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2009年6月4日木曜日

天安門事件(1989年)から20年か・・


                    
 本日6月4日は、1989年に暴力的に鎮圧された「天安門事件」から20年なのだそうだ。NHKの「クローズアップ現在」で取り上げていた。

 早いもんだなあ、もう20年間か・・・ そういえば、その当時FENでは「ティヤナメン・スクウェア」(Tianamen Square)と発音していた。英米人と話すにはこの方がとおりがいい。

 その当時はちょうどあるクライアントからの依頼で、アジア地域で工場建設候補地を選定する、というコンサルティング・プロジェクトにかかわっていた。

 クライテリア(選択基準)を設けてふるいにかけ、3ヶ国を選択し、現地調査を踏まえた上で最終的な結論を提出する、というものである。

 このときまず選択肢から落としたのが中国だった。理由はいうまでもなく「天安門事件」後のカントリーリスクの高さである。工場建設は半端な意思決定では不可能だ。準備から操業開始まで資金が眠ったままだから、もし操業不能なんてなったら、投資回収に困難をきたし、泣くに泣けない事態となる。

 その後の急速な経済発展を考えると、リスクがあるからこそ中国進出すべしという結論はオーナー経営者なら下せたであろうが、客観的なデータをもとに論理構築を行うコンサルタントには許されにくい。もちろん私も異論なく中国は選択肢から外すのに賛成した。

 ちなみに一次選考段階で選択肢から外されたのがもう一か国あった。タイである。理由はバンコク市内の交通事情の悪さ、とくに雨期の洪水時の交通渋滞は当時から悪評が高かった。もう一つの理由は、エンジニア不足。20年後の現在でもあいかわらずエンジニア不足がいわれているが、この20年で新規に進出した日本の製造業のことを考えると、隔世の感はある。

 しかし2009年現在、また同じ調査をやったら、タイはまたすぐに外されるだろう。昨年11月のバンコク国際空港占拠はまだまだ尾を引いている。
 
 選択肢に残ったのは、シンガポール、マレーシア、オーストラリア。この三ヶ国を、自分にとっては生まれて初めての海外出張で回ることができた。当然、気合いが入ったものである。自分でもいい報告書が作成できたと思っている。ただし、結論を採用するかどうかはクライアント次第。これだけは、コンサルタントには何ともしがたい。


 1989年という年は世界情勢にとっても、自分自身にとっても大きな転換点となる年だった。激動の年であった。

 11月には東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊、しかし徹夜で仕事に追われていた私にはこの重大ニュースは翌日までまったく知らなかった。ものすごい多忙で、しかもアメリカの大学院のMBAコース受験準備も同時に行っていたので、いつ倒れてもおかしくない状態だったのだ。

 さすが年末のルーマニア革命はTVでじっくり見ることができたのは幸いだったが・・・。激しい銃撃戦とチャウシェスク大統領の処刑。20年前の映像が目に焼き付いている。チャウシェスクは北朝鮮に脱出する寸前に捕えられたのだった。

 翌年の1990年まで疲労がとれず、カラダが鉛のように重く感じられる日々が続いた。いくつもの病院で検査したがまったく原因がわからなかった。

 最後に検査した病院で、異常が見つかったので胃カメラで再検査するといわれた。

 検査にいった日、医者からは、「若いのに(胃カメラ検査なんて)珍しいねー」といわれたが、たしかに待合室で待機しているのは、おばあさんたちばかりだった。

 今は技術進歩しているからそうでもないのだろうが、その当時は胃カメラ飲むのは苦痛以外の何物でもなかったのだ。のどだけ麻酔するので、意識が完全にはっきりしている。医者がモニターみながらいっていることがよく聞こえる。「胃にポリープができてるねえ。細胞とって調べるから」といってロボットアームを操作している。「検査なんかいいから全部摘出してくれないのか?」と思ったのは、また胃カメラ飲むのがいやだったからだ。

 検査結果は良性ということだった。もし悪性だったら、とうの昔に死んでいただろう。いまこうして生きているだけでもありがたい。

 そのあとたいして時間がたたないままアメリカ留学へと出発した。アメリカではひたすら勉強していただけなので、上司による苦労も、同僚や部下による苦労もなく、私にとってはストレスフリーな毎日だった。もちろん死ぬほど勉強したが・・・。そんな日々を過ごしているうちにポリープのことはすっかり頭から消えていた。実際にポリープ自体も消滅したようだ。

 ここから私の本当の人生が始まったのだ、ということができる。この話は長くなるので折に触れて語りたい。


 初めて北京の天安門にいったのは、天安門事件から10年たった1999年になってからである。ユーラシア大陸横断のシベリア鉄道を北京から乗車するため、まず大連から満洲をまわり、そして北京に数日滞在したのだった。

 このときの中国の最大の脅威が「法輪功」であった。壁新聞(!)で「法輪功」を非難しているのを北京市内で団地内掲示板で読んだことをいま思い出した。

 天安門のバルコニーに立ったとき、1949年にこのバルコニーから中華人民共和国の建国宣言を行った毛澤東を、カラダでもって体感することができた。

 バルコニーを下から見上げて毛澤東の巨大肖像画を映したクローズアップ映像と、バルコニーから広場を眺め下ろす映像は根本的に異なる。天安門のバルコニーに立つと中国皇帝の気分を味わえるのだ。なるほど、東アジア世界の中心は東京ではなく、北京なのだ。あまり認めたくはないがこれは否定できないな、と強く感じたのを覚えている。

 いまを去ること約400年前、太閤秀吉はかつて中国の皇帝になることを夢見て、その途上にある朝鮮半島を蹂躙するという愚挙を起こした。21世紀の日本人はそんなことは絶対に夢想しないほうがよろしい。長いものに巻かれていく、でありながら距離も保つ、これが日本人にとって今後100年間の処世術となろう。


 間もなく、きたる10月1日には、中華人民共和国建国から60年になる。

 よくぞ60年もったものだ。しかしまだ安定期には入ったとはいい難い。極端な経済格差は社会問題の温床となっている。

 中国は、いわゆる「開発独裁」の結果、民主化への道を進むことになった韓国、台湾と同じコースを歩むのか、そうでないのか・・・華人国家のモデルであるシンガポールは目指す国だろうが、いかんせん中国はでかすぎる。

              


                  
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