春だから、春らしい話題も書いておきたいもの。
春といえば花、花といえば桜。「花は桜木、男は武士」なんていうと、『スラムダンク』か?と突っ込みを入れられそうだが(笑)。
花といえば桜となったのは平安時代中期以降らしいと高校時代の古文の時代に知った。
たしかに、平安時代初期、学問の神様である菅原道真は、配所先の太宰府で「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花・・・」と詠んでいるように、梅が花の代名詞だったようだ。梅は外来植物である。メーと発音できない日本人は、ウメと発音したのは馬(ウ・マー)と同じである。
桜は花の代名詞。これはすでに日本人の心性の奥深くに沈み込んでいる。しかも、桜は外来植物ではなく、日本に自生してきた。
言語哲学者の井筒俊彦は、「言語なるもののカルマ的本性」という表現を使って、「花=桜」について、興味深い説明を行っている。
最初期には、梅をはじめ、さまざまな花として具体的に形象化されていた「花」は、次第に桜花との特定的同定性において一種独特の色合いを帯びてくる。そして、果ては本居宣長のあの烈しい桜花への執心ともなる。(勿論、そうなってからも、ハナは、無限定的に、桜花以外の「花」の名でもあり得るが、ここでは特に桜と同定された場合だけに話を限定する)。
ほとんど妄執というに近いこの宣長の「花」(=「桜」)に対する情熱も、決して彼の個人的感情だけの問題ではない。これには長い歴史があるのだ。
・・(中略)・・
このようなものは、全て遠い昔の話であって、現代生活を忙しく生きる今の我々の日本語にはもはやなんの関わりもない、と、もし言う人があれば、それは一般に言語なるもののカルマ的本性を知らない、あるいは敢えて無視する、ことから来る誤解であろと思う。
言語のカルマ性、すなわち、すなわち意味のカルマとは何か。意味のカルマとは、かつて言語的意識の表層において現勢的だった--つまり顕在的に機能していた--意味作用が、時の経過とともに隠在化し、意識の深層に沈み込んで、そこでひそかに働いている力のこと。意識の深底に隠れて、表面にはほとんど姿を見せないが、しかしその反面、隠在的であれはあるだけ、見方によっては、かつて現勢的であった時よりも、はるかに強力で、執拗に現在の我々のコトバの「意味」を色付け、方向付ける重要な要因となっているのだ。このように、心の不可視の奥底に累積されて、下意識的に生き続けている古い意味慣用、それを意味のカルマというのである。
(出典:「意味論叙説-『民話の思想』の解説をかねて」in 『民話の思想』(佐竹昭広、中公文庫、1990)P.260~262)太字ゴチックは引用者(=私)による
それだけ、日本語を使う日本人の深層領域に存在するのが「花」としての「桜」なのだ。日本人を無意識のうちに規定しているといってよいことが意味論として説明されている。
意味はすぐにわからなくても問題ない。なんとなく井筒氏が言わんとすることが感じられればいい。井筒氏は、これをさして「言語アーラヤ識」ともいっている。「アーラヤ識」とは、大乗仏教の華厳経でいう「意識の深層領域」のことである。これを言語意味論に援用したものだ。なお、井筒氏は、「隠れた神は怖ろしい」ということも、各所で語っている。
井筒俊彦が言っている本居宣長の桜の歌とは、言うまでもなく下記のものを指しているのだろう。ただし、花と葉が一緒にでる山桜であって、現在主流の染井吉野ではない。
敷島の 大和ごころを 人問はば
朝日に匂ふ 山櫻花
「花=桜」にかんしては、上げるべき歌は無数に詠まれてきたが、日本人の心性においては、どうしても「咲く」は同時に「散る」という連想がでてくるのは、花の命が短いから。
花の色は うつりにけりな いたつらに
わか身よにふる なかめせしまに
絶世の美女といわれた小野小町(おののこまち)の歌。百人一首にも収録。眺めと長雨、世に振ると降る長雨の掛詞。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」というと、林芙美子の『放浪記』であるが。
願はくば 花の下にて 春死なむ
その望月の 如月の頃
西行である。西行法師。俗名は佐藤義清(さとう のりきよ)。23歳で出家した武士。吉野の桜を詠んだもの。
散る桜 残る桜も 散る桜
これは良寛の辞世の句。そのままを味わってほしいもの。「何ごとであれ常ならず」という仏教的な無常観を詠み込んだ、禅僧らしい辞世の句になっている。大東亜戦争末期、散っていった特攻隊員たちが、自分たちの身の上をたくして愛唱したとも聞いている。
良寛は、「子どもらと 手まりつきつつ・・」で有名な歌人であり、漢詩人でもあった。
ところで、良寛は、新潟は柏崎の人。柏崎といえば、いまでは東京電力の原子力発電所を思い浮かべる人のほうが多いのではないだろうか? 前回の新潟大地震では、日本海に面した柏崎原発では何が起こったのか、東電管内の人間もよく知らねばなるまい。
散る桜 ⇒ 良寛 ⇒ 柏崎 ⇒ 原発事故・・・
あまりいい連想ではないのだが・・・
書評 『桜が創った「日本」-ソメイヨシノ起源への旅-』(佐藤俊樹、岩波新書、2005)-この一冊で「ものの見方」が変わる本
・・良寛が句にした桜はソメイヨシノではない!
八重桜は華やかで美しい
「桜餅のような八重桜」-この表現にピンとくるあなたは関西人!
「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・
「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・一神教にかんする井筒俊彦博士のコトバを引用している
本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった
・・イラン革命当時の井筒俊彦博士のコトバを引用している
(2014年2月24日 情報追加と整理)
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