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2009年8月8日土曜日

64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した


                     
 64年前のきょう1945年8月8日、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した。

 NHKはニュースではいっさい報道されていないが、この事実を日本国民はけっして忘れてはならないのである(・・もちろん覚醒剤使用容疑で逃亡中だった"落ちた偶像(アイドル)"のりピーこと酒井法子の行方については日本国民だけでなく、台湾でも、中国でもみな知りたいのはやまやまであっただろうが)。

 8月6日広島への原爆投下につづき、8月8日ソ連は「対日宣戦布告」によって侵攻を開始、8月9日には長崎に原爆投下、ついに8月15日には最後の御前会議において「ポツダム宣言」受諾を決定、日本は有史以来はじめて敗戦国となり連合軍によって占領されることとなる。

 毎年、暑い真夏のこの時期になると繰り返される年中行事のようになっているが、これは意味のないことではない。とかく忘却しやすい日本人にとって、繰り返し繰り返しくどいほど何度でも語り伝えることは絶対に必要なことなのだ。

 この点はユダヤ人に学ばねばならない。旧約聖書以来の出来事が年中行事をつうじて家庭内で伝承されてきた。


 ソ連の対日参戦について戻るが、ソ連がいかに卑怯な仕打ちにでたか、まさに言語道断といわざるをえない。

 日ソ中立条約を一方的に破棄したうえで、満洲国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻し、日本軍と各地で戦闘になった。

 満洲からは関東軍の高級将校がいち早く逃げ去り、残された民間人の運命がいかに悲惨なものとなったかは多くの日本人が回想を残しているが、とくにここでは言及しないが。最近のものでは、作詞家のなかにし礼原作の映画 『赤い月』で主演した常盤貴子がなぜか印象に強い。

 赤塚不二夫はじめ、マンガ家には満洲からの引き揚げ者が多く、戦後日本で活躍している。
 
 下級将校や一般兵士はソ連軍の捕虜になり、シベリアへ強制連行され強制労働させられたたことも、よく知られた事実である。

 スターリンは極東ロシア開発のため、対日戦の参戦以前から戦争捕虜をただ働きにさせる計画をもっていたらしい。山崎豊子の大河小説『不毛地帯』のモデルとなったとされる、エリート陸軍参謀・瀬島龍三もシベリアに11年間抑留されているが、彼は生きて最後の帰還船で日本に帰国した。彼には、日本軍人をソ連に売ったという疑惑がつきまとっている。

 瀬島龍三は抑留中も将校待遇で一般兵士よりは恵まれていたはずだ、という指摘も多い。共同通信社会部による『沈黙のファイル-瀬島龍三とは何であったのか-』(新潮文庫、1999)はいまでも版を重ねているようだ。瀬島氏は最後の最後まで本当のことをしゃべらなかったが、歴史に対する責任放棄といわねばならない。

 山崎豊子の小説は本当に面白かったが、実在の人物と混同してはならない。

 私は、「岸壁の母」の京都府舞鶴市の生まれなので、シベリアからの引き揚げ者のことについては、さまざまな形で耳にしてきた。そういうこともあって、帰還船はすべてナホトカから舞鶴に来たものだとばかり思い込んでいたのだが、一番最初の帰還船は佐世保に来たのだということを、帰還者自身から聞いたことがある。

 一番最初に勤務した会社に会員事業を担当する部門があったのだが、時事通信を定年退職された方が嘱託として勤務されており、会員向け雑誌の文章校正など担当されていた。その雑誌には私も文章修行を兼ねて、いくつか執筆したことがあった。

 あるとき、就業時間まぎわに雑談する機会があったのだが、ビールでも飲みに行かないかと誘われ、若手3人ほどでご一緒させていただいた。その際、自分はシベリアに抑留された際に栄養失調で片目が見えなくなったこと、幸いにして第一回の帰還船で戻ることができたが、戻ってきたのは佐世保であることを問わず語りでお話になり、「若い人」(・・20年前はまだ私も「若い人」であった!)に話すことができてうれしい、と口にされていた。

 いまから20年以上前の話だが、満洲からの帰還者はその当時はまだまだ社会に多数健在であった。

 せっかくの機会なので、8年前に書いたある本の書評を転載しておく。
 満洲ではなく、植民地であった朝鮮に駐屯した際に侵攻してきたソ連軍の捕虜となりシベリアに11年間抑留された、ある陸軍将校の物語である。彼はエリート軍人ではなかった。

 『プリンス近衛殺人事件』(V.A.アルハンゲリスキー、滝沢一郎訳、新潮社、2000)がその本だが、単行本は品切れで入手不可能なので文庫本にしてもらえるとよいのだが・・・


「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…
サトケン
2001/03/28 21:51:00
評価 ( ★マーク )
★★★★★

 原題は「誰がプリンス近衛を殺したか?」。プリンス近衛とは、戦前に首相を務めた近衛文麿公爵の嫡子文隆氏のことである。最初、ミステリー小説か?と思って書店で手に取ったが、なんと内容は、近衛文隆氏とは面識はおろか、縁もゆかりもない一ロシア人ジャーナリストが長年にわたって収集した極秘資料をもとに描いたノンフィクションなのであった。
 日本の敗戦後、朝鮮国境で逮捕されシベリアの収容所に送られたプリンス近衛は、スターリン統治下のソビエトの収容所で11年間過ごした後、帰国を前にして、病死を装って「殺された」らしいのだ。
 最後までソ連による罪状を否認しとおし、日本人としての誇り、人間としての尊厳を守りぬいたプリンスの姿には、感銘さえ覚える。
 と同時に、実は100万人を超えていたといわれる日本人抑留者の真相について、著者をしてここまで感情移入してこのノンフィクションを書かしめた思いは何なのか、という思いにもとらわれる。
 著者もいうように、このシベリア抑留問題の抜本的解決なしに北方四島返還交渉を行うのは、日本人として許してはならないのである。


 シベリア抑留にかんしては、ソ連崩壊後の1993年に、当時ロシア大統領であったエリツィンが来日した際、天皇陛下、内閣総理大臣、抑留者の代表の前で、スターリンの行った悪行について深々と頭を下げて謝罪している。

 新生ロシアがソ連と決別するために必要な儀式の一つであったとも解釈できるが、それにしても公式の席で「謝罪」したことの意味は大きい。

 それだけに、今秋に公式訪日することになっている米国のオバマ大統領が広島を訪問するのか、そして「唯一の原爆使用国」が「唯一の被爆国」の日本国民に「謝罪」するのか、大いに注目している。





                      
      



(2012年7月3日発売の拙著です)



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