「第1部第4章 民族運動-激動の日々」であろう。日本が無条件降伏によって敗戦したその瞬間間から活発化したのが、植民地として支配されていた朝鮮や台湾の人びとの動きだ。 

占領軍から「第三国人」とされていたこの人びとのなかでも、とくに動きが激しかったのが朝鮮半島出身者たちだ。民族独立に際して共産主義(・・のちの北朝鮮)か反共(・・のちの韓国)かという争点をめぐって、凄惨な内ゲバ状態がもたらされる。大山倍達もその渦中にあって、武闘派として暴れまくったわけだ。この時代は、ほとんど治外法権といってもよい状況でもあり、詳しいことは記録に残っていない。サンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復した1952年までの7年間のことである。 



(【公式】空手バカ一代 第1話「焼けあとに空手は唸った」(1973) 
(*もちろん『空手バカ一代』の主人公と大山倍達はイコールではない)


大山倍達は、現在風に表現をつかえばセルフ・プロデュースに長けた人だったということになる。日本武道である空手の世界でナンバーワンになるためには、作り上げたイメージを生き切ることが必要とした。そして、見事にイメージつくりに成功したといえる。さまざまなエピソードがあるが、かなりの部分が虚構であることは、著者たちによる探求で実証されている。 

『空手バカ一代』によって、空手の世界を超えた有名人となったわけだが、もちろん荒唐無稽といってもよい内容のマンガの主人公と、実物とはイコールではない。というよりも、原作者の梶原一騎の創作によってできあがった虚像があまりにも肥大化してしまったために、本人自身が苦しむことになってしまったようだ。 その意味では、大山倍達は、もちろん本人自身の血のにじむような努力がベースにあったが、セルフ・プロデュースによって成功をつかんだ一方、行き過ぎたセルフ・プロデュースの罠にはまってしまったといえるかもしれない。 

本書は、そんな大山倍達=崔永宜の人生を描いた大著だが、根底にあるのは愛だと感じさせられた。けっして真相を暴くといった姿勢ではない。なにごとであれ、真相というものは「虚実皮膜」のあいまにあるものだが、対象への愛があるからこそ、真相を明らかにしたい、本当のことを知りたいという気持ちがわき上がってくるのであろう。 

この本を読んだあとも、私は『空手バカ一代』が大好きだと気持ちにまったく変化はない。フィクションをフィクションとして受け入れて楽しむ。フィクションの主人公が、モデルとされた人物の実像とかけ離れたものであっても構わないではないか。歴史小説と歴史の違いといってもいい。 

人生とはパーソナル・ストーリーであり、パーソナル・ヒストリーである。大山倍達の人生もまた、「戦前・戦中・戦後にまたがる昭和史」そのものであった。「空手バカ一代」の人生は、波瀾万丈の骨太の人生であった。






目 次

「はじめに」(塚本佳子) 
第1部 人間・崔永宜 (塚本佳子)  
 序章 極真空手と「大山倍達伝説」  
 第1章 誕生-世界のなかの朝鮮 
 第2章 少年時代-「虎の骨」と臥龍山の咆哮 
 第3章 渡日-翻弄された時代 
 第4章 民族運動-激闘の日々 
 第5章 頂点-世界の極真空手 
 終章 存在証明-崔永宜と大山倍達 
第2部 空手家・大山倍達 (小島一志) 
 序章 原点「力なき正義は無能なり」 
 第1章 伝説と虚飾の原風景 
 第2章 剛柔流と松濤館-修行時代(1) 
 第3章 第1回全日本大会と山籠り-修行時代(2) 
 第4章 謎に包まれたアメリカ遠征 
 第5章 伝説から極真会館建設へ 
 終章 晩鐘 
「エピローグ」(小島一志)  
おわりに」(小島一志) 
参考文献





著者プロフィール

小島一志(こじま・かずし) 
1959年、栃木県生まれ。早稲田大学商学部卒業。株式会社夢現舎(オフィスMugen)代表取締役。元『月刊空手道』『月刊武道空手』編集長。極真会館空手道、講道館柔道の有段者。武道・格闘技関係者との深い交友関係を持つ (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


塚本佳子(つかもと・よしこ) 
茨城県生まれ。株式会社夢現舎(オフィスMugen)取締役副代表。元『新極真空手』編集長。編集者として多くの武道・格闘技関連媒体の制作を手掛ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)








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(2019年8月13日 情報追加)


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