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2013年3月9日土曜日

書評 『世界の子供たちに夢を-タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡-』(但馬オサム、メディアックス、2013)-タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読!


タツノコプロ創立50年、その創始者であった吉田竜夫が亡くなって35年になるという。そして著者もまた50歳。いまこれを書いているわたしも50歳だ。

吉田竜夫が亡くなったのは、わたしが15歳のときということになるが、タツノコプロについては、そのタツノオトシゴをかたどったロゴとともに目に焼き付けられていても、吉田竜夫が亡くなっていたことは知らなかった。

タツノコプロのアニメを見て育ったわたしの世代は、小学校から中学校にかけてどっぷりとその世界にはまっていたことになる。

『マッハ GoGoGo』、『おらあグズラだど』、『ドカチン』、『ハクション大魔王』、『紅三四郎』、『みなしごハッチ』、『いなかっぺ大将』、『カバトット』、『アニメンタリー 決断』、『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』、『樫の木モック』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『けろっこデメタン』、『新造人間キャシャーン』、『タイムボカン』、『ヤッターマン』・・・これら草創期から黄金時代のタイトルはすべてリアルタイムの放送で見ていたことになる。マンガよりもアニメの世代なのである。カラオケでもつい当時のアニソン(=アニメソング)を歌いたくなる(笑)

だから、本書の前半を占めるマンガ家時代の吉田竜夫は正直いってあまり面白くなかった。たしかに、京都に生まれ、敗戦後の解放感のなか米兵がもたらしたアメコミの世界にどっぷりつか、上京して紙芝居の世界を経験してマンガ家として誕生したのが吉田竜夫であるという指摘や、『タイガーマスク』の辻なおとが同郷の友人であったこと、梶原一騎の原作で書いた数々のマンガなどは、その前史をしるうえでは重要なことだ。

だが、吉田竜夫といえばタツノコプロ。分業によるプロダクション・システムという組織形態で「テレビまんが」(=アニメ)の世界を切り開いっていった先駆者としてこそ意味があるからだ。マンガからアニメへの過渡期にいたアニメ制作の先駆者なのである。

アニメにくわしくない人にとっては、アニメといったら現在なら宮崎駿、むかしは手塚治ということになるのだろうが、わたしだけでなく同世代のかつての「子供たち」にとっては、圧倒的にタツノコプロの影響が大きいのではないかと思う。

それは、アクションものあり、ギャクものあり、メルヘンものあり、しかも戦争ものもありということで、コアとなる作品群が多岐にわたっていることも大きいと思う。だからアクションものは男の子向けだったとしても、メルヘンものは女の子も見ていたわけであり、とくに後者は親も一緒に見ることのできる安心できる作品だったわけだ。

また、タイトルの選択にあたっての音感の良さ、これは吉田竜夫が趣味で音楽をやっており、作詞作曲もしていることを本書で知ることができる。

この本に収録された数々の貴重な証言を読んでいくと、タツノコプロは創立当初はアニメの素人集団であったにもかかわらず、手抜きをしない職人仕事と試行錯誤をかさねた挑戦の末に、「映像革命」を起こしたことを知ることになる。

そしてその創始者で代表であった吉田竜夫は、クリエーターであり経営者でもあり、夢の実現のため苦労に苦労をかさね命を縮めて47歳で亡くなったのであった。なんせスポンザーも決まらないうちに制作を始めていたというケースが何本もあるのだ。いま生きていれば82歳ということになるが、あまりにも早いその死を悼まないわけにはいかない。

著者もわたしとおなじく50歳ということだが、『アニメンタリー 決断』をリアルタイムでは見なかったという。あの当時、おなじクラスの男の子のあいだではいつも話題になっていたあの名作を見なかった人がいたというのは正直いって驚きだ。その後、まったく再放送されない幻のアニメとなったのは残念なことだが(・・現在はDVD化されているし、一部はYouTubeでも視聴可能)、『決断』の経験が『ガッチャマン』で活かされたということを知ってなるほどと思った。

大学時代に西武多摩湖線沿線に住んでいたので、わたしも国分寺には慣れ親しんでいたが、吉田竜夫の在世当時のおもかげがまだ残っていたように思う。『ゴルゴ13』のさいとうたかおプロの「北口派」とタツノコプロの「南口派」という対比も面白い。

いまでこそ日本はアニメ大国で、クールジャパンの代名詞のように語られる日本アニメだが、子ども時代はそんなことは知るよしもなく、無意識のうちに「世界最高峰の実験」に視聴者として全面参加していたわけなのだと思うと、あの時代の日本に生まれたことを心から幸せに思うのである。

「世界の子供たちに夢を」というのが、ある意味ではミッションでありビジョンであった吉田竜夫とタツノコプロである。そう、夢を与えることが彼の夢だったのだ。

アニメで人間形成(!)したわたしと同じ世代はもちろん、それ以降の世代の人もまた、タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読だ。先人たちの苦労の軌跡を振り返る意味でも、ぜひおすすめしたい一冊である。






目 次
プロローグ
第1章 京都に生まれて
第2章 浅草の夕日
第3章 異説『鉄腕リキヤ』
第4章 絵物語からマンガへ
第5章 それぞれのハリス無段
第6章 国分寺のパースペクティブ
第7章 その名は宇宙エース
第8章 マッハGoGo“剛”
第9章 進化するタツノコ・ギャグ
第10章 ハッチの音楽会
第11章 泣くも笑うも決断ひとつ
第12章 白い翼の
第13章 鏡の中の顔
第14章 宇宙へ
第15章 そして夢
あとがき
解説 まんがからアニメへ駆け抜けた怪男児(星まこと)
参考文献

著者プロフィール
但馬オサム(たじま・おさむ)文筆人・出版プロデューサー。昭和37年、東京生まれ。映画およびマンガの解説、B級犯罪、官能、猫、文化批評、近現代史など多岐にわたって執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

タツノコプロ 作品紹介(タツノコプロ)

タツノコプロ 公式サイト


吉田竜夫(よしだ たつお、本名:吉田龍夫(読み方は同じ)1932年3月6日~1977年9月5日)は、日本の昭和時代中期から後期の漫画家、アニメ原作者。アニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)の設立者・初代社長。 京都府京都市出身。(wikipedia情報)



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(2012年7月3日発売の拙著です)





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