「満蒙」とは満洲と内蒙古を合わせた表現のことだ。日本から近い順に朝鮮半島があり、満洲、そしてさらにその奥地が内蒙古。
先日のことだが、内蒙古(=南モンゴル)出身の楊海英氏による『チベットに舞う日本刀-モンゴル騎兵の現代史-』 と『日本陸軍とモンゴル-興安軍官学校の知られざる戦い-』 を読んでいた際に、ところどころで言及されていたのが、本書すなわち藤原作弥氏の『満洲、少国民の戦記』という本だった。
藤原作弥氏は、金融ジャーナリストで、その後、日銀副総裁に抜擢された人だが、そういえば、この本は買ってもっていたなと思い出して、探してみたら出てきた。 本棚ではなく箱のなかから出てきた。
1995年の新刊の現代教養文庫で、書店で購入したようだ。昔から満洲には大きな関心があるので購入したのは間違いない。まだ読んでいなかったので、これを機会に読んでみることにしたが、購入してからなんと23年目にして初めて読んだことになる。それにしても超長期の積ん読だったことになる。
内容は、父親の仕事でつれられて少年時代を過ごした内蒙古の大草原の思い出と、その翌年の日本の敗戦によって命からがら脱出し、日本に帰国できるまで1年半にわたって難民として滞在を余儀なくされた満洲の安東(現在の丹東)の体験記。後者は鴨緑江をはさんで現在の北朝鮮の対岸にある地方都市だ。分量的には圧倒的に後者が多い。
そして、この本にはいわゆる「葛根廟事件」の記述がある。満洲から脱出した民間人が、ソ連軍の戦車隊によって虐殺された事件のことだ。「葛根廟」にかんする文章は、現代教文庫版以降にしか掲載されていない。
「千二百名中千名以上の民間人婦女子が、暴民の襲撃ではなく一国の軍隊の攻撃で、無差別に大量虐殺されたジェノサイド(計画的集団殺戮)という点では、終戦時に旧満洲の日本人難民が遭遇した事件の中でも、最大の悲劇といってよかろう」(P.323)と著者は記す。
満洲ものは無数といってよいほどあるのだが、満洲には直接には縁のない、ノスタルジーを感じるはずのない私にとっても、なぜか非常に惹かれるものを感じるのはなぜか、と考えてみることもある。もちろん、子供の頃から満洲のことは、学校の教師や親など、さまざまなルートで聞き知っていた。 ただし、両親も祖父母も満洲とは縁はない。
戦前に大陸に渡った日本人たちが、いわゆる「日本人離れ」した言動をしていることに魅力を感じるのだろうか。たとえ最終的には難民となって命からがら逃げることになったとはいえ、島国である「内地」とは異なる世界がそこにあるからだろうか。複数の異民族と日常的に接触することで、日本人自身も変化するのか。
戦後の日本は、戦前に満洲で実験したものを再現したに過ぎないといった言説は昔から耳にしてきたが、それはその通りだと思う。たとえば、満鉄の特急あじあ号がなければ、戦後の新幹線がなかっただろうとは、子供の時に聞いた話である。
「満洲もの」は、今後もまだまだ読んでいきたい、きわめて関心の深いテーマなのだ。多くの人がそう思っているからこそ、つきることなく出版され、またドラマ化、映画化され続けているのだ。
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