今朝(2011年4月19日)は、関東地方はひさびさの雨でした。
春の雨といえば春雨(はるさめ)。いつもなら「春雨に濡れて行こうか・・」なんて風流なセリフもクチにしたくなりますが、福島第一の「原発事故」以来、ちょっとそんな気分にはなりません。
わたしが小学生の頃、「雨の日は帽子をかぶらないとハゲになる」といわれてましたが、1960年代に何度も行われた中国の核実験によって、実際に放射能が日本に降り注いでいたと「週刊新潮」の記事に書かれていました。
放射能レベルは、なんと現在の一万倍のレベルであった(!)と。ガキどものあいだで交わされた会話内容は、実は根拠のある話だったのです。
■山吹の和歌の故事と武将・太田道灌の「気づき」
ところで、いまの季節、関東地方ではすでに桜の季節は終わりましたが、山吹(やまぶき)の可憐な花が咲いています。
雨の日に山吹の花といえば太田道灌(おおた・どうかん)。有名な山吹の歌の故事ですね。
七重八重(ななえやえ)
花は咲けども
山吹の
実の一つだに
なきぞ悲しき
小学生の頃、東京に住んでいたわたしは、「東京都の歴史」(?)という授業で習った記憶があります。たしか小学校4年生だったと思います。教科書は『わたしたちの東京都』というタイトルだったような記憶が。ただし、この歌をならったかどうかは定かではありません。
「山吹伝説」については、わたしが下手な説明をするよりも、ここは wikipedia の記述をそのまま引用させていただきましょう。
山吹伝説
道灌が父を尋ねて越生の地に来た。突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑(みの)を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺きの家であり貧しく蓑(注:みの=「実の」の掛詞)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。
*太字ゴチックは引用者(=私)による。( )の注記も同様
太田道灌は、15世紀の人。関東地方を治めていた室町時代の武将で、江戸城を開城した功労者として、ことに東京都では称揚されてきました。
私が大学を卒業してはじめて勤務したのは東京の大手町ですが、新宿に移転するまえの都庁舎が大手町にあった頃は、そこに太田道灌の銅像がたっているのを何度も見ました。現在は、銅像は日比谷の国際フォーラムに移転されたようです。
この山吹の故事は、太田道灌があるべきリーダーのモデルであることを示した事例でもあります。
太田道灌は、この山吹の一件をキッカケに和歌の道に精進しただけでなく、たとえ偶然ではあっても、統治対象の一般民衆の貧しい暮らしを実地に知ったことによって、その後の善政のキッカケとなったわけです。
オン・ザ・スポットではなく、タイムラグがあったとはいえ、かえって逆に深いレベルで確実に「気づき」を得たわけですね。経営学の組織論でいえば、太田道灌は「リフレクティブ・マネージャ-」であったわけです。内省するトップ・リーダー。
民草の過酷な人生と悲哀を直接みずから知ることによって得た「気づき」は、歌道への精進と合わせて、一武将を確実に知将へと成長させる原動力となったことがうかがわれます。
■トップリーダーの「目線」のありかについて
これまた伝説の故事ですが、世界最大の前方後円墳で有名な仁徳天皇(にんとく・てんのう)もまた、善政を布いた君主として名高い存在です。
『古事記』と『日本書紀』に記されたところによれば、あるとき仁徳天皇は高い岡のうえに登って、民衆のようすを眺めてこういう歌を詠まれたといわれています。
たかきやに のぼりて見れば
煙(けぶり)たつ 民のかまどは
にぎはひにけり
3年前に同じ場所から見下ろしたときには、かまどから煙が立つのも見えない、つまり燃料もなく苦しい生活を強いられて疲弊していた民草の暮らしを案じて、租税を免除して民生の安定につとめた仁徳天皇。この 3年間は、おんみずからも倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったとあります。
その諡(おくりな)のごとく、仁(=愛)という徳を備えた君主として、やや儒教的に理想化された存在ですが、一般民衆の目からみた「上に立つ人」のあるべき姿が仮託されたものと捉えるべきものでありましょう。
(仁徳天皇陵と比定されていた前方後円墳の大仙陵古墳 大阪府堺市 wikipediaより)
仁徳天皇のようなトップリーダーの目線は、commanding heights(戦略的要衝)からの鳥瞰(ちょうかん)、すなわちバードアイ(bird's eyes)。いわゆる「上から目線」です。全体を見渡すことのできる地点からの把握といえます。
太田道灌のように、偶然の結果とはいえ、現場にわけいって民衆の悲哀を知るトップリーダーの目線は、いわゆる「下から目線」です。すべてを見渡すことはできなくても、ある一点に集中的に現れた全体を知ることができる。
民衆のなかに自ら分け入ることによってはじめて知る実情は、日本の製造業でいわれる「三現主義」にもつうじるものがありましょう。すなわち、現場・現実・現物の「三現」。
実在の人物がモデルだとはいえ、架空のヒーローである水戸黄門様もまた一般庶民の切なる願望が生み出したあるべきリーダー像だったのでありましょう。
もちろん、太田道灌も一国一城の主(あるじ)であった以上、城郭から下を見下ろす「上から目線」の持ち主であったことは言うまでもありません。トップリーダーとしては当然の振る舞いであるからです。
■トップリーダーに必要な「上から目線」と「下から目線」
先日も、「原発事故」の現場に乗り込んで、視察を強行したこの国の首相が顰蹙(ひんしゅく)を買ったばかりですが、鳴り物入りで現地視察をすることが現場で働く人たちにとって何を意味するのか、トップリーダーたるもの大いに意識してもらいたいものです。
現場の人間は、トップリーダには現場に来て実際に自分たちが働く姿を見てほしいと願っていますが、そのために準備万端整えるとか、整列して迎えるとかいうのではなく、ふだんの姿を、ありのままの姿を見てほしいと思っているのです。
これは、有史以来、日本人がつねに思ってきたことなのです。
国のトップであっても、組織のトップであっても、下に置かれる人間からの視線がどこを見ているのか、腹の底から知ることが必要でしょう。
上に立つ人は、下に置かれる人たちの心情をくみ取るイマジネーションのチカラが必要であること。太田道灌の故事はそのことを、よく教えてくれるものなのです。
PS 写真を一枚追加した。(2014年2月18日 記す)
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(2014年2月18日、3月10日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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